17:下層に向けて

「急にすみません。あの、こちら神野さんの御宅でしょうか」


 突如として現れた来客に、俺は目をぱちくりとさせて頷いた。


 可愛らしい少女だった。肩の所で切りそろえた、穢れを一つも感じさせない黒髪。優しそうな目元に小ぶりな鼻。品の良い声でこちらに話しかけてくるものだから、俺はなんと返したらいいか分からなかった。


 手には鍋を持っている。俺は内心首を傾げた。


「私、近所に住む橘宗一郎と美也子の孫の、橘 陽菜と申します。実は祖母から神野さんの御婆様に、前回頂いたお肉のお礼にとこちらを渡すよう言われてきました」


 橘家。爺ちゃん家の一番近所の家で、確か初めて食材アイテムを手に入れた時に婆ちゃんがおすそ分けしてしまい、「うまああああああい!」という叫びが微かに聞こえてきたあの家の事だ。


「…あ、ああ。これは、どうもご丁寧に」


 鍋を渡されるので受け取る。思わず指に触れてしまうが、そのあまりの滑らかさに俺は目を丸くして動揺した。


「…ふふっ」


 そしてそんな俺を見て、橘さんとやらは思わずと言った感じで口に指を当てて小さく笑った。その所作が物凄く上品で思わず口を一瞬閉ざす。


「…俺は今、なんで笑われたのでしょう」

「あ、ごめんなさい。あの、同い年、なんですよね?とても緊張なさってるようでしたので、少しおかしくて」

「あははは…同い年?」


 あまりにも受け答えがしっかりしていて、年上かもしれないと思い始めていたんだが、どうやら勘違いだったらしい。


「はい。聖架女学院高等部の1年です。夏休みの間、祖父母の家で避暑をすることになっております。短い間ですが、ご近所相手としてどうぞよろしくお願いします」

「あ、ああー。聖架女学院…って、あの聖架!?」


 聖架女学院。それはこの辺りでも有名なお嬢様学校の名前だった。地理的に言えば、俺がいつもショッピングモールに行っている方向とは逆の方向に行ったら校舎が見えるはずだ。歴史のある由緒正しいお嬢様学校である。


「実は私と同じ趣味の方がこちらに住まわれてるとお爺様から聞いてまして!ご挨拶に伺った次第なのです」

「は、はあ」

「お名前は?」

「…神野圭太ですが」

「圭太さん!あの、同じ趣味ということは…私と同じ、『鉄潔の女旅団』のファンという事、なんですよね!?」


 目を輝かせて迫ってくる橘さんに、俺は首を横に振った。


「ち、違いますけど…」


 丸い目がぱちくりと動く。っつか、睫毛長っ。


「そうなんですか?オリジナルソングを聞いたりとか、ユーチューブのチャンネルに登録してたりとか、グッズを買ってたりとかしないんですか?」

「しませんね」

「…そう、でしたか。夏休みの間、退屈を凌げると思っていましたが…残念です」


 いや、残念そうにされましても。俺は冷静を取り戻して口を開いた。


「ざ、残念でしたね。同じ趣味じゃなかったみたいで」

「はい…ですが、お爺様はそれでは一体何の事を言っていたのでしょうか。私に他の趣味は…」

「ははは、何かの勘違いだったのでは?とにかく、コレありがとうございました。他に何か用が無ければ、これで…」

「あ、待ってください、実はもう一つお聞きしたいことが!」

「なんでしょう?」

「この辺りに、冒険者をやられてる方がいらっしゃると聞いたのですが…どなたかご存じありませんか?」


 そう言われて、俺は口を閉ざした。


「えっと、何故そんな事を?」

「実は、お爺様がその方にご迷惑をお掛けしているかもしれないんです」

「…というと?」

「元々の原因は私にあるのですが…お爺様は元商人で、かつ強引な方でして…一しかないのを百あると言い切って、交渉をしてしまう性格なのです。それで、私がとある件で悩んでいるのをついうっかりお爺様に喋ってしまい、『わしに任せろ!』と、その冒険者の方に接触しようとしているみたいでして…とても不安なので、どうなっているのか現状を把握したいのです」

「はあ…冒険者にご迷惑をね…」


 俺はこの時、初めて昨日爺ちゃんから聞いた話を思い出した。


『…実は、古い知り合いの孫が冒険者やってるみたいでな。ソイツがお前とパーティーを組みたいと言っとるらしいんだ』


 …なるほど、全部理解できた。できたのだが、しかしここで「はい、僕がその冒険者です」と言おうものなら、別に気にしても無い事で頭を下げられてしまう事になる。それは流石に気の毒に思えた。


「…それなら大丈夫だと思いますよ。その冒険者はもう既にお断りを入れてるはずですので」

「冒険者の方とお知り合いなのですか?」

「ま、まあ。そんな感じです。なのでもう問題は無いかと」

「そうなんですね。良かったです」


 笑顔を浮かべる少女に、俺は騙してる気がして良心が痛んだ。


「あの、ありがとうございます。お陰で助かりました。夏休みが終わるまでは祖父母の家におりますので、またお会いしたら是非話しかけてくださいね!」

「え?あ、ああ」


 手を差し出されるので、俺は慌てて鍋を玄関に置いて、その手を取った。


「こちらこそ、どうぞよろしく」

「あっ…」

「ん?何か?」

「…い、いえ、なんでもありません。それでは長々と失礼いたしました!」


 頭を下げて帰っていくその後ろ姿を少し見送って、俺は玄関の扉を閉めた。


 にしても、まさかこんな繋がりでこういった話が来るとは。人生何が起こるかマジでわからないな。


 爺ちゃんの古い知り合い…今にして思えば、それは橘さん所のおじさんの事だ。食べ物をおすそ分けする程度には付き合いのある家で、確か爺ちゃんとは若い頃から友人だったらしい。その上婆ちゃんと橘のおばちゃんも親友同士でよく道端で雑談してる。


 で、その橘のおじさんが、孫娘の『何らかの悩み』を解決するために、俺のパーティーに入れるべく接触してきたと。それが昨日の爺ちゃんからの話だったのだ。


 一から百へ、というのは、恐らく『孫が俺とパーティーを組みたいと言っている』という部分なのだろう。彼女本人は全くそう言っていないか、パーティーを探しているが別に俺を指名して入りたいと希望を持っている訳でもない、と推測できる。


 最初におすそ分けに行った時に、雑談の中で俺が冒険者になったという話が出ていてもおかしくはない。


 しかしそうなると橘さんは冒険者ということになるが、あんな人がダンジョンに入って戦えるのか?もしかして冒険者になってすぐの人なのだろうか。


 悩みがあるのは冒険者の常だし、助けられるんなら助けてやりたいが、その手段が俺のパーティーへの加入となると協力は出来なくなる。申し訳ないが、俺にできることはなさそうだ。


 俺は鍋を持ち上げてキッチンへと向かったのだった。




17:下層に向けて




 さて、次の日になり、俺は鬼月と共にショッピングモールへとやってきていた。綾さんの武器防具店に顔を出して、鬼月の為の装備を新調する。


 足鎧は既にドロップ品がある為、揃えるのはインナーと足以外の防具、それから武器だ。武器は槍はあるが、もっとリーチが短いものも欲しいという事で、新しい斧を購入することにした。イレギュラー用のものも多く取り揃えてくれていた為全てここで購入する。


 購入したのは、大手のブランドが出しているインナー。それから俺の刀と同じ鍛冶師が作った防具、『黒鎧シリーズ』があったため、それを一括で購入。今使っている刀で腕は知っている為、一番それが安定していると思ったのだ。


 次に斧だが、上質の魔石鋼を使ったものを購入。頑丈でちょっとやそっとじゃ壊れないものだ。


 という訳で合計40万円の出費。いやぁ、感覚がおかしくなりそうだ。


 他にも下層用の《魔素払いの結晶》などの必需品も購入した。


 その後、鬼月の好奇心の赴くままにショッピングモールを巡る事にした。


 興味深かったのは、アクセサリー類だ。細かい効果を付けることができて、ソレでステータスの調整を行う冒険者も多いらしい。


 しかしレア度の低いものは効果が低い。俺も消費魔力を低減してくれる腕輪を付けているが、正直効果を実感した記憶は無い。


 その上使えるアクセサリーは最低でも20万以上する。プロの冒険者ご用達と言ったところか。今日の所は見るだけで終わった。


 見た目以上に水を入れられる水筒や魔力回復薬など、以前から見かけて気になっていたものも追加購入。


 豪遊…してる自覚はある。けど冒険者としての活動に使えるのだから無駄にはならないはずだ。


 その後鬼月と本屋にもよって、いくつか本を購入した。俺は久しぶりに漫画をまとめ買い。


 ゲームショップなどもあったけど、ゲームは今はする時間ないしいいか。


 そんなこんなで時間が過ぎていき、昼飯はファミレスで済ませて家に帰った。


 午後からはシャトルランで鬼月が新装備になれる時間を取る事とした。


 そして、ついでに気になっていたことも確かめた。


『この牢獄の部屋、地図に隠し部屋みたいなのが映るんだナ』

「前回何も見つからなかったし、気になってはいたんだよ。案の定だな」


 シャドーデーモンが出てきた牢屋の部屋までやってきて、《ゴブリン族長の戦術地図》を使って何があるのかを見てみると、何やら隠し部屋の様なものがうっすらと見えたのだ。


 そこでしばらく探索をしてみると、牢屋の中の壁に一か所だけボタンのようになっている箇所を発見。押してみると、ズズズズ…と重音を響かせて秘密の隠し扉が姿を現した。


 中に入ってみると、小さな部屋を発見する。部屋の中はワンルーム程度の広さで、壁には壁画が描かれていた。


 その壁画の中央に例のくぼみがあり、そこに光が灯る。そして同時にぽん、と宝箱が出現した。


 確か封印された扉のくぼみの数は四つだった筈なので、あと一つか。順調に攻略できてるな。


 宝箱は雷撃が降り注ぐトラップがあったが、降り注ぐ直前に魔法陣が現れたので、見て余裕で回避、中身は全て頂いた。


「今日はこれくらいにしとくか」

『ああ、そうだナ』


 夕方になり、俺達は撤退することにした。


 さて、明日から下層の攻略だが一体どうなる事やら…まあどうなるにしろ、これまで以上に気合を入れて臨む必要はあるだろう。


 とりあえず、家に帰ったら作戦会議だな。鬼月の下層の知識をもう一度再確認するとしよう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る