第二話 超絶美幼女サバイバーRIAMUちゃん Bパート

 空は次第に赤く色を変えつつあった。この世界でも、夕焼けは存在している。石碑を中心に開けたこの場所が、黄金色に染まる様は壮観だった。そんな景色の中、RIAMUちゃんは男の体を診察していた。

「記憶喪失の原因は不明です。至って健康、というより全身何の異常も見当たりません。異世界人特有の臓器とか、体のつくりがそもそも全然違うとか、そういうのもないですし、RIAMUちゃんお手上げです」

 カソックの男の胸に当てていた聴診器を耳から外したRIAMUちゃんは、そう告げた。このおもちゃにしか見えない聴診器もランドセルから出した物で、もちろんただの聴診器ではなく、体全体をスキャンできるすぐれものだ、と彼女は自慢していた。

「自分たちも大変な状況だというのに、人さらいから助けて頂き、診察までも。ありがとうございます。あなた方と、またあなた方を私と引き合わせて下さった神に感謝しましょう」

 男はたくし上げていた服を下ろすと手を組み、頭を下げた。因みにこの男、常に微笑んでいるため、喜んでいるのかどうなのか判断しづらかった。

それはさておきリン達は、彼に診察を行いながら、自分たちの現状を包み隠さず男に教えていた。隠していても特に得がなさそうだったというのと、この世界の人が自分たちの境遇にどのような反応をするか知りたかったからだ。記憶喪失の男にその試しをして意味があるのかは、未知数である。

『やっぱりその服からして、宗教の人なのか?って、聞こえてないか。これ面倒だな』

「自動運転モードを解除しますか?もしくは腹話術モードをオンにするとボディの操作権限を委譲した状態でも会話が可能になりますが」

『そういうのもっと早く教えてくれよ』

「うっかり忘れていました」

 リンは心の中でため息を吐いた。RIAMUちゃんにうっかり忘れていた、と言われてしまえばそれはシステムの所為なので、何も文句を言えなくなってしまう。

「腹話術モード、オン」

『あー、あー、聞こえてるか?』

 腹話術モードをオンにすると、その名の通りボディのお腹からリンの声が発せられた。彼の声といっても、ボディのものと変わらない幼女ボイスだが。なぜか舌はないはずなのに舌足らず感も再現されている。

「はい、聞こえております。これは面白いですね」

『それで、神がどうこう言ってたし、その服もそうだけど、あんた宗教の人なのか?』

 記憶喪失の男にして意味があるのかは不明だが、リンが質問した。男はうつむいて首を傾げ、しばらく考えてから答えた。

「それは分かりませんが、何か神に関することをしていたような気がいたします。それと、何かやらなければならないこと、使命があった気がするのです」

「それは手掛かりになるかも知れませんね、ですが」

『人里に出られなきゃ、意味がないけどな』

 RIAMUちゃんの言葉に、リンがやれやれといった口調で続いた。

「それに関しましては、私に一ついい考えがあります」

 なんともいえない雰囲気になりかけた場を、男の自信に溢れた言葉が打ち消した。男は手を二人の方へ向け、続けた。

「お二人は一つの体に二人の心がある状態で、その体は借り物なので返すために元の世界へ帰りたい。その帰る方法を得るため、まずは人里を探したい。よろしいですね?」

「はい、おおよそ間違っていません」

『まあそうだな』

 男は頷くと、次に自分へ手を向けた。

「私は自身が何者であるかを思い出すため、果たすべき使命を取り戻すため、とりあえずは人里へ向かいたい。私たちの目的は一致しているわけですね」

「そうなりますね」

『まあそうなるな』

「ということですので、何か火を付けられるものはありますか?」

 突然話が変わったようにも思えたが、RIAMUちゃんは特に気にすることなくランドセルから点火棒を取り出し、手渡した。

『おいそれあるならなんで今朝あの爆発虫眼鏡出したんだよ!』

「どうぞ」

「ありがとうございます」

『無視かよ!』

「遅れて申し訳ありません。あちらの方が幼女らしいのではと」

『らしくねえよ!』

 男は点火棒を受け取ると、石碑のある広場の端まで行き、落ち葉や枯れ葉を集めて点火すると、少しずつ、手際よく火を大きくしていった。

「こんな食べ物も飲み物も持っていない軽装備の私がここに倒れていたのです」

 段々と大きくなった火は、しばらくすると木に燃え移った。

「恐らく人里はそう遠くはないでしょう」

 木はぼうぼうと燃え盛り、その火は隣の木にも移っていく。その隣、更にその隣と火は次々と飛び移っていった。そんな炎を背に、男は微笑みながら振り返って言った。

「はい」

『何がはいなんだよ火事じゃねえか!?』

 その通り、まごうことなき森林火災であり、立派な放火、重犯罪だった。

「大きな火があれば、近隣の住民もきっとお気づきになるでしょう」

『気づくだろうな!そりゃ気づくだろうけどよ!?』

「探すのではなく探してもらう、いい発想ですね」

『いい発想ですね、じゃねえよ問題だらけだろうが!』 

 加速度的に火は燃え広がり、辺り一帯を覆いつくし当然のようにリンたちの方へも向かってきた。豆知識だが、タンパク質はおよそ六十度以上で変性し、炎の温度は大抵六十度を超える。

「ごほっ、ごほっ……私が燃えそうになるのは想定外でしたね。ですが神はいつでも我々を見守っておられます。この困難からもきっと助け熱ぅい!」

 両手を広げ、逃げることもなく何か妄言を吐いていた男の元にも、火の粉が飛んできた。長い髪の毛に引火し、それを消すため地面を転げまわる。その結果、地面の草にも引火した。

『ダメだこいつ!リアム、何とかしてくれ!』

「承知しました。美幼女ビーム」

 RIAMUちゃんはリンの頼みを聞き、即座にいつもの姿勢でビームを放った。いつもと違うのは、一帯を薙ぎ払うようにしたことだ。極彩色の光線を受けた燃え盛る木々は、地面もろとも根こそぎ吹き飛ばされ遠くへ飛んでいった。極めて物理的に、周辺から火はなくなった。

「消火完了です」

「助かりました。あなたと、そして神に感謝を」

『すー、はー、すー、はー』

 気づけば、辺りは夜になっていた。星明りだけが照らす暗闇の中、男は変わらぬ微笑みをたたえRIAMUちゃんに頭を下げ、RIAMUちゃんはドヤ顔をし、リンは浮かび上がった様々な感情を疑似的な深呼吸で抑えるのに全力を尽くした。

「おやおや、火事が起きとったように見えていたんじゃがのう」

 そんな彼らに、老いてしゃがれた男性の声がかけられた。一行がその方向を向くと、ランタンを持った白髪に白髭の老人がいた。どうやら、周辺住民に見つけてもらうという目的は、達成できてしまったようだ。

「そうです、あなたの仮の名前、クリフトにしましょう」

 ゆっくりと近づいてくる老人を尻目に、一つ手を打ったRIAMUちゃんは、クリフトの肩を掴んで唐突にそう言った。

『……なんで今なんだと言いたいけど、意味は?』

「語感の良さです」

「なるほど素晴らしい理由ですね」

「それほどでもあります。RIAMUちゃんは高性能ですから」

 果たして、ストレスで倒れる前にリンは元の世界へ帰れるのか。




弧を描く月と星々だけが照らす夜の森に、三条の流星が流れ落ちた。ついこの間生成されたばかりのクレーターに吸い込まれていったその星たちは、落下していたスピードとは裏腹に、驚くほどの軟着陸を決めた。その流れ星というのは、もうそろそろ外見の描写も必要なくなるであろう三人組、顔色骨人魂で伝わるサリー、モート、バールである。彼らが爆発で吹き飛ばされた先が、ここであったのだ。

「ぬう、ここは」

「リアムのやつと最初に遭遇した場所ですぜ」

「あれ、でも前はこんなものなかったですよね?」

 バールの言うこんなものとは、コテージの事である。物理法則に喧嘩を売るかの如くランドセルから取り出されたあのコテージである。RIAMUちゃんが森で迷子になったため、放置されていたのだ。

「やはりリアム、やつは理解不能の何かをもっておるな」

 ピンク髪のとんでも人工幼女の顔を数割凶悪に思い出していたサリーの元に、彼らと同じように空を切り裂いて向かってきていたものがあった。それは先ほどのように、彼らのごく至近距離に轟音を立て着弾した。前と違ったのは、それが燃えていたことである。そう、落下してきたのは燃え盛る大量の木だった。物理的消火活動は、詰めが甘かったようだ。

「げええ!?」

 次々に地に落ちる木々は、辺りにその火をまき散らした。枯れ葉、枝、コテージ、どんどんと広がっていく炎は、当然彼らにも襲い掛かってくる。彼らは、しばらく必死の消火活動に追われることとなった。

「覚えていろリアムぅ!」

 夜の森に恨みのこもった叫び声が木霊した。自らのあずかり知らぬところで恨みを買ったRIAMUちゃんであった。


 一方その頃、リン達は老人の案内で森を進んでいた。パラシュートなしのスカイダイビングや地図もガイドも土地勘もなしの森林浴を楽しんだ手つかずの森と違い、ある程度人の手が入っているのだろう、獣道よりずっとましな道があり、獣が出ることもなかった。

「ところで、のう」

 すたすたと意外なほど軽快に先頭を歩いていた老人は、急に立ち止まると振り返った。

「自己紹介がまだじゃったのう。わしは……そうじゃな、森のおじいさんでいいぞ」

『RIAMUちゃんは超絶美幼女シリーズRIAMUちゃんに搭載された自動運転用及び幼女AI、RIAMUちゃんです』

「クリフトです。本当はクリフトではないかもしれません」

 RIAMUちゃんとクリフトは老人に続いたが、リンは真顔で黙っていた。

「なるほどのぅ、何か名乗れない事情があるんじゃな?」

「ない」

 訳知り顔で何度も頷いていた老人を、リンがバッサリと切り捨てた。

「隠さんでもよい。これでも人を見る目に自信があるんじゃ」

 しかし老人はさっぱり応えていないようで、柔らかく微笑んだ。そんな老人に、リンは表情一つ変えずに向き合っていた。

「爺さん」

「なんじゃ?別に名乗りたくないなら、それでいいんじゃ」

「俺はリン、それと自己紹介はこれで六度目だよ」

 老人はボケていた。

「なるほどのぅ」

 老人は一つ大きく頷き、歩みを再開した。

「……リアム、これ本当について行って大丈夫なのか?」

 リンは歩く速度を落とし老人から少し距離を取ると、声を潜めて聞いた。

『RIAMUちゃんの方が頼れるとは流石リンさんいい判断です。RIAMUちゃんの幼女AIはあっちの細くて曲がりくねった道に行ってみるべきと提案していますよ』

「すまん、お前に聞いたのが悪かった」

 リンは小さくため息を吐き、もう一人相談できそうな人物に目を向け、その何も考えていなそうな笑顔を見て考えを改めた。放火しておきながら自分は燃えないと考えるような男は、相談できそうな人物ではない。

「ところで、のう」

 リンが先行きへの不安に駆られていると、老人が再び、正確には七回目だが、とにかく振り返った。

「爺さん、自己紹介なら」

「ついたぞ、わしの家じゃ」

一行は、いつの間にか森の外周部にたどり着いていた。そして森を出てすぐの所に、意外と新しく見える木造の一軒家がひっそりと建っているのが見えた。

「ところで、わしの家に招く前に、やらねばならんことがあるのじゃ」

 また自己紹介かと早とちりした気恥ずかしさと、無事にたどり着いた安心感がないまぜになり、なんとも言えない表情をしていたリンは、老人の今までとは違う真剣な表情と声音に、気を引き締めた。

 ここは異世界、この老人も外見こそ元の世界の人間と変わらないように見えるが、その内面、精神性、価値観は全く理解できない、相容れないものかもしれない。もしかすれば、リン達を食べるために誘い込んだのかもしれない。そこまでいかなくとも、不可思議で理解不能な風習慣習が絶対視されているかもしれない。世界が違うのだから、何があってもおかしくないだろう。

 残り二人がぽやぽやしている分、自分が色々と考え警戒していかなければならないだろう。リンは小さく深呼吸してから、口を開いた。

「なんだ、爺さん」

「自己紹介がまだじゃったのう」

「七度目だボケジジイ!」

 老人はボケていた。


リンたちは、意外と新しい木製の机を囲み、お茶のような飲み物を振舞われながら、自分たちに起きたことを、森林破壊や放火等まずそうなことこそ伏せたが、ほとんどありのままに全て老人へと伝えていた。つい先ほどまで抱いていた異世界人への警戒感は、あほらしくなりどこかへふっとんでしまっていた。

何度も頷きながら穏やかに話を聞いていた老人は、リンの説明が終わるとこう言った。

「まず、リムよ」

「リンだよ……」

『RIAMUちゃんはRIAMUちゃんです』

「そうじゃったそうじゃった、それでどうしてお腹から声が――」

「もうそれはいいから!」

 当然既に何度か説明しており、その都度納得している。

「そうじゃったのぅ、それでキムよ」

「……はい」

 世の中、諦めないことも大事だが、ギャンブルの負けを取り返すのと話が通じない人とのまともな会話はさっさと諦めるに限る。

「異世界から来た人間、実はトムの前にもおるんじゃよ」

「本当か!?」

 あまりの驚きに、自分でも意図せぬほどの大声で聞き返し、リンは赤面した。もし、先人がいるのならば、もしかすれば帰る方法が意外にも簡単に分かるかもしれないので、さもありなん。

「わしの国では勇者様伝説というのがあってのう、世界中の人が……何に苦しめられたんじゃったかのう?」

 始まってすぐ、老人の話は腰が折れてしまった。

「そこは別にどうでもいいから先を!」

 何か手がかりが得られるかもしらないと期待を膨らませていたリンは、老人をせかしたが、クリフトがそれを片手で遮り、名案とばかりにいい笑顔で口を開いた。

「悪い人、でしょうか?」

「そりゃそうだろうけどな!」

 世界中の人を苦しませる善人はいないだろう。

『勇者といえば魔王ではないですか?』

「魔王は創作で生み出された虚構の存在じゃよ。勇者様伝説を元に描かれたレディストン著『勇者サーガ』で魔族を束ねる悪の首領として魔王が創作されての、それが近代までの勇者様伝説を元にした創作に大きく影響を与え大抵のものに魔王が当然のように登場しておるがの、史実には魔族の王のような人物は存在しなかったんじゃ」

「それははっきり覚えてるのかよ!もういいから先に進んでくれ!」

 今までのボケた状態からは想像もつかない、流れるような解説に、たまらずリンがつっこみをいれ、老人は何度か首を傾げてから、諦めて続きを話し始めた。

「そうじゃのう、アレに苦しめられとったとき異世界から神様に勇者様が呼ばれてのう?アレを封印して下さったのじゃ。その勇者様がの、『いつか私のように異世界から人が来た時、これを見せてくれ』とな?見たこともない文字を石板に彫ったんじゃ」

 なんというべきか、クリティカルに元の世界へ帰れそうな情報だった。リンが興奮して机に身を乗り出すのも、無理ない事だろう。

「それは、どこにあるんだ!」

「王都じゃ、王都へ向かうんじゃ」

 一瞬、リンの脳裏に何かがよぎった。だが、それが思い出されることはなかった。その前に話が先に進んだからだ。

「ボブは王都へ向かうんじゃ」

『もうRIAMUちゃんかけらもかすってないですよボブ』

「それでクリフト君のほうじゃが」

「クリフトは覚えられてるのかよ!」

「ざんねんじゃが回復魔法で頭の怪我を治してものう、記憶は戻らないこともあるんじゃ」

「そうですか、残念ですね」

 クリフトは、かけらも残念そうには見えない笑顔で頷いた。

「じゃがのう、その服は勇者教会の神官の服じゃろう?じゃったらクリフト君も王都へ行くんじゃ、教会の本部があるからのう。神官の名簿もあったはずじゃ。きっと自分がどこの誰かわかるじゃろう」

「なるほど、それは素晴らしいですね」

 ということで、異世界に迷い込んだ男子高校生(幼女)とAIと記憶喪失の男は、揃って王都へと向かうこととなった。

「王都までも助け合っていきましょうね。神もそれを望んでいるはずです」

『RIAMUちゃんが付いていますから何の問題も起こりえません。お二人とも大船に乗った気でいて下さい』

「……おう」

 一人で旅行をした経験は、リンにはない。なので、一人で向かうよりもずっと頼もしいのだが、ただその同行者がこの二人というのが少々、いやかなり心配の種であるリンだった。

「それではの、夕ご飯にするかのう」

 話が一段落し、老人が言った。

「お手伝いいたしましょうか?」

「いやいや、老人の少ない楽しみを奪わんでおいて欲しいのう」

 クリフトの申し出を笑いながら断り、老人は立ち上がって部屋の奥にあるのだろうキッチンへと消えていった。

「はあ、とりあえず少しは前に進んだな」

 どうやって元の世界へ帰るのか、まさに五里霧中だったところに一筋の光が見え、リンは深く安堵していた。そうすると、今度は今まで気にならなかったどうでもいいようなことが気になってきた。

「異世界のご飯って、口にあうかな」

 創作では、元の世界には存在しないような食材や調理法があり、そのため非常においしいというパターンと、文明レベルの低さを表現するためや、改善して主人公の功績の一つにさせるために不味いと描写されるパターンと、特に言及がないパターンが多い。現実では、美味くて困ることはない。

『参考までにですが、RIAMUちゃんは幼女の生態を高度に再現するため、甘いものとちくわの磯部揚げを特に美味しく感じるよう味覚を設定されています』

「お前の作成者の幼女像絶対どっかおかしいからな?」

「私は、味の好みはあるんでしょうかね?なんにせよ、命をもらっているのですから、せめて美味しく頂きたいものですね。神もそう望んでいるはずです」

「それは、そうだな」

 そうでなくとも、老人の好意で振舞ってもらうのである。文明レベルがどれほどで、こんな森のすぐそばに住む老人がどれくらい生活に余裕があるのかもわからない中でだ。もしかすれば無理をしてご飯を用意してくれているのかもしれない。そう思い至ったリンは、例えどんなゲテモノ料理が出てきても、毒でない限りは食べ切ろうと誓った。

 そう決意し、妙に緊張しながら待っていたリンの元に、しばらくして老人が料理を運んできた。

「ほっほっほ、待たせたのう」

 老人が出した夕飯は、勇者が伝えたというもので、見た目も匂いもどことなく地球の料理に似ており、決意が無駄だったと分かったリンはほっとすると同時に、純粋に美味しそうな食事を喜んだ。

『わあ、美味しそうですね』

「人生で一番美味しそうです」

「……いやそれ褒めてるのか?」

「さ、あったかい内にのう」

老人の料理は、味もまた地球のそれに似てリンの舌にあい、これからの異世界での食への憂いが消し飛んだ。また、勇者伝説が事実であることと勇者が同郷であることの可能性が高まり、リンは王都で待っている石板への期待を膨らませた。

 

 一宿一飯にあずかり翌朝、ぐっすりと眠り目覚めたリン達三人は、二階にある客用の寝室から階段を降りている最中に、食事の匂いを感じ取った。それによって昨日の晩御飯を思いおこされた彼らは期待からやや速足になり、ワクワクしながら一階で既に用意された朝ごはんと対面した。

「……これは?」

『……わお』

「ニャカネ・ンボナンビ・マピンピじゃ」

 当然、といった様子で紹介された大皿の上に鎮座するそれは、人のような目が付いたカラフルな触手としか表現のしようがない謎の物体であった。どうやら朝ご飯はそれ一品のようで、他にはお茶くらいしか見当たらない。

「……とは?」

「いやいや、ニャカネをンボナンビでマピンピしたものじゃが?」

「何一つわからねえよ!?」

 活きがいいのかなんなのか、ンボナンビでマピンピされてなお、ニャカネはその触手状の体をうねらせている。

「本当に知らんのかのう?勇者様の故郷の好物と言い伝えられておるんじゃが」

「……もしかして違う異世界の人かな」

『怪しくなってきましたね』

 少なくとも、2122年日本で暮らしていたリンはニャカネをンボナンビでマピンピしたものを食べた記憶はなく、また見たこともない。

 もしこれが昨日の晩御飯であったなら、ためらいながらも某国の菓子のようなカラーリングの触手を口へと運べただろう。ただ、一度緩んでしまった決意は、そうそう戻らない。

「それでは」

 唯一なんの偏見も持たないクリフトだけが、変わらぬ笑顔でためらいなく食卓についた。

「……自動運転モードオン」

「何してるんですか!?自動運転モードオフ!」

「役目を果たせよそのための自動運転用AIだろ!自動運転モードオン!」

「RIAMUちゃんそんなためのAIじゃないです!自動運転モードオフ!」

「子供ってアリとか食ったりするしいけるだろ自動運転モードオン!」

「幼女に触手は禁足事項です!そもそも自動運転モードでも味は感じますからね!自動運転モードオフ!」

「オン!」

「オフ!」

 傍目には一人で喧嘩しているようにしか見えない無駄な争いの勝者がどちらになったかは、伏せておくこととする。


 朝ご飯を頂きながら、この国の常識や法律についてある程度だけ教わり、日持ちのする食料もいくらか分けてもらい、リン達はこの老人の元を立つことにした。もう三日目、リンにはあまり時間がないのである。

「一つだけ忠告しておくことがあるのじゃ」

 家の前で、老人は優しそうな笑顔でそう切り出した。

「わしは人を見る目に自信があっての、お前さんたちが嘘をついてないことも悪い子ではないこともよくわかったからの、異世界から来たというのも記憶喪失じゃというのも信じれたんじゃ。じゃがな、悲しいことに世の中はわしの様に親切な老人だけじゃないんじゃ」

 ピンと姿勢を正して聞いていたリンの瞳を、老人の深い青色の瞳がじっと見つめた。

「リンとリアムが異世界から来たことと、クリフト君が記憶喪失じゃということは、本当に信頼できると思った人にしか伝えん方がよかろう。旅の神官と妹ということにするんじゃ。そのお腹から声が出るのは、まあ適当にごまかすしかなかろう」

「爺さん名前……」

 老人は、何も言わずただ頷いたあと、今度はクリフトに向き直った。

「それでクリフト君、君にはこれをあげよう」

 そう言って老人がポケットの中から取り出したのは、アルファベットのJのような手のひらくらいの大きさのモチーフが取り付けられたネックレスだった。老人が使っていたのか、単に年季ものなのか、チェーンの部分は新しめだがJ型の金属製のモチーフはややくすんでいた。

「ありがとうございます」

 クリフトは頭を下げながら両手で受け取り、何を言われるまでもなく身に付けた

「よう似合っとる。これはの、勇者様が身に着けていたものを真似てあっての、勇者教会の聖職者ならみんなもっておるJ字架というものなんじゃ。自分のは失くしてしまったんじゃろうが、ないと旅の神官を名乗っても疑われるかもしれんからのう」

「あなたと、あなたとめぐり合わせて下さった神に、深く感謝します」

 クリフトはJ字架を握り締め、大きく一度頷いた。

 そして、伝えることは伝えた老人は、ただ視線で道の先を示した。別れの時である。

「……っ、そういえば爺さん、なんでこんなところに一人で住んでるんだ?」

 たった一日の関係ではあったが、リンは無性に別れが惜しくなり、聞く気でもなかったことを尋ねた。少しだけ、時間を先延ばしにするために。老人もそれに気づいているのか、慈しむような笑みを浮かべて、答えた。

「わしはの、昔は王都で働いておったんじゃが、隠居して息子に、まあ、店を譲っての」

 老人は昔を思い出すように上を向いた。

「今はここ、禁域の聖なる森に迷い込む人がおらんように監視する仕事をしとるんじゃよ」

「禁域……」

『聖なる森……』

 固まってしまったリンをどうとらえたのか、老人は笑った。

「ほっほっほ、本当は無断侵入で禁固十年、森を荒らしたら首つりじゃが、異世界から落ちてきたお嬢ちゃんに、誘拐犯に攫われておった記憶喪失の神官さんをどうこうするほど頭が固くはなっとらんからのう」

 年に似合わない茶目っ気あふれたウインクを披露した老人を、しかしリンは視界に入れど見れてはいなかった。

「打ち首……」

 リンの脳裏を走馬燈めいて駆け巡る、異世界トリップしてから今までの所業。まずクレーターを作り、木を折り飛ばし、森に火をつけた。首が三本ないと足りそうにない。

「そういえば、お前さんたちを見つけたとき山火事があった気がしたんじゃがのう」

「それは私――」

「お世話になりました!走れリアム自動運転モードオン!」

「あと十日ほどしかありませんからね!ありがとうございましたおじいちゃん!」

「ああ言うべきことがまだ。あ、胃が圧迫されてうぷっ」

 何か思い出しかけた老人に、素直に答えようとしたクリフトを担ぎ上げ、ピンク髪の幼女は森と老人に背を向け、朝の草原を王都に向かい走り出した。

別れを惜しむ気持ちは、最早かけらも残っていなかった。

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