四話 予選


 鐘が鳴る。

 太陽が真上から、この学園都市の中でもかなり大きめの建物を照らす。

 その建物、学舎の一室で、赤髪の少女が大きくため息を吐き、机に突っ伏した。

『姿勢違反』

 教壇の前に浮かぶ教員ボットが、球体底部をユチナに向け、そこから白い棒を射出する。

「あだっ!?」

 放たれたチョークは狙いたがわず額に直撃し、ユチナは慌てて姿勢を正した。

『これで数学の授業を終了します。お疲れさまでした』

 役目を終えた教員ボットが教室から飛び去って行くと、今度こそユチナは机にだらりと上体を預ける。

「……失敗しましたわ」

「あはは、ちょっと早かったね」

 この教室で、ユチナの他に【唯一】の人間であるトモが、苦笑いを浮かべた。

『……投げるためだけのチョークかよ』

 そんな二人をしり目にバーガーは一人、中空に投影されたホロ黒板と、床に落ちた何本ものチョークを見比べ、呆れていた。


『……そんで、どこに向かってんだ?』

 長い長い、赤いカーペットの敷かれた廊下を歩いていると、勝手に開いて操作していた画面を、これまた勝手に閉じたバーガーが尋ねた。

「食堂ですわ」

 言うと同時に、開けっ放しになっていた両開きのドアをくぐった。

 ドアの先は幾つものテーブルと椅子が並んだ大きな部屋で、既に幾人かのお嬢様が席について、優雅に昼食を取っている。

 しかしまだ席は疎らで、迷うことなくコック帽を被ったボットへと足を進めるユチナとトモの後ろから、一人二人と生徒達が続いている。

食堂にいる生徒たちは、二人と同年代、もしくは一つ、二つ上といったところだった。

『ご注文をどうぞ』

「日替わりランチですわ」

「私もそれで」

 告げながら、コック帽のボットに腕輪をタッチすると、ボットの背中の壁に穴が開き、そこから緑色のトレーに乗ったランチが出てきた。

 コッペパン、鶏肉のケチャップ煮、海藻サラダ。そのすべてが安っぽいプラスチックの食器に盛りつけられている。カトラリーも同様で、付属の飲み物は水だ。

 二人はそれを受け取ると、長机の空いた場所に隣り合って座り、フォークを手に取った。

『おい、なんだこれはよお?』

 しかし、一口も食べないうちに左手のコアが邪魔をした。

『他の奴はもっといいもん食ってんじゃねえかよ』

 その言葉通り、二人以外の生徒の前には、もう少し手のかかった料理がもう少しまともな食器に盛られており、水ではない飲み物もある。

「私たち、庶民級ですから……」

 胸元の赤いリボンを手で隠すトモ。

 バーガーは、食堂にいる生徒のリボンの色と、その食事を素早く見比べた。

『……なるほどな。で、その庶民級ってのは下から何番目なんだ?』

「一番目ですわ」

『……はぁ!?』

 バーガーの大声に、他の生徒達からちらほらと注目が集まっていく。

『俺の持ち主はスクールカーストの底辺かよ!? 俺まで低く見られんじゃねえか!』

「底辺……酷いですわ!」

『事実だろうがアホ!』

「アホ……! もう許しませんわ!」

「ふ、二人とも落ち着いて……!?」

 公衆の面前で勃発しかけた喧嘩は、しかし聞き覚えのある高笑いに遮られた。

「おーほっほっほ、食堂で大声を出す、庶民級らしい醜さでしてよ!」

 手を止めて視線を上げると、金髪を縦ロールにした、年齢とアンバランスに豊満な少女、シノノメインが立っていた。

「昨日ぶりでしてよ庶民級」

「庶民級じゃなくてユチナですわ!」

「庶民級は庶民級でしてよ!」

 昨日と変わらず高飛車なシノノメインだったが、取り巻きの二人が近くにいない。その理由は、すぐに語られた。

「昨日、貴方をゴミ山に叩き込んだ先から記憶がなく、寮で目覚めまして」

 壁に叩きつけられ、朦朧としていた彼女の様子がユチナの脳裏に浮かぶ。

「そして今日、いつもの二人が何かに怯えて寮から出てきませんこと」

 シノノメインは、ユチナを音がしそうな勢いで指さした。

「貴族級たるこのわたくしに、庶民級の貴方が何か卑怯な事をしたに違いなくってよ!」

「卑怯な事なんて……!」

 反射で否定しかけたユチナだが、左手首の住人の事を思い出して言葉を詰まらせた。

「やっぱりでしてよ庶民級!」

「違うんですわ!」

 立ち上がり、誤解を解こうとするユチナ。

『おいおいおい……』

 バーガーがそれをたしなめた、わけではない。

 彼の物理的には存在しない視線の先は、貴族級のランチだ。

 柔らかそうな焼き立てのパン、牛のステーキ、新鮮なサラダ。銀製の食器とカトラリー。

 これだけでも大きな差だが、さらにそのランチは専用のウエイターボットが運んでいた。

『……貴族級、なぁ』

 言い争いを続ける貴族級の胸のリボン、そして豊満たる胸本体をバーガーは見つめた。

「一つ、高貴な生徒は模範足り得る言動を常に心がけるべし、ですわ!」

「一つ、自分より高貴な生徒を敬い従うべし、でしてよ!」

「従う……でも模範的じゃ……でも理念が……うぅううう! どっちですわぁあ!?」

「おーっほっほっほ、愚かでしてよぉ!」

『なあ、貴族級のお嬢さん!』

 先ほどまでの独り言と違い、はっきりと聞こえるように発せられた声。

 シノノメインは、不思議そうにあたりを見回した。

「……どなたでして?」

『ここだここ、おい見せろ』

 ユチナは頭を振って混乱を振り払い、袖をまくって赤いコアを露出させた。

「……喋る、コアでして?」

 何かを思い出しかけたのか、渋面を浮かべたシノノメインだったが、結局何も出てこず首を傾げた。

「喋るコア、バーガーですわ」

『その名前まだ認めてねえからな!』

 話の腰を折られ、舌打ち音を入れてからバーガーが続ける。

『まあとにかく、俺は人格を持った喋れるコアってわけだ』

「そのよう、でしてね」

『そんな珍しいコア、庶民級より貴族級の方が持つのに相応しいと思わねえか?』

「でっ!?」

 ユチナが慌ててバーガーを見る。

「ふぅん、一理ありましてよ」

「そ、それはダメですわ!? 困りますわ!」

「そう、貴方が困るんでして……」

『けけけ、そういう利点もあるなあ!』

 焦るユチナと下品に笑うバーガーを一通り愉し気に眺めてから、貴族級たる少女は高笑いした。

「おーほっほっほ、一考の余地なし! 当然却下でしてよ!」

『メリットはあってもデメリットはねえだろ! 一考の余地ぐらい――』

 バーガーが粘ろうとするが、シノノメインは一蹴する。

「下品で低俗で野蛮で知性と品性の感じられない喋り方、デメリットしかなくってよ」

『なっ……!』

 赤色のコアは絶句し、しばらくそれを満喫したシノノメインは、追撃を入れた。

「お色も、ふふふ……お似合いの底辺色ですし」

 バーガーは、沈黙した。

「……さて、そろそろ本題に入りましてよ」

 言葉を発さなくなった下品なコアを一瞥してから、微妙な表情をしている庶民級に向き直るシノノメイン。

「貴方、全校大会に出るんでしてね?」

「……それがなんですわ」

「棄権なさい」

 シノノメインが、残酷に笑う。

「惨めに瞬殺される姿が全校に流れたりしたら、ただでさえ庶民級を妹にもつ可哀そうな貴方の【姉妹(スール)】、貴方のお姉さまが哀れでならないからでしてよ!」

「――ッ!」

 ユチナの纏う雰囲気が、一変する。

「それに比べてヤギューインお姉さまは最高ですわ! 中等部一年から五年間、夏と冬の全校大会は全て優勝! 公式戦も負けなし! そして、実質最高位の大貴族級!」

 しかし、貴族級の少女はそれを見てはいなかった。

「おーほっほっほ、お姉さまの格まで違うなんて、申し訳なくってよぉ!」

 悦に入り、喋り続ける。

「それと、わたくしも参加しますの。当たったときはお手柔らかに頼みましてよ」

 そうして最後に一礼し、冷めたランチを乗せたウエイターボットを連れ、テラス席へと去っていった。

 

『……おい眼鏡、全校大会ってなんだ』

「は、はいっ?」

 嵐のようなシノノメインが去り少ししてから、沈黙していたバーガーは、空気になって天災をやり過ごしていたトモに尋ねた。

「あ、そうですね。おフェンシングの全校大会です。その名の通り、中等部の一年生から六年生まで参加する、学園のおフェンシング最強決定戦、みたいなものです」

『おフェンシングってのは、あの斬ると花びらが飛び散るやつか』

「……まあ、そうですね」

 トモは何か言いかけたが、耐えて付け加えた。

「全校大会で上位に入ると、階級も上がるんですよ」

『なるほど、むかつくやつをぶちのめせて、尚且つ扱いもマシになるわけだな』

「……はい」

『そんで、大会はいつからなんだ?』

「予選は、その、明日です」

『……そりゃまた、けけけ』

 腕輪のスピーカーから、抑えきれなかった下品な笑いが漏れ出る。

 ひとしきり愉悦に浸ってから、バーガーは黙ったままの自分の持ち主に声をかけた。

『おいお前、ブルってやがるけど、まさか本当に棄権なんてしねえよなあ?』

 ユチナは、握りしめていたスカートを離した。

「……当り前ですわ」

 そのまま、すっかり冷めてしまったランチを素早く胃に流し込み始める。

 それ故に、彼女の表情を、瞳を、見るものは誰もいなかった。

『舐め腐りやがったおっぱい女も、その自慢のお姉さまも、纏めてぶちのめしてやるぜ』

 バーガーが下劣に笑い、トモも慌てて食事を始めた。


 やがて鐘が鳴り、昼休みが終わり、午後の授業が始まった。

 次第にユチナも元の調子を取り戻し、授業を受け、補講を受け、寮に戻り、よく食べ、早く寝た。




 頂に至らんとする太陽は、今日は少し陰っている。

 流れる雲は数多く、予選会場(バトルグラウンド)となった学園の町並みに影を落とす。

 石畳風の道の上、湿った風が通り過ぎ、赤髪少女の赤いマントが、音を立てつはためく。

「信じますわよ」

『おう、勝手に体を奪ったりしねえよ』

『今はな』と小さく付け足された言葉は、風の中に消えた。

『んで、いつ始まるんだ』

「もうですわ」

 半仮面越しに見上げられた空。そこに巨大な立体映像が浮かんだ。

 それは美しい少女、その上半身であった。

 長く透き通ったプラチナブロンドの髪と、それよりなお白い胸元のリボン。

 半身しか映っていないが、それでも理解できる完成されたプロポーション。

 美しく整った顔に浮かぶ表情は、完璧な微笑。アルカイックスマイルだ。

『皆々様、お待たせいたしました。中等部六年、王族級、学園代表ですわ』

 容姿、声色、表情、所作。立体映像でわかる全てが、彼女の肩書と階級に納得を与える。

『創立百年記念、全校おフェンシング大会予選の開催を、ここに宣言いたしますわ』

 周りに建ち並ぶ建物の中から、幾人もの歓声が漏れ聞こえた。

『おうおう、人気者だな王族級さん』

「……当然ですわ」

『ま、とんでもねえ美人だしな』

 ユチナは立体映像から視線を切り、おフェンシングソードを握りなおした。

 自らの体温を吸い、ぬるく温まった金属の感触が、手のひらを通し伝わる。

『おフェンシング、エト・ヴ・プレ?』

 一つ、深呼吸をしてから、ユチナは返答した。

「ウィ」

 狙いすましたように、立体映像の少女が満面の笑顔で口を開く。

『おフェンシング、予選開始(アレ)!』

 戦闘開始の合図と共に、浮かんでいた映像が消えた。

 ユチナは軽くその場で数度、弾むように跳び、自分のコンディションを確認する。

「悪くないですわ」

『んで、おフェンシングってどういうルールなんだ?』

 そこに、バーガーがあまりに今更な質問をした。

「普段だったら、この左上の数字がゼロになったら負け、相手の頭上のバーがなくなったら勝ちですわ」

『普段だったら?』

「今日は予選……集団戦ですわ」

 答えながら建物をよじ登り、中にいた非参加生徒に驚かれながら屋根に上がった。

「身体が軽い、いっぱい食べていっぱい寝たおかげですわね!」

『で、集団戦はなんなんだよ』

「既定の人数になるまで、数字が残っていればいいんですわ」

 そう答えながら、ユチナは広場をソードで指示した。

「はぁ!」

「いやぁ!?」

『グレート!』

 そこでは二人の生徒が戦い、片方の生徒が致命的な一撃を入れたところだった。

「やった!」

「隙ありザマス!」

『ゴージャス!』

 しかし、物陰から現れた別の生徒に連続攻撃を決められ、大量の花びらを散らしながら全てのゲージを失った。

 おフェンシングスーツが花と共にはじけ飛び、どこからともなく現れた数機のボットに回収されていく二人の生徒。脱落だ。

『……なるほどな。倒しゃいいってわけじゃねえ、と』

「そうです、わっ!」

 同意しながら、しゃがみこんだユチナ。その頭上に、刺突が放たれた。

「勘が良いわね」

 いつの間にか、屋根の上に上級生。奇襲をかけられたのだ。

「ですわぁ!」

「どたまぁ!?」

 会話を交わすことなく、しゃがんだ身体を伸ばしながらの頭突き。鳩尾に直撃だ。

「体術はバーを減らせませんわ」

「お教えいただきどうもっ!」

 しかし相手もさしたるもの、やられた勢いで屋根から飛び降りながら、投擲攻撃だ!

『そんなのありかよ!?』

 迫りくる三本のスローイングおフェンシングソード。

「武器の形は自由ですわ!」

 それを全て、自らの剣で弾いた!

『逃げられちまったが、なかなかやるじゃねえかお前』

「……本当に調子が良いですわ!」

『で、追うか?』

 ユチナは上級生が落ちた辺りを、身を乗り出して確認した。

 当然、既に影も形もない。見事な奇襲と、撤退の見極めであった。

 その代わり、全く別の生徒に見つかってしまう。

「屋根の上は見晴らしがいいと思いましたけど、ダメっぽいですわね」

『見やすいってこたぁ、見られやすいってことだからな』

 少しだけ悩んでから、見つけられた生徒がいたのとは別の路地に飛び降りた。

 落ちながら、視界の端に時計塔の上部と、それを遮るように立つ壁が目に入る。

『町中に壁か』

「……王族級の場所です、わ!」

 回答しながら、まだこちらに気づいていない生徒の背中に刺突一撃。花びらが散る。

「えっ!?」

「です! わっ!」

 振り向いた生徒の脳天に振り下ろし、胸元に突き!

『マーベラス! エレガント! なんだよこれ!?』

 大輪の白百合と薔薇が咲き乱れ、高得点ボイスが勝手に発せられる。

 哀れ、奇襲を受けた生徒のバーは、三撃で全て削られた。スーツが花びら爆散。

「そんなぁー!」

 制服に戻った生徒が、悲しみながらボットに回収されて消える。

「ラッキーでしたわ」

 呟いたユチナに、バーガーが本日何度目かの質問をした。

『おい、バーの削れる量ってどう決まってんだ? 背中に当てたやつと最後の突き、力は変わらねえように思えたんだが』

 すぐには答えず、移動して路地裏に入り、周囲を警戒しながらユチナが答える。

「攻撃の威力、当てた位置、フォームの美しさの総合点で決まりますわ」

『フォームの美しさ、ねえ』

「……ふぅ」

 警戒に何も引っ掛からず、近くから戦闘音もせず、ユチナはようやく一息ついた。

「予選、なんとかなるかもですわ」

 空を見上げた。雲は、どんどんと存在感を増している。

 白に染まりつつある空を、中継用の小型ボットが横切った。

 ユチナを短時間撮影し、ボットは去る。

 しばしの休みを味わっていたユチナに、左手の球体が語り掛けた。

『なあ、余裕ならあのボインボイン? を探してぶちのめしにいこうぜ』

「……シノノメインさんのことですわ?」

『そうそうそいつそいつ!』

 呆れたユチナが小言を言う前に、剣と剣がぶつかる音が近づいてきた。

「離れますわ」

 路地裏を出て、大道を行く。

「確かに、シノノメインさんはいつかは倒さなきゃダメですわ」

『だろ? さっさとやっちまおうぜ』

「でも、今そんな余裕は――」

 その言葉を言い切ることが、ユチナには出来なかった。

「……!?」

 言葉に出来ぬ感覚。重圧。

 目の前の交差点、その左の道から、何かが近づいてきている。

『おい、どうした?』

 機械には感じ取れない、殺気とも言うべきもの。

 逃げる、という選択肢は浮かんですぐに消えた。

 既に捕捉されているという確信が、疑いようもなく真実だと理解してしまっていた。

「……ヤバい、ですわ」

 コツコツと、終わりを告げる音が近づき、姿を現した。

 現れた者はユチナに向き直り、その紫色の袴に隠された足を止めた。

 直後、一際強く風が吹き、その者の濡羽色の長髪を乱す。

 しかし、その抜身の刃のように研ぎ澄まされた表情は一切崩れず、切れ長の瞳は半仮面越しに、真っすぐ下級生の庶民級を見据えている。

「中等部六年」

 彼女は、スタンダードなおフェンシングソードを構え、名乗った。

 白い道着に紫の袴。

 スーツのチューンが許される実力者。

「ヤギューイン」

 無敗の女、ヤギューインその人である。


「……中等部一年、ユチナですわ」

 名乗り返したユチナに、ヤギューインは頷いた。

「では」

 その瞬間、ユチナは無言で近づき、突きを放っていた。

 狙うは眉間。一撃必殺だ。

「……」

 対してヤギューインは、半歩下がった。

「……ッ!」

 伸ばしきられたユチナのソードは、ヤギューインの半仮面、その一センチ手前で止まる。

 完全な、見切りだった。

『ほお……』

 ユチナの呼吸が乱れる。即座に飛びのくが、追撃はこない。

「……」

 何かを考えている敵に、接近してから再びの顔面刺突、と見せかけた足元薙ぎ払い。

 が、中断せざるを得ない。

「……」

 薙ぎ払いをすれば丁度腕が通る位置に、いつの間にか相手の剣が置かれていたのだ。

 急ぎ攻撃をやめ、バックステップで後退する。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 気づけば息が上がっていた。

 未だ、二度攻防を行ったのみ。

 しかし精神的な重圧が、過剰に体力を消耗させたのだ。

 瞬間、ユチナが上体を反らした。

 正確には、反らすことしかできなかった。

「……ほう」

 瞬きの内に接近していたヤギューインに、胸部を浅く突かれたのだ。

 小さく舞う薔薇の花びら。

「ッ! 令嬢パンチ!」

 返しの拳は、空を切る。

 撃つべき相手は、既に間合いの外。元いた位置に戻っていた。

「……うむ」

 ヤギューインは、おフェンシングソードを構え、こちらを見ている。

 だが、ユチナには分かってしまっていた。

 彼女が見ているのは【一年生】であり、【敵】ではないのだ、と。

 それを決定づけるように、ヤギューインは口を開いた。

「目が良い、勘もある、体術に躊躇いがないのも、評価できる」

 それは、アドバイス。

『……いい性格してやがる』

 ユチナは、奥歯を噛みしめ、耐えた。

「ただ、突き(トゥシュ)のフォームは乱れている。ステップも我流だな?」

 突き付けられる実力差と、自らの未熟に。

「君の姉は、何をしていた?」

「――ッ!」

 ――全ての思考が消えた。ただ、激情のままに渾身の振り下ろし、唐竹割が放たれる。

「失言した。許せ」

 しかし、感情では何も変わらない。

 斬撃は容易く受け止められ、鍔迫り合いが始まる。

「あぁああ!!」

 全力で押す。

 力が受け流され、押しきれない。

 敢えて引く。

 吸いつくようについてきて、離れられない。

「その剣、傷が多い。早めに変えた方がいい」

「黙れッ!!」

 滅茶苦茶な前蹴りが放たれ、当たった。

 鍔迫り合いが終わり、また間合いが生まれる。

 前蹴りを腹部に食らったヤギューインは、顔色一つ変えていない。

 ただ、蹴りに合わせて下がっただけだったのだ。

「……頃合いか」

 ヤギューインの気配が変わった。指導の時間を、終わらせるつもりなのだ。

 身構えようとしたユチナだが、出来なかった。

(……バーガーッ!)

「選手交代といこうぜ?」

 彼女の身体は、コアが動かしていた。


「さあ、第二ラウンドだ、ぜッ!」

 攻撃に移ろうとしていたヤギューインに、バーガーが躍りかかった。

 その様子に何か違いを感じ取ったのか、ヤギューインは再び防御の姿勢をとった。

 初手は上段突き、と見せかけた下段薙ぎ払い、ですらない。

「おらよぉ!」

 地面に片手を付き、プロペラが如き倒立回し蹴り!

「……!」

 これは流石のヤギューインも予想外だったか、頭部を狙ったその蹴りを、腕で防いだ。

 見切りではなく、防御をさせたのだ。

「オラオラオラぁ!」

 そのまま片手で下段薙ぎ払い。

 下がって躱した相手を逃さず、右拳、左膝、右肘、左拳!

「この距離なら、剣は使えねえなあ!」

 実際、ヤギューインはソードを使えず、体捌きと防御でしのぐのみ。優勢か!

「オラオ――ッ!?」

 否、彼女はただの強者ではない。

 無敗なのだ。

「がっ!?」

 狙いすまされた頭突きが、バーガーに叩きこまれた。

 顔面保護シールド同士がぶつかり、激しい火花を放つ。

 体勢を崩したバーガーに、追撃の体当たり。鉄山靠(てつざんこう)だ!

「はッ!」

 吹き飛ばされるバーガー。だがそれで終わりではない。

 宙に浮いている途中のバーガーに、トドメの刺突!

「があああ!」

 しかし、バーガーも負けてはいない。体当たりの衝撃に耐え、相手の一撃を睨む。

 狙うは、白刃取りだ!

「――最初の方が見込みがあったな」

「化け物……ッ!」

 手のひらに収まるかと思われた剣は、一瞬早く軌道を変えた。

 とてつもない量の薔薇の花びらが舞い散り、壁に叩きつけられる。

「――――っっっ!!」

 壁に背をうち、肺の空気がすべて吐き出された呼吸困難と、心臓を襲った衝撃に悶えながら、視界の左上を確認した。

 映る数値は、一。

 軌道を変えさせたが故の、首の皮一枚だった。

 しかし、もはや後はない。

「あぁ、クソが……」

 バーガーはなんとか身体を動かそうとし、やめた。

(なに、マジになってんだか)

 諦めたのだ。

 目の前で自分を見下ろす、絶望を形にしたような存在が、哀し気な目をした。

 それがどういう感情なのか、バーガーは考えることを放棄した。

 哀し気、もしくは寂し気な目をしたヤギューインが、介錯の刃を構え、目を見開いた。

「まだ……ですわ……ッ!」

 目の前の一年生が、その瞳が、突如光を、熱を取り戻したのだ。

「……!」

 身じろぎするので精一杯。

 言葉を発することすら、気を振り絞ってやっているような状態だ。

 だが――。

「――!」

 その瞬間、ヤギューインに影が差した。

 光を遮った存在。それは屋根の上で奇襲を仕掛けてきた上級生だった。

 その手には、逆手に持たれたナイフ型おフェンシングソード。

 音もない、完璧な奇襲であった。

 それを――。

「うそ」

 最強の女は、振り返ることもなく突き、下した。

 理解できないといった表情で、奇襲をしかけた生徒が花びらに包まれスーツを失う。

 後に残されたのは、無敗の六年生と、庶民級の一年生。

 最強の女が口を開こうとしたとき、鐘が鳴った。

『決着! 既定の人数に達しましたので、これにて予選は終了ですわ』

 立体映像が投影され、学園代表が予選の終了を宣言した。

 ヤギューインは再び何か言いかけ、首を振って去っていった。


 一人、残されたユチナの手に、冷たい感触が弾けた。

 雨が降ってきたのだ。

「あぁ、ああ」

 一つ、二つ、雨粒は矢継ぎ早に数を増していき、すぐさま大雨となった。

「ああぁああああぁぁぁああああああ!!」

 壁にもたれ、叫ぶ少女の涙は、流され消えていった。



 同日、午後。降り止まぬ雨が屋根を叩く音が響く庶民級寮。

 その一室は、湿気という物理的要因と、精神的な要因の二つで、非常に過ごしづらくなっていた。

「あの、えっと、予選突破、おめでとう?」

 帰ってきてすぐベッドにうつぶせに倒れ込み、それからピクリともしないユチナ。

 そんな状態の友人に、トモがなんとか絞り出した言葉がそれだった。

『……クソ眼鏡、マジで言ってんのか?』

「あ、あはは」

 机に置かれたバーガーからの辛辣な反応に、空笑いを返すしかない。

「で、でも、ヤギューイン様に負けるのは当たり前といいますか……」

『あぁ!?』

 荒い、恫喝のような否定に、悲鳴を上げそうになるトモだが、二日目ともなれば少しは慣れてきたので、耐えられた。

『ま、確かにありゃ無理だな』

 続いた言葉に、ほっと胸をなでおろす。

『一年生と六年生だろ? まず体格が違いすぎんだよ体格が。俺様がどんなに頑張っても、どうしようもねえっての』

「ヤギューイン様は一年生で優勝を――」

『ああぁ!? なんだって!?』

「ひぃ!? な、なんでもないです!」

 が、これは流石に空気を読めな過ぎ、調子に乗りすぎであった。恫喝の口調は更に荒くなり、今回は耐えきれず悲鳴が漏れる。

『ちっ……おい、本戦はトーナメントなんだろ?』

「あ、は、はい。三二人による、一対一の勝ち抜きトーナメント制です」

『じゃ、いきなりアレに当たりさえしなきゃ、底辺からはおさらばできんだろ?』

「優勝したら大貴族……ですけど、二勝もしたら、一年生で庶民級は私だけ、ですね」

『そりゃ傑作だな底辺眼鏡』

「あはは……」

 トモは、助けを求めるようにベッドに倒れたユチナを見た。

 すると、願いが通じたのか、少女が口を開く。

「それじゃあ、意味がありませんわ」

 ゆらり、と幽鬼のように起き上がり、ベッドから降りるユチナ。

『あ? お前、あんだけ派手にやられといて、アレに勝つつもりなのかよ?』

 ユチナは答えず、枕元のソードを手に取った。

「中庭で練習してきますわ」

『……は?』

 そのまま、誰の返答も待たずに、廊下に続くドアへと向かう。

『おいおいおい大雨だぞ!?』

 忠告も耳に入らないのか、バーガーが填まった腕輪も持たずに、部屋を出ていった。

『はあ? どんだけ階級上げてえんだよ……』

 呆れたようなバーガーの言葉を聞きながら、止めていいのか分からず、声をかけることも出来なかったトモは、上げかけていた手を下ろし、俯いた。

『よし、ほっといて風呂でも行こうぜ。温泉みてえなもんくらいあんだろ?』

 悩む彼女に、心配という感情はないらしい機械が、能天気な提案をする。

「あ、ありますけど……庶民級は、週に一回しか使えないですし」

 渋るトモ。

「それにバーガーさん、温泉、浸かるんですか?」

『浸からなくても楽しめんだろうが。ほら、俺を填めろ』

 トモはやんわり断ろうとしたが、結局押し切られた。

 そうして、バーガーを腕輪に填めて温泉に向かう途中。一階の廊下の窓から、雨の中庭で制服のままソードを振るうユチナを見かけたが、そっと早足で振り切った。



 ビニール傘を差し、少女が歩く。ビン底眼鏡に隠された顔はやや上気し、一本垂らしたおさげ髪は湿り気を帯びている。

 何気なしに空を見上げるが、傘と雲に遮られ、月も星も見えはしない。

 夜道を照らすのは、未だ降り止まぬ雨で滲んだ、街灯だけだった。

『……更衣室に行く前に腕輪預けんのかよ』

「このマルチデバイス、あ、腕輪のことです。これ、撮影機能もありますし、ね?」

『そういうことは先に言えや! なんのための温泉だよコラ、あぁ!?』

「え、えぇ……」

 理不尽に身を縮ませながら、トモはおんぼろ寮の鍵を開けた。

『おかえりなさい、ご飯にしますか? お風呂にしますか?』

 寮母ボットに挨拶を返し、傘立てに傘を差してから、床をきしませ廊下を歩く。

 その途中で、見えてしまった。

『……そんなに大貴族級になりてえのかよ』

 バーガーが感じたのは、呆れではなく困惑だった。

 自分たちが寮を出て、戻ってくるまで数時間は経っているというのに、ユチナはまだ、そこにいたのだ。

 ステップインし、突きを放って、ステップバックする。

 雨に打たれ、ふらつきながら、一心にそれを繰り返していた。

「……詳しくは、聞いてないんですけど」

 理解できないでいるバーガーに、ユチナを直視しないようにしながら、トモが呟いた。

「どうしても、今年中に貴族級以上にならなきゃいけない、って」

『おいおいおい、それにしたって他に手段があるんじゃねえのか?』

「ありません」

 トモは、言い切った。

「私たち庶民級に、この大会以上のチャンスなんてないんですよ」

『……っ! だとしても、よお……』

 言い争う二人の前で、ぬかるんだ地面に足をとられ、ユチナが転んだ。

『止めねえと怪我しちまうぞ!?』

 だが、両手を付き、手足を震わせながら、立ち上がる。

 その最中、バーガーは見てしまった。

 ユチナの、瞳を。

 燃え猛る炎を、光を。

『――っ』

 瞬間、存在しないはずの背筋に、電流が流れるような衝撃を、コアは、確かに味わった。

 同じものを見たのか、意を決したようにトモが口を開く。

「貴族級になりたい理由を尋ねた時、あの瞳を、私も見たんです。あんな目を見せられたら、それ以上聞けないじゃないですか、止められないじゃないですか……」

 トモは、それ以上何も言わず、視線を切って立ち去ろうとした。

 だが。

『スーツを装着しろ……』

「……え? でも――」

『――いいから早くしろ! ぶん殴るぞ!』

「ひっ、お、おフェンシング練習モード!」

 花びらが荒れ狂い、トモがスーツを装着する。

 そのまま流れるように、窓から中庭へ飛び出し、ユチナの肩を掴んだ。

「邪魔を――」

 最後まで言わせず、弱弱しく抵抗する冷たい体を、地面に背中から叩きつけた。

「っ! トモ……いや、バーガー。何を」

 有無を言わさず、馬乗りになって胸倉を掴み上げる。

「何をじゃねえよバカ! こんな練習して何になんだよ!?」

「……! でも休んでる暇なんて!」

「でもじゃねえ!」

 ぶつかるほどに額と額を近づけ、ゼロ距離でその瞳を睨みつける。

「怪我したら本戦はどうなる! 風邪引いたら何日も練習できねえんだぞ!」

 ユチナは、あっけにとられてバーガーを見た。

「稽古なら俺がつけてやる! 勝ちてえなら勝たせてやる! だから、バカみてえな練習は辞めろってんだよ!」

 静寂が、辺りを支配する。

 雨音さえどこか遠く、別の場所のことのように感じられた。

 数度の呼吸を置いて、ようやく言葉の意味を飲み込めたユチナは、確認した。

「協力、してくれるんですわ……?」

「……勘違いするんじゃねえよ! てめえに練習って口実で八つ当たりするだけだ!」

 バーガーが胸倉を手放し、ユチナはびしゃびしゃの地面に背中をつき、飛沫を立てた。

「一回戦負けなんてなったら俺様の株まで下がるからな! クソ! 濡れて気持ち悪い!」

 急ぎ立ち上がったバーガーは今更気づいたように体を震わせ、窓から寮に戻った。

「ユチナ! お前も早く戻ってシャワー浴びろ!」

 やや遠くから届く乱暴な声。

 ユチナは、しばらく笑ってから立ち上がった。


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