三話

 ゆさ、ゆさ、ゆさ。

 一定の間隔で伝わる優しい振動。

 ゆっくりと、意識がまどろみから持ち上げられる。

「あ……起きたかな?」

 気遣うような、静かな声。

 息をするたびに鼻へ飛び込んでくる、ほのかに甘い香り。

「……トモ?」

 ゆるくウェーブがかった赤髪の少女は、ビン底眼鏡の少女の背中で目を覚ました。

「んん……」

 赤髪の少女、ユチナは、トモの肩にもたれていた顔を上げ、首だけを動かし、寝ぼけ眼で周りを見た。辺りは暗く、ガス灯を模した街灯と、建ち並ぶ建物のカーテンの隙間からこぼれる光だけが、石畳風の道を照らしている。

「……ですわ?」

 なぜ、自分は背負われているのか。疑問が浮かんだとき、青い光が近づいてきた。

 なんの光か。明滅するそれは、白黒の球体の中心に填められた、コアの光だ。

『みなさん、風紀を守ってすごしましょう』

 光の正体は、パトロール中の風紀委員ボットだった。

「ですわっ!?」

 その球体ロボットを目にした瞬間、雷が直撃したようにユチナの記憶が鮮明に蘇る。

 しかし、蘇ったのはそれだけではなかった。

『あ……?』

 トモの首あたりにゆるく回されたユチナの左手。その手首から聞き覚えのある声だ。

「え? なんの声――」

『げ!? さっきのクソ電――』

「――ですわああああ!」

 ユチナは驚きの早さで回されていた手を離し、腕輪に填められた赤いコアを取り外した。そして、後頭部から地面に落ちた。

「……でッ!?」

 背負われている状態で手を離して大きく動けば、当然である。

「~~ッ!」

「ゆ、ユチナさん!?」

 トモは急いで抱えていたユチナの足を離し、頭を抱えてのたうち回る少女に向き直った。

『夜道は足元に気を付けましょう』

 ドタバタしている二人の横を、風紀委員が合成音で定型文を発しながら去っていく。

「はー、はー……だ、大丈夫ですわ!」

 しばらく悶絶した後、おろおろしているトモを、片手をあげて制し立ち上があるユチナ。

 もう何度か後頭部をさすってから、一つ深呼吸をしてトモに顔を向けた。

「背中でいきなり動いて、申し訳ありませんわ」

「いえ、こっちこそ落としちゃって……」

 非がなくとも双方謝る。令嬢らしいコミュニケーション作法だ。

 そんな奥ゆかしいやり取りを済ませてから、トモはおずおずと尋ねた。

「その、さっきの声って」

 ユチナは、右手に握った赤いコアを見せつけた。

「コレですわ!」

 その後、トモに詳細な説明をやんわり求められたユチナは、あの時何が起きていたのかを語り始めた。


「人格を持った人を操るコア、ですか」

 全て聞き終えたトモは一度足を止め、納得したように頷いてからまた歩き出した。

「ユチナさん、あの時突然強くなったから、何があったのかと思ってたんだけど」

「そういうことだったんですわ」

 ユチナは首肯した。

「それで、壊れた方のコアはゴミの中、だよね」

「そうですわ」

 それを聞くと、トモは自分のブレスレットのコアをタッチした。すると、手帳サイズの画面がコアの上部に浮かび上がる。アプリアイコンが綺麗に整列した、ホーム画面だ。

 トモは、その画面を何度かタッチし、スワイプして操作してから、口を開いた。

「コアの紛失による再発行は……三日かかるね」

「三日……」

 赤髪の少女は、ポカンと宙を眺め、ハッとしたように声を荒げた。

「それじゃあ、間に合いませんわ!?」

「そう、だったね。でも、代替用のコアだと出場できないし……あ」

 悩むそぶりを見せたトモは、何かに気づいて顔を上げた。

 そこには、良い言い方をすれば、古めかしいといえる建物があった。

 赤いレンガ風の壁は汚れで黒ずみ、下半分には蔦が侵食していて廃墟のようだ。

 背面は学園都市を囲う壁とくっついており、日当たりは悪いというより無だろう。

 それは、今まで見かけたすべての建物の中で、最悪といって差し支えないものだった。

「寮、着いちゃったね」

 その建物、寮の錆が入った金属製のドアに、トモは自分の腕輪をかざした。

 すると、がしゃん、と小気味いい音が鳴る。

「……そっか、コアがないと、鍵も開けられないんだね」

「……困りましたわ」

 トモは扉に手をかけたが、ユチナが立ち止まった気配を感じ、手を放した。

 振り返った先、赤髪の少女は俯いていた。

 友人である少女は、手を伸ばしかけ、少しひっこめてから声をかけた。

「ユチナさ――」

「なんも思いつきませんわ!」

 ユチナは顔を上げた。その表情は、何故か笑顔だ。

「ご飯食べてお風呂に入って寝てから考えますわ!」

 そのまま、固まったトモを置き去りにしてドアを開け、寮に入った。

『おかえりなさい、ご飯にしますか? お風呂にしますか?』

 帰ってきたユチナに、入口のカウンター越しに合成音が尋ねる。

 球体のボディにピンクのエプロン。寮母ボットだ。

「ただいまですわ! ご飯ですわ!」

 木製の床をギシギシと鳴らしながら、ユチナは小走りで廊下をかけていった。

「……ユチナさん」

 その背中を、なんともいえぬ顔で見送ったトモは、少ししてから後に続いた。

「ただいま」

 合成音がトモの帰りを迎え入れる。

 軋んだ音を鳴らしながらドアが閉じられ、がしゃん、と鍵がかかる。

 しばらくしてから、おんぼろ庶民級寮の二階の窓に、明かりがついた。

 やがて、その光も消え、他の建物たちも、一つ、また一つと灯を消していく。

 そうして、お嬢様学園は眠りについた。

 


 朝、清々しい朝日が島に、学園全体に降り注ぐ。

 時計塔の鐘楼に止まる鳥も、おフェンシングフィールドでランニング中の生徒も、みな太陽を目いっぱい浴びて晴れやかな様子だ。

 そんな爽やかな陽の光も、壁に遮られ届かないのが、おんぼろ庶民級寮である。

「本当にやるの?」

「それしかありませんわ!」

 今、その庶民級寮の一室で、二人の生徒が一つの学習机に向かっていた。

 三つ編みにしたおさげを一本垂らしたビン底眼鏡の少女は、気乗りしない面持ちで。

 ゆるくウェーブした赤髪を寝ぐせでいつもよりウェーブさせた少女は、決意に溢れて。

 対照的な表情を浮かべた二人は、椅子にも座らず、机の上の銀の腕輪とビー玉大の赤い球体を見ている。

「いきますわ!」

 ユチナは、掛け声と共に腕輪とコアを持ち、二つを一つにした。

 それをトモは、二段ベッドから持ってきた枕を抱いて、おっかなびっくり上目で見やる。

 火ぶたを切った赤髪の少女は、ゆっくりと、机の上にコアが填められた腕輪を置いた。

『……よう、ずいぶん放置してくれたじゃねえか』

 程なくして、赤いコアが優雅ではない言葉遣いで喋り出した。

「起きましたわ!」

「本当に喋った……」

『あ? 喋っちゃ悪いかぁ?』

「ひぃ!?」

 純粋培養の令嬢に、コアの口調は刺激が強い。トモの腕の中で、枕が激しく潰される。

「トモを怖がらせないで欲しいですわ!」

『ちっ……ビビらせるほどのこと言ってねえだろうがよ』

 赤いコアは、面倒くさそうに吐き捨ててから、聞いた。

『で、なんで俺を呼んだんだ? 正直、もう二度と填められないと思ってたぜ?』

「協力して欲しいんですわ!」

 ユチナは間髪入れずに返答した。

『協力だぁ?』

 コアが訝しむ。

 コアに目という器官はないが、二人はジロジロとした視線を感じずにはいられなかった。

『で、なんだよ協力って?』

「ただ、身体を操らないでいてくれればいいんですわ」

『……はぁ?』

「もし身体を勝手に奪おうとしたら、このトモがあなたを外して捨てますわ!」

 赤髪の少女がビシ、と隣の少女を指さす。

 ビン底眼鏡の少女は慌てて首を縦に振り、三つ編みのおさげが勢いよく自分の頭を叩く。

『……断ったら?』

「今捨てますわ!」

『選択肢がねえじゃねえか! 何が協力だよ脅しの間違いだろうが!』

「人聞きが悪いですわ!」

 ユチナは頬を膨らませ、コアは舌打ち音を発してから脅しに屈した。

『わかった、協力してやるよ。捨てられるよりはマシだからな』

「ありがとうですわ!」

 返答を聞くや否や、ユチナは何の疑いもなく腕輪を手に取り、トモは慌てて友人の傍にぴったりと付いた。何かあればすぐにコアを外すためだ。

「……いきますわ」

 そのまま、流石に多少躊躇ってから赤いコア付きの腕輪を装着するユチナ。

「……っ」

 トモは、緊張した目で見つめる。

一秒、二秒……十秒経っても何も起きず、二人は張りつめていた息を吐きだした。

『…………………………あれ?』

 しかし、コアの小さいが不穏な呟きが耳に入ったトモは、再び息を詰まらせた。

「ふぅ、これからよろしくですわ!」

「……ユチナさん――」

『――ところで!』

 伝えるかどうか、トモが少し悩んだ隙に、コアのやけに明るく大きな声に遮られる。

『前に着てた服と違うのを着てるよな?』

「あれはおフェンシングスーツ、こっちは制服ですわ」

「ユチナさ――」

『おフェンシングスーツ!! 今着る事って出来るか?』

「できますけど、見たいんですわ?」

「ユチ――」

『頼む!!! 理由は聞かずに見せてくれ!』

「わかりましたわ? おフェンシング、練習モード!」

「ユチナさん明らかに怪しいですよ!?」

 ようやく遮られずに放たれたトモの警告も、もう遅い。ユチナの制服がはじけ飛び、花びらは舞いまくり、生成されるブレザー、ブーツ、ニーハイソックス、ララ・スカート、仮面、マント。

 バンクシーンを経てスーツを装着した赤髪の少女は、何故か手をぐーぱーし、小さく頷いてから部屋の外へ向かった。

「……トモ、ちょっと外で試してく……きますわ」

 その手首を、トモはがっしりと掴んで止め、まっすぐに少女の瞳を見て尋ねた。

「……45×12は?」

 庶民級の生徒は、額から汗を流しながら、たっぷり二十秒かけてから答えた。

「……540」

 直後、掴まれた手が引っ張られる。

「コアですね! ユチナさんが二桁の掛け算を暗算で間違えないはずがありません!」

 手を振りほどきながら、ユチナを操っているコアが叫ぶ。

「そのレベルかよ!?」

 流石にそれは、コアも想定外だった。衝撃を受けているうちに、廊下に出るドアの前を、若干震えながら枕を構えたトモが陣取る。

(どうしてスーツを着てから裏切ったんですわ!?)

「うるせえ自分で考えろ!」

 心の声に罵声を浴びせながら、コアは素早く部屋を見回す。

「スーツじゃないと、操れなかったってことですか」

(なるほどですわ!)

 トモの推察が奇跡的にユチナの疑問と噛み合い、コアは舌打ちでそれを肯定した。

 それから、見つけた窓に駆け寄り素早く開き、躊躇いなく二階から身を投げ出す。

トモは、止める暇もなかった。

「これで自由だぜぇ!」

楽しそうに叫んだコアは、無駄に二回転してから着地し顔を上げ――硬直した。

『おはようございます』

 目と鼻の先に、白黒の球体だ。

「……おっす」

『現行犯懲罰です。執行』

「あびゃびゃびゃびゃびゃ!」

 コアの脱走劇は、数秒で幕を閉じた。


 しばらくして、赤いコアの填まった腕輪は再び机の上に置かれ、それをビン底眼鏡少女と、少し焦げ臭い赤髪の少女が囲んでいる。

『……なんなんだアレ』

「風紀委員ボット、校則違反とかを取り締まっているボットです」

『その、風紀委員ボットはどれくらいいるんだ?』

「いっぱいですわ!」

「数えきれないくらいですね」

『……』

 絶句しているらしきコアに、ユチナが言う。

「これに懲りたら、大人しくしていて欲しいですわ」

『……あぁ、マジで大人しくする』

 しみじみと返った答えに、ユチナは疑うことなくまた腕輪を付けた。

 トモは、枕を握りしめながらじっと睨んでいたが、今度こそ本当に何も起きなかった。

「……本当によろしくですわ!」

『はいはいよろしくよろしく』

 投げやりにコアが答え、ユチナは笑顔で頷いた。


「そういえば、これからなんて呼びましょう? ずっとコアって呼ぶのも……」

 若干曇った鏡の前に座ったユチナの髪をとかしながら、トモが思い出したように言った。

「そういえば、名前はあるんですわ? どうして捨てられていたんですわ?」

『両方知らねえし興味もねえ』

 ユチナの問いに、左手首のコアがそっけなく返す。

『俺の記憶の始まりは、ゴミん中でお前に拾われた時だよ。なんであそこに捨てられてたかなんて覚えてねえし、当然名前も知らねえ。呼びたいように呼べよ』

「……それは」

 沈痛な面持ちになり、言葉を詰まらせるユチナ。

 一呼吸の後、開きかけた口は遠くから響く鐘の音に閉ざされた。

「予鈴!? まずいですわ!」

「授業が!」

 二人は大慌てで身だしなみを整えると、すぐに部屋を出て走り出した。

木製の廊下が、階段が、ギシギシと悲鳴を上げる。

『今日も元気にいってらっしゃい』

「いってきますわ!」

「行ってきます!」

 寮母ボットに挨拶を返し、寮を出てからは、走りから妙な早歩きに変わった。

『……何気持ち悪い動きしてんだ?』

「令嬢競歩ですわ!」

「風紀委員対策です!」

 素早くぬるぬると歩くその姿は、優雅か優雅でないかといえばギリギリ優雅だ。

「ひほふひほふ~!」

 そんな二人の横を、ハンバーガーを咥えた生徒が、白馬に乗って抜き去っていく。

 蹄が石畳風の道を叩く軽快な音は、すぐに離れ、聞こえなくなった。

『いや、意味わかんねぇ……』

 コアは、思わずつぶやいた。

「そうよ、バーガーですわ!」

 困惑するコアに、左手を口元に寄せ、ユチナが名案とばかりに意味不明なことを言った。

『あ? バーガー?』

「あなたの名前はバーガーに決まりですわ!」

『は? ……おいちょっと待て!』

「待ってる時間はありませんわ!」

 腕を下ろし、ユチナは令嬢競歩に集中する。

『まさかハンバーガーのバーガーじゃねえだろうな! おい!』

 バーガーの抗議は、誰に聞かれることもなく、石畳と靴が鳴らす音にかき消された。


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