戦乱編

1:勇者の初陣

 異変は数日前から起こっていた。

 偵察の龍騎士が行方不明になっていた。雅の初任務の翌日だ。

 沼地への偵察に向かった龍騎兵が翌日になっても帰還せず、捜索に向かったが発見できなかった。

 さらに昨日になって北西側の国境付近でグランベイル帝国の軍に動きがあるとの報がもたらされた。

 帝国は王国の北西に広がる強大な国だ。幾度となく王国側に領土を広げようとしているが、その度に失敗している。王国の防衛力が強固だからというよりも、森林地帯と沼地、そして、王城がそびえる崖という天然の要害に守られていることが大きい。さらにはそこに棲息するリザードマンが帝国に対しても敵対的だったこのもある。だから、今回もまたかという弛緩した空気が広がっていた。

 しかし、雅にはこれまでの経験がない。そのために客観的に状況を見ることができた。その上、龍騎兵の勉強で周囲の地形や帝国の状況についても報告を読んでいた。書物のついでに報告書も書庫にあったのでちゃっかり目を通していたのだ。

 そこから考えると、緩むというのはありえない。それほど甘い状況には雅には思えなかったのだ。

 空気は緩んでいるとはいえ、帝国が動いているということで、雅が正式に翔と共に龍騎士になるという儀式は延期になった。


「まあ、2、3日ってところだろう。訓練も様子見だな」


 剣術の練習をしている上級兵士からは笑いながら軽く言われた。儀式に乗り気ではなかった雅にとっては渡りに船だった。今のうちに翔と話をしようと出かけようとしたが、こっちの訓練が優先だと引き止められてしまった。


 もう2日も翔と会ってないのに。心配してるかな。それともあのスレンダーなメスドラゴンとしっぽりやってるのかな。


 偵察任務のドラゴンの様子を思い起こした瞬間、雅は拳を壁に打ちつけていた。


「痛っ……」


 拳を戻すと、中指の付け根に血がにじんでいた。

 どうしてこんなに思いっきり突いたんだろう? その前にこの胸が痛むようなおかしな気持ちは一体何だろう?

 自分でも不思議に思いながら、雅は剣の訓練に戻っていった。


「お、おい……」


 その様子を見ていた兵士が目を丸くして同僚に壁を指さす。

 石壁には拳大の穴が穿たれていた。


「もろくなってるのか?」


 試しに叩いてみた兵士は拳の痛みに悲鳴を上げた。




 訓練に戻った雅の元に上級兵からの命令が伝えられた。


「リザードマンの侵攻を迎え撃つ。出陣だ!」


 雅はすぐさま下層の龍舎に向かった。他の龍騎兵は中層と上層の龍舎だ。翔はまだ上層に移動されていなかった。その遅れも気になるところだ。


「翔、出陣だって」


 すでに命令が伝えられていたおかげで、ドラゴンは鞍を取り付けられた状態で檻の前に待機していた。

 雅に気づいたドラゴンは鉄格子の中にあった黒板に爪を走らせ、器用に前肢でつかんで突きつけた。


「まあ、不安だよね。私も同じだよ」


 大きく『不安』と書かれた黒板を見て雅もうなずく。しかし、ドラゴンはさらに何か言いたそうに黒板を持ち替えた。

 が、そこに龍騎兵がやって来て雅に声をかける。


「勇者様、お早く!」

「わかった。行こう、翔」


 ドラゴンは不満そうに書きかけの黒板を置くと、雅の後を着いて発着場へと向かう。

 雅の武装は軽量の革製鎧、肘と膝当て。武器は腰に長剣、背中に矢筒と弓、そして、鞍に槍が水平に差してある。その他、水筒と携行食、ロープなど。他の龍騎兵も同じだ。

 上層の龍騎兵はすでに飛び立って、上空に数十騎が飛んでいた。ドラゴンとワイバーンの比率は2対1くらいだろうか。

 初めて見る数の龍騎兵に雅は一瞬、我を忘れて見入ってしまった。


「勇者様!」


 促され、慌てて騎乗すると、ドラゴンは勝手に発着場を走り出し、一気に飛び降りた。

 翼を広げて滑空から羽ばたき、上昇する。初めての時のよろよろした飛び方からすれば見違えるようなスムーズさだ。上下動も抑えられて、雅も酔わずにすみそうだ。


「頑張ったんだ、翔。いい子いい子」


 雅がドラゴンの首筋をさすってやると、グルゥと喉の奥で音がする。ネコがゴロゴロ言うようなものだろうか。


「そろそろだ」


 前を行くドラゴンから隊長が振り向いて合図を送ってきた。右手を掲げて前方を指さす。

 雅は緊張しながらも装備の確認をする。

 龍騎兵はドラゴンの首を背中に固定した鞍にまたがる。鞍からは馬と同じようにあぶみが伸びており、そこに足を乗せて踏ん張ることが出来る。さらに腰のベルトは鞍につながっており、振り落とされても地面に落ちるのを防いでいた。

 鞍の右側には槍を通す革帯があり、引き抜けば使える。投げることも想定しているので、ロープなど落下防止の装備はない。

 後は弓矢と長剣だ。


「無理はしなくていい。上空から弓で射るだけで効果がある」


 隊長が気楽にやれと笑いかけ、降下の合図を送ってきた。

 森林地帯を徐々に高度を落としていく部隊の後を追って、雅のドラゴンも翼を微妙にコントロールして降下していく。

 眼下は薄い霧に覆われている。初任務の偵察の時よりも濃い。枝葉がぼんやりとしか見えない。その奥に沼地が見えてきた。

 もし、今槍を投げつけられたらかわせるだろうか。

 雅はそう思って緊張に身をすくませる。

 それが伝わったのか、ドラゴンがゲゲッとカエルのような音を出した。声と言うより喉の奥で唸ったような音。太股に振動が伝わってくすぐったい。


「安心しろって? 信用してるよ」


 雅はドラゴンの首筋をさすって応えた。


「いたぞ。2時の方向」


 隊長からの指示に右前方を見下ろした雅は沼地に黒い帯のような線が続いているのに気づいた。それがゆっくりと動いている。

 前傾姿勢に槍を携えた姿はリザードマンだ。本当に森林を抜けて王国へ向かっている。


「攻撃用意」


 隊長の声に一斉に弓を構え、矢をつがえる。


「放て!」


 号令と共に矢が放たれる。雅も狙いをつけて放つ。上空からの矢にリザードマンたちには防ぐ手段はない。次々に矢を受けて倒れていく。


「旋回してもう1斉射!」


 隊長の指示に雅はリザードマンの上空を回り、弓を射る。倒れ際にリザードマンは槍を投擲してきた。


「おお怖い」


 飛んで来た槍をおどけた調子で避ける龍騎兵。確かにこの高度まで達するが、すでに勢いを失っていて、放物線を描いて落ちていくだけだ。


「隊長、一発かましてやってくださいよ」

「そうだ、あれで決めてください」

「ふん、仕方ないな」


 そうは言いながらもまんざらではなさそうに笑うと、隊長は自らのドラゴンの首根っこを叩いて合図を出した。

 ドラゴンは低い唸りを上げると、太い首をもたげる。そして、一気に伸ばすと咆哮を放った。同時に突風が放たれた。

 息ではない。突風は地面に叩きつけられると、その周辺を一瞬にして凍りつかせた。数人のリザードマンは下半身を凍らせ、上体の重さに耐えられずに足が折れてしまった。

 リザードマンたちは明らかにひるみ、凍った地面から後退し始める。それでも何匹かは戦おうと槍を構える。


「とどめを刺しちまいますか」


 竜騎兵たちが弓を構える。

 その時、雅のドラゴンがまるでマネをするように首をもたげ、一気に伸ばした。

 しかし、放たれたのは咆哮のみ。それも甲高い子供のような叫び。

 周囲のドラゴンやワイバーンが一斉に雅のドラゴンを振り向く。


「ん? なんだ? マネをしただけか?」


 隊長が雅に振り返って訊くが、雅も何をしたのかわかっていない。しかし、なんとなく察しはついた。誰にも言えないが。


「少しは威嚇が効いたのかもな。這々の体で引き返して行きやがるぜ」

「あいつらの中にはドラゴンが先祖だって信じてる連中が多いからな。御先祖様が襲ってきたら、そりゃ逃げるさ」

「おまえが爺さんから逃げるのと同じかよ」

「ジジイはああ見えて槍の使い手なんだよ! おまえらだって勝てねぇくせに」


 龍騎兵たちが緊張感のない会話をしている脇で、指揮官は地上の様子を確認していた。


「よし、引き返すぞ!」


 指揮官の号令に応えて、雅はドラゴンに合図を出そうとした。しかし、ドラゴンが反応しない。


「どうしたの、翔?」


 ドラゴンは何か気になることでもあるのか地上に視線を向けている。

 こんな時に黒板が使えればいいのにと、雅は思う。しかし、人目のあるところで翔に文字を書かせるわけにはいかなかった。




 初陣から戻って来た雅を迎えたのは意外な人物だった。


「やあ、勇者ミヤビ殿」


 第2王子シャルートが端正な顔に薄い笑みを浮かべながら手を振っていた。

 鞍から滑り降りる雅に歩み寄る。ドラゴンのことなど気にもしていない。


「陛下がお呼びなので迎えに来たよ」

「国王が?」

「何の用かは私にはわかりません」

「儀式の件なら、私からも伝えたいことがある」

「ならちょうどいいね。ドラゴンは置いて着いてきて」

「じゃあ、行ってくる、翔」


 雅はドラゴンにそうささやくと、シャルートの後を追って城内に入っていった。

 ドラゴンはその後ろ姿を見えなくなるまで見送り、龍舎に戻っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る