八話 零回戦
五年前。
とある薔薇園の中のティーテーブルに、一人の少女が座っていた。
傍らに浮かぶのは、燕尾服風のカラーリングがされた、最新式の青いコアのボットだ。
「……時間、過ぎてますわよね?」
紫のリボンを胸に付けた、ポニーテールの少女がボットに尋ねた。
『姉妹初顔合わせの集合時間は、十分前となっております』
「あらあら、どうしたのかしら」
少女は、ティーテーブルの上の、冷めつつある菓子を見やった。
一方その頃。
石畳風の道の上、短い赤髪の女の子が、花壇の影に隠れていた。
『ユチナさん、姉妹初顔合わせ、目的地へのルートを表示――』
「――うっさい」
近くに浮かんでいた子守りボットの、青いコアをもぎ取る女の子。
ボットは沈黙し、地に転がった。
「さーて、今日はなにしよっかなぁ~」
小生意気な顔つきで、花壇の影から通りすぎる初等部生や、ボットを伺う。
「うーん……あ」
キョロキョロしていたユチナの瞳が、定まった。視線の先には、花に水をやるボットだ。
ユチナの顔が、ある意味子供らしい残酷な笑顔に染まる。
女の子はそっと、ジョウロを持った古めのボットに近づくと、その緑のコアを外してしまった。さらに外したくぼみに、ジョウロの水を流し込んだ。
スパークし、白煙を上げながら痙攣するボット。
「あっはははははは!」
それを見て、ユチナは腹を抱えて大笑いしている。
「あーおかしい! もっといろんなボットにやってみようかな!」
辺りを物色し始めるユチナ。その瞬間、痙攣していたボットが大きな音を出した。
『ビィイィィィイイイイイイィィィイイイイ!!!』
耳を塞ぎ、うずくまるユチナ。
その間に、音を聞きつけてか、緑のコアを持った様々なボットたちが集まってきた。
駆け付けたボットが、情報共有を始める。
『緊急信号』『緊急信号確認』『第二戦闘態勢』『情報収集開始』
ボットの一機が、周囲に赤いレーザーを照射する。そのレーザーが、ユチナの手に握られた二つのコアと、ジョウロに止まった。
ちょうどその時、音を発していたボットが小さく爆発し、静かになった。
「――っ!? もおーうるさいなぁ!」
耳を塞ぐのをやめ、立ち上がったユチナは、見てしまった。
大量の古いボットが、こちらにそのコアを向けているのを。
「いやああああああ!?」
短い赤髪の女の子が、半べそをかきながら逃げ回る。
追いかけるのは緑のコアの、ボット、ボット、ボット!
追いついたボットからは体当たりがしかけられ、しゃがみ、転がり、紙一重でかわす。
「なんだっけ!? きんきゅう……そうち、そうつ……あぁもう! 思い出せない!」
緊急装着コマンドを思い出せず、スーツを着ることも出来ない。
周りの生徒も初等部生だけ、怯えて遠目で見るばかり。
ただただ、走り続けるユチナ。
『回り込み完了』
「うそ!?」
最悪なことに、目の前の曲がり角から、白黒カラーのボット。挟み撃ちだ!
古い風紀委員ボットはアームを二本生やし、スパークさせる。
「電気は中等部からじゃないの!?」
前に電気、後ろに体当たり。もはや逃げ場はない。
『執行』
万事休す。終わりを告げる電撃アームに、ユチナは縮こまることしか出来なかった。
「うぎゃあああああああ!?!!?!?」
身体をのたうつ電流。激しい痛みに、意識がブラックアウトを選択しようとする。
その時だ。
「――はッ!」
一つの影が、風紀委員ボットを吹き飛ばした。
そのまま、他のボット達から庇うように、ユチナに背を向け仁王立ちする。
「あ、あなたは……?」
軋む意識の中、ポニーテールを揺らす少女に、尋ねた。
「中等部二年、大貴族級」
その影は振り返り、慈愛に溢れた笑顔をユチナに向けた。
「貴方のお姉さまですわ」
視線を前に戻し、彼女は腰のソードを抜いた。
その背中が、余りに頼もしく、小さなユチナは安心して意識を手放した。
意識が戻った時、目の前に彼女の顔があった。
慌てて首だけ動かして辺りを確認すると、そこがどこかの薔薇園の中のお茶会場所で、自分が彼女に膝枕されているということを、ユチナは理解した。
目覚めたことに気づくと、少女はピシッと、人差し指でユチナにデコピンした。
「悪いことを、しましたわね?」
ユチナは、不思議と言い訳しようという気が浮かばなかった。
頬を膨らませた、彼女のあまりにも似合わない怒り顔が、こんな人にこんな顔をさせてしまった、と、罪悪感を煽ったからかもしれない。
「……はい」
「それは、反省しなければいけませんわ」
ユチナは、素直に頷いた。
すると、彼女はすっと表情を一新し、慈愛に溢れた笑顔に変わった。
「でも、怪我がなくてよかったですわ」
そう言うと、彼女はその胸に、ユチナの頭を抱きかかえた。
「お姉、さま」
彼女が、中等部二年の平均より、成長が早かったというのもあるだろう。
ユチナが、同年代の女の子たちより、少し小さかったのもあるかもしれない。
出会いが劇的であったのも、大きく作用しているだろう。
とにかくユチナは、安心感、信頼感、憧れ、色々なものがごちゃ混ぜになった好意を、彼女に抱いた。
「どうしたら、お姉さまみたいになれるの?」
だから、彼女が自分の頭を離したとき、すぐにそう聞いた。
「私みたいに、ですわ?」
彼女は、少し考えた。
「まず、学園の理念と……言葉遣いかしら?」
小首をかしげ、少し困ったような顔がまたかわいらしく、ユチナはますます彼女が好きになった。
ユチナとお姉さまはそうして出会い、時間が経つごとに仲を深めていった。
「お姉さまぁ、算数が全然わからないですわぁ!」
「あらあら、ユチナちゃんはかわいいわね」
「突きはいいんですわ、でも振り下ろしが全然わからないですわぁ!」
「うふふ、こう握って、こう振るんですわ」
彼女はなんでも出来て。
「うげぇ!? お姉さま、このお菓子は、ダメですわぁあああ!」
「あらあら、何がいけなかったのかしら?」
「お姉さま、それは、馬ですわ?」
「ユチナちゃん、私はボットを描きましたわ」
意外といろいろなことが出来なかった。
「ユチナちゃんは素敵ですわ」
笑う顔も。
「ユチナちゃん、それはいけませんわ」
怒った顔も。
「……ユチナちゃん、私が描いたのは森ではなくてユチナちゃんですわ」
少し不満そうな顔も。
全てが、好きだった。
「お姉さまが五年生になるまでは、そんな感じで楽しくすごしていましたわ」
夜。庶民級寮の一室。赤髪の少女と眼鏡の少女が、ベッドに腰を掛けていた。
懐かし気に、幸せそうに語った赤髪の少女、ユチナの腕輪についた赤いコアが、尋ねた。
『今んとこお前がアホだってことと、惚気話しか聞いてないが……何があったんだ?』
赤いコア、バーガーの質問に、赤髪の少女、ユチナが答えた。
「お姉さまは、王族級になったんですわ」
「王族級!?」
今まで黙って話を聞いていた眼鏡の少女、トモが驚き、飛び上がりかけた。
『王族級って、そんなすごいのか?』
ビー玉大の赤いコア、バーガーの問いに、食い気味にトモが返した。
「学力、礼儀作法、人格、容姿、おフェンシング。全部が最高クラスじゃないと、なれないんですよ王族級には! 大貴族級が実質最高階級と言われてるくらい、すごいんですよ」
『なるほどな。なら、それって良い事、のはずだよな?』
バーガーとトモは、黙ってユチナを待った。
複雑な顔をした少女は、枕元のおフェンシングソードを抜き、天井の明かりにかざす。
大小無数の傷が刻まれた、使い込まれたソードだ。
「王族級は、王族級のエリアで暮らすんですわ。覚えていますわ? 町の中心部を囲う壁、その内側が王族級の場所ですわ」
『あぁー、前に聞いた気もするな』
バーガーの記憶領域から、予選の時に見た景色と説明が参照された。
「それに加えて、王族級になって最初の一年は王族修行期間と言って、壁の外との交流を、一切絶たれるんですわ」
「ひっぐ、うぐっ、うええああああ……」
薔薇園で、少し短めの赤髪の少女が、姉に抱き着いて泣いていた。
「一年もお姉さまに会えないなんて、私、うぅ、うええええええ……」
彼女はユチナの頭を撫でながら、その胸元の黒いリボン、初等部だけのリボンを見た。
「ごめんなさい、来年、階級分けテストもあるっていうのに」
「そんなこと、どうでもいいですわああああああ!」
大泣きする妹を、姉はそっと肩を押して引き離し、すこしかがんで目線を合わせた。
「ユチナちゃん、そんなこと言われたら、安心していけませんわ?」
彼女の、少し困ったような顔を見てなお、どうでもいいと、言えるはずもなかった。
「ユチナちゃんには、おフェンシングの才能がありますわ」
彼女は、腰のソードを鞘ごと外し、渡した。
「これを私だと思って、毎日使って欲しいですわ」
少女は涙を拭って受け取り、自分の腰に付けた。
「それと……」
彼女は、髪をポニーテールに纏めていた、青いリボンを外した。
一切の傷がない美しい髪が、広がる。
「次に会う時、これが似合う女の子になってくださる?」
そう言ってリボンを握らせ、少女の頭を撫でた。
「ユチナちゃんは――」
彼女の続く言葉を、馬のいななきが遮った。
薔薇園の横に停まっていた、六頭立ての馬車の馬だ。
『時間です、お入りください』
馬車の横に控えていたボットが、別れの時間を告げる。
彼女は、寂し気に自分の胸の白いリボンを見て、それから少女に笑いかけた。
「行ってきますわ、ユチナちゃん」
「…………いってらっしゃい、お姉さま」
それから振り返らず、彼女は馬車に乗った。
少女は、馬車が見えなくなるまで、手を振り続けた。
「初等部から中等部に上がるとき、初めて階級が分けられるんですわ」
ソードを鞘に納め、ポケットから青いリボンを取り出す。
「私も、必死に頑張りましたわ。お姉さまの動きを思い出しながら毎日おフェンシングの練習をして。自分なりに努力して、勉強もしましたわ。でも……」
自分の胸の、リボンを触る。赤い、庶民級を示すリボンだ。
「お姉さまの修業期間が終わるのと、私の庶民級入りが決まったのは、殆ど同じくらいの時でしたわ。それからすぐに、お姉さまに呼ばれ、一年ぶりに会うことになったんですわ」
一人の少女が、石畳風の道の上を歩いていた。
少女は時折り立ち止まり、青いリボンで結ばれた短いポニーテールと、胸の赤いリボンをしきりに気にしている。
頑張りはしたが、庶民級になってしまった。結べるように髪を伸ばしたが、まだ短い。
失望されはしないか、重い気持ちが心を締め付ける。
「大丈夫、大丈夫ですわ」
ユチナは、そう自分に言い聞かせ、姉の優し気な笑顔を何度も思い浮かべた。
「大丈夫、だって、私のお姉さまですわ! よし!」
頬を打って気合を入れると、少女は駆け足でいつもの薔薇園に向かった。
既に何度も通った道である。何事もなくたどり着く。
視界にとびこんだ見慣れたティーテーブルに、既に座り紅茶を嗜む一人の少女。
それを認識した瞬間、今までの不安が消し飛んだ。
ユチナは、満面の笑みを浮かべ、駆け寄った。
「お姉さま……! ……?」
ユチナの笑顔が、固まる。
目の前のお姉さまは、笑顔だった。
「学園の令嬢たるもの、そうせかせかと走るものではないですわ」
笑顔、ではあった。
だが、彼女の知っているどの笑顔とも違った。
ユチナのお姉さまは、王族級は、【完璧な微笑】を浮かべていた。
「あら、ユチナ【さん】」
王族級は、完璧な微笑を保ったまま、ユチナの胸のリボンを、髪を見た。
「さん……?」
ユチナの顔から、笑みが完全に消える。
それに気にすることなく、王族級は言った。
「庶民級に、青いリボンは似合いませんわ」
ユチナには、彼女が何を言っているのかわからなかった。
「おねえ、さま?」
「本日呼び出した理由ですが」
視界が揺らぐ。地面の感覚がおぼつかなくなる。
「私、王族級になって忙しいもので、貴方とお茶会をしている余裕はありませんの」
耳が、脳が、理解を放棄する。猛烈な吐き気がこみ上げる。
「それと、これからはお姉さまではなく」
王族級は、ストレートに流された長い髪を、かき上げた。
プラチナブロンドの美しい髪が、広がる。
「学園代表と呼んで下さる?」
「……うぷ」
こみ上げたものをこらえきれず、吐き出してしまう。
「あら、みっともないですわ」
蔑みの込められた声を聞きながら、ユチナの意識は暗転した。
『おい! ふざけんじゃねえ!』
バーガーの怒声が響き渡る。
『お前っ、自分の…………』
無数の暴言がサジェストされ、オーバーフローを起こした。
『…………ッ! クソがッ!』
結果、それだけを吐き捨て、コアは沈黙した。
トモは、ただ俯いている。
「これも全部、私が庶民級になったのが悪いんですわ」
『はぁ!?』
バーガーを気にも止めず、ユチナが続けた。
「青いリボンが似合う女の子に、私が成れなかったのがいけないんですわ」
言葉は、次第に叫びへ変わる。
「私が貴族級になれば、きっとまた笑ってくれますわ! 抱きしめてくれますわ! 撫でてくれるはずですわ!」
バーガーには、小さく舌打ち音を発することしか出来なかった。
「……お姉さまは六年生、最上級生。もう、時間がないんですわ」
瞳に炎が宿る。
「次の試合、ヤギューインさんにだって勝たなきゃいけないんですわ」
強すぎる熱と光が、バーガーを射抜く。
「……例え、二度とおフェンシングが出来なくなっても」
それだけ言うと、ユチナはさっさと寝間着に着替え、ベッドに潜り込んでしまった。
沈痛な空気だけが、後に残った。
深夜。眠るという機能のないバーガーは一人、思考領域をフル稼働させていた。
(そんな、変わっちまうもんなのか? それとも、元からそうだったのか?)
ユチナの姉。学園代表の、その豹変ぶり。
(そんなはずねえだろ。あいつがあそこまで慕う女が、よぉ)
では、何故なのか。その理由を探し続けるが、見つからない。
諦め、次の議題を処理テーブルに乗せる。
(休み時間も休日も、全部返上して。たとえ身体が壊れても、それでも守りたい関係性、存在、か)
参照されるのは、ユチナとお姉さま、リルとイエ、二人の姉妹だ。
(そんなもの、俺にあるか? 何かを犠牲にしてまで、欲しいものが)
次に思考領域に乗るのは、自分自身の事だった。
バーガー自身のやりたいこと、願い、欲。
(ねえよ。ない。しょーもねぇもんしかねえよ。……だから、だろうな)
ユチナの瞳。炎。熱。光。
(街灯に集る虫かっつーの、くそ)
そう自嘲すると、議題を別のものに移した。
(……そういや、思い入れがあるもんだってわかったが、アレももう限界だよな)
翌朝、まだユチナがいびきを立てながら寝ている時。コアはトモを叩き起こして、何かをやらせた。
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