8:勇者が脱走
雅はその後の3日間、焦りながら過ごした。
相変わらず異世界の常識についての講義が続き、その合間に龍騎兵についての書物を書庫から貸してもらい、読みふけった。
しかし、翔にはなかなか会いに行けない。
ようやく時間がもらえたのは明日が試験の日という時になってからだった。
「勇者殿、少し時間を取れないか」
取り巻きを引き連れた第1王子が現れたのは最悪のタイミングだった。
「忙しい。後で」
急いでいたせいでいつも以上に冷たく聞こえる声で応じると、雅は足を速めて王子たちをすり抜けようとした。
「無礼な! 王子が御用だとおっしゃっているのだぞ!」
王子の2歩後ろにいた男が激高して雅の左腕をつかんだ。
「やめろ!」
王子の制止は遅きに失した。
雅がつかまれた腕を引くと、相手はバランスを崩して前のめりになる。さらに腕を後ろに回すと、腕は簡単に自由になる。相手は雅に無防備な背中を見せる格好になった。
右の肘が打ち下ろされ、男はみっともない声を上げて床に沈む。
もうひとりの男が雅の右から襲いかかる。いつの間に抜いていたのか、長剣を振り払ってきた。
雅の反応は早かった。床に這いつくばった男の脇腹に蹴りを入れながら上体を反らす。
長剣の刃は雅の目の前の空間を風切り音を立てて横切っていった。
雅はそのまま2人から距離を取る。
「おまえたち、どういうつもりだ!?」
一瞬、時間が空いて王子が声を上げる。
だが、王子の叱責にもふたりは興奮してまともに反応しない。それどころか2人とも体勢を立て直し、もう片方も抜剣して雅を左右から挟み撃ちにしようとした。
「やめろ! 俺は話がしたかっただけだ!」
手を伸ばして2人を止めようとした王子の頬に朱の線が走った。
雅が弾いた長剣の切先が頬をかすめたのだ。
ドラゴンの調教に行くつもりだったため、鉄板の入った小手をつけていたのが幸いした。
しかし、王子の頬を切ったのは予想外だった。一瞬、王子に気を取られる。2人の男は自らの主を切ったことなどどうでもよいかのように雅に斬りかかる。
もう一度、王子が声を上げた。
「王子!? 狼藉者だ! 取り押さえろ!」
声を聞きつけて近衛兵が何人も雅に向かってくる。
「違う! 待て! 勇者殿のせいでは――」
王子の叫びに耳を貸す者はなく、雅はたったひとりで数人の近衛兵に囲まれることになった。
「おまえたちもやめんか!」
2人の男は近衛兵たちにつかまれた途端、まるで糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。
「勇者殿、事情をお聞きしたいのですが」
丁寧な物言いだが、有無を言わせぬ態度、それに数にものを言わせた圧力に、雅はうなずくしかなかった。
この事件で雅は2日間の謹慎となった。
クリフォード王子が2人のせいだと異を唱えたが、それは王子の監督責任であるとして、決定には影響しなかった。
王族に傷をつける原因を雅が生み出した――それが決定の根拠であり、すべてだった。
出来レースかぁ……。
雅は最初から冷めた目でこの茶番を見ていた。
襲いかかってきた2人の様子がまずおかしい。王子の方は雅に対して元々負の感情があっただろうから、それを上手い具合に利用されたということか。
「王子もダシに使うなんて、よっぽど私を自由にさせたくないみたい」
雅は自室のドアに重い椅子の背もたれを噛ませてつぶやいた。最後に椅子に蹴りを食らわしてドアに食い込ませる。
「もうひとつ足りないかな」
壁際の棚からホウキを引っ張り出して、ドアの取っ手が回らないようにつっかえ棒にする。
これで当分の間はこの部屋に入ってくる者はいないだろう。謹慎なんだから勉強もするわけには行かないと、雅が侍女と教師に言い張り、自室にこもったのだ。
「さてと、今のうちにっと」
雅はベッドからシーツをはずすと、端を歯で引き裂いた。切れたところから手で引き裂き、紐状にする。それを何度か繰り返すと、巻いてロープ状にし、さらにつなぎ合わせて長くする。タオルケットも使って、さらに伸ばすと10メートルほどになった。
窓を開けると、夕刻の淡い橙色の空が右に広がっている。
沙汰が下される間、さんざんまたされたせいで、せっかくの昼休みが消えてしまったのだ。
雅は即席のロープを引っ張って結び目がほどけないか確認すると、ベッドの脚に縛りつけた。それから反対側を窓から放り投げる。
「塔から脱出なんてお姫様みたいなこと、私がやるなんてね」
実際のところは塔ではなくて、王城の三階なのだが、雰囲気的には変わりはない。
雅は見下ろして周囲に気づいた様子がないか確認する。薄暗くなっているため、ほとんど見えないし、城の見張りは外に向けられているため、城の壁を見る者などほとんどいないはずだ。
確認すると、雅は恐れる様子もなく窓から身を躍らせた。
ロープにつかまって壁をトーントーンと蹴るようにして滑り降りていく様は、まるでレスキュー隊の訓練でも見ているようだ。
「元の世界にいる時はこんなこと考えもしなかったよね。やってみたかったけど」
楽しそうにつぶやき、ロープの端まで降りる。壁の下まではもう2メートルほど足りない。
「結び目で計算違いしたかな」
雅は足元を確認して飛び降りた。
見上げると、ロープの下端は2メートルほど上で揺れている。
「まあ、なんとかなるか」
考えても仕方がないと、雅は兵士から身を隠して暗がりを小走りに進んでいった。
「翔、起きてる?」
飼育人の目を盗んで龍舎に忍び込むと、雅は手前のドラゴンの檻に声をかけた。
すぐに奥から小柄なドラゴンが近づいてくる。小柄と言っても、頭から尻尾まで伸ばせば5メートル。胴体だけでも2メートル近い。
他の檻に入っているドラゴンは倍近くあることを考えると小柄ではある。
「今謹慎中だから手早く伝えるよ」
そう言って、雅はこれまで起こったこと、自分の考えを手短にまとめて話す。
「まあこんな感じ」
ドラゴンが檻の外に出した前肢の爪で地面を引っ掻いて何か書こうとした。
「待って。何も書かなくていいから。最悪って書こうとしたんでしょ」
ドラゴンが小さくうなずいてグゲッと喉の奥で呻くような音を立てた。
「ホント、最悪。どうしたらいいかな?」
雅はドラゴンを見る。背中の翼が。
「手伝えたらいいんだけど、私もドラゴンのことはわからないし。本は読んだけど、書いてないしね。マッサージとか出来たらいいんだけど」
そう言いながら、雅は檻をつかんで力を込めてみる。さすがにビクともしない。
と、雅が背後に首を巡らせる。
「あ……バレたみたい」
暗がりから数人の近衛兵が雅の方に向かってくるのが見えた。
「勇者様、謹慎中に出歩かれては困ります。今すぐ戻れば、これ以上――」
「わかったわかった。戻るよ。ああ、壁登りしたかったのになぁ」
雅は面倒そうにかぶせ気味に応えると、ドラゴンがグブッとおかしな声を上げる。振り向いた雅はドラゴンにウィンク。
「勇者様、お早く」
言葉こそ丁寧だが有無を言わさない口調で促され、雅は肩をすくめて歩き出した。
そして、結局飛行訓練どころかドラゴンに跨がることすらできないまま、国王に言い渡された試験当日になった。
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