9:命がけで飛ぶみたい

 空は青く澄み渡り、雲もほとんどない。

 快晴だ。風は少しあるけど、心地よいくらいだ。

 だというのに、ボクの気分は最低だった。

 少し離れた発着場では儀式めいた式典が行われていた。

 国王がなにやら仰々しい言葉を話し、この試験が正規のものであり、規則に則って行われ、結果については何人も異を唱えられないなどと宣言している。

 なんだろう、盗っ人猛々しいというのはこういうことか。雅が訓練できないように手を打ったくせに。

 雅のために戦うなら喜んで敵に突っ込んでもいいけど、こいつらのためにはゴメンだな。裏切って背後から襲いかかりたいくらいだ。

 ちなみにボクはまだ檻の中だ。


「で、今から何やるんだって?」


《青白き爪》の興味津々な問いに、《二股の長き尾》が呆れた感じの甲高い声を返す。


「おまえなぁ、こいつの運命が決まる日なんだぜ。覚えておけよ」

「ああ、飛べないならしょうがねぇな。大地に抱かれるしかねぇだろ」


 大地に抱かれるというのは、ドラゴンの言い回しだ。早い話が飛べないなら死ぬってことだ。孵化してすぐに不具合が見つかった子ドラを親が巣から弾き飛ばすことも、そう言う。

 ボクは翼を破られたので、そうなってもおかしくなかった。いじめのせいだったから、親は様子を見たのかもしれない。


「ドラゴンを出せ」


 儀式が終わって、試験官の命令に応えて、飼育人たちがボクの檻にやって来た。刺叉でけん制しながら、首につけられた鎖で頭を下げさせる。それから鞍を取り付けるのが、これまで他のドラゴンを見てきたやり方だ。面倒なので自分から頭を下げて体を低くする。


「鞍をつけるのは初めてだよな? それにしてはおとなしいな」

「ああ、普通は嫌がって苦労するんだが」


 雅を乗せるための鞍なんだから嫌がるわけないだろ。


「首が細いからな。あまり締めるなよ」


 ぐえっ……。息が詰まる。


「苦しそうだな。もう少し緩めるか」

「胴体に回したベルトで固定すれば問題ないだろ」


 ぐげっ……。ギュッと締められて一瞬胸が苦しくなったけど、ベルトを止められた後は問題なかった。

 どうなっているのかは鏡もないのでわからないけど、人間で言うと首の付け根から肩、背中辺りに鞍が固定されたようだ。

 試しに体を左右に振ってみたけど、ぐらつく感じはしない。飼育人が暴れるなと刺叉で威嚇したけど、暴れてるわけじゃない。


「よし、出るぞ」


 飼育人が首の鎖を引っ張り、ボクを檻の外に出そうとする。いやいや、引っ張らなくても出るから。というか、さっさと出たいから。

 自分から進んで出ると、今度は先に行きすぎないように刺叉でけん制される。ああ、面倒。

 発着場まではまだ10メートルほど離れているけど、ここからでも国王と王女の他に雅の姿が確認できた。

 初めて見る龍騎兵の制服姿だ。軽さを重視したため、金属部分は胸と頭以外には使われていない。残りは寒さ対策もあって、まるで綿入りのコートといった感じだ。

 長身の雅にはコート姿がよく似合う。風に裾を翻して颯爽と歩いたりしたらカッコイイだろう。

 


 こうなったらいちかばちかで、清水の舞台から飛び降りるしかない。王女のオモチャにされるのを回避し、雅がボクと一緒に墜落死するのも避けるには他に選択肢はなかった。

 ボクは決心して雅の様子をうかがった。

 今は国王と王女と話をして、背を向けている。周りの飼育人たちもボクには注意を向けていない。鎖も飼育人が持っているだけだ。杭に繋がれていない。普段からおとなしくしているから気を抜いているんだろう。

 ボクはゆっくりと繋いでいた鎖をたぐり寄せる。これで強引に引き戻される心配はなくなる。それから端に向かって目立たないように動く。まあ、とは言っても、巨体が動けば誰だって気づくわけだけど。


「こ、こら! 待て!」


 案の定、気づいた飼育人が叫ぶ。しかし、その時にはボクは鎖を飼育人の手から奪い取り、全力で駆け出していた。


「翔っ!?」


 雅が背後から追ってくる足音。これなら追いつかれる前になんとか――。


「ひとりで行かさない!」


 いきなりボクの横から雅の声。あの距離をどうやって詰めたんだよ!?

 驚いたけど、さらに驚いたのは手綱をつかんで鞍にまたがってきたこと。

 ちょっ! 今から止まっても勢いがついてるから無理!


「このまま一緒に飛ぶよ!」


 雅が声を上げる。『落ちる』じゃなくて『飛ぶ』――雅はそう言った。ボクが考えたことを分かった上で、ボクを信じてくれた。

 やるしかない。雅を死なせるわけにはいかない。

 飛ぶんだ!

 ボクはそう咆えながら発着場を飛び出し、後脚で思いっきり縁を蹴った。

 風を切って宙に踏み出した、一瞬後――


 自由落下。

 今の状態をそう呼ぶ。

 無重量状態というヤツだ。

 宇宙空間にいる時と同じように、体重を感じない。ボクは自由だ!


 いや、ウソだ。体重は感じないけど、叩きつけてくる風は暴力だ。

 目は開けていられないし、耳は風切り音がひどくて聞こえないし、全身を風圧で殴りつけられてる感覚だ。

 気を失いそうになった瞬間だった。

 雅が首根っこにまたがった太股をギュッと締めた。落ちないように必死でしがみついているんだ。

 生々しい感触が意識をはっきりさせた。


 翼を! 翼を広げるんだよ! このまま雅と一緒に墜落死する気か!?


 同時に背中に一本筋が通ったようにピンと背中が伸びる。今まで猫背になっていたような、そんな感覚だ。

 その筋と垂直に交わるライン。前肢じゃない。もうひとつのラインが初めて意識できた。これが翼か。

 とにかく、広げて、グライダーでいい。最悪パラグライダーでもいい。とにかく、落下以外なら、雅を無事に地面降ろせるなら、なんだっていい。

 そう祈りながら、ボクは翼を広げた。

 次の瞬間、翼が殴りつけられたような衝撃を受けた。背中から延びる翼の骨、筋肉が軋む。翼の根本からもぎ取られそうなほど暴力的な力。


「気合い入れろ、翔!」


 雅の叫びが聞こえた。鞍にまたがって身を乗り出し、ボクの耳に近いところで叫んでいる。

 ボクが背負った命の叫びに、背筋がピンと伸びた。

 同時に全身に叩きつけていた風が止んだ。

 さらに背中と首に乗っかる重量がグンッと増える。これは雅の体重?


「あんっ!」


 雅がいきなり甲高い声を上げ、珍しさのあまり聞き違いかと思った。


「今のは違うからね! いきなり重力が戻ったから鞍が食い込んだだけだからね。あ、重いとか思ったでしょ?」


 聞いてもいないことを早口で言われ、返答に困るけど、体重については早く否定しておかないとマズいような気がして慌てて首を振る。

 その途端、バランスが狂って右に体が傾き、急激に高度が落ちていく。映画で戦闘機が機体を斜めにして高度を落とすアレだ。その後、戦闘シーンにつながる。でも、こっちは高度を落としちゃマズい。


「い、今は飛ぶことに集中して!」


 雅が鞍を叩いていや、集中を乱すようなことを言うからでしょ。

 そうは思ったけど、確かにそれどころじゃない。とにかく、落下はなくなった。でも、まだ滑空しているだけだ。飛ぶためには羽ばたかないといけない。

 とにかく水平に戻して落ち着く。

 向かい風だったせいもあり、少し高度は上がった。とは言っても、飛び降りた城の発着場は遥か上。城は防護のために崖っぷちにあるため、落ちたとはいっても地面まではまだ50メートルはある。12階建てのビルくらいだろうか。高所恐怖症だったら、この時点で気を失ってる。

 ここから元の高さまで上がらなければいけない。ボクに出来るんだろうか?


「難しく考えなくてもいいよ」


 雅にポンポンと背中を叩かれ、緊張で硬くなっていた体から何かが抜けていった。肩甲骨辺りが強ばっていたのが不意になくなったような感じ。

 翼が意識出来たというか、意識しなくても動かせる心臓のようなものだと意識したというか。これまで考えすぎたのだろうか。あるいは、雅の手はパ○ックスだったのか?

 風に乗っていたところに翼がさらに空気を捕まえて下に押し込む。

 グンッと体が持ち上がり、スピードも増す。一旦体が下がったけど、羽ばたきを続けると次第に高度が上がってきた。


「行けっ! 翔、行っちゃえ!」


 飛んでる! 雅を乗せて空を翔てる!


「飛んでる! 飛んでるよ!」


 背中の雅が興奮した声を上げるのが聞こえた。ついでにバンバンと背中を叩いたり、太股で首をギュッと締めたり……。雅の体温が伝わってきて、これはこれで気持ちがいい。

 いやいや、それどころじゃない。

 コースは!? 試験なんだからコース通りに飛べって言うんだろ?


「翔、私が指示するように飛んで!」


 さすが雅。ボクの考えに先んじて指示を出してきた。


「そこ、右! あ、行きすぎ! すぐに上に行って! ちょっと行ったら……あ、遅いよ!」


 ちょ!? 急に言われてもそんなに早く反応できないって!


「ちょっと行ったらって言ってるんだから、ちょっと……ああん、ダメじゃん!」


 雅がプンプン怒るのも可愛いけど、指示は理不尽だ。

 わかった、あれだ! 雅って自動車の助手席に乗せて道案内ナビさせちゃいけない人。指示が遅すぎたり、感覚的だったり、不正確でドライバーが困るタイプ。

 あるいは、ボクがスピードの調節ができないせいで、指示が遅れてしまうのかもしれない。つまり、ボクのせい?

 とにかく、指示にあわせられるように調整するしかない。

 気合いを入れたら、フンッとかなり大きな鼻息が出て、雅が笑った。ちょっと恥ずかしい。

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