5:危機また危機みたい

 どれくらい気を失っていたのかわからない。

 全身が痛くて、だるくて、息をするのも苦しかった。

 それでもなんとか生きているのはわかった。

 両目は開く。視界は良好。

 空が見えた。曇っている。しばらく前まで雨が降っていたのか、体が濡れている。体を動かす。

 と、いきなり顔面に水を浴びせかけられた。


「だっ誰だっ!?」


 叫んだが気配はない。

 よく見れば、頭上の大きな葉っぱが揺れていた。どうやら雨水の溜まった葉っぱが鹿威しのように水を落としたらしい。目が覚めたのもこのおかげかもしれない。

 手脚を恐る恐る動かして見たが、骨が折れた様子はない。浅い傷は幾つかあったが、血も止まっている。ドラゴンのウロコに覆われた皮膚はやはり強靱だ。

 改めて周囲を見ると、大木の枝に引っかかっているようだ。地上まで10メートルほどだろうか。

 視線を上に転じると、遥か彼方の岩場に出っ張りが見えた。多分、あれが巣だ。人間の感覚で見ると、30階の高層ビルを見上げているようだ。つまり100メートル以上。

 あそこから落ちたのかと思うと、ゾッとした。よく生きてたな。途中の崖にも木が生えているので、何度か引っかかって最終的にこの大木の枝に救われたんだろう。人間だった時なら確実に死んでいる。心底ドラゴンでよかったよ。

 とりあえず地面に降りなければいけない。

 ボクは長い前肢を生かして枝に捕まり、後脚を下に伸ばしておっかなびっくり降り始めた。雨に濡れていたが、鋭い爪のおかげで滑ることはない。すぐに地面に着いた。

 安堵したと同時に、これからどうすればいいのかと不安が押し寄せてきた。

 巣に戻るのは絶望的だ。戻れたとしても《広き黒翼》が巣立ちだと言ったからには居場所はない。自力で生き抜くしかない。

 なんだかニートがいきなり部屋から放り出されたような感じだ。

 まずはどうしようかと考えていると、腹が鳴った。

 どれくらい気を失っていたのかわからないけど、半日以上なのは確かだ。やっぱり食い物の確保だよなぁ。これまでは親の持ってきた肉しか食ってない。なにが食えるのかまったく分からないから試してみるしかなかった。

 なにかないかと臭いをかいでみたけど、森の濃厚なフィトンチッドに邪魔されてまったくわからない。

 それじゃと視覚に頼って見て回る。

 曇りで薄暗い上に分厚い枝葉に遮られているせいでほとんど夜だ。人間よりはマシだけど、夜目はあまり効かないので、視界は頼りない。

 こんなので生きていけるのかなと不安になる。前世ならとっくの昔に積んでるな。



 歩き出して体感で30分。途中に木の根元に生えていたキノコを幾つか食べた。毒キノコじゃないのを祈りながら。今のところは体調に異変はない。

 腹以上に喉が渇いてきた。やはりドラゴンでも水が必要だ。葉っぱに溜まった雨水でしのいでいるが、絶対的に量が足りない。人間ならともかく、ドラゴンの体はやはり大きいのだろう。すぐに喉が渇く。

 雨と樹木の匂いにまぎれていたなかに、少し違う匂いと音を感じ取り、ボクはその方向に急いだ。

 地面がなだらかな下りになり、さらにその先に水たまりがあった。水面にポツポツと気泡が立ち上っている。泉だ。

 多分大丈夫だろうと祈りながら、顔を近づけて水を飲んだ。

 生き返る。

 これでもうしばらくは生きて行けそうだ。



 森で暮らすようになって10日が過ぎた。

 なんとか生きている。キノコの群生地がいくつか見つかったのが大きい。それと蜂の巣。ウサギのような動物を3匹。モグラのような動物も2匹。なんとか捕まえて食った。捕まえるのには苦労しなかった。ボクを見た瞬間、硬直してしまったからだ。問題はその後。毛が邪魔で、食べるのに苦労したのだった。親が持ってきた獲物は体毛がなくなった状態だったからだ。器用な前肢を使えば、爪で皮を引き裂き、肉を切ることは案外楽だった。やってみないとわからないことだ。

 翼はまだ広げられないけど、《黒の仔》に傷つけられた部分は血が止まり、少しずつ治っているようだ。

 治ったら今度こそ飛ぶ練習をしないといけない。そのためにはもっとスペースのある場所に移らないと。森の中じゃ羽ばたくにも狭すぎる。

 そろそろ移動しようかと思っていた矢先、事件は起こった。


 角の伸びたウサギを食って口の周りが血だらけになったので、泉に水を飲みに行こうとした時だった。

 いつもは感じたことのない気配が森の中にあった。

 野獣やドラゴンじゃない。もっと別のなにかがいる。複数だ。

 周囲に警戒しながら泉に向かう。


「お? いたな。この辺りに足跡があったから、ここが縄張りだと思ってたぜ」


 泉の手前に目の前によく見知った姿が無防備に棒立ちになってボクを見ていた。

 2本一組の手足に小さな頭――人間だ。30台の男だ。革の防具に腰には縄、手には鉈。戦士というよりは猟師といった出で立ちだ。

 人間を前にして思ったのはひとつ。

 でかい!

 人間が、じゃない。ボクが、だ。

 自分で考えていたよりもボクは大きかった。大人の人間と比べると、倍以上ある。ボクが立ったら3メートル。首を伸ばしたら4メートルくらいだろうか。全体に細長いので胴体の幅はあまり変わらないか。ヒグマを縦に伸ばした感じかもしれない。

 それだけ体格差があるのに、この男が平然としているのはいくらなんでも不自然だ。ボクがもし銃を持っていたとしてもヒグマの前に立ってこんな風に平然としていられるとは思えない。


「細いな。使い物になるか?」

「ああ。だが、まだガキだ。もっと大きくなるだろう」


 もうひとり、年上の禿げたおっさんが加わって、ボクを値踏みするように見る。

 恐れているような雰囲気はない。まさか、この世界のドラゴンは弱い存在なのか? それとも人間は魔法を使えるから怖くないとか?

 いや、それよりも異世界なのに言葉がわかるというのはどういうことだ? まあ、ドラゴンの言葉もわかるので今さらだけど。期せずしてバイリンガルになったようだ。


「おい、こいつ、翼が破れてるぞ。買い叩かれねぇか?」

「これくらいなら売るまでに治せる。巣で喧嘩でもしたんだろ」

「そうだな。なにより珍しい色だ。王族にだって売れるかもな」

「そうなりゃいい儲けいなるな」


 売るとか儲けだとか穏やかじゃないことを言う。こいつら、ボクをまったく脅威と思っていないのは確かだ。と言うことは――

 ボクは真っ直ぐに泉に向かって突進した。回れ右してる時間がもったいなかった。


「ようし、やれ」


 合図と同時に頭上からなにか水をぶっかけられた。木の上にまだ数人隠れていたのだ。やっぱり罠だ。

 鼻をつく強烈な臭いに顔をしかめ、首を振って水を振り払う。

 不意に足がふらついてもつれた。なんだ、酒に酔っ払ったみたいな……。

 さっきの水だと気づいた時には遅かった。酒だ。しかも、アルコール度数の高い蒸留酒。泉に突っ込んで洗い流さなければ!

 距離にして5メートルもないのに、上手く足が動かない。さらに頭上から何かが落ちてきて、手足にからみつく。もがけばもがくほどからまって動けない。


「暴れるな!」

「よし、捕まえたぞ!」

「せっかくの金づるを傷つけたくねぇからな」


 人間たちが網と棒でボクを抑えつける。ボクは暴れ回りながら吼えた。ボクは人間だと。

 もちろん、彼らにドラゴンの言葉などわかるはずもなかった。多分、シュウシュウという威嚇音にしか聞こえなかっただろう。


「まだ咆える力があるな」

「小さいがガッツのある野郎だ」

「メスかもしれないぞ」

「そうかもしれねぇな。おまえの嫁さんみたいなな」

「抜かせ、独身野郎が! まあ、後で確かめとくか」


 笑い合う人間たちの下品な会話を聞きながら、ボクはめまいに負けて突っ伏した。酒が回ってしまって眠気に負けて目を閉じる。

 モンスターハンターだかドラゴンスレイヤーだかに捕まって剥製にされるために転生したのかと思うと、情けなかった。しかも、酒に酔って捕まるとは……。そういや、酒に飲まれて殺された龍の話もあったな。あんな結末だけは嫌だな……。

 そう思いながら、闇に飲み込まれてしまった。

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