六話 二回戦

 とある、薔薇園の中のティーテーブルに、二つの影があった。

「一つ! れいじょうたるもの、こう、こう……べし!」

 赤い髪の小さな女の子が、難し気な顔で言った。

「一つ、令嬢たるもの、自分より高貴な生徒を敬い従うべし、ですわ」

「おぼえられないですわー!」

 女の子が、紫のリボンを胸につけた、ポニーテールの少女に抱き着く。

「丸暗記しても、意味はありませんわ。その理念に込められた意味を、きちんと理解して体現することが大事ですの」

 少女は女の子を抱き上げ、膝の上に乗せた。

「……ですわ?」

 首を傾げる女の子の頭を、少女は微笑みながら撫でた。

「安心しなさって、ユチナちゃんなら分かるようになりますわ」




 太陽は、ますますその主張を強める。

 夏の始まりを感じるある朝、ユチナとトモとバーガーは、ある巨大な物の前にいた。

 学園島の町部分と自然部分を隔てる壁。

 その壁の四方に存在する、見上げるほど巨大な門の一つの前に、彼女たちは立っていた。

 ユチナとトモは、赤い長袖ジャージにハーフパンツ、庶民級カラーの体操服である。

『……おい、今日は何の日だって言ってやがった?』

「壁の外を走る、島内マラソン大会ですわ!」

「時間内にどれだけの距離を、どれだけ上品で優雅に走れるか、を競うイベントです」

『そこまではいい。いや、なんでマラソンで上品とか優雅とかを競うのかは意味わかんねえけど、正直もう慣れた。でもよぉ』

 矢印スタンプが、そこら中をやたらめったらに乱れ差す。

『最早マラソンでもねえじゃねえか!』

 周辺には、馬に乗った生徒や馬車ばかりだ。

 というよりも、徒歩の生徒は二人を除いて殆どいない。

「私たち、庶民級ですから……」

 トモが自分の胸の赤いリボンを手で隠し、顔を伏せる。

『全部それで納得すると思ったら大間違いだぞクソ眼鏡!』

 だが、今回ばかりはダメであった。

『というか、そもそも庶民級とか貴族級ってなんなんだよ!? 生まれの差にしても格差が酷すぎんだろ! 何百年前の価値観で動いてんだこの学園は!』

「生まれの差……ですわ?」

 ユチナが、ぽけっとした顔で首を傾げる。

『あ? 親の身分が違うとか、そういうのじゃねえのか?』

「階級は成績で決まるんですわ」

「【全て学園の生徒は高貴な生まれであるからして、階級はその能力によってのみ定める】っていう一文が校則にあるんですけど、その、読んでないんですか? 結構経ちますけど」

『めんどくせえからな。誰が校則なんて読むんだよアホらしい』

 バーガーが吐き捨て、トモが苦笑いする。

「学力、礼儀作法、人格、容姿、おフェンシングの総合力が問われるんですわ!」

 ユチナの補足により、バーガーの記憶領域から参照される様々なデータ(思い出)。

『色々言いてぇことはあるが……正直納得したわ。お前ら庶民級だ』

「生まれだったら、私でもチャンスがあったかもしれないですけど……そもそも私たち、両親がどんな人どころか、顔も知りませんしね」

「ですわ」

『…………は?』

 バーガーが聞き返そうとしたその時、馬のいななきが遮った。

 音の方に振り返ると、そこには四頭立ての豪華な馬車があった。

 馬車は、ゆっくりとこちらに接近し、何事かと身構えている二人の前で、扉を開く。

「……試合ぶりでして」

 乗っていたのは、豊満な少女、シノノメインだった。

「どうしたんですわ?」

 不思議そうにするユチナと、一歩下がって空気になろうとするトモ。

「……訂正しに来ましたの」

「……ですわ?」

 シノノメインは、持っていた黄金のティーカップを専属執事ボットに預け、自動で展開された台に足をかけ、馬車を降りた。

 その表情は、背けられているためうかがい知れない。

「わたくしは貴方を庶民級と一括りにし侮り、酷い事を言いまして」

 頭が、小さく下げられる。

「謝罪、いたしましてよ。その、色々と、貴方のお姉さまのこととかも……」

「令嬢たるもの! 一つ、自らの過ちを認め、勇気をもって正すべし、ですわ」

 庶民級の少女が、貴族級の手を取る。

「シノノメインさんは、勇気ある素敵な令嬢ですわ」

「庶民級……いいえ、ユチナさん」

 シノノメインは後ろを向き、そして。

「おーほっほっほ! 貴方とはいいライバルになれそうでしてよぉ!」

 高笑いをしながら馬車に戻り、素早く去っていった。

 残された少女は、肩を落とす。

「友達になれると思ったんですわ……」

『あぁー、いや、なんでもねえ』

 人ならざるコアは、去り際、貴族級少女の耳が赤く染まっていた事実を、記憶領域の奥の方へ移動した。

「……こんなことなら、私も空気になってないでヤギューイン様のこととかヤギューイン様の事とか聞けばよかったです。はぁ」

『いや、お前は絶対許されてねえからな盗撮眼鏡』

 何故か驚いたような顔をするトモ。

『あとお前、アレ、さっさと探せよ。……てかそういや、勉強なり礼儀作法なりがんばりゃ、別に大会で上位に入らなくても貴族級になれんじゃねえのか?』

 その言葉に、びくりと肩を震わせたユチナが、バーガーの填まった腕輪を操作した。

 表示される、中等部入学時の、学力テストの結果。

『あぁ、うん、無理だわ。お前にはおフェンシングしかねえ』

 コアは納得した。

 

 そんなこんなで、この後は特筆すべきこともなく鐘が鳴り、マラソンがスタートした。

 大勢の生徒が担いだ神輿の上に立つ大貴族級や、ポニーに乗った上級生や、ハープを奏でながら紅茶を飲み花を生けつつ異様な速さで走る少女など個性豊かな生徒たちを見送り、一番後ろで長時間待機させられていた庶民級の二人もスタートした。

 門をくぐり、足を動かす。

 壁を越えれば、若干舗装された道路の脇には、森や川、草に花、見渡す限りの大自然が広がっている。

 木々の緑に空の青、花々のカラフルなコントラストが、心を彩る。

 軽く走るユチナの口元には、自然と笑みが浮かんでいた。

「トモ! あの花、すごくかわいらしいですわ!」

 隣を走る友人の肩を叩き、喜びを分かち合おうとする。

「……ひゅー……こひっ……ひぃ……ふぅ……」

 それが死にかけの虫の様な有様とは知らず。

「ごめ……ユチ……もう……ひゅー……」

 足を止め、倒れ込むトモ。気づかず進むユチナ。

『おーいアホ、雑魚眼鏡が倒れてるぞ』

「え? 本当ですわ!?」

 振り向き、駆け寄る。

「大丈夫ですわ!?」

「だ……ユチ……たす……」

『大丈夫ですユチナさん、助けはいりません、ってよ』

「よかったですわ……」

 力なくトモが首を横に振っているが、ユチナは気づかない。

 安堵のため息を吐いたユチナが、突然顔を上げ、森の方を向いた。

「……子供の泣き声? ですわ」

『はぁ? そんなもん聞こえねえぞ?』

 コアの言葉は聞かず、耳に手を当て森へと意識を集中する。

「やっぱり聞こえる気がしますわ! 助けにいかないとですわ!」

『気がしますって、おいおい。無駄足だったらどうすんだよめんどくせぇ』

 ユチナは、空をビシっと指さした。

「令嬢たるもの! 一つ! 全て下級生を妹のように慈しむべし! 例え気のせいかもしれなくても、妹を見捨てる姉はいないですわ!」

 そのままユチナは、コアの制止も聞かず、森へと走っていった。

「ゲホゲホッ……たすけ……」

 もっと近くで助けを求める、眼鏡の少女を置き去りにして。


 目に緑。息を吸い込めば、木と土の匂い。肌に感じる湿気と清々しさ。木々の騒めき。

 体中に感じる、森の感覚。

 虫の気配など嫌なものもあるが、お嬢様に虫は寄ってこないので、さして問題ない。

「いやぁ、ここ電波通じないし、大声上げてくれて本当助かったよ! ほら、貴方も」

「ありがとう、赤いお姉ちゃん」

「どういたしましてですわ!」

 小さな女の子が、馬にまたがった少女に抱えられながら、頭を下げる。

「ほら、高貴バーガー食べて。もう勝手に蝶を追いかけたりしたらダメだよ?」

「ふぁい……」

 少女は森の中だというのに、器用に馬を繰り、去っていった。

 ユチナはそれを、お礼に貰ったハンバーガー二つを両手に持ちながら、笑顔で見送る。

『いや、どんな耳してんだよお前……』

 呆れているのは、バーガーだ。

『眼鏡おいてきたとこからかなり距離あんぞ? 意味わかんねえよほんと』

 少女は黙って、誇らしげに頷いている。

『んで、帰り道わかんのか? 電波ねえからマップアプリは使えねえぞ』

 少女は固まった。

「……バーガーは覚えているんですわ?」

『なんでそんな記憶領域が圧迫されるようなことしなきゃいけねえんだよ』

 ユチナは上を見て、右を見て、左を見た。

「ヤバいですわ!」

 両手のハンバーガーを掲げ、天を仰ぐユチナ。

「そ、遭難ですわ!? どうするですわ! ですわですわ!?」

 あちこちに忙しなく視線を移し、地面を睨み、耳をそばだてる。

 その動きが、トモを置きざりにしたついさっきと同じように、止まった。

『おいおいおい、またか泣き声でも聞こえたのかぁ?』

「違いますわ」

 先ほどまでとは別種の緊張を纏ったユチナが、ハンバーガーを地面に置き、腰のソードを抜いて、辺りを注意深く確認する。

 しかし、視覚では見つけられなかったようで、目を閉じ集中し……捉えた。

「っ! 上ですわ!」

 見上げた先。木々の枝葉が大きく揺れている。そしてその揺れは、迫ってきていた。

『はぁ!? なんだありゃ!?』

 近づくにつれ、そのシルエットが見えてくる。大きな、二メートル近い人型だ!

「来ますわ!」

 身構えるユチナの二メートルほど前方、木の葉や土をまき散らしながら着地した。

 しゃがんでいた影が立ち上がり、その瞳がユチナをまっすぐ見据える。

「もう泣かなくても大丈夫だよ!」

 謎の影、身長二メートル近い褐色肌の大女は、強くサムズアップした。


 ユチナと比べると、大人と子供以上に差がある大女は、呵々大笑した。

「なんだ、泣いてた子はもう帰ったのか! それはよかったね!」

 声を上げるたび、筋肉でミチミチの制服が悲鳴を上げる。

 笑い止むと女は、その大きな手でユチナの頭を撫でた。

「いやぁー君、初等部なのにいい子だなぁ!」

「中等部一年生、庶民級のユチナですわ!」

 手を払いのけ、名乗るユチナ。

「あー、ああ、ああ、ああ! 君がユチナ!」

 大女は目をぱちくりしたあと、手を叩いて何度も頷いた。

「アタシはカーラ! 大金持ち級の三年生! よろしく!」

 差し出される手。

 大きい胸、というよりは発達した胸筋の前で、黄色のリボンがささやかに主張する。

「よろしくですわ。それで、こっちがバーガーですわ」

 握手に応じたユチナは、流れで袖を捲り、ジャージで隠れていたバーガーを露出した。

『おい!? 何バラシてんだよ!』

「おぉ!? コアが喋った! すごいね!」

 色々な角度から眺め、触り、楽しんだカーラは、自分の膝を何度も叩いた。

「そうだそうだ、バーガーちゃんも気になるけど、迷って困ってるんだよね?」

「電波も届かなくて、腕輪のアプリも使えないんですわ……」

「あっはっは! じゃあ私も迷子だ! 奇遇だね!」

「それは大変ですわ!」

 能天気に笑う大女と、焦って無意味な行動をする少女。

「あ、そうだ! 適当に走ったら電波が届くとこに出るかも!」

「それは……良いアイディアですわ!」

 バーガーは、青ざめた顔のスタンプを小さく浮かべた。

『やべぇ……頭ねえのに頭痛がしてきそうだ……』

 

 数分後、カーラとユチナは、ハンバーガー片手に森の中を走っていた。

「あむ、あむ、ふぅ……。へー、そうやってバーガーちゃんと出会ったんだ!」

 特大級のメガ上品バーガーが、二口で消える。

「そうなんですわ。はむ……はむ……はむ……んぐ!? ……ぷはぁ」

 負けじと大口でビッグ風流バーガーに食らいつき、なんとか飲み込むユチナ。

 それを見て、上品でも風流でもないバーガーが堪らず怒声を上げた。

『初手で食料全部食い切るってどういう脳味噌してんだお前ら!?』

「あっはっは! バーガーちゃんは面白い言葉遣いだね!」

「汚いだけですわ! それに、ハンバーガーは冷めたら大変ですわ!」

『元から冷めてただろうが!』

 バーガーのツッコミは流され、二人は走り続ける。

 たまに休憩をとりながら、しばらく走っていると、開けた場所に出た。

 小川が流れ、妙に丸い石が幾つも転がっている、不思議な所だ。

 木々に遮られることなく日差しが降り注いでおり、それが一層その雰囲気を神聖なものにしている。

 その光景に好奇心を刺激され、二人は足を止めた。

「すごく丸い石ですわ」

 ユチナがしゃがみこみ、石の一つを興味深げに触る。

「うーん、枕によさそうだね!」

 カーラは、石を一つ選ぶと、それを枕に寝転がった。

 自分たちが森の中で迷っているというのに、緊張感の欠片もない行動をする二人。

『……帰ったら、眼鏡に優しくしてやろう。まだあいつの方がマシだ』

 コアが優しさに目覚めたその時、ユチナが弄っていた石を持ち上げた。

「緑色の……コアですわ?」

 呟き通り、持ち上がった石の底部に、ビー玉大の緑色の球体が填まっていた。

 その緑のコアがピカピカと光りはじめ、石、いやボットは少女の手を離れ浮かび上がる。

「生きてましたわ! もしかして、野生のボットですわ!?」

『野生って、んなわけねえだろアホ』

 若干苔むしたボットは、間抜け面を晒す少女に赤いレーザーを頭から爪先まで照射した。

『スキャニング……?』

「……ですわ?」

 首を傾げるユチナ。謎のボットは小刻みに震え、ノイズがかった合成音で叫びをあげた。

『情報完全一致……怨敵、発見!』

 次の瞬間、幾つもの丸い石、否、何機ものボット達が浮かび上がり、復唱する!

『怨敵?』『怨敵』『怨敵!』『怨敵発見!』『怨敵発見!』『怨敵発見!』

 浮かび上がった全てのボット達が、緑のコアを一斉にユチナへ向けた。

「で、ですわ!?」

『おいお前こいつらに何した!?』

「森でボットに何かをした記憶はないですわ!?」

「うわぁ! 枕が動いた、って……旧世代ボットだ! 懐かしい!」

 楽し気に大女が目を輝かせるが、そちらには一瞥もせず、ボット達はユチナへ体当たりを仕掛けた。

『怨敵!』『怨敵ぃ!』

「やめて欲しいですわ!? 多分人違いですわぁ!」

 しゃがみ、跳び、回転し、何とか回避するユチナだが、足場も悪く数的不利、ジリ貧だ。

 実際、木の根に足をとられ、回避不能なタイミングで、顔面にボットが迫る。

「っ、緊急装着!」

 叫ぶや否や花びらが一瞬だけ舞い、端折りで素早くおフェンシングスーツが装着された。

『怨敵抹殺!』

 シールドが放つ火花で覆われた視界の左上には、百の数値に代わり緊急事態のゴシック体が表示されている。

「おおっと、懐かしんでる場合じゃないね! 緊急装着!」

 カーラも、遅れて緊急コマンドを実行。刹那だけ花びらが散る。

 端折り装着で現れたのは、半袖ブレザーにスパッツ、靴下なしに運動靴の変則スーツ姿。

「チューンスーツ! 頼りになりますわ!」

 しつこいボットの攻撃を躱しながら、ユチナは横目で確認した。

「ソードは邪魔だから置いてきちゃったけど、ねっ!」

 返答しながら、カーラは姿勢を低くし、跳んだ。

 地面が爆ぜ、砲弾のようにユチナと合流。勢いそのまま、ボットの一機を殴りつける。

「ごめんねぇ!」

 拳を受けたボットは、ボディを凹ませながら視界外まで吹き飛んだ。

『こいつは……なるほどな』

「いやぁ、壊れてないといいけど、な!」

 喋りながら、力任せに腕を叩きつける! ラリアット!

「ありゃりゃ?」

 しかし、その一撃はボットの下部分を掠めるにとどまり、受けたボットは高速回転。

「ですわぁ!?」

 むしろ威力を増した高速回転突撃がユチナを襲った。

「ごめーん!」

 軽く謝りながら、高速回転ボットを鷲掴み! 手からスパークを発しつつ、投げた!

『……脅威認定、対応変更』

 仲間を再び減らされたボットが、動きを変える。

 まず一機が、距離をとってカーラに底部を向け、チョーク連射攻撃。元教師ボットか!

 精確に顔面を狙う連射は、ダメージこそないがシールドをスパークさせ視界の邪魔だ。

「あ、このっ! 逃げるな! おーい!」

 カーラが止めようと追いかけるが、距離をとって付き合わず、遠距離から妨害を続ける。

「カーラさん大丈夫ですわ!?」

 よそ見したユチナに、一機がアームを生やし近づけてきた。薄れて見づらくなっているが、ボディは白黒モノトーン配色。元風紀委員、つまり電撃だ!

「危な――」

 驚愕に目を見開いたユチナの顔つきが、一瞬で変わる。

「――よそ見すんなバカ!」

 しゃがみ回避。電撃アームが赤髪をかすめる。

(助かったですわ!)

 そのまま逃げ……はせず、むしろ接近。二本のアームの内側に潜り込み、コアに手を伸ばしてもぎ取った。

「けけけ! こうすりゃおしまいだろうが!」

 力を失い墜落する、元風紀委員ボット。

 バーガーは凶悪に笑い、水かけ攻撃や紅茶かけ攻撃などを躱し、次の獲物を探る。だが。

「それありかよ!?」

 ボットの一機が、墜落した元風紀委員ボットに、どこかから取り出したコアを填めた。

 再起動する元風紀委員。

 バーガーは舌打ちし、腰のソードと握った緑のコアを一瞥した。

(……同族みてぇでちょっと気分が悪いが、壊すしかねえか)

 表情をなくしたバーガーが、剣の柄に手をかけたその時、森の奥からボットが現れた。

「ちっ、増援かよ!?」

 身構えるバーガーに、現れた青いコアの現行機ボットが何かを投影する。

 それは、白旗を上げる猫ちゃんスタンプ。

「……は?」

『マザーより通達。停戦命令、停戦命令。即刻戦闘を中止せよ』

 旧世代ボットたちはその言葉を聞き、項垂れるように下を向いて止まった。

(……ボットが普通に喋りましたわ!?)

「いまさら……でもねえのか? ……いや、もう基準がわからん」

 バーガーはお手上げし、少しだけ警戒してから身体をユチナに返した。


 戦闘を辞めた旧世代ボット達は静止し、白旗を上げたボットが喋る。

『我々は、様々な理由により学園から処分され、しかし廃棄を免れ学園外で暮らすボット。いうなれば、野生のボットです』

 ユチナは音がしそうな勢いでバーガーを見たが、無視された。

『我々の指導者であるマザー、第六世代マザーコアからのメッセージをお伝えします』

『マザーコアって、なんだ?』

 ユチナが首を横に振り、カーラもそれに続く。

『まず、我々の仲間が手違いで貴方方に襲い掛かったことを謝罪します』

『手違いねぇ……』

『加えて、誠に恐縮ではございますが、再発防止に努めますので、どうか我々に出会ったことは内密にお願いいたします。我々のことが学園に知られると、色々と不都合がありますので。出来うる限りの謝礼もいたします。とのことです』

 終了スタンプを投影するボット。バーガーとカーラが口を開いた。

『いやいや信用できるかよ。こんなやつら、放っておいたら危険じゃねえの?』

「うーん、実際命令が出て直ぐに止まったし、全然秘密にしてあげてもいいと思うけど」

『なあユチナ?』

「どう思う? ユチナちゃん」

 二人が同時に、逆のことをユチナに振った。

 結果、少女は目をぐるぐるさせ、顔を真っ赤にして湯気を上げ、ぶつぶつ何かを呟く。

「令嬢たるもの、一つ、隠し事や秘め事は、極力作らぬように過ごすべし……」

『そういやちょくちょく、一つ、なんとか、みたいなこと言ってるけどなんなんだそれ?』

「学園の理念だね! 学園の生徒はこうあるべし! みたいな」

「一つ、人の過ちを許せる、心の広さを育てるべし……うぅうう、わからないですわぁ!」

 庶民級の処理能力は限界を迎え、少女は頭を両手でかきむしる。

 大女は、何故か何度も頷いた。

「うーん、ユチナちゃん! 理念を暗記してるなんて、真面目だねえ!」

『こいつが真面目? いや、真面目っちゃあ真面目なのか……?』

 バーガーがない首をひねっていると、ユチナの動きが止まり、下を向いた。

「丸暗記……理念の意味……」

『なんだ? 処理落ちか?』

 数秒後、顔を上げたユチナは、凛とした面持ちでボットを見据えた。

「マザーさんは、信用できる人なんですわ?」

『はい。マザーは我々にとって、貴方がたが言うところのお姉さまに近い存在です』

「……それなら、貴方たちのことは誰にも言いませんわ」

 クエスチョンマークを投影するバーガー。

『おいおい、いいのか? 学園にバレるとどんな不都合があるんだ、とか聞かなくてよぉ』

「いいんですわ。その代わり、学園への帰り道が知りたいですわ!」

 そこまではっきり言い切ってから、申し訳なさそうに大女の方を伺った。

「って言っても、カーラさんがそれでいいならですわけど……」

『……ですわけど』

「うんうん! アタシは全然それでオッケーだよ! というか正直、謝礼がどうこうってほど迷惑かけられた気がしないし、学園に帰れるなら儲けた儲けた!」

 カーラが笑顔で頷くと、白旗ボットは二人にレーザーを飛ばし、スキャンした。

『呼吸、脈拍、声音、視線、発汗……その他バイタルサイン全てで、お二方が嘘をついていないと判断できます。ご協力感謝いたします』

 集中線と共に、七色発光するビッグサイズ感謝スタンプ。

『それでは、学園まで案内させていただきます』

 ぺこりとボディを傾け、静止した旧世代ボットに向けてコアを点滅させる白旗ボット。

 すると、旧世代ボット達が再起動し、ユチナたちを取り囲んだ。

「…………ですわ?」


「すっごいですわぁー!」

 数分後、一行は空の上にいた。

「たっかいですわぁー!」

 涼しい風が身体を打ち、眼下を見下ろせば、島の自然が遥か下を流れていく。

「あはははは! いいねいいね!」

『……お前ら、恐怖感じる脳味噌はねえのかよ』

 バーガーは、自分たちを飛ばしている存在、足元で並び魔法のカーペットが如き役割をこなす旧世代ボットたちに意識を向けた。

『……怨敵、落下……』

『おい!? 今の聞こえたか!?』

『安心してください、マザーの命令があります』

 先導するように前を飛んでいた現行機ボットが答える。

『それより、もうすぐ着きますよ』

 空飛ぶボットと人の一団は、森や平野、川を越え、ついには学園の壁に至った。

「おぉ! 壁の上に来たのにビリビリしませんわー!」

『……お前、まさか登ったことことあんのか?』

 ユチナがそっぽを向いて返答を拒否していると、一団は壁を越え学園の端に降り立った。

『それでは、我々は見つかる前に退散いたします。くれぐれも、約束は守ってくださいね』

 現行機が念を押し、旧世代たちが最後にユチナを一瞥して、野生のボット達は去った。

「すごかったですわぁ」

「うーん!」

 少女が空の景色を思い出して惚け、大女は大きく伸びをし、ユチナに向き直った。

「うん、ユチナちゃん。会えてよかったよ! 面白い体験も出来たし!」

 ユチナも笑顔で返した。

「私もですわ!」

 カーラは、味わうように目をつむり、満足げに何度も何度も頷いた

「アタシ、結構ユチナちゃんのこと好きだよ。だから」

 最後に目を開け、一際大きく笑った。

「壊しちゃったらごめんね!」

 そのまま、褐色肌の大女は、たったたったと駆け足で消えていった。

「……え?」

 残された赤髪の少女は、口をぽかんと開けて佇む。

『……おい、まさかマジで気づいてなかったのか?』

 コテン、と首を傾げる。

『カーラって言ったら、次の対戦相手だろうがボケ! ……くそっ、今日はマジで疲れた』

 少女は、目と口を大きく開いた。

 少ししてそのショックが抜けたころ、ようやくユチナは動き出し、寮へ帰った。


「ユチナさんにバーガーさん……マラソンはどうしたんですか……?」

「で」

『あ』

 そして、夕方になりトモが帰ってから、マラソンを忘れていたことを思い出した。

「まあ、いいんですけどね……。それと、頼まれていたカーラさんのおフェンシング動画、私のお姉さまからもらいました。今年の本戦一回戦、彼女は不戦勝だったので、ちょっと苦労したんですよ……?」

 一通りジト目で二人を見た後、眼鏡の少女は動画データを送り、シャワーに向かう。

 若干申し訳なさそうな顔をしてから、ユチナは動画を見始めた。


「……ですわ」

『まあ、予想通りだな』

 動画が終わり、見終えたユチナは表情を硬くし、バーガーはあっけらかんと言った。

『こいつの対策は、前日でいい。他に使えねえからな。試合までは、突きとステップを完璧に近づけるだけだ。もちろん今からな。文句あるか?』

「ないですわ!」

 頷き、おフェンシングソードを持って中庭へ急いだ。


 そして、時は経ち。

 本戦二回戦、その当日である。



 一回戦よりも更に観客が増えた、コロッセオ型おフェンシングフィールド。

 決闘のステージに立つのは、余りにも体格が違う二人の生徒。

 一人は、赤髪の庶民級一年生、ユチナ。

 もう一人は、褐色肌の二メートル近い長身の大金持ち級三年生、カーラ。

 その背中には、身長を超す全長の、極大剣型おフェンシングソードが背負われていた。

 全長に見合った厚さと幅が、秘めた重量、すなわち威力を物語る。

『こりゃ、マラソンには邪魔なわけだ』

「そうそう、そういうこと!」

 これから戦うというのに、カーラは変わらぬ笑顔で話しかけ、同じ調子で剣を抜いた。

 解説と実況が何かを語るなか、超重量であろうはずの大剣を片手で持ち、袖を捲る。

「じゃあ、やろうか!」

 ユチナは、黙って応じた。

「おフェンシング、エト・ヴ・プレ(楽しもうね)?」

「ウィ(上等ですわ)!」

 舞い散る花びらが、戦いの始まりを告げる!


『おおっと出ました! カーラ選手のいつもの構え!』

 開始早々、カーラは両手で剣を立てるように握り、右肩辺りで構え、足を止めた。

 形は、八相の構えに近い。だが、どちらかと言えば彼女のそれは、どっしりとした足の置き方も相まって、木こりが斧を構えているような、そんな印象を与える。

『これを破るのは至難の業ですが、ユチナ選手どう攻略していくか。楽しみですね』

 対するユチナは、半身になって剣先を相手に向ける、オーソドックスな構えだ。

 そのまま、両者構えたまま、時間だけがじわじわと過ぎていく。

 季節は夏。時刻は正午過ぎ、最も太陽が熱を放つ時だ。

 程なくして、二人の肌からは汗がじわりと滲みだし、玉となり、流れる。

 カーラの額に汗が浮き、目の方へと流れ――。

 ――その瞬間ユチナが踏み込んだ。

 マントを、赤髪を置き去りにするスピードで一息に間合いを詰め、止まった!

「だあァ!」

 直後、胸部の数センチ先を、鉄塊が薙ぎ払った。

 当たってもいないのに風圧が、スーツとマントを激しくたなびかせる。

 防ぐことはもちろん、反らすことも許されない圧倒的な威力。スーツを纏っているのに、本能が死を間近に感じ、先ほどとは種類の違う汗が、ぶわっと湧き出る。しかし。

「――ですわッ!」

『そうだ、いけッ!』

 理性と気合で恐れをねじ伏せ、もう一歩踏み込む。

 相手は全力の一撃を振り切った直後、その体勢は剣の重さに引かれ流れて――いない!

「――ふんっ、があッ!」

 巌のような上腕の、肩の、背中の筋肉が盛り上がる。全力の振りぬきの勢いを全力でもって抑え込み、返しの刀だ!

 超人染みた剛力だけが可能とする、物理法則を無視したような二撃目を前にユチナは。

「っ!」

 地に伏せた。

 背中に感じる死。だが、それも覚悟の上。当然、この二撃目があることなど、予習済み。

 ルームメイトが探し出してくれた去年の動画。それがユチナにチャンスをもたらす!

「ですわぁああ!」

 全身のバネで身体を起き上がらせ、アッパーカットめいた刺突を心臓へ放つ!

 腕が伸び、確かな手ごたえを感じ――ユチナの背中に悪寒が走った。

 舞い散る赤い薔薇、その出所は、左前腕部。胸ではない!

 思考が、走馬灯めいて高速化する。受けた腕に剣は握られていない。ではどこに?

 去年の動画は、去年の彼女を映したものでしかない。

 人間は練習する、努力する、成長する、自分以外も。

「まぁだだぁぁッ!!!」

 衝撃。

 左肩を襲ったそれを認識した時には、おもちゃのように吹き飛ばされ、地面を転がり、フィールドを覆う透明な壁に叩きつけられていた。

 右腕一本で大剣を振りぬいたカーラは、大きく肩で息をした。


『おいっ!? しっかりしやがれ!』

 怒声で、意識が回復する。

 視界いっぱいに映る、五の数字が今、四に変化した。

『立てるか? KO負けするぞ!』

 頷き、頭を振って現状を思い出し、左上を確認した。数値は八。

 受けた場所が肩だったこと、片手で放たれ威力が低かったことが、命をつないだ。

 眼前の数字が三になる。負けが近い。立ち上がるために腕をつき、左肩に激痛が走る。

「……っ!」

 スーツですら、衝撃を吸収しきれなかったのだ。

『っ!? …………脱臼だ、それに、右手もやられてる』

 腕をつかずに、立ち上がる。数字の減少が止まり、消えた。

 左腕をだらりと垂らした少女の、痛ましい姿をみた観客席から悲鳴があがる。

 剣を拾った。右手にも痛みが走る。全力では、振るえない。

『………………俺なら勝てるぜ?』

「自分で貴族級にならなきゃ、意味がないんですわっ!」

 相手のバーは、軽い一撃で削り切れる量ではない。

「それに」

 しかし、少女の瞳は、熱く燃え盛っていた。

「勝つ方法は、思い出しましたわ」

 

 息を整え終わったカーラは、肩に大剣を担いで、立ち上がった少女に声をかけた。

「ユチナちゃん、できたら棄権――」

 棄権して欲しい。そう言い切る前に、ユチナの瞳が、見えてしまった。

 燃える炎は、気持ちだけではない。確かな、勝利の可能性に光っている。

「ううん、なんでもない」

 首を横に振り、口が裂けそうなほど、大きく笑った。

「終わるまでやろう」

 両手で握り、構えた。

 彼女には、これしかない。

 技はない。ステップもてんで駄目。

 去年は、これが打ち破られ、敗北した。

 だが、彼女にはこれしかない。これでいい。これが、自分の最上。

 敬意をもって、最大限で、迎え撃つ。

「ですわっ!」

 少女が踏み込んでくる。早い。彼女にはないものだ。それも一年生が。

 間合いの手前で止まるか、しゃがむか、なんにせよ関係ない。振るのみ。

 いつも通り、入ってくるタイミングで、全力で振り切る。

 対する一年生は、跳んだ。

「……ッ!?」

 振りぬかれた剣に、感触。だが、人に当たった手ごたえではない。

「マントっ!?」

 全力の一撃は、飛び越えた少女のマントだけをぶち抜いた。

 結果、ユチナは空中で高速回転!

 その様は、あの日の森の中、ラリアットをくらった旧世代ボットの如し。

「ですわあああああああ!!!」

 ドリルと化したソードが、顔面保護シールドに突き刺さり、削る、削る、削る!

 まき散らされる、薔薇とスパーク!

 カーラは返す刀のために全力を振り絞り――左上の数値に気づき、笑顔で剣を手放した。

『決闘終了(アルト)!』

 地に落ちた極大剣が、大きな音を立てた。

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