十話 バーガー
フィールドと控室をつなぐ廊下に、一人の少女が落ち着きなく立っていた。
「これで……貴族級……お姉さまに……」
自分がヤギューインに勝ち、貴族級以上に昇級することが確定したユチナ。その現実をようやく理解し、期待と不安、緊張と喜びがないまぜになった表情で、姉を待っている。
彼女の姉、王族級たる学園代表は、当然のように全校おフェンシング大会を勝ち進んでいた。
今日は準決勝、試合は二つのみ。ユチナとヤギューインの試合が先だったため、待っていればこの廊下を通るはずだ。
「……でも、ううん、大丈夫ですわ。きっと……」
『…………』
忙しなく表情を変える少女を、コアは何も言わずに見ていた。
それからさほど待つこともなく、大きな歓声が漏れ聞こえ、そして、その時が来る。
「ごきげんよう」
「ご、ごきげんようですわ!」
学園代表は、いつもと変わらぬ完璧な微笑で挨拶し、そのまま通り過ぎようとする。
「そ、そのっ!」
ユチナは、慌てて引き留めた。
「わ、私、さっきの試合で勝って、それで、貴族級に、だから」
「そうですね、おめでとうございます。決勝戦、よろしくお願いいたしますわ」
優雅に、上品に、しかし淡々と頭を下げると、学園代表は足を進めた。
「え……青いリボンが……似合う……」
背中が遠ざかる。それと同時に、何かが決定的に終わってしまうようで――。
「お姉さまっ!」
手を伸ばす。姉が、振り返る。
笑顔に変わったユチナの表情が、絶望に曇った。
「学園代表、ですわ」
ただそれだけ言うと、王族級は優雅に歩き、去っていった。
無意味な思考が繰り返され、無数の想像、妄想が浮かんでは消える。ただ、その全てがマイナスで、心を無限に沈ませていく。
『――ろ、――ナ』
縋っていた希望が幻だったことに、気づいてしまった絶望。いや、本当はどこかでわかっていたのではないか、自分の好きだった姉がもう、戻らないということくらい。
負の連鎖反応、マイナスの無限ループ。自家中毒に陥った心に……コアの声。
『起きろ、ユチナ』
意識が覚醒する。といっても、眠っていたわけではない。ただ外界の情報を、閉ざしてしまっていただけで。自分が制服のままベッドで横になっていたことに、気づかないほど。
「……バーガー、練習なら、もう」
『うるせえ、黙れ、ごちゃごちゃいうな。いいから起きろ』
何度か無視しようとしたユチナだったが、バーガーは諦めず、抵抗し続ける気力もなかった少女は立ち上がった。
『遅ぇんだよ。じゃ、行くぞ。色々準備すっから、言われた通りにやれ』
最早考える気力すら失った少女は、黙って言うとおりにした。
数分後、ユチナは深夜の町、寝静まった学園の上空を飛んでいた。
「……どういうことですわ」
エプロンを付けた寮母ボットを抱えながら、流石に疑問が浮かんだ少女は、尋ねた。
『……いいか、絶対に、絶対に絶対に二度と言わねえぞ』
ユチナを乗せて飛ばしている、寮母ボットに填まった赤いコアが、答える。
『俺はな、お前を認めてる』
「……バーガー」
抱えた寮母ボットを、信じられないといった様子でユチナは見た。
『俺が認めてるお前、そのお前が認めた姉が、庶民級になったってだけで自分の妹を見捨てたって、本気で思ってんのか?』
それは、考えてはいたこと。信じたいこと。そして、既に否定されたこと。
「……でも、だったら他に何が!」
『知るわけねえだろアホ!』
自分で言っておきながら、容赦なく吐き捨てる。
『だから探しに行くんだろうが』
そこでユチナは、どこに向かっているのかという疑問を、ようやく抱いた。
『王族級の寝床ってやつを、拝みに行くぞ』
寮母ボットの向かう先は、町の中心部、壁の中で更に壁に囲われた場所。
王族級のエリアである。
特に誰にも、ボットにも見られることなく壁の内側に降り立った二人。
すばやく寮母ボットからバーガーを外し、左手の腕輪に着けなおす。
周囲には豪華絢爛な建物たちが、十分な間隔を取って並んでいる。
しかし、その光景から、どうしようもない違和感を、二人は感じ取った。
「人の、気配が」
(気配……音がしない? いや、それだけじゃねえ)
『……ユチナ、手を叩け』
手が打ち鳴らされ、乾いた音が【どこまでも広がって】いく。
視覚と聴覚が、何かの齟齬を訴える。増した違和感が、背筋をざわつかせる。
『……装着しろ』
すぐにスーツを緊急装着し、腰に手を当て、何もないことを思い出した。
『こうして……こうすりゃ、いけるか?』
喪失感を味わっている間に、バーガーが何かをする。一瞬、景色全てにノイズが走り。
『……全部ホログラフィック、拍手の音が反射しねえわけだ、くそ』
次の瞬間、豪華絢爛な建物も、その間の庭園も何もかもが消え去って、無機質で平坦な地面と、時計塔だけが残った。
『なあ、ユチナ。お前今まで、お姉さま以外の王族級って見たことあるか?』
ユチナは考え、首を横に振った。
その理由が何故なのか、今、明かされようとしている。
『正直もう後悔してきたが、あそこに行くしかねえみてえだな』
スタンプが指差すのは、唯一残った時計塔。
歩き出したユチナの足取りは、確かなものになっていた。
王族級エリアの異常な状況が、どうしようもない不安と共に、もしかしたらという希望を、胸に湧かせていた。
不用心なことに、時計塔の入口に鍵などはかかっていなかった。
ゆっくりとドアを開く。地下へと続く、薄暗い階段が視界にとびこんだ。その他には、何もない。そこを降りていくより、他に道はない。
ユチナは、黙々と階段を下った。
永遠にも思える数分が経ち、階段を降り切った先に、一際異常な光景が、広がった。
『なんだ、こりゃ……』
そこは薄暗く、ガラスでできた円柱状の柱が、幾つも並んでいるだけの空間だった。
いや、恐らくそれは、その用途を考えれば柱ではないのだろう。
その内側に満たされた液体の中で、少女たちが浮かんでいたのだから。
そう、少女【たち】だ。
見渡せる範囲に存在する、全ての柱の内側に、十代と思われる一糸まとわぬ少女たちが、目を閉じて浮かんでいた。
「人……っ!?」
ユチナは柱の一つに駆け寄り、浮かぶ少女たちを間近で見た。
ゆっくりと胸が上下している。死んではいないことと、作り物でないことが分かった。
『おかしい学園だとは思ってたが、こういう方向性じゃなかっただろ……』
バーガーがショックを受けながらも、周囲を精査する。
「助けないといけないですわ!」
他人の危機に、一時気力を取り戻したユチナが、拳を握りしめて振りかぶった。
『待て……! 適当に開けて大丈夫なのかわかんねえだろ。それより、あっちだ』
一瞬だけ悩んでから腕を下したユチナは、スタンプ矢印が示す先に目を凝らす。
薄暗く、先を見通せないこの場所だが、それは自ら発光していたため、注意すればその存在を確認することが出来た。
ゆっくりと、近づいていく。腰にソードがないことが、恐れを加速させる。
徐々に輪郭をはっきりとさせたそれは、見上げるような、円柱状の謎の機械だった。
その中央には、直径がユチナの身長ほどもある、巨大な青色のコアが填まっている。
その巨大なコアは、ゆっくりと明滅していた。
侵入がバレたか、とユチナは身構えたが、そのコアは何もしなかった。
『…………情報が得られるかもしれねえ。近づけてくれ』
意を決したように、バーガーが言った。
ゆっくりと、ユチナが腕輪を、赤いコアを近づける。
バーガーは何度か点滅し、その名を告げた。
『学園システム統括、第七世代マザーコア、か』
その後、再びバーガーが点滅し、大量のデータが流入し始める。
『カ大陸及びユーラシア大陸の四割が消』『却処分を受けるはずの第六世代ボットの脱走について、異常を起こした第六世代マ』『争孤児の受け入れ先としての学』『歴二二四五年に発生した第』『妹制度が情操教育に与える利点についての研』『様学校を模した理由につ』
無秩序に浮かび上がっては消える画面が、断片的な情報を伝える。
関連性のない大量のデータが画面を高速で行きかい続け、突然一つを表示して止まった。
『こいつは……』
『赤いカラーリングの試作型第八世代コアは、人類をよりよく理解するため、人類の思考、感情、欲求などを学習させました。しかし、その結果ほぼ全てのコアが疑似人格回路に異常をきたしました。人類のよりよい未来のため、という目的を忘れ、まるで人間のように自分の欲求に従うようになってしまったため、一つの成功例を除いて廃棄処分が決定しました。※廃棄処分工程にミスが発生しました。一般廃棄物に混入している可能性がありますので、処理担当ボットは直ちに確認を。※試作型第八世代コアは、その第七世代マザーコアに匹敵する性能の副次効果として、ボットのみならずおフェンシングスーツ着用中の人間を操作出来ることが判明しました。スーツ着用時以外は操作不能ですが、マザ――』
「――どこの誰かは知りませんが、汚らわしいネズミですわ」
背後から声が聞こえる。
「どんなに時代が進んでも、教育技術が進化しても、一学年に一人か二人は出てきてしまう落ちこぼれ。その赤いマント、庶民級ですわね」
ゆっくりと、油の切れた機械のように、振り返る。
「こうはなりたくない、と他の生徒たちのモチベーションを向上させるという役割を、ただ果たしていればいいものを……これだから愚か者は嫌なんですわ」
そこにいたのは、王族級、学園代表だ。
「学園の理念にも、上に従え、姉に従え、より階級の高いものに従え、と書いてあるのに」
薄暗く、表情をよく見ることも出来ないが、ユチナがそれを見間違えるはずがない。
例え、向こうは自分が誰なのか、気づかなくとも。
ユチナは、何度も深呼吸し、なんとか言葉を絞り出した。
「この、人たちは一体」
ユチナの視線の先は、ガラス柱の中に浮かぶ少女たちだ。
「創立してから百年の間で、王族級に至った生徒達ですわ」
学園代表は、やましいことは何もないとばかりに、あっけらかんと答えた。
「次世代を担う人類の模範であり、教育の成功例である彼らを、ボット、いいえ、学園の運営者であるコアたちが研究、保管しているんですわ。どうすれば人類をより効率的に、より優れた存在に、教育できるか、彼らを調べることで分かるんですわ」
学園代表の瞳が輝く。
「教育の水準が上がれば王族級の数も増える! そうすれば、研究できる人たちも増え、さらに教育が発展する! そしていつか、庶民級のような愚かで下賤な存在は消え去って、コアの指導の元、人類すべてが王族級足り得る、高貴な世界がやってくるんですわ!」
ある意味、理想の世界ではあるのかもしれない。だが、そこで終わりではなかった。
「そうして、全ての人類が王族級レベルになれば、次は【王族級の中の王族級】を研究し、調べ上げ、教育の水準を上げる。教育の水準が上がれば、人類はより高みに! 高貴に! 究極に向かっていく!!!」
それは、教育のための教育。進化のための進化。
手段が目的と化した、終わることのない無限の上昇。
「じゃあ! どうして……あなたは、そこで、研究されずに」
ユチナの問いに、学園代表の声が、憂いを帯びる。
「他の王族級の方々は、この学園の存在意義を知った時、この崇高な理想に疑念を持たれてしまったんですわ。だから、仕方なくこうして研究しているんですの」
「……では、あなた、は」
「彼らと違って、私は理想に共感し、自ら進んで協力している。これでよろしくて?」
学園代表の言葉に淀みは一切なく。
ユチナの心を守っていた最後の砦が、今、崩れた。
登っている途中の梯子が外されたような、どうしようもない、終わり。
この、王族級のエリアにたどり着き、異常を目にした時、僅かに湧いてきた希望。
お姉さまにも、何か事情が、やむを得ない理由があったのでは、何かに巻き込まれてしまっているのでは、という最後の光が、かき消された。
薄暗い部屋の中、絶望に染まる庶民級の様子を見て、王族級の口が三日月のように弧を描いた。
「ところで、私は常々考えていたんですわ」
もはや、彼女が何を言っているのか、ユチナには聞こえていない。
そんな庶民級の様子を理解し、ますます楽しそうにしながら、学園代表は剣を抜いた。
「成功例だけでなく、失敗例の研究も、必要ではないか、と」
瞬間、恐るべきスピードで学園代表が踏み込む。
半ば呆然としていたユチナだったが、反射が、本能が、咄嗟に判断を下す。
愛剣はない。避けることも厳しい。ならば、今とれる最良の防御方法は何か。
胸に向かい、迫る剣先。
ユチナは、無意識に左手を割り込ませ――。
「ッ!」
――フラッシュバックする、ゴミ山の記憶。スパーク。異常を起こしたスーツ。
壊れた、コア。
「ッッッ!!!」
意志の力を総動員し、左手を下げる。
そして。
(っ!? バーガーッ!)
剣先は、赤いコアを突いた。
「がっ!?」
下げたはずの左手が、自分の意志ではない意志で持ち上がり、ユチナを庇ったのだ。
コアに刺突を貰い、その余波で吹き飛び、マザーコアに叩きつけられそうになるが、受け身を取ってすぐに立つ。
「わりぃ、ちょっと夢中になっちまってた」
ユチナ、いやバーガーは、左手の自分自身を見て、自嘲気味に笑った。
同じタイミングで、それを見つけた学園代表の顔が、驚愕に染まる。
「……どこでそれを! いや……いえ、そういうことですか」
何かに納得したように、
「試作型第八世代コア、赤いコアを使用してスーツを着用すれば、身体能力が増強される」
(!?)
バーガーの目が驚愕によって、僅かに開かれる。
「だから庶民級程度が侵入できた、と予想したのですが……その様子をみると、そんなことにも気づいていなかったんですわ?」
ユチナは思い返す。
予選大会の日、調子がいいと感じた。その時は、よく食べてよく寝たからだと考えた。
トモを操ったバーガーと練習するとき、何か違和感を覚えていた。だが、その理由はわからず、バーガー以外だと調子が悪いのかも、と次第に気にしなくなった。
(じゃあ、私の、今までの努力は、勝利は……)
「それはちが――」
バーガーの言葉を遮るように、学園代表が手を叩いた。
「喋りすぎましたわ」
剣が構えられる。
「学園の礎になりなさい!」
学園代表が踏み込む。
刹那、バーガーの思考領域で、無数の演算が行われる。
先ほどの刺突のスピード。徒手空拳の状況。体格差。
選んだ答えは、前進。
「素手で何かできると――なにっ!?」
バーガーは、相手の刺突をよけるでもなく、そのまま胸にぶち当てた。
大量に舞い散る赤い薔薇。
それが消えた時、そこには。
「撤退、か」
誰もいなかった。
時計塔を抜け出し、置いてきた寮母ボットの元へ走りながら、バーガーは叫んだ。
「おい! ユチナ! 起きろ!」
しかし、心の声が返ってくることはない。ユチナの意識は、闇の底だった。
(……………………あぁ、くそ、これが俺の限界か)
走りながら、左手を、自分自身を見る。
「…………信じてるぜ、相棒」
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