第17話 壁の花


 王宮にて大規模な舞踏会が開かれた。


 このような公の場においては、紳士たるもの、伴侶および婚約者をないがしろにはしないものである。終始ベタベタして一緒にいる必要もないけれど、『近寄らない、存在を無視する、挨拶時に同伴もしない』というのはさすがにマナー違反だろう。日常生活で二人の仲がギクシャクしていたとしても、政略的な結びつきで心が伴っていないとしても、決まりごとだと割り切って、最低限のマナーは守るのが普通だ。


 しかしパトリシアはこの夜、婚約者であるアレック殿下から見放され、一人寂しく壁際に佇んでいた。


 パトリシアは王太子殿下の婚約者であるので、彼女が一人でいるからといって、ほかの男性は迂闊に声をかけたりはしない。パトリシアは殿下の心を掴めていないようであるが、かといって、しっかり捨てられたわけでもないから、どっちつかずというか、触れるに触れられぬという空気があった。


 そしてパトリシアはご婦人方からの人気もなかった。


 パトリシアを推していたグレース王太后殿下は臥せりがちで、年齢も六十。社交の場からは遠ざかっている身だ。パトリシアには強力な後ろ盾がなかった。


 現国王陛下の妻であるクロエ王妃殿下は、たおやかに微笑みながらも、パトリシアを決して受け入れようとはしない。王妃殿下がそんな調子なのだ。社交界に身を置くご婦人方は、皆、王妃殿下にならい、パトリシアとは距離を置くようにしていた。――距離を置くどころか、クロエ王妃殿下のご機嫌を取るべく、パトリシアをいじめる者も出始めているようである。


 しかし男性陣はもう少し慎重な態度を取っていた。『殿下にないがしろにされている娘だから、ひとつ、からかってやるか』と悪戯心を発揮してちょっかいをかけたはいいが、あとになって風向きが変わり、『殿下のパートナーに無礼を働いた愚か者』と糾弾されるようでも困る。あるいは、『一人で放っておかれてかわいそうに』という気持ちから彼女に親切にするのも、それはそれでリスキーだった。


 ――アレック殿下とパトリシアの仲は、実際のところ、どうなっているのだろう? 皆がそれを気にしていた。二人が仲睦まじく過ごしている場面は、これまでに一度も目撃されたことがない。上手くいっていないのは確かなのだが、もうこのままなのか。このところアレック殿下はロザリーという令嬢を気に入っているようだが、本気で乗り換える気はあるのか。


 けれど敏い人は、こんなふうに思ったりもするのだった。――アレック殿下がパトリシアに一切興味がないなら、かえってもう少し気を遣うのではないだろうか? と。


 なんというか、アレック殿下がパトリシアを拒絶する態度は、外敵から身を守ろうとしているハリネズミのような有様で、なんだか痛々しい感じもするのだった。意識しすぎるがあまり、先に相手を傷つけてやろうと、躍起になっているようにも見える。もしもアレック殿下がパトリシアに強い関心を抱いているのなら、この先、ガラッと状況が変わる可能性もある。それゆえ先が読めないと、戸惑いを覚える者もいた。


 ――ところで、今夜のパトリシアの装いは、いつもの彼女らしくなかった。


 なんとも評価するのが難しい……彼女の姿を目にした者は、女性であっても、男性であっても、ちょっとした混乱を覚えていた。


 黒いシックなドレスは、ゴテゴテした余分な飾りがなく、アウトラインは美しい。布地も上等で、細工は丁寧。安物ではないというのは一目で分かる。


 ――しかし露出が多い。上身頃が特にそうで、布面積が極端に少ないデザインだった。襟ぐりは大きく開き、背中などはほとんど全て露出しているような状態である。そしてスカート部分は膨らみを作っておらず、しなやかに流れるように、腰や太腿のラインを強調しているのだった。


 かなり奇抜ではある――とはいえ、昨今のトレンドに逆らっているわけでもない。確かに最近は襟ぐりが大きく開いたものや、背中の肩甲骨の一部を露出させるのが流行っている。顔と同じくらい、デコルテや背中にはその人その人の個性が表れるものだし、優美さや色気が滲む部分でもあるから、ある程度は出したほうが華やかにはなるのだ。


 ――とはいえ、パトリシアのこれはどうだろう? さすがに少しやりすぎではないだろうか?


 おそらくであるが、パトリシア以外の女性が同じものを身に纏っていたなら、見た瞬間に『これはない』と判断され、即、顰蹙ひんしゅくを買っていたのではないだろうか。――いくらなんでも下品すぎる、と。


 しかしパトリシアには消しようもない不思議な清潔感があったから、驚いたことに、この大胆なドレスがよく似合っていた。


 胸の膨らみは半分ほど表に出てしまっているし、少し俯くだけで、見せてはいけない部分が見えてしまうのではないか……と心配になるくらいに危ないドレスではあるのに、エレガントさは失っていない。


 ――どうしてパトリシアがこんな罰ゲームのような衣装を着せられているかというと、これは彼女の両親が指示したことだった。


 パトリシアがアレック殿下の不興を買ったことを、カミングス侯爵夫妻はどこかから聞きつけてきたらしく、厳しく娘を叱責した。そしてカミングス侯爵は『使えるものはなんでも使って、殿下のご機嫌を取ってこい!』と娘に告げたのだった。


 このところパトリシアは家にいても心が安らぐ暇がなかった。パトリシアの顔を見れば、父は『お前が悪い』となじるし、母は眉を顰めて『あなたには魅力が足りないのかしら』と小さく首を振りながら嫌味を言う。


 カミングス侯爵家は歴史も古く、名家中の名家であるのだが、パトリシアがアレック殿下とクロエ王妃殿下に疎まれていることから、その影響力に陰りが出始めていた。夫妻はそのことに強い怒りを覚えていて、その責任は全て娘のパトリシアにあるのだと考えていた。


 彼らは娘が十四歳でグレース王太后殿下から後任として指名を受けた時は、『自慢の娘だ!』『良くやったわね!』と喜び、パトリシアを家宝のように大切に扱った。パトリシアは両親から手放しに褒められ、家族として受け入れられている、愛されていると感じた。彼らに暖かな笑顔を向けられて、素直に喜んだ。パトリシアもニコニコと笑顔を返したものだ。


 それが今では……


 娘に娼婦のような格好をさせて、それでもなお怒りが治まらぬ夫妻は、『どうやったらパトリシアと縁が切れるだろう?』と思案し出す始末なのだった。


 ――親からも見捨てられかけているパトリシアは、華やかなパーティー会場に身を置きながら、不安で、悲しく、泣きたいような気持になっていた。しっかりしなければ……そう自分に言い聞かせるのに、どうしても顔は下を向きがちで、床ばかりを眺めてしまう。


 だから彼女はまるで気づくことができなかった。


 婚約者であるアレック殿下が遠くのほうで、愛憎渦巻く強い視線を、パトリシアに向けていることに。


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