6:契約を甘く見たみたい
雅を背中で受けたのは、まだ脚でつかめる自信がなかったからだ。
前肢で受け止めるには長い首が邪魔だ。例えて言えば、ハムスターに上から落ちてくるひまわりの種をつかめと要求しているようなものだ。
後脚で受け止めるには一瞬、翼を広げてブレーキをかけ、後脚だけを前に出してつかみ、すぐに羽ばたいて舞い上がるなんてアクロバティックな動きをしなきゃいけない。鷹なんかの猛禽類がやるのを見たことがあるけど、ボクにできるわけがない。人間の時は逆上がりの成功率3割だったのに。
それに爪で雅を傷つける可能性もあるし、雅の胸にタッチなんてそんなこと嬉しくてやりたくてもできるわけがない。爪じゃ柔らかさを実感できないし。
というわけで、鞍をつけた背中で受け止めた。もし落ちたら降下してもう一度トライするつもりだったけど、さすが雅だ。ボクとは運動神経が違う。
一応、落ちる瞬間にあわせて、一瞬羽ばたくのをやめて落下して、ショックを和らげたつもりなんだけど上手くいったかな?
大丈夫と訊きたかったけど、そんな短い問いもままならない。
「だ……大丈夫」
上から雅の声が聞こえて安堵する。背中で鞍にまたがり、ベルトを鞍に固定するのが感じられた。これで一安心だ。
「ふぅーっ。助かったよ。もうダメかと思った。遅かったね。浮気してた?」
冗談なんだろうけど、こっちの気持ちも察して欲しい。否定するのに、つい鼻息が荒くなってしまった。
「ドラゴン?」
まだあのメスドラゴンのことを疑ってるの? 《涼やかなる風》のことは勘弁してよと、ブンブンと首を振る。
「じゃあ、王女?」
思い出すのも気持ち悪いけど、仕方なくうなずいた。
「ああ、そっちかぁ。しつこそうだったもんね」
雅の手がなだめるように首筋をさする。
「でも、今はこっちの方がしつこそう」
言うまでもない。さっきまで雅の取り合いをしていた2人の王子だ。
「このまま見逃してくれるってわけにはいかないよね」
さらに上層と中層の発着場からも龍騎兵が飛び立ち、一部がボクたちの方へ向かってくる。その数ざっと6騎。
「こっちには武器なしか。さっき手放したしね。どうしよっか?」
雅が何かねだるようにつぶやく。それはボクになにか手を打てと言ってるんだね。まあ、頼られて嫌な気がするわけはない。ボクは一声雄叫びを上げた。
「なにか手があるんだね。任せたよ、翔」
雅にポンと鞍を叩かれて、ボクは翼に力を込めた。向かってくる龍騎兵隊から逃げるように方向転換すると、下層の発着場へと戻っていった。
いつもの3頭はまだそこにいた。
「おーい、助けて!」
こっちを見上げている《青白き爪》に叫んで、上空でゆっくり旋回する。降りると飛び上がるのに手間がかかるからだ。
「なんだなんだぁ?」
「追われてるんだ! ちょっと手を貸して!?」
「痛いのは嫌だぜ?」
「戦わなくていいから鬼ごっこでもしててよ」
「遊びならいいぜ。俺たち暇してたしな」
「頼んだよ!」
「よし、いっちょ遊んでやるか!」
3頭が言葉以上に楽しそうに飛び立つのを見て、距離を取る。今まで自由に飛べなかったんだから乗ってくるだろうと思ってたけど、予想どおりだった。
「あれって囮?」
雅が3頭を見下ろして訊く。
うんまあ、撒き餌というかマキビシというか、邪魔してくれたらいいなって感じなんだけど。
「ちゃんとドラゴンの友達がいるんだね。私と違って偉いよ」
雅だってと言おうとして、思い出す。元の世界では雅は敬遠されて、ひとりだったことを。こっちの世界ではそんな余裕も時間もなかったんだろうな。
「別の世界に来たのに、今度は勇者なんて役割を押しつけられるし、おまけに自由を奪って道具にするつもりだったなんて。ふざけんなっての!」
ボクが知ってる限り、雅がこんな激しい言葉を吐いたのは初めてだ。でも、今の状況を考えれば同感だ。ボクも王女に殺されるところだったわけで、思わず同意の声を上げる。
「翔も同じ? やっぱりわかってくれるのはキミだけだよ」
雅はボクの首筋に手のひらを当てて、そのまま手を滑らせる。温かい感触がピタッとみっつ。
みっつ?
ひょっとして頬ずりしてる? 雅がボクに頬ずりなんて、照れるなぁ。
なんて硬直していたら、鞍の上でしゃくり上げるような声が聞こえた。それに冷たい水。飛んでいると水分は早く気化するから濡れているとすぐにわかる。
こういう時、どういう声をかければいいのかまったくわからない。いや、今はそれどころか声も出せないんだけど……。ああ、ダメダメだ、ボク。人間として終わってる。ドラゴンだけど。
ああっもうっ! 意味のない考えばっかりで頭の中がいっぱいだ。こういう時は行動あるのみだろ!
ボクは横にグルンと
鞍に固定されてるとは言え、いきなりこんなことやって怒ってないかな?
そんな不安を感じながら鞍の上の様子を窺う。鼻をすする音の後、雅は少しだけ嗄れた声で歓声を上げた。
「気持ちいい! もっとやって、翔!」
アンコールに応えて、ボクはさらに一回転して今度は垂直方向に宙返りして見せた。試験の時にやったよりもずいぶん上手くなったはずだ。
「最高!」
雅から拍手をもらったので、上手くなったということだろう。
「ありがとう、翔……」
雅がボクの首を足と腕を使って全身でギュッと抱きしめた。うん、あれだな。首にホッカイロを貼りつけたみたいな感じ。全身が温かくなる。
ずっとこのままいられたらいいんだけど、そろそろ限界みたいだ。仲間に足止めしてもらった龍騎兵隊が振り切って向かって来た。
その中に見知った竜騎兵がいる。やっぱり面倒な感じ。
「カケルっ!」
先頭を切って接近してくるドラゴンが鋭い叫びを上げた。《涼やかなる風》だ。
「私より、その人間のメスを選ぶのね。これでも引く手あまたなのに、ガキに袖にされるなんてこの《涼やかなる風》の名折れだわ!」
「えーっと、ごめんなさい」
「ごめんですむなら牙も爪もいらないのよ!」
「え? ドラゴンの格言かな? どういうこと?」
「欲しいものは歯と爪に物を言わせて奪う。恥をかかされたら相手を殺す! そいつを食らうまでよ!」
「やっぱりドラゴンって肉食だよ!」
ボクが悲鳴を上げると同時に《涼やかなる風》が大きな翼をいっぱいに広げて羽ばたいた。一気にグンッと高度を上げて矢のように突っ込んできた。
ボクはさっきやったように水平にスーッと移動して攻撃をかわす。すぐ脇を《涼やかなる風》は通り過ぎていった。
「ファリア!? どうした!?」
龍騎士カイルが慌てて手綱を引くが、《涼やかなる風》はそんなことなど意に介せず、反転して上空からボクに向かって来た。いや、正確にはボクに乗る雅を狙って降下してきた。
ボクより二回り以上大きな体で、しかも、大人の男の龍騎兵を乗せているとは思えない機動だ。
こっちは身軽なのを精一杯利用して
「上手くかわしたわね。でも、昨日やそこらに卵の殻を突き破った赤ん坊にいつまで対処できるか見物だね」
「そんなに子供じゃないよ」
「大人に口答えするんじゃないよ!」
《涼やかなる風》は居丈高に言い放った。でも、ボクは挑発には乗らない。淡々と事実を指摘するだけ。
「それより、乗り手の人が凄く怒ってるよ」
「勝手に乗ってるんだ。怒らせときゃいいさ」
「エサもらえなくなっても知らないからね」
「なっ!? なんだって!?」
「言うこと聞いた方がいいと思うけどね」
「この……ガキの癖に……生意気なんだよ!」
首筋のトゲを立てて怒らせながら、《涼やかなる風》は何度もボクたちに襲いかかった。名前が示すように風みたいに素早い。でも、涼やかじゃなくて猛烈なとかかまいたちとかの方がいいと思うくらい激しくて斬れ味がいい。全部かわしたけど。
「ファリア、勇者様を殺すことは許さん! 言うことを聞け!」
カイルの叫びと同時に《涼やかなる風》の攻撃が急に止まった。
龍騎士がボクの思ったとおりにドラゴンの心臓を使ったからだ。ドラゴンは自分たちが長命で優れていると思い込んでるから簡単に契約をしてしまう。したら最後逃れられないっていうのに。
「……なに……自由が……」
愕然とした《涼やかなる風》の表情。きっとこれまで契約に反する行動を取っていなかったから、力を使われたことがなかったんだろう。
「だから言ったでしょ。契約を軽く見ちゃいけないって」
「おまえが……」
「ボクじゃない。自分がやったことだよ」
格好つけて言ったけど、ボクには余裕なんかない。まだ他にも龍騎兵はいるんだ。
「姉さんに何をした!?」
「オレたちの姉さんに恥かかせやがって!」
追ってくる龍騎兵の中から騒がしい声が飛んでくる。ボクのせいじゃないってのに。
「なんだかドラゴンが凄くうるさいんだけど、なにあれ?」
雅もけたたましいドラゴンたちに気づいたようだ。振り返って不安そうな声で訊く。
あれってひょっとして、《涼やかなる風》のファンクラブとか親衛隊みたいなもの? また面倒なことになりそうだと、ボクはため息をつく。
地上の様子を見る限り、この城はかなりヤバイ感じだ。これからどうするのか、雅とも相談したいんだけど、黒板もないからこっちから話が出来ない。
とにかく、今は追手をどうにかしないと。真っ直ぐ逃げても今のボクの能力じゃ追いつかれるし、雅にも武器がない。
ボクは追ってくる龍騎兵を引き連れて城へと進路を変えた。
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