おフェンシングお嬢様【プロトタイプ】
一話
おフェンシングとは。
騎士の決闘にルーツを持ち、古くより令嬢たちの間で親しまれてきた、伝統的で華麗な、フェンシングとは全く関係のないスポーツである。
春も終わりに近づき、力を増し始めた陽の光が、水面で煌めく。
果てしない海。
どこまでも続くその青に、一つの島が浮かんでいた。
おフェンシングフィールド(半径約三十メートル、円状)に換算すれば、三万面分もの面積をもつその島は、多くが自然に覆われていた。
ただ一点、中心部を除いて。
そこにあるのは、白亜の壁に囲われた町だ。
町の真ん中には、鐘付きの大きな時計塔がそびえたつ。
その麓には中世、または近代を思わせる建築様式に、現代のスマートさを取り入れたような、機能的かつ美しいセピア色の建物たちが広がっていた。
そこに張り巡らされた石畳風の道を、少女たちが歩いている。
「今日の数学、大変でしたわ」
「そんなことより、週末のお茶会の話をしましょう」
他愛もない会話を交わす少女たちは、全員同じデザインの服を身に着けていた。
ドレスと見紛うような、紺を主体としたワンピース状の服を。
今、時計塔の鐘が鳴った。
建物の合間を、石畳風の道の上を、町中を、低く響く音が駆け抜ける。
その音を聞いて、昼寝をしていた少女は目を覚まし、お茶会をしていた少女たちは顔を見合わせ、鍛錬をしていた少女はおフェンシングソードを鞘にしまい、補講を受けていた少女は教室を飛び出した。
そう、少女だ。
この町には、少女しかいなかった。
一様に同じ制服を着た、十代かそれ未満の少女しか。
聖サーバス学園。
絶海の孤島に建てられた、町一つ並みの規模を持つ、全寮制で男子禁制の、由緒正しいお嬢様学校である。
そんな学園を、少女ではない、謎の球体が動いていた。
バスケットボールくらいのふよふよと浮かびながら進むそれは、ボットと呼ばれている機械だった。
そのボットは、大きなゴミ箱を頭に乗せ、瞳のように埋め込まれたビー玉大の青い玉をピカピカと光らせ、低空に浮かびながらどこかへ向かっていく。
「あら、ボットさんこれをお願いしますわ」
『学園の美化への協力、感謝します』
道行くボットを見つけた生徒が、空のペットボトルを両手で差し出し、ボットは特徴的な音声で定型文を返した。
それからボットは、マジックハンドによく似たアームを二本、球体から生やすと、片方のアームで頭上のゴミ箱のふたを開け、もう片方でボトルを受け取り、入れた。
途中、花壇の花にジョウロで水をやるボットや、落ち葉を掃くボットとすれ違いながら、ボットがたどり着いた先は、集積場だった。
建物の影に隠れ、人目につかないそこには、人の背丈を超えるゴミの山がある。
ボットはゴミ箱を空にすると、再びそれを一杯にするために、去っていった。
後に残されたのは、少し大きくなったゴミ山、だけではなかった。
普通のお嬢様なら近づこうとも思わないその場所に、声変わり前の少女の高笑いが響く。
「おーほっほっほ、覚悟はよろしくって?」
「た、助けて!」
ボットが来たところとは山を挟んで反対側に、同年代と思われる複数人の生徒がいた。
ビン底眼鏡をかけたおさげ髪の生徒を、三人の生徒が建物の壁に追い込んでいる。
「ここには風紀委員も来ませんわよ」
「おフェンシング、好きなんでしょう?」
金髪を縦ロールに纏めた、豊満な少女の左右に、背の高い少女と低い少女が並ぶ。
「さあ、取りなさい」
ビン底眼鏡の少女の足元には、おフェンシングソードが転がっている。
長さは一メートル程度、レイピア状の、最もスタンダードなおフェンシングソードだ。
三人の生徒が、おフェンシングソードを鞘から抜き、構える。
おさげ髪の少女がそれを拾えば直ちにストリートおフェンシング、否、おフェンシングリンチが始まるだろう。
その、はずだった。
「令嬢たるものッ!」
頭上から、力強い声が降り注いだ。
少女たちは顔を上げ、探し、みつけた。
この場を囲む建物の、屋根の上だ。
「一つ、何事にも正々堂々挑むべしッ!」
声の主は、腕を組んでいた。
小さな背中に、太陽を背負いながら。
緩くウェーブがかった赤い髪を、風にたなびかせながら。
「ですわッ!」
彼女は言い終わるや否や、そこから飛び降りた。
肩にかかるくらいの赤髪が、激しく乱れる。
あっけにとられていた少女たちは、慌ててその場を離れた。
空いたそのスペースに、どすっ、と彼女は着地した。
「ユチナさん!?」
飛び降りてきた少女、ユチナに、眼鏡の少女が駆け寄る。
「ユチナさん補講は!?」
「その話は後ですわ!」
ユチナは眼鏡でおさげの少女を手で制し、腰のおフェンシングソードを抜いた。
向ける先は、未だ混乱している三人組だ。
「この状況、正々堂々とは言えませんわ!」
「くっ!」
図星だったのか、豊満な少女は気色ばんで奥歯を噛みしめる。
だが、ユチナの制服の胸元に赤いリボンを見つけると、一転嘲笑を浮かべ始めた。
「おーほっほっほ、庶民級風情がわたくしに理念を説くなんて、おかしくってよ!」
金髪の少女の取り巻きらしい二人もそれに気づいたのか、気勢を取り戻し始めた。
「そ、そうよそうよ!」
「シノノメイン様は、中等部一年にして貴族級なのよ!」
金髪で豊満な少女、シノノメインは見せつけるようにリボンを撫でた。その色は青だ。
「うぅ……」
おさげの少女は、恥ずかしがるように自分の赤いリボンを手で隠し、取り巻き達のそれを見た。緑色だ。
「ヒーロー気取りのあなたに教えて差し上げましてよ」
シノノメインが左腕の袖をまくり、手首を、そこに着けられた銀色の腕輪を見せた。
「庶民級の身のほどというものを!」
銀のブレスレットにはめ込まれた青色の球体が、光を放ち始つ。
「今更逃げられるなんて思わないことね!」
「そうよそうよ!」
取り巻きの二人も、同じようにブレスレットを見せつける。
「ユ、ユチナさん」
袖がそっと引っ張られ、ユチナは振り返った。不安げな眼鏡の少女が視界に映る。
「大丈夫ですわ、トモ」
「ユチナさん」
ユチナは、トモに力強い笑顔で頷いた。
「ちゃんとぶっとばしますわ!」
「ユチナさん……」
彼女は前に向き直ると、自分もブレスレットをさらけ出した。
光輝く腕輪が、四つ掲げられる。
シノノメインは、楽しそうに宣言した。
「おフェンシング、エト・ヴ・プレ?」
「ウィ!」
ユチナは、間髪入れずに返した!
『決闘受諾、おフェンシングスーツ、装着開始』
合成音声が耳に届いた瞬間、ユチナの制服がはじけ飛んだ。
当然、頭の先からつま先まであらわになるが、突然舞いだした薔薇や百合の花吹雪により、大事なところは隠されている。
『おフェンシングフィールド……検知不能。場外、なし』
舞い狂う花びらが上半身を覆い隠し、また散っていく。
再び晒されたユチナの上体は、紺色のブレザーを身に纏っていた。
それを確かめるようにユチナは、ソードを持った右腕を前に伸ばした。
『決闘形式……多人数戦』
次に花びらたちは、足元で渦を巻き始めた。
その渦が高さを増していくと、編み上げブーツが、白いニーハイソックスが、スパッツが、次々と身につけられていく。
最後に渦は、腰の周りにまとわりつき、赤いララ・スカートを生み出した。
丈は膝上だが、ニーハイソックスと合わさり、肌の露出面積は極めて少ない。
『装着シークエンス――』
空間に満ちていた花吹雪が、頭上の一点に集中し、直後降り注いだ。
花の奔流の中、ユチナは切り裂くように、伸ばした手を、ソードを横に振り払う。
『――完了』
瞬間、花びらたちは散り、背中に真紅のマントをたなびかせ、目元を白い半仮面で隠したユチナが立っていた。
ブレザー、スカート、ソックス、ブーツ、マント、仮面、そしておフェンシングソード。
完全装備のユチナの周りで、役目を終えた花吹雪が舞い、宙に溶けていった。
『三、二、一……』
若干彩度の落ちた視界の左上に、一〇〇の数値が映る。
それを確認してからユチナは、マントやスカートの色だけが自分と違う、姿かたちは同じおフェンシングスーツを身に纏った相手を見た。
シノノメインたちの頭上には、横に細長い緑色のバーが浮かんでいる。
彼我の距離は、十メートルあるかないか。
ユチナは、小さく呼吸し、おフェンシングソードを握りなおした。
『おフェンシング、決闘開始(アレ)』
「はあっ!」
「行きますっ!」
「ですわッ!」
開始の合図と同時に、取り巻きの二人とユチナが前へと飛び出した。
「あっ!?」
ユチナも突撃してくるとは予想外だったのか、背の高い方が慌てて突きを繰り出す。
「です、わっ!」
ユチナはしゃがんで躱し、無理やり突きを放った所為で体勢の崩れた相手を、飛び上がりながら切り上げた。斬撃の走った跡に、白百合の花びらが飛び散る!
『エクセレント!』
手首の腕輪から、高得点を知らせる合成音だ。
斬られた取り巻きの頭上に浮かんだ緑色のバーが、三分の一ほど削れた。
「ええい!」
空中のユチナに、背が低い方の取り巻きが突きを放つ。
「ですわ!」
位置エネルギーの乗った振り下ろしで、その突きを叩き落とす。そのまま着地し刺突!
『エレガント!』
顔面から大輪の薔薇! 満タンだったバーは半分を割り、一撃で黄色に変わった。
その瞬間、ソードの切っ先が顔面に迫る!
「!?」
慌てて上体ごと首を反らすユチナ。
切っ先は――仮面を掠めるにとどまった。
「目がよろしいようね」
取り巻きの背後から見事な奇襲を仕掛けたのはシノノメインだ。
彼女はそのまま畳みかけるわけでもなく、余裕綽々といった様子で装飾過多なソードを弄んでいる。
「褒めてあげてもよろしくっ――」
――ユチナは瞬時に現状を確認した。視界左上の数字は、大きく減ってはいない。舞う花びらも少ない。軽傷だ。相手は、油断している。ならば。
「令嬢パンチ!」
「――てよぉ!?」
シノノメインの鼻頭に、令嬢の左こぶしが突き刺さる。反らされた上体を戻す反動を利用したパンチは威力十分。透明な顔面保護シールドが、火花を発して存在をアピール。
「ここですわっ!」
仰け反り、火花で視界を奪われた貴族級に、庶民級の下剋上介錯突きが放たれる。
「シノノメイン様っ!」
しかし、剣先が胸部を直撃する寸前、長身取り巻きが割り込んだ。必殺のはずの一撃が、実際に穿ったのはクロスされた前腕だ。かなりの花びらが舞い踊り、頭上のバーは緑から黄に変わったが、目標だったシノノメインは健在である。
それなら取り巻きを先に、と考えを変えるが、それもままならない。もう片方がカバーに来たからだ。ユチナは、少し悩んでから距離をとった。
「ッ! 庶民級っ!」
そうこうしているうちに、シノノメインが体勢を整えてしまった。その両サイドに二人の取り巻きが侍る。
「令嬢が素手なんて、育ちが悪くってよ!」
「体術もおフェンシングですわ!」
「うるさくってよ!」
地団太を踏むシノノメインの横で、取り巻きたちは油断なくユチナを警戒している。
「もう、手加減はなくってよ!」
額の汗をぬぐってから、ユチナは相手をよく観察した。
取り巻き二人はバーこそ黄色だが、まだまだ気力十分といった様子だ。
シノノメインは頭に血が上っているようだが、バーは変わらず緑色。
そして最初とは違い、三人の瞳にユチナを侮る色はない。
「お姉さま……」
ユチナは無意識に、左手でスカートを握った。
「そこでしてよッ!」
鋭い突きがユチナを襲う。何とか反応して体を反らすが、刺突は肩に吸い込まれた。
数枚の花びらが、赤く色を変えた空に舞う。汗でにじむ視界左上の数値は、三〇を切った。頭上のバーは、黄色のはずだ。対するシノノメインは、まだ緑色をキープしている。
「っ、おフェンシングキック!」
歯を食いしばって肩を襲う衝撃に耐え、反撃に選んだのは、意表を突くための回し蹴り。
「なんたらの一つ覚えでしてよ!」
しかし、まるで事前に察知していたように、優雅なバックステップで回避される。
さらに追加のステップで、一踏み込みでは攻撃が当たらない位置まで下がった。
ユチナは無理に追わず、残りの二人を素早く確認した。取り巻きたちはユチナを挟み込むように位置取ってはいるが、仕掛けてくる様子はない。
「拍子抜けでしてよ」
油断なく半身でソードを構えながら、シノノメインが口を開く。
「最初は少しヒヤッとさせられましたが、不意を突かれさえしなければ、なんてことありませんことよ」
「庶民級がシノノメイン様に勝てるはずないのよ!」
「そうよそうよ!」
ユチナは歯噛みした。三対一の状況ではあるが、実際、序盤以降は一対一と変わらなかった。取り巻きたちは不慮の事態に備えて見守るのみ。現状のバーの差は、実力の差か。
「もう、飽きましてよ」
シノノメインは、意味深な表情で取り巻き達に目配せした。
慌ててユチナは左右を確認する。取り巻きの二人は……ポカンとしていた。
欺瞞だ!
意識を正面に戻すと、目と鼻の先にシノノメイン。もはや回避も受けも間に合わない。
「終わりでしてッ!」
がら空きの胸部を狙ったその刺突は、今までで最も速く、強く、そして美しかった。
必殺の一撃。
終わりが届くその刹那、ユチナは反射で左手を割り込ませるのが精一杯だった。
間もなく、とてつもない衝撃が左手を、胸部を襲い、ユチナの身体はゴミ山へと吹き飛ばされた。
意識が、一瞬の空白から浮上する。
一呼吸の後に、ユチナは現状を思い出した。
何も見えず、鼻につく高貴でない匂い。自分がゴミ山に埋もれていることも把握した。
「おフェンシングが、終わっていなくて……?」
疑念のこもったシノノメインの声が、ややくぐもって届く。その内容を理解してから、気づいた。明らかに致命的な一撃だったのに、花びらも、合成音声も、記憶にない。
ユチナは、左手を上げようとした。
瞬間、左手首から大量の火花が弾け、自分の姿を一瞬だけ照らし出す。
「……コアが」
ユチナがその一瞬で見てしまったのは、ブレスレットにはめ込まれた青い球体、コアに入った無数のヒビだった。あの時、必殺の一撃は腕輪に、コアに直撃していたのだ。
タイミングが良いのか悪いのか、ユチナの衝突という衝撃を受けたゴミ山が、今崩れた。
顔や身体の一部が露出し、ユチナの瞳に光が飛び込む。
「っ、ありえないですわ!?」
夕陽に照らされ視界が戻ったユチナは、自分の状態をさらに知ることになった。
所々穴が開いたブレザー、破れたスカート、伝線したニーハイソックス。
視界左上の数値にはノイズが走り、ポイントが確認できない。
明らかな異常事態。ユチナは息をのみ左手で口を覆った。そして覆えてしまったことに、更に驚愕した。
「顔面保護シールドがない……ヤバいですわ!?」
焦るユチナ。だが、事態は待ってくれない。
「おーほっほっほ! 見つけましてよぉ!」
興奮気味の高飛車な声が、捕捉されたことを告げた。
「どう防いだかは分かりませんが、トドメを差してあげましてよぉ!」
ゆっくりと、優雅に、逆光で黒く染まりながら、歩みを進めるシノノメイン。
夕陽の所為か、興奮の所為か、スーツの異常に気が付いていないようだ。
ユチナはとにかくこの場から離れようとしたが、何かに引っ掛かっているのか、ゴミ山から足が抜けない。
「ま、待って欲しいですわ!」
「往生際が悪くってよぉ!」
聞く耳持たず。ユチナは腕輪を、スパークを続けるコアを見た。
異常の原因はこれに違いないが、コアの代わりなど持っているはずもない。
再び身をよじって抜け出そうとするが、それも叶わない。
どうすればいいか頭を高速で回転させるが、刻一刻とシノノメインは近づいてくる。
「そういうのじゃないんですわ! マジでまずいんですわ!」
「おーほっほっほ! 聞こえなくってよぉ!」
シノノメインのおフェンシングソードが、夕陽で煌めく。
ユチナは、唾を飲み込んだ。
絶体絶命。背筋に冷たいものが走ったその時、ユチナの頭に何かが直撃した。
それはこつんと赤髪の上で弾み、どういう偶然か左手の中に納まった。
「ダブル高貴バーガー……」
それは、くしゃくしゃに丸まったハンバーガーの包み紙であった。
しかし、中身のない紙ゴミが、こつんと弾むはずがない。
何かの予感に突き動かされ、ユチナは包み紙を開く。その中には、ビー玉大の球体――。
「赤い、コア……?」
眉を寄せるユチナ。だが、迷っている時間はなかった。
ユチナは火花を散らす青いコアを外し、決断的に赤いコアを填めた。
『あ? なんだぁこの状況?』
「コアが喋った!? ……ですわ!」
こうして、彼らのおフェンシングが始まったのである。
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