5:悶々とするみたい
ひどいよ、雅は!
ボクが浮気した夫みたいに責められるなんて。メスドラゴンに挨拶しただけじゃないか。
それとも、雅って他の女の子に挨拶しただけでも嫉妬するヤバい女なの?
偵察任務から戻ってきてずっと、ボクは檻の中で悶々としていた。頭を長い前肢で抱えて、翼で覆って。冷静に考えれば頭隠して尻隠さずなポーズだ。
女の子のことでこんな気分になるのは人間だった時を入れても初めてで、どうすればいいのか見当もつかない。ただただ胸の奥から胃の辺りがズーンと何か硬い物に押されて気持ち悪い。
どうすればこの嫌な気分が消えるんだろう。こういう時、自分の人生の少なさというか経験のなさというか、そんなものが恨めしくなる。もっと友達を作って遊んで恋をして……色々していれば変わったんだろうか。
その前にボクは今人間じゃなくてドラゴンなんだけどね。
そんなことを考えながら悶々としていると足が痺れてきて、姿勢を変えようと寝返りを打った。鉄格子がある方にお尻を向けて、顔を奥にしていたせいで、尻尾が鉄格子にぶち当たって盛大に音を立てる。
「やかましいぞっ!」
「うるさいよっ!」
「落ち着け」
近くの檻からドラゴン仲間の叫びが飛んできた。寝ていたところを起こしてしまったらしい。いつの間にか夜になっていた。まあ、戻って来たのが夕方だったから、2、3時間ってところか。
「ごめん。寝ぼけてたよ」
「どうせ恐い夢でも見て飛び起きたんだろ?」
「アニキどもにいじめられた夢かい?」
「小さい頃はよくあるんだよ」
3匹がそれぞれ勝手なことを言う。本当のことを言うわけにもいかず、はあっとため息をつく。
と、その時、龍舎の外で物音が聞こえた。物音というか、どう聞いても翼の音だ。他の3匹も緊張した様子で龍舎の入り口を見る。
バサッと翼を畳む音が聞こえたかと思うと、カツカツと爪が石を敷き詰めた床を叩く音。松明の明かりの中に浮かび上がったのは、人間の頃のボクなら悲鳴を上げて逃げていただろう。薄暗いダンジョンの中でドラゴンに鉢合わせしたような。
が、現れたのは、昼間に会ったドラゴンだった。
「ファリアだっけ?」
「それは人間がつけた名前。《涼やかなる風》よ」
「そっちもいい名前だね」
「あなたは?」
「翔だ」
「それはあの人間がつけた名前でしょ?」
確かに《弱き翼》なんて不名誉な名前はあったけど、今のボクには相応しくない。
「雅がつけたわけじゃないよ。ボクには翔以外の名前はない」
「そう。おもしろいわ。カケルね」
《涼やかなる風》はそう言うと、鉄格子越しに顔を近づけてくると、鼻をヒクヒクさせた。
「昼間も感じたけど、やっぱりカケルはおもしろいわ」
「おもしろい? どこが?」
「まだ若いから私の相手にはならないけど、いいオスになりそう。まだ眠ってるみたいだけど、初めて感じる力があるわ。それもかなり強い」
「なにそれ?」
「私たちの能力よ」
「そんなのがあるんだ」
「はあっ……、本当に子供なのね、カケルは。あなたたち、何も教えてないのね」
《涼やかなる風》は周りのドラゴンたちに向かって非難の声を浴びせた。が、3匹のドラゴンはさっきまでボクに対していた時とは打って変わって無反応だ。見えないけど、ひょっとしたらさっきのボクみたいに頭を抱えているのかもしれない。
「はあ、いつもの感じね。やっぱりあなたは特別だわ」
《涼やかなる風》は人間なら肩をすくめたような声でいうと、ボクをじっと見た。
何が特別なのかわからないけど、それってボクの前世が人間だからだろうか?
と、そこで今まで見過ごしていたことに気がついた。どうして飼育人たちが来ないんだろうか。いつもなら何か異変があったら飛んでくるのに。ドラゴンが勝手に来るなんて異変だろ。
「そういえば、勝手に出歩いても大丈夫なの?」
「ああ、私はいいのよ。どうせ勝手に動けるのは城の周りだけだしね」
「そうなの?」
「それが契約だからね」
「契約って? 書類にサインでもしたの?」
つい人間の感覚で訊いてしまったけど、そんなわけはない。
「面白いこと言うのね。人間が使うペンとか言う細い棒で名前を書くあれ?」
「そんなわけないよね」
「もちろん違うわ。契約というのは命の結びつき。私たちの力を契約者に貸してあげるの。契約者からあまり離れられなくなるわ」
「ちょっと待って。こっちが人間に力を貸して、自由を奪われて、こっちになんの得があるの?」
「毎日2度のご飯が食べられるし、体を洗ってもらえるわ」
「それだけ?」
ボクは愕然として聞き返した。これって完全なブラック契約じゃないだろうか。
「それ以上なにを望むの? いい? 人間は私たちより下の生き物なのよ。上が下に力を貸すのは義務といってもいいわ」
ああ、その考えは
「利用されてるだけじゃないの?」
「それでも別にかまわないわ。契約者には不満はないし、それに私よりも先に死ぬのよ? せいぜい後20年かしら」
そうか、寿命が長いせいでそういう考え方になるのか。でも、その契約の詳細がわからないから、いまいち納得できない。
「今日のところは挨拶をしに来ただけだから。カケルが上に来たらまたお話ししましょう」
「あ、うん」
そう言うと、《涼やかなる風》は軽快に走って発着場に行くと、一気に翼を広げて舞い上がった。その名のとおり一陣の風のようだ。後ろ姿が凄くカッコイイ。
そう思ってから、慌てて取り消す。ドラゴンとしてだ。女性だからとかそんなんじゃない。絶対に。
彼女の気配が消えてから、ようやく仲間たちが動き出した。
「……おまえ、よくあいつと話せるな」
《青白き爪》の怯えたような声音に驚く。ドラゴンも怯えると声が震えるようだ。それよりもその内容が意外だった。
「え? 話しやすいドラゴンでしょ?」
「バカなこと言うんじゃねぇ! あんな年上相手に対等に話せるか」
「もう圧力が凄かったろ! 震えてきたぜ」
「年上相手に緊張したってこと? ドラゴンってそうなの?」
「そうなんだよ! いや、それ以上なんだよ!」
「そう! びびって体が動かないの!」
「ああ、そうだね。平然としてる方がおかしい」
《翠の広き翼》だけじゃなくて、最後には《二股の長き尾》も同意して、ボクは意表を突かれた。あの《涼やかなる風》に威圧感なんてあっただろうか。ボクにだけ威圧しない話し方をしたのか、それともボクが鈍感で感じなかっただけなのか。
ドラゴンにもボクの知らないことが色々あるようだ。
そして、ボクって一体何なんだろう?
アイデンティティーを捜す旅でもしないといけないんだろうか?
あー、何だか面倒だ。雅と一緒に飛んでいきたい。
不意に愛の逃避行とかいう文字が頭に浮かんで、慌てて振り払う。その拍子に尻尾がのたうって鉄格子を叩いてしまった。
「うっさいぞ!」
「うるさいわ!」
「静かに頼むよ」
3頭からいっせいに叱られてしまって、ボクは平謝りするしかなかった。
翌日は飛行もなく、雅が遊びに来ることもなく、ボクは筋トレを黙々とこなした。
ひとりでも出来るように、翼端につける重りに輪っかを、壁際にフックをつけてもらい、翼を動かして自力で引っかけられるようにした。終わったら前肢でフックに戻せばいい。長い前肢はこういう時に便利だ。
ワイバーンだったら絶対に無理だよなぁ。
伝令兵が乗るワイバーンを思い起こして、しみじみとそう思う。でも、ワイバーンだったらあんなに飛ぶのに苦労しなかったかも。ドラゴンは手足の他に翼があるから人間とは全然違うんだよな。
その日の夜になって、静かになった龍舎にいきなり数人の声が近づいてきた。
龍騎兵が数人歩いてくる。ここに来るのは伝令や偵察などがメインの下級兵士だ。だから、専用のドラゴンがいないため、《青白き爪》とかを借りて飛んでいく。先に一緒に偵察したカイルと《涼やかなる風》は中級以上だろう。ボクはその上の王族に連なるドラゴンがいる龍舎に移るはずだけど、まだその話がない。雅が正式に勇者としてボクと契約する時にでも移動があるんだろうか。
龍騎士たちの声は妙に大きい。普段はドラゴンを刺激するのを避けるため、大声を出すことがないのに。そう思っていると臭いに気づいた。酒だ。アルコールがかなり入っているようだ。
それで嫌なことを思い出した。ボクの父親もそうだった。普段は小声なのに、酒が入ると大声で怒鳴ってアルミ缶を投げつけてくる。そして、後になってボクの頬に傷を見つけて平謝り。酒は敵だ。ボクは飲まれたりしない。
かなり酔っ払って、外の空気を吸いに出てきたんだろう。たまにこう言うことがある。飼育人たちはドラゴンに影響が出るから嫌がるが、こう言った兵士をまともに相手にしては自分たちの身が危ない。多分、今も困ったと言う顔で様子を窺っているんだろう。
と、聞き流していた龍騎士たちの声にビクッと反応してしまった。雅のことを話していると気づいたのだ。
「それにしても、勇者様もずいぶん馴染んできたな」
「ああ、最初の頃は近づきにくかったからな」
うん、雅は興味がないとぶっきらぼうだからな。ドラゴンと恐竜の話題以外は。
と、ひとりが腰を振って下品な笑いを上げた。
「へっ、そのうち王子があっちの具合も馴染ませるぜ」
「第1王子か? ずいぶん執着してる様子だな。でも、そんな気ないだろ、勇者様には」
「そうだろうな。だが、そんなこたぁ関係ないさ。いくらでも方法はあるってよ」
「嫌がる女を力づくって、勇者様にはかなわないだろ」
「薬、魔術、色々あるさ。お貴族様、いや王族ならな。召喚された時もな、協力的じゃなかったら自由を奪う魔術を使うって手もあったらしいしな」
「そんな手があったのか」
「ただ、それをやっちまうと言われたことしかできないから、まずは勉強をさせてるって話だ」
「マジかよ。だったら、そろそろやる気か?」
「おい、いいか? これは王子の取り巻きに聞いた話だ。バレたら首が飛ぶからな」
「わかったわかった。王子が飽きた頃にちょっと味見させて欲しいな」
「おまえまで回ってくるかよ。てか、おまえ、ああいうのが好みなのか?」
「おまえよりゃいい趣味だと思うぞ」
「へっ、ぬかせ!」
と、そこにもうひとりの龍騎兵がやってきた。明らかに上級の兵士だ。装備に金が掛かっているとわかる。険しい声で叱責する。
「酔いが醒めたら戻れ。おまえも誰が聞いてるかわからんのにそんな話をするな」
「悪い! でも誰も聞いてねぇさ。ドラゴンにそんな頭はないしな」
龍騎士たちはボクの檻をガンと叩いて笑いながら歩き去った。
全部聞いたよ!
こいつらを叩きつぶして喉を食い破りたくなったけど、檻の中からじゃそれは難しい。なにより、それじゃ問題は解決出来ない。
雅に知らせないと!
しかし、ボクの焦りは空回りし、雅とも会えないまま、時間だけが過ぎていく。何か雅に起こっているのかと不安ばかりが首をもたげてくる。
そして、2日目の朝方、事件は起こった。
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