7:勇者の怒り

 上空から雅が見るところ、城下町はわからないが、この城の状況はほぼ絶望的だった。

 リザードマンが西から、帝国軍が北西から、それぞれ侵攻し、シャルートの関係者の手引きがあったのだろうが城内に侵入されていた。すでに北側の城門も開け放たれており、待機していた帝国軍が城を守っていた近衛兵を蹂躙している。陥落も間近だ。

 龍騎兵は大半が離陸しているが、ここまで攻め込まれていては兵力としては役に立たない。それがわかっているから、雅を追い回しているのだろう。召喚勇者を帝国に差し出して自分は助かろうと考えているか、あるいはシャルートの側について元から勇者捕獲を命じられていたのか。


「どっちにしても、捕まるつもりはないから」


 雅はドラゴンの背でつぶやいた。せっかくドラゴンがいる世界に来たのに、親でもない他人に命令されるなんてまっぴらだ。親でもいい加減我慢の限界だったのに。


「翔、どこかに降りて武器を調達しよう。出来たら食べ物も」


 雅はそう言ってから、ふと思いついたように訊く。


「ドラゴンって何でも食べられたっけ? ネズミとか?」


 ドラゴンがブルブルと首を振るのを見て、雅はクスッと笑う。


「冗談。翔はグルメだもんね。ステーキ肉は無理だけどなにか……」


 城の中を見ていた雅は急に身を乗り出して指で廊下の窓を示す。


「翔、降りて。世話になった人がいるから。お願い」


 ドラゴンは一瞬迷った様子で首を振ったが、やがて折れて降下し始めた。

 中層の発着場に降りると、ドラゴンはすぐに飛べるように向きを反転させる。

 雅は鞍から滑り降りると、周囲を確認する。

 まだこの辺りまでは侵攻してきた兵士は達していない。おかげで龍騎兵の装備がまだ残っていた。

 雅は長剣と短剣を拝借し、槍と弓矢を鞍にくくりつけた。


「待ってて」


 雅はヒモで縛り終えると、心配そうに見るドラゴンの鼻面にキスをして駆け出した。背後のドラゴンが目を丸くして後ろ姿を追っていた。

 通路の窓から見えたのは教師のアイラと侍女だった。このふたりにはよくしてもらったので、雅としてはなんとか無事に逃げてもらいたかったのだ。


「アイラ!」


 廊下を走る2人の後ろ姿を見つけ、雅が声をかけると、2人は振り向いた。


「勇者様、どうして?」

「もうここはもたない。逃げよう」

「お気持ちはありがたいのですが、私は王国貴族の妻です。夫が戦っているのに逃げるわけには参りません」

「戦場に行くの?」


 アイラはそれには答えず、侍女を雅に向かって押した。


「クレアを連れていってください。下級貴族の出ですから貴族から庶民のことまでよく知っています」

「でも、結構勉強したから」

「では、城下で黒パンは幾らで売られていますか?」

「は……?」

「黒パンは1玉で5クロン。白パンは16クロンです。ほら、こんなこともわからないではありませんか」

「い、いや、それは教えてもらって――」

「今から教える暇はありません。クレアの知識をお持ちください」


 アイラはそう言って背を向け、歩き出したところで足を止めた。

 廊下を曲がってやって来た相手に行く手を遮られたのだ。


「殿……下……?」


 アイラは言葉をとぎらせ、その場に崩れ落ちた。足元から大量の血が流れ、瞬く間に血だまりができる。


「勇者のことを知る人間は少ない方が私の価値が高まるからね。王族と言っても帝国では不安定な身分ですからね。まずひとり」


 シャルートはアイラから長剣を引き抜き、侍女に向かう。


「アイラ様っ!」


 雅は悲鳴を上げてアイラに駆け寄ろうとしたクレアを制し、親指で後ろを示す。


「クレア、発着場にドラゴンがいるから行って!」

「で、でも、龍騎兵がいないと……」

「ウチの翔は大丈夫だから! 行って!」


 駆けていく足音を聞きながら、雅はシャルートから視線を離さない。シャルートの狙いはクレアの命。ここを通すわけにはいかなかった。


「ふうん、やっぱりずいぶん特別なんですね、あのドラゴンは」

「そう。特別」

「ますます欲しくなりました」

「あげないから」

「そう言われると何としてでも欲しいですね」

「手に入れても思いどおりにはならないよ」

「あなたを手に入れれば言うことを聞くのでは?」

「その前に噛み殺されるよ?」

「ああ、それくらい頭がいいってことですか。やはり、ドラゴンの心臓を使うしかないですか」

「それも無理だと思う」

「どうしてです?」

「教えてあげない」


 雅はニコッと笑うと、滑るように進み出した。まるで笑顔が残像を描いたようなブレのない移動。

 虚を突かれたようにシャルートは目を見開く。雅の剣が真っ直ぐに振り下ろされると思ってとっさに剣を掲げたが、軌道は弧を描くことなく、予想を裏切って一直線に喉を狙って来た。


「くっ!?」


 キンッと甲高い音がして長剣が弾かれる。

 シャルートは上に構えようとした剣を引き戻し、かろうじて喉を守ったのだ。しかし、逸れた雅の剣は首筋を浅く斬る。

 飛びずさったシャルートは血のにじむ首を押さえ、雅をにらみつけた。


「勇者様の世界ではこんな戦いが普通なのですか?」

「うん、みんな戦ってるよ、SNSとかで」

「えすえぬえすとは?」

「私はやらないけど」

「じゃあ、なんでこんな攻撃が出来る!? 私も物心がつく前から剣を振っているんだぞ!」

「私も振ってたよ? ずっとね」


 雅は長剣を一振りしてシャルートに突きつける。


「でも、無抵抗の人に使うような剣じゃない」


 いつもは無表情な雅の顔が強ばり、唇は硬く引き結ばれていた。


「はっ! 血を見るのは初めてのようですね。やはり向こうからやって来る勇者は契約を済ませないと使い勝手が悪いですね」

「勝手なことばっかり言わないで」

「何の良心の呵責も感じないでこんなふうに殺せるようになりますよ」

「反吐が出る」


 雅はすすっと進み出ると長剣を真っ直ぐ突き出した。

 シャルートは同じ手は食わないと叩き伏せようとした。

 しかし、刃が触れると同時に雅の剣は相手の剣を巻き込んだ。まるで渦の中に剣を突っ込んだような感覚に、シャルートは剣をもぎ取られそうになる。


「くうっ!?」


 仮面のようなシャルートの表情が初めて崩れた。歯を食いしばって引き戻した長剣を掲げると、裂帛の気合いと共に振り下ろす。

 雅は一瞬異質な力を感じ、シャルートの切先が描く真っ直ぐなラインから真横に飛びのいた。

 シャルートの長剣が振り下ろされた直後、ドンッと空気が唸り、通路は天井と床に亀裂が走った。天井は轟音と共に崩れ落ち、床は下の階まで達する穴が空き、簡単に跳び越えられる大きさではない。

 雅は舞い上がる土ぼこりを払い、痺れる全身を確認するように指を動かした。

 衝撃波が放たれたとわかったのはすべて終わった後だ。


「……思ったより力が出ない。やはり、シュレッサーが斬られたせいか……」


 シャルートは吐き捨てると身を翻して駆け出した。


「待て!」


 雅は後を追おうとしたが、床に空いた穴を見てたたらを踏んだ。3メートル以上ある。助走をつければ跳べそうだが、その間にシャルートは逃げてしまうだろう。いつまでもドラゴンを待たせておくわけにはいかない。

 雅はシャルートの背中をにらみつけると、物言わぬアイラに屈み込んだ。アイラの上品な顔は血の気を失い、もはや息絶えていた。雅は驚きに見開かれたまぶたを手のひらで閉じる。

 その手は小刻みに震え、雅はもうひとつの手で自分の手を抑えた。




 一方、雅に送り出されたクレアは発着場まで来ると、息を飲んで立ち止まった。

 見たことのないドラゴンがクレアを見ていた。鞍がついているから龍騎兵だろうし、勇者のものだろう。

 しかし、龍騎兵のドラゴンは契約した兵士以外には獰猛で、襲ってくるというのが常識だ。だから、勇者から先に行けと言われた時に戸惑ったのだ。

 クレアは勇者様はドラゴンのことを何と言ったっけと思い出す。


「えっと……カケル?」


 信じられないことにドラゴンが小さくうなずいた。


「言葉……わかるの?」


 ドラゴンはまた小さくうなずき、グゥと唸る。

 クレアはおずおずとドラゴンに近づいた。それでもドラゴンは襲いかかる素振りは見せない。襲うつもりなら、この距離は一瞬だ。ひょいと前肢の爪を伸ばすか、カッと開いた顎でかみ砕くか。それだけで終わりだ。

 クレアは目を閉じて最後の数歩を進んだ。

 不意に頬に冷たい感触。クレアは腰を抜かしそうになって目を開けた。すぐ目の前にドラゴンの顔があった。


「ひぇっ!?」


 頬に触れると濡れている。ドラゴンが長い舌で頬を舐めたのだと気づき、クレアはドラゴンの顔をじっと見る。

 なんだか大きな犬みたい。

 クレアはそう思って、頬の辺りをゆっくりなでる。


「ふうん、翔の趣味ってそういう娘なんだ」


 戻って来た雅の声に、ドラゴンは慌てたように首を振る。


「キスしたんでしょ? 私にはしてくれないのに」


 すねたような雅の言葉に、ドラゴンはグルグルと喉の奥で音を漏らしながら、下を見てチラチラと雅を見る。


「何か言いたいことがあるなら言いなさい」


 ドラゴンは驚いたように口を開き、グウーッとため息のような声を上げた。

 と、いきはりクレアが弾かれたように笑い出す。


「おかしい。勇者様とドラゴンって恋人みたいなんですね」

「うん、そう」


 雅が当然のようにうなずくと、ドラゴンは大きな眼を見開いた。


「そうなんですね!」

「そのつもりだったんだけど……。浮気されたのかな」


 目を輝かせたクレアに、雅はぼそっとつぶやき、ドラゴンの鞍を叩いた。


「さあ、逃げよう。クレア、先に乗って。翔、女の子2人くらい大丈夫だよね? むしろご褒美?」


 雅の念を押すような言葉に、ドラゴンは圧に抗しきれずにうなずいた。

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