4:勇者の初任務

「勇者様には、まず偵察任務に赴いていただきたい」


 雅に近衛騎士団長からの命令が伝えられたのは、龍騎士となってから6日後のことだった。

 いきなり戦闘は無理なので、王国の領土内を偵察飛行する。乗騎のドラゴンを慣れさせる目的もあるとのことだ。もちろん単騎ではなく、ペアでだという。

 自由にさせるわけにはいかないからかと、雅もそこは理解している。万が一、勇者が他国に逃げれば面倒なことになる。

 任務の内容を聞いて、雅は龍舎に向かった。


「って、ことで初任務だって、翔」


 雅は自分のドラゴンに話しかけた。


 ドラゴンは黒板を示して頼むような仕草をする。


「わかった」


 雅が黒板を胸の高さに持ち上げると、ドラゴンは爪で黒板を引っ掻いた。


「王子2 黒板見た 疑い? シャルート王子がこれを見て、疑った?」


 雅は爪が削られて書かれた日本語を読んで考え、布で文字を消す。ドラゴンはすかさず文字を書き連ねる。時折、キキーッと甲高い音が出て、雅とドラゴンが首をすくめて周囲を見渡す。誰かに見られるとマズいのだ。


「ドラゴンに文字教える? ああ、そうか。そうなるよね。まさか最初から文字を知ってるドラゴンがいるなんて思わないよね。って、他のドラゴンは人間の言葉分かってないよね?」


 辺りを見回して、他の檻から自分を見ているドラゴンに気づいた雅だが、自分のドラゴンがうなずくのを見てホッとした表情になる。


「全部聞かれてたら恥ずかしいよね。こっちもちょっと気をつけようか」


 雅は念入りに黒板を消し、檻の中に置いた。ドラゴンは自分の所有物に執着を見せるため、ゴミであっても檻の中にあるものは勝手に飼育人が処分することはない。この辺りの知識も詰め込んだ知識のおかげだ。


「ということで、明日朝から偵察飛行。頑張って飛ぼうね、相棒」


 そして、雅はちょいちょいと手招いて、ドラゴンが鼻面を檻に近づけるのを待った。そして、大きな口に唇を軽く触れさせる。


「プレゼント。ファーストキスだからね」


 雅は真っ赤になってそう言うと、振り返ることもなく駆け去った。

 残されたドラゴンは硬直したまま、雅を見送る。それからハッと我に返ったように周囲をキョロキョロと見て、同僚ドラゴンの視線を浴びていることに気づいた。

 そのまま檻の奥に行って丸くなってタヌキ寝入りを決め込んだ。




 翌日早朝、飼育人たちによって発着場に移動させられたドラゴンは鞍と手綱をつけられ、準備万端だった。

 しかし、当のドラゴンは発着場の入り口に視線を向けたり違う方を見たりとせわしない。


「珍しく落ち着きがないな」

「初任務に緊張しているんだろ」

「いや、それはわかるわけないだろ」


 飼育人たちが笑い合う。

 そこに人影が駆けてくる。


「おはよう、翔」


 ドラゴンはビクンと翼を跳ね上げて、雅の方を見た。まるで挨拶をするように小さく一声咆える。


「なんだデートするカップルみたいだな」

「待ち合わせに遅れてきた女ってか?」

「まあ、おまえには女すらいねぇけどな」

「やかましいわ」


 飼育人たちがからかっていると、上から別のドラゴンが滑空してきた。体格は今待機しているドラゴンの1.5倍というところか。力強い翼を大きく羽ばたかせて軽やかに着地した。


「勇者殿と今回の任務に同行するカイルだ」

「雅。よろしく」


 雅が龍騎士に挨拶すると、ドラゴン同士もグルグルと喉を鳴らすような音を立てて、互いの臭いをかぐような仕草をする。


「ドラゴン同士も大丈夫みたいだな」

「そうなの?」

「今の声は挨拶だ。俺のファリアはメスだから口説いたのかもな。君のドラゴンはまだ若いから軽くいなされたのかもな」

「……そう」


 雅の声が急に固くなる。


「では、行こうか。私の指示に従ってくれ。半龍身あけてついてきてくれ」

「わかった」


 龍身とは文字どおり成体のドラゴン1頭分の長さだ。頭から尻尾までなので8メートルほどある。もちろんドラゴンによって長さが違うので、目測でそれくらいあけろという意味だ。

 つまり、この場合、半分の4メートルくらいあけて着いてこいという意味だ。


 雅が鞍に乗ったのを確認すると、カイルはドラゴンに声をかけ、手綱を引く。ドラゴンは離着場を巨体に見合わない軽やかさで駆け、翼を広げて飛び降りた。


「行くよ、翔」


 雅はドラゴンにそう言うと、ドラゴンが勝手に向きを変え、離着場の縁に向かって駆け出した。カイルのドラゴンとはずいぶん違う。

 縁を蹴って飛ぶと一気に翼を広げて羽ばたく。グンッと高度が上がり、先を行くカイルの後ろにつけた。

 初めて飛んだ時と比べると、比較にならないスムーズさだ。

 雅は身を乗り出してドラゴンに囁く。


「翔、ドラゴンのメスを口説いたの?」


 ドラゴンがブンブン首を振るので、左右に揺れる。それでも初めて飛んだ時のようにバランスを狂わせて落ちると言う事はない。


「私が上に乗ってるのに他の女に声かけるなんて、そんな節操なしだったんだ。せっかく私の初めてあげたのにな」


 身を乗り出した雅は責めるようにささやく。

 ドラゴンは短く一声放つと、ブルッと体を揺さぶった。


「ごめんごめん!」


 鞍からお尻が浮き上がって、雅は慌ててドラゴンに謝った。


「冗談だから!」


 雅はさすがにやりすぎたと必死になって謝りながら、足をドラゴンの首に回して振り落とされまい頑張った。

 ドラゴンはブーと聞こえる唸り声を上げ、ようやく体を揺さぶるのをやめる。


「ごめんってば。もう言わないから」


 手のひらで首の付け根をさすって、平謝り。

 と、先行していたカイルのドラゴンが右に水平移動し、そのまま減速して横に並んできた。見事なドラゴンのコントロールだ。手綱さばきだけでなく、ドラゴンとのコミュニケーションが上手くなければこれほどスムーズにはいかない。


「どうした?」

「久しぶりだから、はしゃいでいた。もう問題ない」

「そうか。まだ若いドラゴンの場合、体力的に長距離が難しい場合もある。様子がおかしくなったら言ってくれ」

「わかった」

「君のドラゴンはずいぶん素直だな。よく言うことを聞く」

「言葉がわかるんです」


 雅の返答にカイルは一瞬驚いてマジマジと見返した後、ふっと笑った。


「なるほど。いい関係を築いているようだ。さあ、そろそろ森林地帯上空だ」

「動く物がないか見ればいいんですね」

「そうだ。それと高度は保つように。リザードマンの槍もかなりの高さまで届くからな」

「わかった」


 雅は切れ長の目を眼下に向けた。

 森林地帯は城の西側に広がる深い森だ。城は舌のように伸びる台地の西端に築城され、ドラゴンが楽に飛び立てる高度を稼いでいる。同時に西側の防備を堅牢なものにしている。

 守備を固める原因は北西に位置する帝国。そしてもうひとつは森林地帯のさらに西に広がる沼地に棲息するリザードマンだ。

 森林は針葉樹ではなく、広葉樹がメインで高さはそれほどでもない。しかし、大きく広がり、からみ合った枝と密になった葉で地面はまったく見えない。そのため、定期的な偵察が必要だった。


「何か見えるか?」

「枝と葉だけ」

「だろうな。見るのは枝の動きだ。地上をリザードマンが集団で歩いていたら不自然に揺れる。それを見つけるんだ」


 高度なテクニックだ。

 雅は目をこらして木々の動きを見ようとする。しかし、リザードマンのせいなのか、風のせいなのか判別が着かない。

 悩んでいるうちにカイルは結論を出した。


「この辺りには異常はなさそうだ。少し沼地を見てみよう」


 カイルはそう言うと、指で一時方向を指してドラゴンの手綱を引く。指示をするまでもなく、雅のドラゴンもその後を追った。

 数分で着いた沼地は薄い霧に覆われていた。

 昼間は太陽に温められた水が蒸気となって立ち上り、すぐ上にある冷たい空気に触れて霧になる。元の世界でもこういう場所はよくあった。

 雅が見ていると、霧の中を動く影が見える。前屈みでなで肩。服のようなものはなく、腰布というか飾りがあるだけだ。それに長い槍。


「あれは?」

「あれがリザードマンだ。高度は今をキープ。それ以上降下すると連中の槍が届く」


 リザードマンの武器は己の歯と爪、そして、槍だ。膂力が強いため、人間よりも遥かに遠くまで飛ばせると教えられた。そして、リザードマンの信仰。彼らはドラゴンが地に落ちて今の自分たちになったと信じており、つまり、ドラゴンは彼らにとって神のようなものだと。その神にまたがっている人間は冒涜者であり、駆逐するべき相手だと。


「あの数だと恐らく狩りの最中だろうな」


 槍を掲げて上空の雅たちを威嚇しているリザードマンを見て、カイルはそう判断した。


「この辺りは問題なさそうだ。戻ろうか」


 カイルの提案に、雅はもう一度眼下を見て、うなずいた。

 一瞬、霧の中に何か黒い塊のような物が見えたが、確認する前に霧が濃くなって見えなくなった。

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