第8話 聖女パトリシア


 パトリシアはケイレブ聖泉に着くなり、すぐに儀式に取りかかった。


 初めに泉のほとりに膝をつく。背筋は伸ばし、行儀良くして、心を静めて泉のほうを見つめる。


 それから聖歌を歌う。パトリシアの声は少し細く頼りなくはあったが、声質は綺麗だった。


 パトリシアは歌いながら、『ロザリーたちが遅れていて助かった』と考えていた。


 ロザリーが靴ずれを起こしたあと、彼らの進むスピードはガクリと落ちた。それでパトリシアは彼らを引き離し、かなり先行してここへ辿り着くことができたのだ。


 とはいえゆっくりしている時間はなく、すぐに決められた開始時刻になったので、儀式を始めることにした。聖泉礼拝は聖歌を歌うことから始まる。もしも歌声を聞かれていたら、彼らにまたからかいの種を提供してしまうところだった。


 歌い終わったのと同時に、背後がバタバタと騒がしくなる。――どうやらロザリーたちが到着したらしい。


『初めからちゃんと見たかったのに、パトリシアお姉様ったら、勝手にもう始めてしまったのね』


 ロザリーが震え声で泣き言を口にしているようだ。パトリシアからすると、なぜこのことでロザリーに恨み言を吐かれなければならないのか、理解不能だった。


『あとで厳しく注意しておこう。我々を出し抜いて、一体なんの得があるというのか……こういう理解不能なことが続くと、パトリシアの風変りな人格ということでは片づけられなくなってくる。聖泉礼拝にはそこまでして外部に隠さなければならないような、後ろ暗い秘密でもあるのかと、疑ってかかるべきかもしれない』


 ロザリーの怒りと悲しみに触発され、アレック殿下はありもしない陰謀を疑い出す始末である。


 この儀式が終わる頃には、自分は国家反逆罪か何かで、死刑が確定しているかもしれないわ……パトリシアは半ば本気で、我が身の行く末を心配しなければならなかった。


 歌のあとは、聖書の朗読。毎日、何年も繰り返し行っているので、聖書を見なくてもそらんじられる。パトリシアは心を込めて祈りを捧げた。


 ――五分ほどそれが続くと、パトリシアが静止したまま動かないので(何か呟いている声が漏れ聞こえてくるのだが、ただそれだけなので)、ロザリーはすぐに退屈してしまった。


 アレック殿下とマックスもさぞかしうんざりしているだろうと思い、視線を横に向けてみたのだが、驚いたことに彼らは、真剣な顔でパトリシアの後ろ姿を凝視しているではないか。しかも睨んでいるという感じはしなくて、惹きつけられているという表現が一番近いような気もした。これにロザリーは不意を突かれてしまった。


 もう一度パトリシアのほうに視線を戻すと、泉のほとりに膝を突く彼女の佇まいは、なんだか神聖なもののように感じられた。悔しいけれど、確かにパトリシアには、いかにも聖女らしい清廉さがある。姿勢が良く、美しかった。


 貞淑なドレスを身に纏っていて、特別体のラインを強調しているわけでもないのに、脇の下からウエストにかけてのラインが滑らかで、艶っぽい。


 ウエストの辺りでドレスの切り返しがあり、臀部あたりはふわりとしたスカートで覆い隠されているのだが、隠されているからこそ、かえってその下はどうなっているのだろうと、下世話な想像をかき立てられる。


 ……そんなふうに思うのは、自分だけ? 男性陣はどうなの? ロザリーは奇妙な焦りを覚えた。


 アレック殿下たちがパトリシアに対して女を感じているはずもない――そう信じたいのに、ロザリーからすると、なんだか胸がモヤモヤする展開だった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る