七話 三回戦

「おねえさまがいたですわ!」

「あらあらあら、素敵な言葉遣いですわ」

 赤髪の小さな女の子が、紫リボンのポニーテール少女を指さす。

「でも、【いたですわ】、ではなくて、【いましたわ】、のほうが、より素敵ですわよ?」

「わかった! ……ですわ!」

 女の子が、少女に駆け寄る。

「うふふふ、ユチナちゃんは将来有望ですわ」

 少女は、眩しそうに笑った。




 大歓声が降り注ぐコロッセオ型おフェンシングフィールドで、二者が睨み合っていた。

 一方は、槍型おフェンシングソードを構えた、緑の袈裟姿の少女。

 もう一方は、パンツルックにチューンされたスーツを着た、貴族級の少女だ。

 貴族級の少女は、長さの違う二本の刺突剣型ソードを両手に持つ、二刀流だった。

 槍少女の頭上のバーは、黄色に入ったところ。

 対して二刀流剣士は、赤に差し掛かっていた。

 二刀流の表情が、焦りに歪む。背後、関係者席を気にしかけ、小さく首をふった。

 いつでも動けるように、軽くステップを踏みながら、槍少女を伺う。

 焦げ茶色の、肩にかからない短めの髪が、ステップに合わせて弾み、汗が飛ぶ。

 剣を握りなおす。手汗が酷い。長試合のせいか、それとも。

「――っ!」

 瞬間、槍少女が構えを変え、そこに隙を見出した。

 流れるようにステップインし……自らの失策を悟る。

 槍少女の表情、それは、罠にかかった獲物を見る狩人のものだ。

 作られた隙。だが、最早止まれない。止まっても意味がない。

 残る勝ちの目は、今まさに放たれたカウンターの槍より、自分の突きを早く決めるのみ。

 だが、現実は非情である。

 研ぎ澄まされた槍が、一瞬早く顔面に迫り――頭上を抜けた。

 二刀流少女の顔面狙いの突きが、胸に突き立つ。

 薔薇が、舞い散った。

『決闘終了(アレ)!』

 観客席から、最後の攻防へと惜しみない歓声と拍手が送られる。

『勝ったのはぁ! 貴族級四年、リル選手ぅ!』

 勝利を収めたリルは、振り返り、下を見た。

 踏み込んだ地面。自らの足を【滑らせ】、槍をよけさせた汗だまりを。

 偶然。もしくは、運。

 袈裟姿の少女は、奥歯を噛みしめ耐え、大きく息をして、受け入れた。

「……これも、また実力、か」

「……っ」

 その言葉は、誰よりもリルに刺さった。


 複雑な表情で、控室への道を進むリル。

「お姉さま!」

 そんな彼女に、幼い声がかけられた。

 声の主、黒いリボンを胸で弾ませる小さな女の子は、汗も気にせずリルに抱き着いた。

「……イエ、迎えに来てくれたのか」

「さすが私のお姉さまだわ! やっぱり、リルお姉さまが一番だわ!」

「……ありがとう」

 頭が優しく撫でられ、目を細めるイエ。

「でも、あれは――」

「聞いて聞いてお姉さま! さっきすれ違った人が、実力は相手のほうが上だった、とか、わからないことを言ってたんだわ! だからわたし、言ってあげたんだわ!」

 お姉さまから離れ、妹は花のように微笑んだ。

「イエのお姉さまは、誰よりも強いんだわ! って」

 その瞳は、まっすぐとリルを見ている。

 はずだ。その、はず。

「……うん、そうだとも。イエのお姉さまは、強いからね」

 リルはイエを抱きしめた。

 その表情は……。



「いやいやいやいや、本当によかったよかった!」

 褐色肌の大女が、何度も何度も頷く。

「もうなんともありませんわ!」

 時は放課後、石畳風の道の上で、赤髪の少女が左腕をぐるぐるまわした。

「医学の進歩ってすごいね! 医学のこととか全然知らないけど!」

 手を叩いて呵々大笑し終えると、カーラは手に持った箒を振って去っていった。

「それじゃあ、アタシはあっちの方やるから! じゃあね!」

 ユチナは、その姿が見えなくなってから、左肩を抑えた。

「っつぅ~~ですわぁ~~」

『何やってんだバカ。加害者に気ぃ使ってどうすんだよ』

「加害者じゃないですわ。戦いの結果、ただそれだけですわ」

 割り切った少女の態度に、バーガーは舌打ち音を入れる。

『ま、そんなんどうでもいいけどよ。完治が遅れたら、練習の完全再開も遅れるからな』

「……わかってますわ」

 ユチナは大きく深呼吸し、表情を笑顔に変えて右手の箒を突き出した。

「それじゃあ、マラソン大会途中棄権罰掃除、始めますわ!」

『笑顔で言うことかぁ?』

 ユチナは軽くステップの練習をしながら、道の掃除を始めた。

『ていうかよぉ、いつまで庶民級なんだ? 二回勝ったら階級あがんじゃねえのかよ』

 少女がステップインし、胸の赤いリボンが揺れる。

「大会が終わって、表彰を受けてからですわ」

『まだしばらく、あのボロ寮とも眼鏡ともおさらばできねえってか』

 空中に眼鏡のスタンプを投影し、コミカルに揺らすバーガー。

 その後もユチナは、ステップし、道を掃き、ゴミを拾い、ボットに渡す作業を続けた。

 いつしか日は傾き、空は夕焼けに染まり始める。

 ラストスパートと、ステップの勢いを増し始めたユチナが、突然動きを止めた。

『あ? 痛むのか?』

「……違いますわ。子供の泣き声ですわ」

『……お前の耳には泣き声センサーでもついてんのか?』

 バーガーが呆れ、ため息を吐くスタンプを投影した。


 音を頼りにユチナが進んでいくと、やがて道の先に、うずくまって泣く女の子が見えた。

『……バカみたいな精度だなほんと。で、なんだぁ? 迷子か?』

「迷子なんて、普通だったら起こりようがないんですわ」

 少女は首を傾げ、コアがクエスチョンマークを浮かべる。

「初等部の生徒には、子守りボットがついてるはずなんですわ」

 しかし、泣く女の子の周囲に、そのようなボットは見えない。

『意外と大事(おおごと)かも、ってか?』

「本当にそうかもしれないですわ」

 顔つきを変え、ユチナは女の子に駆け寄った。

「どうかしたんですわ?」

 しゃがみこみ、そっと女の子の肩をさするユチナ。

「ぼねえざまああああ!」

 勢いよく上げられた女の子の顔は、涙と鼻水でぐちょぐちょだった。


 懸命なユチナのなだめすかしで泣き止んだ女の子、イエは、事情を説明し始めた。

「いつもは毎日お茶会してたのに、この前の試合から、とつぜんやめるって……」

「…………仲良しだったお姉さまが、突然疎遠になってしまったんですわね」

「だから、お姉さまの寮に、一人で行こうとしたんだわ、でも迷っちゃって」

 イエが自分の腕輪を操作し、チャットアプリ【オンラインサロン】を開く。

「サロンの返信もすくなくなっちゃったし、一週間もあってないのに、うう、うああ!」

 再び泣き出した女の子をまた宥め、話を聞き出す。

「それで、子守りボットはどうしたんですわ?」

「かってに中等部の方に行ったら怒られるから、コアをとって、置いてきちゃったんだわ」

 ユチナ左手のコアが、ばれないように小さくWOWとスタンプを出した。

 その後もユチナは色々と尋ねてみたが、女の子の事情はだいたいそれくらいのようで、後は自分の姉の自慢と姉のどこが好きかという話くらいしか、出てこなかった。

 大体全てを聞いたユチナは、スカートの裾を片手で握り、放してから立ち上がった。

「イエちゃん!」

「は、はいだわ!」

 驚き、慌てて立ちあがったイエを確認し、ユチナは胸を叩いた。

「貴方のお姉さまのところに、私が必ず連れていきますわ!」

「ユチナお姉さん……!」

 胸の前で手を組み、キラキラした瞳でユチナを見るイエ。

「そういえば、お姉さまの名前を聞いてなかったですわ」

 思い出したようにユチナが尋ねると、誇らしげにイエが答えた。

「中等部四年、貴族級のリルお姉さまだわ!」

「リル…………ですわ!?」

 突如、目を大きく開くユチナ。

「どうしたんだわ?」

「……………………なんでもないですわ」

 百面相の後、誤魔化した。

『まーた次の対戦相手かよ。どうなってんだ?』

 バーガーは、誰にも聞こえないように小さく呟いた。


 夕暮れから、更に時は進み、空はむしろ、赤より黒が優勢となっていた。

 ユチナたちが歩く場所は、庶民級寮周辺とは、なにか漂う雰囲気が違う。

 それは建物の格が違うからか、それとも、この辺りに住んでいる生徒が放つ雰囲気か。

 照らす街灯すらどこか誇らしげなここは、貴族級のエリアである。

「見つからないですわ……」

「お姉さま……」

 手がかりが碌に無いなか、貴族級寮、もとい豪邸が建ち並ぶこのエリアで、一人の生徒を探すのは困難を極めた。

 イエの瞳に涙が浮かびかかった時、一台の馬車が、近くに止まる。

 何事かと考える前に、扉についた小窓が開いた。

「ごきげんようでして、ユチナさん」

「ごきげんようですわシノノメインさん!」

 馬車の主は、金髪縦ロールで豊満な貴族級少女、シノノメインだ。

 その高飛車そうな顔を見たイエが、ユチナの背後に隠れる。

「こんな時間にこんなところで、そんな【可愛い子】を連れて何をしていらして?」

 【可愛い子】と言う時に小首を傾げ、包容力のある笑顔を浮かべるシノノメイン。

『そんな顔できたのかよおっぱい女……』

 バーガーが小さく零し、イエはおずおずとユチナの背から出てきた。

 ユチナは安心して、事情を説明した。

「なるほど、その方なら存じてまして、案内してもよろしくってよ。その代わり……」

「その代わり、ですわ?」

 シノノメインは、たっぷり溜めてから、吐き出した。

「………………………………サロンのIDを、その、なんでもなくってよ!」

 その顔は、真っ赤であった。


 馬車を降りたユチナは、大きく手を振った。

「助かりましたわー!」

 シノノメインは、何も言わずに去っていった。その表情は、若干沈んでいる。

「それで、ここですわね」

 少女と女の子は馬車が見えなくなってから、目的地を見上げた。

 庶民級寮とは比べ物にならない、貴族級の名に恥じぬ豪邸である。

 幸いというかなんというか、門から建物まで乗り物が必要なレベルではない。

「お姉さま……」

 本当に来てよかったのか、迷惑ではないのか。

 今更そんな考えがよぎり、インターフォンを前にしてイエが躊躇する。

 それをしり目に、庶民級は門横の壁をよじ登った。

「え……え!?」

「はいですわ!」

 驚く初等部生に、当たり前のような顔で手を差し伸べる庶民級。

 混乱して手を取ってしまった小さな令嬢は壁に引き上げられ、不法侵入を果たした。

「こ、こんなことして大丈夫なんだわ!?」

 慌てる女の子に、どこか切ない顔をした少女が語る。

「懐かしいですわ、昔はよくこうやって入って……風紀委員に連れ帰されてたんですわ」

「それ、やっちゃダメってことだわ!?」

 焦って戻ろうとするが、一人では壁を登れないうえ、門は閉じている。

 イエは仕方なく、勝手にずんずん進み始めた庶民級について行った。

 どんどん近づく豪邸。だが、ユチナは途中で足を止めた。

「こっちですわ」

 最早従う以外の選択肢を失った初等部生は、何故かフラワーガーデンの方へ方向転換した中等部一年についていく。

 そのまま庶民級はフラワーガーデンに侵入し、振り返って人差し指を口に当てた。

 その頃には、イエにもその音が聞こえていたので、静かにユチナを追いかけ、彼女がしているのと同じように、物陰から覗き込んだ。

「ふっ、はっ!」

 目に映ったのは、フラワーガーデンの中に作られた練習場で、ランプの灯りを頼りに、一心不乱に木人へと突きを打ち込む、貴族級の少女の姿だった。

「お姉さま、こんな時間まで……」

 右の突き、左の突き、右、左。交互に繰り返していた突きをやめ、頭をかきむしる。

「ダメだ、これじゃあまだ、イエのお姉さまには足りない……!」

 一呼吸置くと、鬼気迫る表情で再び突きを始める。

「そんな、お姉さまは何も足りなくなんて……」

 その時、リルが左手のソードを落とし、うずくまった。

「お姉さま……!」

 飛び出そうとしたイエを、ユチナが掴んで止める。

「何を――」

「――一つ、妹に誇れる姉たらんとすべし、ですわ」

 がっしりと肩を抱き、姉の姿を見せつける。

「貴方のお姉さまはきっと、かっこいい、最強のお姉さまでいたいんですわ」

 二人が見ている前で、リルは、イエのお姉様は立ち上がった。

「私は……! 誰よりも強い……!」

 落としたソードを拾い、また練習を再開する。

「……お姉さまに、愛されてますわね」

 愛されている。

 その言葉に、イエの瞳から涙が零れ落ちた。

「お話ししたい、あいたい……でもお姉さまはわたしのために……わたしは……」

 リルの練習風景を眺めながら、ユチナが呟いた。

「……一つ、姉に恥じぬ妹たるべし、ですわ」

「姉に恥じぬ、妹……」

「……私たちは、最高の妹でいなければ、いけないんですわ」

 しばらくして、空が完全に暗くなるころ。二人はひっそりとその場を後にした。

(……あの時、ユチナには俺がいた。だが、あんたには……)

 去り際、バーガーの視覚センサーは、リルの左手首を凝視した。

(……あぁ、くそ。頼むから、自分で気づいてくれよ)

 コアの願いは、誰にも届かず消えていった。


 その夜、ユチナに見送られ、自分の寮についたイエは、ベッドから空を見ていた。

「姉に恥じぬ妹たるべし……」

 そう零すと、立ち上がって机に向かい、黙々と何かをし始めた。




 そして、三回戦当日。

 控室からフィールドへ向かいながら、ユチナはステップの練習をしていた。

『やめろ、疲れるだけだ』

「でも……ですわ」

 ユチナの脳裏に浮かぶのは、鬼気迫る表情で練習をする、一人の姉の姿だ。

『何を思い出してるのかは、多分分かるぜ。だがな、お前はちゃんと練習してきた』

 足を止め、バーガーを見つめるユチナ。

『休み時間も、休日も返上して練習してる。ちょっとの空き時間にもな。だったら、練習時間が相手より少ないってことはねえ』

「バーガー……」

『だったら後は気持ちの差だけだ。負けてるつもりなのか?』

 左手でスカートを握りしめ、放す。顔つきが変わる。

『よし、行くぞ』

 決意を新たに、歩みを再開したユチナ。

 その行く手から、一つの影が現れた。

「ごきげんよう」

 歩いてきたのは、プラチナブロンドの長い髪をストレートに流し、胸に白いリボンをつけた王族級。学園代表だ。

「…………ごきげんようですわ」

 学園代表は完璧な微笑で会釈すると、そのまますれ違い、去っていった。

『おい、どうした?』

 立ち止まってしまったユチナが、被りを振る。

「……なんでもないですわ」

 その手はスカートの、ポケットが存在するあたりを、強く握りしめていた。


 歓声が、視線が、突き刺さる。

 三回戦ともなれば、観客席に空きなどあるはずもなく、立ち見の生徒すらいるほどだ。

 焦げ茶色の短めの髪をかき上げたリルが、関係者席を振り返る。

 そこに、妹の姿はない。

(……自分から突き放しておいて、女々しいものだね)

 自嘲気味に笑い、視線を戻して対戦相手の関係者席を見た。

 大きな機材を担いだ庶民級の少女が、大はしゃぎしている。

(あちらはあちらで姉がいない、か)

 相手の事情を慮り、一瞬だけ目を伏せ、すぐに上げる。

 その表情は、決意に燃えている。

(すまないが、こちらも負けられないのでね!)

 長さの違う二本の剣を抜き、袖を捲って腕輪を露出し、対戦相手の少女を睨む。

「おフェンシング、エト・ヴ・プレ(勝たせてもらう)!」

「ウィ(こっちもですわ)!」

 コアが光を放ち、決闘の開始を告げる。


『これは、ユチナ選手が流石、と言うべきなのでしょうか?』

『それもそうですが、リル選手もベストコンディションではないのでしょう』

 試合は、ユチナが押していた。

「ですわっ!」

 上段突き、とみせかけた下段突き、が、それも囮で本命の中段突き!

「くっ……っ!?」

 誘いには乗らず、左手の若干短いソードで中段突きを防いだリルだが、カウンター攻撃を焦ったせいで、右手の剣と左手の剣がかち合ってしまった。

 双剣使いとしてはありえない、初歩的なミス!

「ッ! ですわっ!」

 それを見過ごすユチナではない。

 すかさず放たれた刺突は、右の剣で反らされたが、肩を掠めた。舞い散る花びら!

「……っ」

 リルの頭上のバーが削れ、半分を切り黄色に変わった。

 ユチナのバーも無傷ではないが、七割は残っている。

 固くなっていた双剣使いの表情が、更に強張る。

(気負い過ぎ、だぜ)

「はぁッ!」

 上、上、下、上。連続刺突攻撃がユチナを襲う。

 だが、少女はそれに付き合わず、ステップを駆使して距離をとりやりすごす。

「――っ!!」

「ですわッ!」

 そして、焦って深追いした敵を、迎撃の斬り払い!

 腕を掠め更に得点。白百合が舞い、更にバーが短くなる。

(イエを寂しがらせてまで、理想の姉になることに拘ったんだ……負けられない!)

 一度距離をとり、決意を新たにするリル。剣を握る両手に力が籠る。瞳に炎が燃える。

『感情は、気持ちは大事だぜ……でもよ……』

 踏み込む。【いつも以上の力】が、全身に流れた。

『飲まれちゃおしまいだ』

「だあああああ!!」

 それは、【力み】と呼ばれる、隙である。

「ですわぁッ!」

 渾身の突きを放つ前に、ユチナの狙いすました一撃が迫る。

 なんとか反応し、顔を反らし後退するが、顔面保護シールドに火花と花びらが散る。

 視界左上の数値が、一桁になった。

(負ける? 私が? ダメだ。私は、強くなければ、あの子に……っ)

 呼吸がおかしくなる。嫌な汗が噴き出る。地面の感覚がおぼつかなくなり、視界が歪む。

 ユチナがその様子を確認し、介錯を入れようとした、その時だ。

「お姉さまぁあああああ!!」

 観客席から、女の子の全力の大声が響き渡った。

 ハッとしたように、リルが視線を上げる。

 そこには、【愛】と一文字刺繍がされた横断幕を振るう、妹の姿があった。

「大好きだわぁあああああ!!」

 その瞳は、確かに自分を、虚像でも理想でもない自分を、ハッキリと捉えている。

 瞬間、何か憑き物が落ちたように肩が軽くなるのを、姉は感じた。

「お姉さ、いやあああああ頑張ってぇえええええ!?」

 余りに明白なマナー違反。警備ボットが数機がかりで取り押さえ、どこかへ連れていく。

 リルの口元に、自然と笑みが零れた。

「ふふ、私は、なんて無駄なことをしていたんだろうね」

 瞳の雫をそっと振り払い、対戦相手に向き直り、頭を下げる。

「私の妹が失礼した。非礼を詫びよう。だがすまない」

 上げられたその表情は、惚れてしまいそうなほど晴れやかであった。

「格好つけなきゃいけなくなった」

 

 相手は、二刀をゆらりと構えている。その姿は、一見先ほどと何も変わらない。

「……ヤバいですわ」

『あぁ、ヤバいぜ。気合入れなおせ』

 だが、ユチナはそこから、一切の隙を見出すことが出来なかった。

 嫌な汗が額を伝い、半仮面の内側に流れ、軽く首を振る。

「はっ!」

 その数瞬の間隙に、リルが踏み込む。突き込まれるのは右の刺突剣。

 バックステップで回避するが、追い打ちの左刺突、右払い、左上段、右刺突!

 流れるようなコンビネーションを、躱し、反らし、防ぎ、見切る。

 そして、流れが途切れた一瞬に、反撃の一撃!

「ですわっ!」

「まだだよっ!」

 しかし、左剣に反らされ、再びの右刺突、左薙ぎ、右下段薙ぎ、右切り上げ、左刺突!

 続く連打にガードが崩され、姿勢も乱れる。一瞬で距離がゼロに詰められる!

「――ッ! 令嬢パンチ!」

 選んだ一手は、意表を突くための体術だ。だが。

「いい判断だね! でも、経験不足だ!」

 顔面狙いの拳はスウェーで躱され、カウンターのサイドキック!

「でッ!?」

「まずは一つ!」

 完全に崩れた身体に、右刺突! 大輪の薔薇が咲く!

『エクセレント!』

 今試合初の大量得点ボイス! ユチナのバーが、一瞬で赤色に!

「ッ! ですわッ!」

 破れかぶれの薙ぎ払いは、冷静にバックステップで距離をとられた。

(……くそ、地力の差が、ここで出てきちまうか)

 バーガーの言う地力とは、もちろんテクニックや戦術なども含まれる。だが、何よりも、四年生と一年生という体格差、リーチの差が大きかった。

 ユチナは、バーガーとの特訓でとてつもない上達を見せたが、リルより圧倒的に技術があるわけではない。というより、同じかやや劣るかというところだろう。

 対して、メンタルを持ち直したリルには凡ミスや判断ミスがなくなり、元の実力が出ている。技術が同じくらいであるなら、体格差はそのまま実力差といって差し違えない。

 連続攻撃の対応をするなかで、その差は段々と積み重なり、得点になる。

『リル選手大量得点! 圧倒的だぁ! これが、貴族級の真の実力かぁ!?』

「……はは、二年後なら私は負けてるよ」

 実況が言うほどの差がないことは、リルも理解していた。

「でも今回は、かっこいいお姉さまを貫かせてもらう!」

 リルが双剣を構える。パンツルックで短めの髪。凛々しいルックスに会場から黄色い声。

「……二年後じゃ、意味がないんですわっ!」

 不屈の闘志を瞳に宿らせ、少女が構える。会場から声援。こちらも負けていない。

 視線と視線が交差する。

 お互いのバーは残り僅か。次の攻防、いや、一撃が勝負を分ける。

「はぁ!」

「ですわっ!」

 示し合わせたように、同時に踏み込んだ!

 放たれる、ユチナの渾身の突き!

 リルも応対するように全力の右……と、見せかけ、左剣でかち上げを狙う!

 ユチナの腕が伸びる。だが、リーチの差により、リルの左が先に届き。

 花びらが散った。

『決闘終了(アルト)!』

 一拍開け、歓声が大爆発する。

 止まぬ声の中、リルは自分の左手を、地面に落ちた左剣を見た。

『勝ったのはぁ! 中等部一年庶民級、ユチナ選手だぁ! 快進撃は、止まらないぃ!』

 ユチナは、信じられないといった表情で、実況を聞いていた。


 試合に負け、控室へ続く廊下を歩いていると、座り込む女の子を見つけた。

 その女の子、イエが顔を上げる。

「……ごめん、負けちゃったよ」

 自嘲気味に笑うリルに、イエが抱き着いた。

「お姉さまは! 最強じゃなくても、私の一番のお姉さまだわ!」

 涙ながらの少女の言葉に、リルは頭を撫でながら、天井を向いた。

「あぁ……敵わない、敵わないなぁ」

 一筋の涙が、頬を流れた。


 控室。柔らかなソファーの上で、制服に戻ったユチナは体育座りしていた。

「……あの時、相手が剣を落としていなかったら、私が負けてましたわ」

 最後の交差。ソードが手から離れた時のリルの表情が、脳裏に何度も蘇る。

『オーバーワーク、無理な練習のやりすぎ。左手首を壊したのは当然の帰結だ。勝ちだよ』

 バーガーの慰めともとれる言葉に、何か返そうとしたが、それより早くコアが続けた。

『でも、俺はそうなるってわかってた。あの時、あの日、俺が止めてりゃ、あの子のお姉さまは、怪我をすることはなかった。俺は……』

 珍しく、バーガーの声音は、重い。

 ユチナは少し驚いたように自分の腕輪を見て、それから、首を横に振った。

「ううん、バーガー。それは、ありえませんわ」

 そして、自分にも言い聞かせるように、呟いた。

「他人に何か言われて、止まるような人じゃ、姉妹じゃ、なかったですわ」

『姉妹、か。そう、だな……』

 その後しばらく、静寂が控室を満たした。

 無料の紅茶やお茶菓子に手を付けることもなく、二人は何かを考えていた。

 十分か、それ以上か。試合で流した汗が乾くほどの時間が流れた時、コアが尋ねた。

『なあ、お前の目的……いいや』

 赤いコアが、照明を反射して光る。

『お前の姉について、聞かせてくれねえか?』

 ユチナは、大きく息を吸い、天井を向いてから、吐いた。

「……甘えてましたわ。トモも、バーガーも、気を遣って、聞かないでくれているって、わかっていたんですわ。でも、もう、不義理ですわよね」

『……キツイなら、別にいいんだぜ?』

 少女は、首を横に振った。

「寮に帰ってから、トモも一緒に、ちゃんと話しますわ」

 そう言うと、制服スカートの左ポケットに手を突っ込み、青い紐状の何かを取り出した。

『そりゃ、リボン……いや、髪留めか?』

「……リボン、ですわ」

 ユチナは、くしゃくしゃになった青いリボンを、照明にかざした。

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