五話 一回戦

「おねえさま! うでわにお茶かけたらぶっこわれたですわ!」

 赤い髪の小さな女の子が、興奮気味に語る。

「ユチナちゃんはかわいいですわね」

 紫のリボンを胸に着けた、ポニーテールの少女は愛おしそうに笑った。




 昨日の雨を忘れたように、雲一つない朝の空。

 既に乾いた広場やテラスで、多くのお嬢様たちが思い思いに休日を謳歌している。

 しかし、日当たり最低の庶民級寮周辺には、未だ荒天の面影があった。

 寮の目の前、石畳風の道に残る幾つもの水たまり。そこに映る、人影が二つ。

 一つは、おさげ髪でビン底眼鏡の少女、制服姿のトモだ。

 もう一つは、赤い長袖ジャージに赤いハーフパンツ、赤髪の全身赤少女、ユチナだ。

「それで、何をするんですわ!」

 ユチナはワクワクが止まらないといった様子で、握った両こぶしを上下させている。

 対して、トモの手の中に腕輪ごと納まっているバーガーは、簡潔に答えた。

『昼まで走ってろ』

「ですわ!?」

 ユチナは、腕輪を二度見した。

『うるせえさっさと行け!』

 ユチナは悩むそぶりを見せたが、すぐに頷き、たったたったと走り去っていった。

「令嬢たるもの、一つ、常に全力をつくせ、ですわー!」

 その背中が見えなくなってから、トモが尋ねた。

「それで、私はどうして呼ばれたんですか?」

『眼鏡。おフェンシングってどこで習えるんだ?』

 トモは目を見開いた。

「……え? 昨日、ユチナさんに稽古してやるって言ってました、よね?」

『俺がおフェンシングの練習方法なんか知るわけねえだろ?』

 ひとしきり口をパクパクさせてから、トモは観念した。

「えっと、基本、おフェンシングは、お姉さまから教えてもらうんですけど……」

『姉がいねえやつはどうするんだ?』

「姉がいないやつ……?」

 その疑問が理解できないと言わんばかりの反応に、今度はバーガーがあっけにとられる番だった。

『……は?』

「……あぁ!」

 何かに思い至ったのか、トモが慌てて補足する。

「親族関係の姉ではなくて、姉妹(スール)制度のお姉さま。学園が決めた、五つ年上の上級生のことです」

『うん? 何のための制度だ?』

「うちは全寮制ですから、家族の代わりに色々、学園生活の悩みを聞いたり、勉強でわからないことを教えてもらったり……。ほとんどは、すごい仲良しになりますね」

『そういう、なるほどな』

 バーガーの記憶領域から、シノノメインとヤギューインが呼び出される。シノノメインはヤギューインをお姉さまと呼んで慕っていたが、二人に血の繋がりは感じられなった。

「すいません、ここで姉といったら、お姉さまのことなので……」

 怒られないか不安なのか、上目遣いでちらちらと、手の上に掲げた腕輪を伺うトモ。

 だが、バーガーが気にしていたのは別の事だった。

『あいつの、そのお姉さま? って、どうなってんだ?』

「……ユチナさんとは、一緒に庶民級になってからの付き合いですけど」

 渋るトモに、コアは無言で続きを催促した。

「彼女は多分、中等部に上がってから一度も、お姉さまと会ってないと思います」

 昨日の食堂でのシノノメインとのやりとりや、ヤギューイン戦での激昂などが、各領域から参照された。

『……めんどくせえ』

 トモは、乾いた笑いで返した。


『……眼鏡、お前のお姉さまは』

 凄まじい勢いで、おさげ髪が左右に振られた。明確な拒否だ。

『……おう。じゃあせめて、教本とか、試合の動画とかねえのかよ』

 それを聞き、唐突にビン底眼鏡の奥の瞳が輝いた。

「動画ならありますよ!」

『おぅ?』

 バーガーが突然の豹変に困惑している隙に、トモは手際よく自分の腕輪を起動し、宙に表示された画面を操作し始めた。そして、何らかの作業を終えると、バーガーの填まった腕輪に自分の腕輪をくっつけた。

『おぉ!?』

 直後、バーガーの腕輪の画面が勝手に起動し、大量の映像データが流れ込む!

「この学園祭のヤギューイン様の戦いとか、あ、この前の予選のベストバウトでもいいですね! もしくは参考になるかはわかりませんが、去年の大会の三位決定――」

『うるせえオタク眼鏡!』

 恫喝し、小さな悲鳴と共に眼鏡が大人しくなったのを確認してから、膨大な量のデータの、サムネイルを適当にスクロールし始めた。

『おいおいおい……なんつう量の動画だよ。一体どこからこんなん持ってきたんだ?』

 瞬間、復活する庶民級の女。

「私が撮影したんです!」

 誇らしげな顔をし、尚且つ非常に興奮していた。

『……なんで?』

「おフェンシング、好きなんですよ! あ、やる方はダメダメなんですけど……」

 その目は、バーガーを見ているようで、どこか別の次元を眺めている。

「先端恐怖症で……。でも! 映像越しだと大丈夫なんです! むしろ迫力のある立体映像でソードの切っ先が迫ってくる瞬間なんて絶――」

『黙れオタクソ眼鏡!』

「オタクソ!?」

『突然饒舌になるんじゃねえ!』

「あ……す、すみません。気を付けてるんですけど、おフェンシングのことになると……」

 我に返ったトモは、恥ずかしそうに縮こまった。

『……ちっ。にしても、多すぎんだろうがよ』

 そんなトモを一瞥だけして、再びサムネイルを適当にスクロールし確認するバーガー。

『お?』

 その中で、異彩を放つ画像が目に留まった。

 他のサムネイルは全ておフェンシングをしている人が映っているのに、それだけは何故か、建物の屋根が映っていたのだ。

『なんだこりゃ……?』

 気になり、バーガーは再生を始める。

 被写体は、すぐに屋根から別の場所、どうみても露天風呂に移った。

『…………』

「……あぁ!?」

 縮こまるのをやめたトモが、それが流されていることに気づき、画面を閉じようとするが、映像はバーガーによって器用に操られ、慌てた少女の手を躱し続ける。

 停止を免れた動画は続く。露天風呂がズームされていき、一人の人物をクローズアップしていく。

 それは、全裸のヤギューインであった。

 マルチデバイスに対し背中を向けているため、大事なところこそ映っていないが、裸だ。

 そして、ヤギューインが振り返り、全てが露に――。

『何をしているんでして!?』

 ――なる前に、聞き覚えのある声が遮った。

 画面が乱れ、次に映し出されたのは、屋根の下からこちらを憤怒の形相で指さす、金髪の少女。シノノメインだ。

 画面は真っ暗になり、ガサゴソと何かを焦って行っている音だけが残る。

『これが、これが学園の底辺、庶民級……! 貴方たち、地獄の果てまで追いましてよ!』

 背後から聞こえたその声を最後に、この動画は終わった。


『………………盗撮眼鏡、風紀委員への通報ってどうやるんだ?』

 しばらくの静寂の後、バーガーが尋ねた。

「ば、バーガーさんも温泉覗こうとしてたじゃないですか!」

『俺のは未遂! お前のは実行犯! やらなきゃ罪にならねえんだよ!』

「そ、それは……!」

『大体なんで女が女の盗撮なんかしてんだよ!』

「女の盗撮じゃありません! おフェンシング史に名前を残すであろうヤギューイン様の裸体データを後世に残さなければという熱い使命感が――」

『消去!』

「……え?」

 次の瞬間、浮かんでいた画面が粒子状になり、消えた。

 嫌な予感に苛まれたトモは、急いで自分の腕輪に残る盗撮映像も確認した。

 なかった。

「ああああああああああああぁあぁぁあああああ!?!!!?!?」

 崩れ落ちるトモ。

 バーガーは、ドスの効いた声で、静かに要求した。

『ゆっくり、落ち着いて、よく考えてから、練習の参考にできる動画を三本だけ教えろ。無駄話したら全データ消去してやる』

「ひぃいいい!?」

 少女は脅しに屈し、バーガーは有益な映像を手に入れた。


 一方その頃。

「はくしゅん! ……昨日の雨の所為でして?」

 乗馬用の正装を着こみ、乗馬に勤しんでいたシノノメインは馬を脇に止め、首を傾げた。

 その視界の端に、赤い影が映る。

「……庶民級!」

 呼び止められた全身赤装備のユチナは、素直にシノノメインの方へ寄っていった。

「はぁ……はぁ……なんですわ?」

「……予選、突破したようでしてね」

 頷くユチナ。

「わたくしも突破いたしましたわ。それで……」

 シノノメインがユチナを睨む。

「どうして乗馬エリアでランニングをしているんでして!?」

 立ち止まる二人の横を通り過ぎたお嬢様たちは、一様にユチナの姿を見て目を丸くして驚いている。

「迷ったんですわ」

「マルチデバイスはどうしたんでして!?」

「置いてきましたわ」

「これが庶民級……!」

 顔を片手で覆い天を仰ぎ、カルチャーギャップにおののく貴族級。

「……ついてらっしゃい。外に案内しまして」

「ありがとうですわ!」

 満面の笑みを浮かべる庶民級。

 シノノメインは一度顔を背けてから、キリっとした表情で言った。

「勘違いなさらないで! 乗馬エリアを荒らされたら困るからでしてよ!」

「なるほどですわ!」

「……くっ、行きましてよ!」

 シノノメインは方向転換しユチナに背を向け、馬を遅めの早足で歩かせた。


「はぁ……はぁ……いったい何があったんですわ?」

『それはこっちのセリフなんだが?』

 正午。馬に乗って去り行くシノノメインを見送りながら、何か画面を開いて弄っていたバーガーが言った。

「道に迷ったところを助けてもらったんですわ! それで、トモはどうしたんですわ?」

「ユチナさん、大丈夫です。問題ないですから……」

 掲げるようにバーガーを手のひらの上に乗せながら、寮の前で体育座りしていたトモは、膝に突っ伏した顔を左右に力なくふった。

『この眼鏡のことはどうでもいい。それよりお前、どれくらいの速度で走ってたんだ?』

「……? これくらいですわ?」

 適当な所まで走り、戻ってくるユチナ。

(あの速さでこれだけの時間走って、この程度の息切れ? こいつはこいつで化け物かよ)

「何かいいましたわ?」

 バーガーは、呆れて首を振る立体エモートスタンプを投影した。

『いや、訓練を厳しくする必要があるってだけだ』

「どうしてですわ!? というか、腕輪の機能に慣れてますわ!」

 そうやって、わいのわいのと騒ぎながら、三人は寮へ戻っていった。


 寮で昼食をとり終え、場所は多少ぬかるんだ中庭。人影は一つ。

『突きと斬り、やってみろ』

「……わかりましたわ」

 ステップイン、突き、ステップバック。ステップイン、振り下ろし、ステップバック。

 おフェンシングスーツを纏った少女が、オーソドックスなフォームを披露した。

『よし、カスだな』

 剣を下したユチナに、痛烈な批判が浴びせられる。

「ですわ!?」

『細かい悪い所は無数にありやがるが、まずは三つだ』

 三本指を立てた手の立体スタンプが投影され、一本の指が折られた。

『まず、ステップが酷え。蹴り足の角度も重心の移動も、考えてやってねえだろ?』

 何か言いたげだったユチナが、神妙な表情になり頷いた。

『ノリと勘でやってるから遅えし、何より分かりやすい。それじゃ、通用しねえ』

 もう一本、指が折られる。

『次、ステップインと攻撃がバラバラ。地面を蹴って前に出たのに、そのエネルギーが伝わってねえ。それじゃあ、体格で負けてる上級生とやりあえるわけがねえってこった』

 少し辛そうにしながらも、黙って聞いているユチナの前で、最後の指が折られる。

『最後、まあこれは精神論みてえなもんなんだが』

 身構えるユチナ。

『お前、何と戦ってるつもりで素振りしてんだ?』

 ユチナは、息をのんだ。

『振り下ろしのフォーム、脳天狙いだったよな』

 表情が、強張る。

『なんで、【自分の胸あたりで当たるのを想定】してたんだ?』

 何かに耐えるように、スカートが強く握りしめられた。

『全校大会、普通に考えて上級生ばっかだろ? どう考えても、攻撃場所はお前の頭より上だろうが』

「それ、は」

『……今まで、誰の何を思い浮かべて練習してたのかは興味がねえ。だが、勝ちてえなら俺の教えに従え。そのフォームは捨てろ』

 ユチナは歯を食いしばり、頷いた。

 バーガーは、少し間をおいてから口を開いた。

『……それでいい、じゃあいくぞ』

 少女の目が閉じられ、開く。

「正しいフォームを身体で教えてやる。覚えろ」

 バーガーが、生意気に口の端を吊り上げた。

 ステップイン、突き、ステップバック。

 流れるような、洗練された、優雅さすら感じる一連の動作だった。

『おら、再現しろ』

 剣を下した途端、ユチナに意識が戻る。

 赤髪の少女は、真剣な表情で構えた。

 

『そこまでだ』

 気づけば、景色は夕暮れに染まっていた。

 額の汗を顔を振って飛ばし、少女は剣を鞘へ納めた。

『本戦一回戦までどれだけか、わかってるな?』

「一か月ですわ」

『時間がねえ。授業の空き時間もステップなら練習できる。昼休みも、な。しばらくは、突きとステップの基礎だけだ。文句あるか?』

「ないですわ」

 半仮面に隠れたユチナの瞳は、うかがい知れない。

 しかしバーガーは、宿る炎の熱を、確かに感じ取った。

『……けっ、返事だけはいっちょまえだな! 今日は終わりだ、飯食って寝るぞ』

 花が舞い散り、ユチナが制服姿に戻る。

「あぁー、疲れたですわ!」

『おう、疲れてなかったら走らせてやるところだぜ』

 伸びをしながら、寮に戻るユチナ。ケラケラ笑いエモートを投影するバーガー。

 その内心は、晴れやかであった。


 そうして、朝は突きのフォームを確認し。

『左足の角度! 何回言わせるんだボケナス!』

「はいですわ!」

 授業合間や休み時間にステップの練習をし。

「風紀委員ボット……! ユチナさんまずいです隠れて!」

「ですわ……!」

 放課後は走り。

「ここはランニングロードじゃなくてお茶会の会場でしてよ!?」

「迷ったですわ!」

 休日はその全てを行い。

「ここは乗馬お茶会の会場でしてよ!?」

「ですわ!」

 三週間が経った。


 休日、正午、庶民級寮の二段ベッドの上にて。

「……出ました!」

 トモが画面を指さし、バーガー付きの腕輪を装着したユチナが、それを覗き込む。

「これは……ですわ」

 映っているのは、トーナメント表だ。

 全校おフェンシング大会本戦。

 その三二名の出場者の、名前と学年、階級と共に組み合わせが表示されている。

「貴族級になるには、決勝までいく必要があります。でも、順調にいけば準決勝は……」

「……ヤギューインさん、ですわ」

 大きく二つに分かれたトーナメントの山。その自分がいる側に、大貴族級ヤギューインの文字列を確認し、唾をのむ二人。

 それを、バーガーが一蹴した。

『ドアホ! 雑魚の癖して上ばっか見てんじゃねえよ。初戦の相手を見ろバカ』

「そ、そうですね! 初戦は……」

『おあつらえ向きだぜ?』

 ユチナの隣に書かれたていたのは。

「一年、貴族級」

「シノノメインさん、ですわ」

 豊満たる少女の名前であった。

 途端、ユチナの脳裏に蘇る、ゴミ山での敗北の記憶。

 強張りそうになった表情を、下品な声が解いた。

『おいおい言っただろ? 一回戦負けなんてしたら俺様の株まで下がる、ってな』

 声に似合わない、猫が笑うエモートスタンプが飛ぶ。

『勝ち以外ありえねえっての』

「そう、ですわね! 完全勝利ですわ!」

 自然と、笑顔が浮かんだ。

『当たり前だっつうの。……ってか、王族級も参加してんのか』

 ユチナから離れたバーガーの意識に、偶然その階級が飛び込んだ。

「百周年記念ですから、特例ですね。普段は王族級のエリアから出てこないんですけど」

『ほぉん……』

 しかし、ユチナとは反対側の山だったため、すぐに興味を失った。

『とにもかくにも練習だ! さっさと行くぞ二人とも!』

「……はいですわ!」

「はい!」

 頷き、中庭へ急ぐ三人。

「……え? 私も?」

 階段を下りる途中、トモが我に返ったが、バーガーに一喝され、結局ついて行った。


 トモの怯えたような声が中庭に響く。

「ほ、本当にやるんですか!?」

『グダグダいうんじゃねえ』

 おフェンシングスーツを着用したトモの左手から、バーガーの下品な音声。

 同じく完全装備のユチナは、手足をぐるぐる回して、首をかしげていた。

「……うーん、何か変ですわ? バーガーじゃないからですわ?」

 少しの間うだうだ言っていたトモだったが、ユチナが違和感の正体を見つけるのを諦めたころ、表情を一変させ口を開いた。

「さあ、準備が出来たぜ」

 トモの身体を操ったバーガーが、ニヤリと笑い剣を構える。

 ユチナも応じるように、自らのそれを抜いた。

「来い」

 小刻みにステップを踏み、軽快に弾むバーガー。

「ですわ!」

 その動きを見極め、踏み込み刺突。

「フォーム!」

 しかしその攻撃は、容易く弾かれる。

「練習で崩れてりゃ、本番で出せるわけねえぞ!」

「……ッ! はいですわ!」

 素早くバックステップで距離をとり、次に放つは脳天狙いの振り下ろし。

(やったですわ!)

 同じように防がれはしたが、先ほどよりいい手ごたえ。手のひらに感じる攻撃の反動が心地よい。

 だが、直後顔面に衝撃。普段は透明なシールドが光り、自己主張。

「浸るなボケ!」

 反撃の刺突を受けたことを、遅れて理解した。

「次バックステップを忘れたら、二度と教えねえぞ!」

 薔薇が舞い散り、左上の数値が減るが、キラキラ眩しいエフェクトと共に表示された、【練習モード】のゴシック体と共に、すぐ百に戻る、

「はいですわ!」

 反省を深く心に刻み込み、眉間を狙った再びの突き。

 いいフォームではあったが、バーガーは見切ってパリィしようとし。

「あ」

 顔面に直撃。薔薇が舞い散りバーも削れる。

「ですわ!?」

 これには、当てた本人の方が困惑した。

「いや、気にすんな。なんでもねえ」

 かぶりを振ったバーガーが、片手を挙げて制する。

「続けてこい!」

「……ですわ!」

 ユチナから放たれる攻撃を捌きながら、バーガーは思考領域でつぶやいた。

(あー、そういや先端恐怖症とか言ってたな。わりい)

(…………きゅぅ)

 スパーリングめいた練習はしばらく続き、トモの精神は覚醒と気絶を繰り返した。

 


 そして、更に時は過ぎ。


 

 新しい一日の始まりを告げるように、鳥が鳴いた。

 時刻は、早朝と呼ぶにもやや早い時間である。

 暁にそまるいつもの庶民級寮中庭で、元から赤い髪色の少女が、構えていた剣を下した。

『……けっ、ギリギリ及第点ってとこだな』

「やったですわ!」

 ガッツポーズで喜ぶユチナ。

『さあ、ぶっ飛ばしに行くぜ!』

「はいですわ!」

 本戦、初戦の日である。


 その朝、学園に住む殆どのお嬢様が、朝食後のティータイムを終えるや否や寮を出た。

 向かう先は、壁の外。

 島の一角に堂々と立つ、コロッセオ型おフェンシングフィールドだ。


『時間です、フィールドに向かって下さい』

 控室に配備されていたボットが、無感情に告げた。

「は、はいですわ!」

 庶民級では考えられないほど柔らかいソファーから、慌てて立ち上がるユチナ。

 持っていたティーカップを置き、扉に向かうその表情は、緊張でガチガチだった。

『はぁ、大丈夫かねぇ?』

 バーガーの呟きすら耳に入っていないユチナは、ドアを開け廊下に出る。

 そこを進んでいると、二人の上級生が目に入った。

 一人は目を泣きはらしてしゃがみこみ、その背中をもう一人がさすっている。

 ユチナの、足が止まった。

 手足が震え、呼吸の様子も、若干おかしくなっている。

(クソが、なんて所でなんてことしてやがる……!)

 思考領域でバーガーが罵詈雑言を吐いて舌打ちしていると、上級生たちは喋り出した。

「しょうがないよ、相手は貴族級の、しかも上級生だったし」

「それでも……卒業したお姉さまに顔向けできないザマス……!」

 その瞬間、ユチナの震えが止まった。

 スカートを左手で強く握ると、堂々とした足取りで歩き始める。

(……もう大丈夫だな)

 バーガーは、それ以上何も言わなかった。

 やがてざわめきが耳に届き始める。フィールドが近いのだ。

 しかし、ユチナは臆することなく、進み出た。


 軽く跳ねる。石造り風の床が、堅い感触を返す。

 見回せば、殆ど埋まった観客席から降り注ぐざわめきと視線。

 後ろを振り向けば、マルチデバイスではない撮影用の機材を肩に担いだトモが、関係者席で親指を立てている。

 頭上では、ホロスクリーンがフィールド上の平面映像を四方へ向けて映している。

 そして。

「一か月、ずいぶんドタドタみっともなく走り回っていらしてね、庶民級」

 十メートル前方に、金髪を縦ロールにした、豊満な貴族級の少女。

 初戦の相手、シノノメインだ。

「御託はいらないですわ」

 ユチナは、腰のおフェンシングソードを抜いて答えとした。

「……そう、でしてね。ヤギューイン様の妹らしく、これでわからせまして!」

 シノノメインも、愛剣を構える。

「おフェンシング、エト・ヴ・プレ(準備はよくってよ)?」

「ウィ(当然ですわ)!」

 お互いのコアが光を放ち、花びらが舞い乱れた。

 ブレザー、ブーツ、ニーハイソックス、スパッツ、ララ・スカート、半仮面とマスク。

 両者におフェンシングスーツが装着され、相手の頭上に緑のバーが、自分の視界の左上に百の数値が浮かぶ。

『おフェンシング、決闘開始(アレ)!』

 鳴り響く合成音。

 戦いの火ぶたが、今切られた!


『始まりました、まさか一回戦で一年生対一年生とは! この試合、どうみますか!?』

『貴族級と庶民級、普通に考えれば貴族級でしょう。そして、シノノメインさんはあの、ヤギューイン様の妹だとか』

『なんと! ということは、シノノメインさん有利、と』

『いえ、お互い一年生にして予選を勝ち残った強者。何が起こるかわかりません』

 実況と解説のお嬢様の声が、拡大されて会場中に届く。

 しかし、相対する二人は気にする様子はない。

 ただ、剣を構え、お互いの隙を伺う。

「はっ!」

 痺れを切らし、先に仕掛けたのはシノノメインだ。

 その刺突、踏み込みのスピードは、ゴミ山で貰った必殺の一撃より、なお速い!

「ですわっ!」

 ユチナは、それをバックステップで躱した。

「はっ、はっ、はぁっ!」

 対して相手は、畳みかけるように流れるような三連攻撃。

 その全てが淀みなく、力強く、素早い。

「……ですわっ!」

 こちらの対応は、バックステップ、バックステップ、バックステップ。

 貴族級の少女は、密かに口の端を吊り上げた。

 庶民級は、バックステップでしか対応できていない。勝機だ。

「いきましてよ!」

 軽く一呼吸し、そこから大瀑布が如き連続突き!

 その全てが、あの時の必殺の一撃を超えている。

『……なるほど、ゴミ山のときとは比べ物になんねえな』

 ユチナは、バックステップ、バックステップ、バックステップ、バック……。

 できない!

「終わりでしてよ!」

 既にフィールドの端に追い込まれていたユチナ。

 シノノメインは、渾身の突きを構えた。

『確かに比べ物になんねぇ。でもよ』

 それは、今までの突きのどれよりも早く、強く、優雅で――。

『――こっちの方が凄まじいぜ!』

 しかし、ユチナの突きより遅かった。

「ッ!?」

 【渾身の突きを構える】、という明確な隙。見逃せるはずがない。

 蹴り足、重心移動、突き。

 全てが流れるように連動し、弾ける。

「ですわッッッ!」

 放たれた刺突は、シノノメインの顔面に炸裂した。

 直後生じる、薔薇の花束。

 その数、百。

『決闘終了(アルト)!』

 一拍遅れて、歓声が爆発した。



「ですわぁ~~」

 時刻は進んで、夜。庶民級寮の小さなユニットバス。

 にやけた表情の少女が、浴槽に両手両足をかけてだらしなく浸かっている。

 それをカーテン越しに影絵のように確認したビー玉大の赤いコアが、置かれた洗面台の上で最低なことを口走る。

『あぁ、お前の胸じゃ、覗こうってやる気もおきねえな……』

「失礼ですわ!」

 カーテンが開けられ、手ですくわれたお湯がバーガーにかかる。

『おいバカ!? 精密機械だぞ!』

「知らないですわ!」

 再び閉められるカーテン。

 コアはケラケラ笑うスタンプを浮かべてから、口調を変えた。

『さ、いつまでも惚けてらんねえぞ。まだ、一勝しかしてねえんだからな』

「……その通りですわ」

 ユチナも、表情が引き締まる。

『最後の突き、最初に比べりゃマシだったが、まだまだ完璧じゃねえ。わかるな?』

「……当然ですわ」

『風呂あがって寝たら、明日から前よりキツイ練習、始めるぜ?』

「望むところですわ!」

 試合を終えたとは思えない、元気にあふれた声が、換気扇から町へ漏れ出ていった。

 道に人影は既になく、街灯もやがて灯を消してゆく。

 後に残った光、月と星は、誰にも平等に降り注いだ。

 勝者にも、敗者にも。

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