4:勇者と王子

 雅の中でなにかがプツンと音を立てて切れた。


「限界」


 いつものように無表情だが、もう何もできないというように肩を落とし、腕をぶらぶらさせて背もたれにもたれかかる。


「集中力が切れたようですね。休憩にしましょうか」


 書物を前にして講義をしていた中年女性は苦笑を浮かべながらパタンと書物を閉じた。


「お茶にしましょう。今日はリンゴのケーキですよ」


 教師としてこの世界の様々な事柄を教えていたのはアイラという女性。この数日、歴史を教え、今日は少し趣を変えて日常的な常識を解説してもらっていた。

 度量衡と金銭の単位についてだったのだが、雅はいちいちメートル法と円に換算して考えてしまうために混乱してしまったのだった。

 と、そこに身の回りの世話をする侍女がケーキと紅茶を運んできた。

 リンゴのケーキと聞いて想像した物とはずいぶん違った。雅としてはアップルタルトそれもタルトタタンという煮詰めたリンゴがぎっしりの物を期待したのだが、実際に目の前に出てきたのはボソボソとしたスコーンの様な物にリンゴのスライスをくわえた物だった。


「パンがないならケーキを食べればいいじゃないってこんなケーキだったかな」


 雅は思わずつぶやいて、紅茶で流し込む。料理やお菓子作りに興味がなかったのが今になって悔やまれる。この世界の料理に革命を起こせたかも知れないのに。


「勇者様はとても筋がいいですよ。記憶力もいいですし、飲み込みも早いです」


 アイラがにこやかに褒めるが、雅にはどうでもよかった。それよりも興味はひとつ。


「いつ終わるの?」

「まだ王国の歴史概要が半分終わっただけです。これが終わったら、こちらの一般教養に入ります。さらに剣術の鍛錬もそろそろかと」

「終わらない」

「ええ、まだ当分はお勉強ですよ、勇者様」

「勇者じゃない」

「勇者に相応しい者しか召喚されません」

「誰が選んでる?」

「女神エローラ様と言われています」

「どこにいるの? 文句言ってくる」

「エローラ様はどこにでもいらっしゃいます」

「シュレディンガーの猫的な?」

「それはどういった意味でしょうか?」

「気にしないで」


 雅は首を振って話を切り上げる。異世界人のことわざなのだろうと、アイラは納得すると、侍女にお茶を下げるように言う。そして、ついでのように雅に告げる。


「これが終わったら、龍騎兵部隊の見学の許しがいただけますよ」

「ホント!?」


 やる気のなさそうな雅の表情がいきなり輝いた。その豹変にアイラは苦笑するしかない。


「本当にドラゴンがお好きなんですね」

「そう。私の世界にはいないから」

「いないのにご存じなのですか?」

「フィクション……物語の中にはいたから」

「物語ということは空想ですか」

「そう」

「空想と同じであればいいですね」

「違ってもいいから見てみたかった。恐竜でもいいんだけどティラノサウルスはダメ。ドロマエオサウルスとかラプトル類を大きくした感じがいいな。羽毛は却下で」


 アイラにはまったく理解出来ない言葉を立て板に水のごとくしゃべる雅の表情は今だけは夢見るように紅潮していた。


「まるで恋人を語るようですね」

「そう?」


 自覚がないのか、雅は不思議そうに問い返した。

 その時だった。いきなりドアがノックもなしに押し開かれ、ひとりの男が派手な足音を立てて入ってきた。

 クセのある金髪をたなびかせ、豪奢な衣装に身を包んでいる。民族衣装なのだろうか。幾何学的な模様の刺繍が全体を覆い、いかにも身分が高いのを示している。


「第1王子クリフォード・ライゼルン殿下でございます。召喚時にお顔を合わせております」


 アイラは雅に囁くと、身を低くして部屋の隅に控える。しかし、雅には覚えがなかった。召喚されてすぐにプロポーズした相手だというのに顔さえ見ていなかったのだった。


「勇者よ、ドラゴンに興味があるそうだな。この私が見せてやろう」

「いいの?」

「無論だ。しかも、この私の乗龍だ。王家のドラゴンを身近に拝める機会など下賤の者にはないぞ。感謝するがいい」

「まだ勉強が残ってる」

「この私が申し出てやっているのだ。最優先だ。断ることなどできん。さあ、来るがいい!」


 雅がアイラを見ると、今にも卒倒しそうな顔でドアの方を示している。行ってくださいということなのだろう。他人にあまり興味がないとはいえ、雅は鈍いわけではない。貴族と庶民の立場もどういうものか想像出来る。


「行く」


 そう言うと、雅はさっさと廊下へと歩き出した。


「ふん、最初から素直にそう言えばいいのだ。余計な時間を取らせたな。これだから庶民は……おい、待て! 俺が案内するのだ」


 慌てながらクリフォードは雅を追った。


「王子たる私より先に行くとは、まったく……。躾がなってないな。まあいい。自由に動けるのは今のうちだからな」


 雅の背中を見ながら、クリフォードは小さく吐き捨て口元を歪めた。




 王子の先導で向かった先は王族専用の龍舎だ。一般の龍舎よりも城の上層にあり、当然飼育にかかる費用もかさむ。牛などの家畜を運び上げる必要があるし、そもそもドラゴン1頭辺りのスペースが広いし、清潔に保たなければいけないため飼育人の数も多い。

 雅はそんなことなど知らないし、城の中の構造さえまだ把握出来ていないが、一般人が簡単に使える施設ではないのはわかった。

 ドラゴンが飛び立つために屋根がない開けた空間。学校の400メートルトラックの半分くらいはありそうだと雅は思った。

 その脇には大きな建物。体育館以上だ。というよりも動物園の厩舎だ。というのも、ここに近づいてきた時から動物園特有の臭いがしてきたからだ。ドラゴンの臭いがどんなものかはまだわからない。しかし、巣材の藁、餌となる肉、糞などの臭いは動物園と変わらないだろう。

 クリフォードは少し顔をしかめながら、駆け寄ってきた飼育員に横柄に命令した。


「おい、勇者様に説明をして差し上げろ」

「は、はい。勇者様、こちらは王族の皆様専用の龍舎となっておりまして、8頭分の檻がございます。現在は国王陛下、王妃陛下、クリフォード王子殿下、シャルート王子殿下専用のドラゴン4頭のみです。アレクシア王女殿下のドラゴンは……今はおりません」

「今は? 前はいた?」

「は、はい。事故で……その……。新しいドラゴンは近々選定されると伺っております」

「まったく、あいつは……」


 クリフォードは舌打ちをすると、厩舎に入っていった。

 8つあると言う檻は今は間隔を開けて4頭が入っていた。厩舎も大きいが、ドラゴンも大きい。窮屈そうで可愛そうだと雅は思った。

 中は薄暗く、小窓から射し込む光だけでははっきりと見えない。なにか巨大な気配が身じろぎしているのと、息づかい、生き物の臭いが感じ取れるだけ。それでも目が慣れてくると、次第に姿が見えるようになってきた。


「これが俺の《黒き巨爪》だ。どうだ、恐ろしいだろう?」

「凄く美しい……」


 悲鳴を上げて王子にしがみついてくることを期待していたのか、王子は雅を二度見した後、理解出来ないという顔で声を上げる。


「ドラゴンが美しいだと? 正気か?」

「大きな生き物はそれだけで美しい。目はこんなに輝いているなんて……。暗くてよく見えないけど、黒いウロコが陽の光を浴びたら綺麗だと思う。鎧竜のミイラ化石みたいな感じかな。凄い……。本当にドラゴンを見られるなんて思ってもいなかった」

「貴様の美的感覚はどうなっているのだ? ただの獣だぞ?」

「こんなに綺麗なのに」


 この美しさが分からないなんて、なんともったいないのか。ため息をつきたいのは私の方。

 雅は真剣にそう思った。


「いいぞ。餌をやれ」


 クリフォードが命令すると、生きた牛が連れてこられた。自分の運命を理解しているのか、足を突っ張って進もうとしない。それを飼育員ふたりがかりで引きずっていく。


「餌をやるのは乗り手だと決まっている。自分を食わしてやっている主人が誰か教え込むためだと。そこまでの頭があるかどうか疑問だがな」


 クリフォードはそう言うと、牛の最後の一押しを手伝い、レバーを引いて檻のドアを開けた。


「さあ、食え」


 クリフォードが面倒そうに言うと、ドラゴンはしばらく動かなかったが、やがて巨体をのそりと動かして長い首をもたげた。次の瞬間、巨体が動いたとは信じられないスピードで襲いかかった。牛の首の付け根を一瞬で噛み切った。牛は即死だったろう。


「どうだ? さすがに恐ろしいだろう?」

「そうやって食べるんだ。ティラノサウルスより頭部が小さいから胴体を一気にかみ砕くのは無理だよね。手も大きいし、爪も長いし、結構器用だ。さすがに楊子の代わりってことはないよね」

「……なにを言っているのだ、貴様は?」

「食べ方を観察するのは基本。ドラゴンに乗るなら健康かどうかは重要。違う?」

「そ、そんなことは分かっている! と、とにかくだ! この恐ろしいドラゴンを俺が操る様を見て偉大さに気づくがいい!」


 クリフォードは雅を別の生き物のように凝視した後、気を取り直して胸のペンダントをかざした。


「《黒き巨爪》よ、我が足元にひれ伏すが良い!」


 ペンダントの中心にはめ込まれた宝玉が赤い光をたたえる。光の反射ではない。自らが光を浮かび上がらせていた。

 黒いドラゴンはその光を凝視し、目の上のひさしを前に突き出した。人間で言えば眉をひそめた感じだろうか。あまりいい印象ではない。


「さあ、ひれ伏せ!」


 焦れたクリフォードがさらに声を上げると、ようやくドラゴンは食事を中断してクリフォードの足元に頭を降ろした。

 クリフォードはその頭に足を掛けて勝ち誇った様子で言い放つ。


「どうだ、見たか! 俺の力を!」


 今度こそ雅も自分を見て、このドラゴンのようにひれ伏すだろう。そう確信していた。しかし、雅はすでに自分に背を向けていた。


「どこに行く!?」

「もういい」

「見たかったのではないのか!?」

「こんなのは私が見たかったドラゴンじゃない」


 雅は悲しげにつぶやくと、足早に厩舎を出て行った。


「なっ! なんなのだ、あの女は!?」


 クリフォードは忌々しげに吐き捨てると、《黒き巨爪》の鼻面を踏みつけた。ドラゴンは低く唸っただけで何も感じていないように動かなかった。代わりに雅の背中をじっと見つめていた。

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