5:知り合いみたい

 勇者がやって来たのはボクらの昼ご飯が終わってからだった。

 腹一杯になっていればおとなしくしているということだろう。実際、いつもより少し量が多かった。

 勇者は急ぎ足で龍舎に足を踏み入れた。

 侍女か教育係の年配女性と護衛の兵士、ボクらの世話人がついている。


「ええっ!?」


 ボクは思わず声を上げていた。実際に口から出たのは『ジャジャッ!』って感じの音だったと思う。威嚇してるわけじゃなくて、これがドラゴンのビックリ声。

 雅みたいな美少女だといいなぁなどと下心いっぱいで想像していた。おっさんに首根っこに跨がられるより、女の子の方がいいでしょ。あ、普通のドラゴンは人間にそんな想いを抱かないか。

 そんなことを聞いてみたことがある。4頭は軽い方がいいとか、女は柔らかいらしいとか、そもそも人間の見分けが苦手ということで、結論は『女の子がどれかわからない』ということになってしまった。

 ところがだ、現れた勇者はどこからどう見ても雅にしか見えなかった。

 短い髪は――これまで見たわずかな数だけど――この世界の女性にはない。身長も高め。無表情で氷のような顔。


 ボクは急いで檻から手を伸ばして地面に爪先で『雅』と漢字を書いた。手が動く範囲が短いし、漢字を上手く描けるほど爪を器用に動かせないけど、必死に書いた。

 薄暗いけど、なんとか雅の目に届きますように。

 

 雅は真っ直ぐにボクに向かってきた。一瞬、視線がボク、地面と移動したような気がしたけど、確信はない。雅は感情が表に出ないからだ。異世界に来ても相変わらずの様子にホッとした。

 地面に書いた雅という文字をいきなり現れた足が蹴散らす。雅の方しか見ていなかったので、他の人間が近づいて来たのに気づかなかったのだ。


「王女殿下!?」


 慌てた声が割って入る。こっちも慌てた。せっかく書いた文字はほとんど消されてしまった。

 なんてことするんだよ、この王女! 王女!?

 顔を見たら、年下だけど、かなり可愛い娘だった。しかし、手には剣じゃなくて鞭――ロープみたいな長いものじゃなくて、SM女王が持つような短いものを持っているのがミスマッチ。いや、問題はそこじゃない。王女はさらにとんでもないことを口にしたのだ。


「決めたわ! このドラゴンは私がもらう」


 はあ? 何をとぼけたことを言うんだよ。

 雅は文字を見ただろうか? 一瞬だったけど、視線があったような気もするけど。王族だからあっさり譲ってしまったり……。

 不安な思いで王女と雅を交互に見る。


「このドラゴンは私のだから」

「そうは参りませんわ。王族の私が言うのですから絶対です!」

「勇者の私が選んだの。文句は言わせない」

「あなたね、王族に向かって――」

「うるさい」

「くうっ!?」


 アレクシアは面と向かって罵倒されて言葉を失った。


「いいわ。それじゃドラゴンに決めてもらいましょう。そこのドラゴン! この私、王国の王女アレクシア・ライゼルンと、どこの者とも分からない勇者とどちらを選ぶの?」


 いやいや、選ぶもなにも、雅一択なんだけど。

 そう思った時、不思議な感覚がした。王女の方へ体が引き寄せられるような。そっちに行かなければいけないような。そんな気分。実際、体は勝手に動き出していた。

 アレクシアの口元はほくそ笑んでいた。

 こいつ、なにか仕掛けてる? 魔法か、あるいはドラゴンの好きな臭いとか、そういうものでボクをコントロールしようとしてる。

 くそっ、ボクは雅と話をしたいんだよ。邪魔するんじゃない!


「さあ、こっちにおいで」


 アレクシアが短い鞭を猫じゃらしのように振ってボクに誘いかける。ボクより年下に見えるのに、まるで熟年の魔女だ。

 ボクは雅がいいの!

 言うことを聞こうとしない体を必死になって止め、踏ん張る。もうギリギリと関節から音が出そうだった。


「私を選ばないなんて、どういうこと!? ありえないわ! 私の言うことをお聞き!」


 激高したアレクシアはボクに鞭を振り上げた。雅が腕を伸ばし、鞭を止める。先端じゃなくて根本に近いところだから痛くはなかっただろうけど、無茶なことをする。


「止めて。私のドラゴンだから」

「くっ……」


 雅に『私のドラゴン』と言われて胸の鼓動が跳ね上がった。

 忌々しげに鞭を下げたアレクシアに、一歩後ろに控えていた執事がススッと近づく。絵に描いたような初老の執事だ。名前がセバスチャンでもおかしくない。


「お嬢様」


 執事になにやら耳打ちされたアレクシアは楽しそうに唇を吊り上げた。イヤな笑み。


「あら、飛べないの、このドラゴン?」


 アレクシアは挑戦的に雅を見上げる。


「勇者様に飛べないドラゴンをあてがうなんて王家の恥よね。それに飛べないドラゴンに存在価値はないわ。すぐに取り替えるべきじゃない?」

「確かにそうですね。勇者様、あちらのドラゴンに変えた方が我々にとってもよいのでは?」


 護衛の近衛兵も立場上自然と王女の味方に回ってしまう。宮仕えのつらさってヤツか。


「変えない。絶対に」

「それじゃ、こうしましょう。2日あげるわ。その間に飛べなければ取り替え。どう? 王女たる私がここまで譲っているのよ」

「そんなの関係ない」

「こっ……この無礼な下――」


 アレクシアが激高して鞭を振り上げる。今度は雅に対してだ。

 ボクは思うように体が動くようになっていた。ギリギリ届く位置にいる王女に手を伸ばそうとした時、重々しい声が割って入った。


「そこまでだ、アレクシア」

「陛下!?」


 周りの全員――雅以外――が片膝をついて頭を下げる。おお、初めて見たぞ。ボクはドラゴンなので頭が高いまま。さっき伸ばした手もこっそり戻す。


「勇者殿に対して口が過ぎるぞ。おまえに勇者殿の代わりが出来るのか?」

「……それは――くっ……」


 アレクシアは唇を噛み、言葉を継げない。国王は雅に向き直った。


「勇者殿、我が娘の言葉を許して欲しい。しかし、飛べないドラゴンでは支障があるのも事実。ここは期限を設けさせてくれぬか? 2日とは言わぬ。5日でどうだろう?」

「……わかりました」

「そうか! では、5日間、この龍舎を自由に使ってくれ。5日後の正午。ドラゴンライダーの試験を行うものとする」

「試験?」

「龍騎兵としての登用試験だ。正規の内容と同じでは勇者殿には不利であるので、そうだな、飛行試験のみとしよう」

「通常の試験では筆記、飛行、地上戦闘、空中戦闘の4つがございます。龍騎兵は数年掛けて訓練しますので、5日では無理。飛行だけでも難しいですが」


 国王の代わりに雅に同行していた兵士が説明する。なるほど、結構エリートなんだな。


「わかった。それでいきます」

「そうか! では、期待しているぞ、勇者殿。よいな、アレクシア?」


 アレクシアも渋々納得したようだけど、去り際に笑みを浮かべたところを見ると、上手くしてやられたみたい。

 はあ、5日に延びたけど、やっぱり、生死をかけたスポ根ドラマになってしまったよ。これから特訓かぁ。

 ガックリしていると、雅が怖がる様子もなくボクに歩み寄ってきた。


「えっと……かける……だよね?」


 ボクは驚きのあまりとっさに反応出来なかった。バカみたいにうなずくのが精一杯。


「すぐわかったよ」


 雅はボクを真っ直ぐに見て、ポケットに手を突っ込んだ。

 すぐわかったとはどういうことなのか。ドラゴンの顔がボクのままってわけはないよな。それは不気味だし。


「ほら」


 そう言って雅はポケットから小さな物を取りだして手のひらに置いた。


「覚えてる? 初めて話をした時の」


 大きさ4センチくらいのドラゴンのフィギュアだ。カプセルのガチャで出すタイプ。

 見覚えがあるなんてもんじゃない。高嶺の花だった雅とボクが話すようになったきっかけだった。

 ショッピングモールの人気の少ないガチャエリアで連続でガチャをしている雅にボクが気づいた。ボクは新作アニメのガチャがないかと探しに来たので、雅には声をかけなかった。何を回してるんだろうと気にはなったけど。

 で、ガチャ玉を幾つも抱えて立ち上がった雅が一個落としてしまって、転がったガチャ玉がボクの足に当たって止まった。

 ボクに気づいた雅は見なかったように回れ右をして逃げだそうとした。そ、そんなにボクが嫌いなのか。わかってたけど。


「こ、これ、カッコイイよね。ドラゴンが好きなの?」


 それでも、ガチャ玉を拾ったボクは声を出していた。

 造型が丁寧で有名な会社の新作で、原型師も有名人。オリジナルデザインのドラゴンが4種類とシークレットがひとつ。ファンタジー好きなファンからは注目だった。それぞれが別の種類で色々な設定がついていた。シークレットは最上位のドラゴンで、王の中の王とかそんな設定だったはず。


「……おかしくない?」

「え?」

「女の子がドラゴンとか恐竜とか好きで……」

「普通じゃない? アニメ好きな人もいれば、モフモフ好きな人もいれば、色々いるよね」

「そっか……そうだね」


 雅は驚いたようにボクを見て、ゆっくり歩み寄ってきた。抱えたガチャ玉を一旦カバンに突っ込んで、ボクが差し出したガチャ玉を受け取った。


「あ! これだ! シークレット!」


 ガチャ玉を開けて中身を見て、雅は弾んだ声を上げた。こんな声を出す雅を見たのは初めてだった。多分、学校の誰も聞いたことがないだろう。

 そうして、ボクたちは少しずつ話をするようになった。

 それだけの関係で、しかも、今ボクはドラゴンだ。なんでわかったんだろう?


「不思議? そっくりなんだもん。わかるよ」


 フィギュアが出てきただけでも驚きだったのに、さらに驚愕の投下。このフィギュアとボクがそっくりだって!?


「シークレットはレアだし、シリーズの中で一番格好いいよね」


 自分の姿はまともに見たことがない。わずかに水面に映った顔を見たくらいだ。

 このフィギュアのとおりなら、ボクは全身が白くて、青みがかった大きな翼。胴体はほっそりしているけど、背中から尾の先端までかなり鋭い3列のトゲというか背びれが並んでいる。フォルムとしてはスコミムスを派手にした感じ。

 もしかして、ボク、こんなにカッコイイのか?


「全体に丸みがあって、まだ赤ちゃんって感じだけどね」


 あ、そりゃそうか。まだ生まれて2ヶ月もたってないもんな。


「これから大きく育って格好よくなるのを期待してるよ」


 雅のしゃべり方はボクと話す時はこういう感じになる。普段の短いフレーズは興味のないことを示すためだとか。なんとなく曖昧な返事をしてごまかすボクとは違う。


「地面に私の名前書いた?」


 ああ、分かってくれたかと喜んでうなずいた。


「でも、消されててさ、雅のしか見えなくて。飼育員さんが三目並べしてたのかと思った」


 ヤバかった。アレクシアの無意識の目論見は成功していたかもしれない。


「それで、試験だけど、大丈夫だよね?」


 雅の信頼に満ちた目を見るのがつらい……。ボクは正直に地面に書いた。飛べない、と。


「ウソ……」


 首を振る。


「翼が悪いの? それとも……」


 飛び方が分からない、と書くのは恥ずかしい。


「……え? ホントに?」


 首を垂れてうなずくしかなかった。


「どうしよう?」


 ホント、どうしよう?

 ボクと雅は顔を見合わせた。

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