婚約

 冒険者協会の呼び出しに応じたその日の夕方。


 この日は、橘家も一緒になって飯を食う事になっていた。要さんは運悪く予定が重なっていない。現在のパーティーとダンジョンに潜りに昼頃には帰っていったのだ。


 俺の退院祝いと、準二級への昇級祝いもかねての宴会だ。特に無事でよかったと喜ぶ爺ちゃんと武功を立てた事に喜ぶ婆ちゃんのやる気がすさまじく、ダンジョン食材を豊富に使った豪勢な食事となっていた。


「流石は俺の孫だ!今日は良い日だ、なあ婆さん!」

「ええ、本当に。圭太、よくぞ戦い抜きました。今日はしっかり食べて身体をねぎらうのですよ」

「ありがとう、爺ちゃん、婆ちゃん」


 俺は言われるがまま箸で美食を運んでは口に入れる。


 ミミックタン、イノシシのジビエ、ミノタウロスのロースなどが並ぶ焼き肉。迷宮の名を冠する野菜類で作った野菜炒め、そしてデザートに同じく迷宮の果物類。


 焼き肉のたれは、迷宮林檎と呼ばれる頭を良くする効果を持つ食材アイテムで作られた特製のもので、婆ちゃんの手作りだ。これが肉と白米にとてもよく合う。


 ついでに迷宮柚ポン酢を橘のおばちゃんが作ってきてくれた。クラウドデーモンの胸肉と呼ばれる、体力増強の効果のあるアイテムで作ったポン酢煮がまた絶品で、最高だった。


 ごく普通の食卓だが、上に乗っている料理の数々を値段で表せばそれだけで家が建つレベルだ。でもそんな事関係ない。とにかくこの美味い飯を食いつくすことにのみ俺の心血は注がれるのである。


 俺、爺ちゃん、橘のおじちゃんで「うまあああああああぁぁぁい!!!」と叫んで陽菜、婆ちゃん、おばちゃんにそれぞれ小言を言われた後。


「あ、そう言えばなんじゃが―――」


 不意に思い出したかのように橘のおじちゃんが俺に目を向けた。


「圭太君。陽菜と婚約してみんか?」

「ぶっ」

「ふぇっ…?」


 俺は思わず口に含んでいたものを吹きかけて、何とかそれを飲み込んでおじちゃんに顔を向けた。


「な、何言ってんですか!変な事言わないでくださいよ!」

「まあただの思い付きなんじゃが、お似合いじゃと思ってのう。ならお試しにちょっと婚約でもして、仲を深めた方がいいんじゃないかと」

「たまにはいい事言うじゃねえか!陽菜ちゃんになら圭太を任せられる!」

「爺ちゃんも、乗らない!あと危ないから酒飲んだ状態で動き回るな!」


 顔を真っ赤にして飲んだくれとなった二人が肩を組んで仲良さそうにそういうものだから、俺は思わず声を大きくして注意する。


「なんじゃ、お前は陽菜の事が好きじゃないんか!?わしの可愛い孫娘の事が!」

「で、出会って一カ月も経ってないんだぞ!?分かるか、そんなの!」

「陽菜ちゃんはどうなんだ!?うちの圭太じゃ不満か!?」

「えっ、えっ、えええっ!?」


 矛先を向けられた陽菜が顔を真っ赤にして声を上げた。


「わ、私だって、その、わ、分かりません…!だって、恋とか、したことないし…」

『でも、今日冒険者協会で、『私の圭太君に』とか言ってたような気がするガ』

『言ってた言ってた~!』

「えっ!?そ、そんな事言ってましたか、私…!?」


 陽菜が壊れたロボットのように俺を見てきた。


「…まあ、その…」

「~~~~っ!?」


 陽菜が熱し過ぎたやかんみたいになって、蒸気を噴出して声にならない悲鳴を上げた。


「違うんです、圭太君、それは、だって、確かにかっこいいって思ったり、近くにいるだけで安心したり、ドキドキしたり、怪我すると心配になって胸が張り裂けそうになったりしますが、でも、これが恋だと決まった訳では!」

「わーわーわー!陽菜、一回口を閉じようか!ね!?落ち着こう!?」

「なんじゃ、もうぞっこんじゃないか。陽菜、それは紛れもなく恋というものじゃ」


 くっ、この酔いどれ共め。好き勝手言いやがって…!


 こういうのは普通そっとしておくものだろうが!


「…そ、そもそも、冒険者として活動している間は、俺は恋愛するつもりは一切無いよ。特に仲間との恋愛は…言い方は悪いけど、ピンチになれば、仲間の内どちらか一方を切り捨てなきゃいけない時だってあるし、逆に切り捨てられる時もある。その時、判断が鈍ったり、正しい判断ができなかったりしたら、それこそ危険でしょ?」

「圭太君…」

「…圭太。本当にそれでよいのですか?」


 婆ちゃんが飲んでいた茶碗を置いて静かに言い出した。


 む…ここで婆ちゃんが出てくるか。しかしこれは冒険者としての俺の判断だ。部外者から何を言われても引く気はない。


 目を見ると、鳥肌が立って俺は思わず背筋を伸ばした。…あれ?もしかして真面目モードですか?


「確かに冒険者は危険と隣り合わせでしょう。ですが今の圭太の話は論点がズレているような気がします。危険であることをダシにして、結論を先延ばしにしているように見えますよ」

「え、で、でも…ダンジョンでは…」

「確かに、ダンジョンではダンジョンの掟が、そして圭太にも冒険者としての考え方があるのでしょう。入った事の無い私では想像すらできない出来事が沢山あるのでしょう。そこに関しては私は何も言えません。

ですが、これに関してはあえて言わせてもらいましょう。命の危険がある?いつ死ぬか分からない?

―――ならば、なおさら常日頃から自分に素直にならなければならないのではありませんか?」

「おお!」

「それじゃ、ワシもそれが言いたかったんじゃ!」


 爺ちゃんズが感嘆の声を上げてやいのやいの乗っかり、それに婆ちゃんが、ふっ、と得意げに微笑んだ。


 やばい、何も言い返せない。いや、何とか捻り出せ!この状況を打破する一手を…!


 俺ならやれるはずなんだ…!


「そもそも目の前で乙女が複雑な感情に陥って参っているというのに、正論をぶつけてうやむやにしようとするとは、何事ですか。それでもあなたは男なのですか?」


 ダメだこりゃ。何も言い返せねえ!


「…本当に、申し訳ございませんでした…」


 俺は完全に負けた。何も言い返せなかった。


「まあまあ、そう深く考えることはなかろう。もしかしたら恋かもしれない感情を二人が抱いているのであれば、とりあえず婚約という形で様子を見るのも一つの道じゃろう?」

「そ、そうは言われても…」


 思わず陽菜を見る。顔を赤くしていた陽菜だったが、少し考え込んで、すぐに俺の耳元に口を寄せた。


「…そ、その…私は平気ですので…一回そういう事にしておいた方が、この場は収まるのではないでしょうか…」

「…そう、かも?」

「腹は決まったか?圭太」


 そう問われた俺は、口を開いた。


「…条件がある。一つ、もうこれ以上この件について茶化さない事。二つ、これ以上急かさない事。この二つを全員が守れるのであれば、爺ちゃん達の提案を飲む」

「分かった!よぉし、陽菜と圭太が婚約じゃ!今日はなんてめでたい日なんじゃ!」

「うおおおお!良かったな、圭太!良かったなあああああ!」


 一気に騒ぎ出す老人たち。あの、陽菜さん?これで本当に良かったんだよな!?


「…よしっ」


 小さくガッツポーズをとる陽菜。


 …陽菜もよしって言ってるし、 ならいいか。


 とにかくこれでこの件は終わった。俺は自分を落ち着かせるために食事を再開させるのだった。

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