3:生存競争は過酷みたい

 子供のドラゴンにとっては1週間というのはかなり長い時間だった。

 生まれてすぐの人間の赤ちゃんなら目に見えるほどの成長はないだろう。ドラゴンは明らかな成長を見せる。

 が、この頃には決定的な違いが生じていた。ボクとほかの兄弟に。

 一番大きな黒いヤツとボクの間には体格差が倍以上できていた。一番小さい3番目の黒白まだらでさえ、ボクより2割増しだ。当然、体格差が力の差になり、ボクはこの仔ドラの中で最も貧弱になっていた。

 言うまでもなく、腹一杯食べなかったからだ。食べない→体が大きくならない→力が弱い→力負けして餌を取れない→体が大きくならない以下繰り返し。負のスパイラルだ。


「どけ やせっぽち」


 黒い仔ドラ――親からは《黒き仔》と呼ばれている――がボクを押しのけてすの中央に向かって言った。別に邪魔をしていたわけじゃなくて、わざとだ。

 ドラゴンにも言葉がある。人間の感覚ではスス、シュウ、ググ、グルグルといった音にしか聞こえないが、意味のある言葉だった。主に舌と歯と唇――ドラゴンの場合は口の周りの皮と言うべきかな――それに喉で出す音だ。ボクは英語のthの発音で手こずったから自信がなかったけど、ドラゴンになってしまえば関係なかった。

 呼び名は成長するにつれて変わるらしく、周囲がどう呼ぶかで決まるようだ。ボクは残念な感じで《弱き翼》と呼ばれていた。

 大きく育った3匹はまだ飛べないながらも翼を広げて羽ばたく練習をしていたが、ボクと《灰色のウロコ》はまだ翼が畳まれたままだ。《黒き仔》と《火のウロコ》《まだら》はさっきからこれ見よがしに翼を広げて、翼端をボクに当ててくる。

 まいったなぁ。ドラゴンになってもいじめにあうなんて思ってもいなかった。

 仕方なくすみっこにいって翼を開く練習をする。

 人間で言えば背中の肩甲骨を動かす感じだ。肩をすぼめたり、胸を張ったりして感覚をつかもうとするんだけど、なかなか上手くいかない。

 四つ足で歩いたり、後脚で座ったりは慣れてきた。前肢はかなり器用に動かせるようになってきたので、砂に文字を書いたりくらいは出来そうだ。ペンを持つのは無理そうだけど。

 しかし、どうにも翼を動かすのは難しい。翼に意識を集中していると手脚が止まるし、それじゃ飛行出来ない。人間だった時の意識が邪魔してる感じだ。


「もっと思い切って広げろ。腕を広げるつもりで」


 母親である《広き黒翼》が教えてくれる。声音からは感情はわからないが、なんとなく心配しているのは感じられた。ドラゴンでも愛情はあるようだ。兄弟たちからマイナスの愛情を向けられてるから、よくわかってる。

 ただ、言葉で指導されてもどうも上手くいかない。そういえば、体育の授業でも逆上がりを『宙を蹴って』とか『腕をグイッと引きつけて』とか言われても上手くやれた例しがない。運動神経が悪いのまで転生して持ち越さなくてもいいと思うんだけど。

 前肢を動かすと当然前肢しか動かないし、ついでのように翼が引っ張られるのが限界だ。翼だけを動かすにもどこをどうすればいいのか見当もつかない。多分、人間だった時の記憶が邪魔しているんだろう。なんせ手足がもう一組増えたような感覚だから。


「やせっぽち ぶきよう」

「こうやる やってみろ」

「ははは ぶかっこう」


 2番目の《火のウロコ》と3番目の《まだら》まで一緒になってからかってくる。


「やってる」


 ムッとして言い返すと、《黒き仔》がボクに突っかかってきた。


「できない翼 いらない」


 吼えながら前肢の爪を振り上げる。切り裂く気だ。


「おやめ! まだ時間はある」


 母親が一喝していなければ、ボクは《黒き仔》に翼を切り裂かれていただろう。

 バカにしたような鼻息を吐き、《黒き仔》は定位置に戻って羽ばたきの練習を続けた。


「頑張りな」


 母親はボクの翼を舐め、少しでも動くように軽くかんで引っ張った。優しい母親でよかった。



 それからさらに1週間。

 少しでも量を食べて体を大きくして翼を動かせるようになろうとしたが、上の3匹がそれ以上に大きくなり、翼も広くなってきた。今や3匹が翼を広げたら巣を覆う位になっていた。

 ボクと《灰色のウロコ》はいまだに翼を広げられず、それどころか《灰色のウロコ》はボクよりも小さくなっていた。おかげでいじめはそっちに集中し、ボクはその隙におこぼれを頂戴し、翼のトレーニングに集中した。少しでも体を大きくしないと、いじめの標的になる。

 が、その認識は無茶苦茶甘かった。



 その3日後だった。朝起きると、《灰色のウロコ》が喉を切り裂かれて死んでいるのが見つかった。

 誰が殺ったかとは誰も聞かず、母親は物言わぬ死体をくわえてどこかへ飛んでいった。


「よわいやつ しぬ あたりまえだ」


 暗に自分の犯行だと言いたげに《黒き仔》が笑った。《火のウロコ》と《まだら》も声を上げて笑った。

 鳥の中でも生まれた子供同士で生存競争があったり、カッコウのように托卵で他の子供を巣から落として殺してしまう種類もいる。ましてドラゴンのような肉食の動物なら生存競争は激しいだろう。

 次が誰の番なのか、考えるまでもなかった。平和ぼけした頭のままでドラゴンとして生きられるわけはなかったのだ。

 それからはもう必死で食い物を探して口に入れた。母親が持ってくる餌も、食べ残された骨の周りの筋まで余さずシャブリ尽くした。これは他の兄弟より器用な長い前肢のおかげだった。

 巣の周りをランニングして、翼を広げる練習をして、夜は親から離れずに緊張しながら寝た。短く浅い眠りしか取れなかったけど、油断していたら殺される。

 その甲斐あって、1週間後にはボクの体は一回り大きくなっていた。もっとも、他の3匹はさらに大きくなって、ボクとは倍近い差があったけど。

 これで生まれて1ヶ月近く。

 比較対象がないので、実際自分がどれくらいの大きさなのかわからない。人間と比べてどれくらいなのか。親が持ってくる餌はかなり消化されているし、牛や豚といった前の世界で知っている動物ではなさそうなので、大きさがわからない。そもそも人間や牛、馬がいる世界なのかもわからないのだ。

 いつか人間に会えるんだろうか? いや、会ってどうするんだ? ボクは元人間なんですって言ったって、言葉が通じるわけがない。なんせ、ドラゴンの声帯は人間とは違うんだから。

 今は体を大きくすることに専念する。そして飛んで世界を回る。それまで殺されないようにする。


 そんな悠長なスケジュールは唐突に終わらされた。

 餌の時間になっても母親の《広き黒翼》が餌をくれないと思ったら、いきなり喉を垂直に立てて咆哮を放った。


「巣立ちの刻限だよ、子供たち! さあここから出てお行き!」


 母親は鼻面で子供たちを押して巣の外へと押しやる。真っ先に反応したのは《黒き仔》だ。先に立って巣の縁まで行くと翼を広げる。


「のろま! お先にな!」

「あばよ! もう会えねぇけどな!」


 しゃべり方が流ちょうになってきた《火のウロコ》と《まだら》がボクに向かって突進してきた。慌ててかわしてよろけたボクに《黒き仔》が突っ込んでくる。


「とっとと飛べ、のろま!」


 体重が倍も違う相手に体当たりされて、ボクはなすすべもなく吹っ飛ばされた。

 巣の端まで転がっている間に、3匹は空に舞い上がっていた。親に比べれば危なっかしいけど、見事に飛んでいる。

《黒い仔》だけが引き返してくると、ボクに向かって急降下してきた。

 仰向けに転がったままのボクにかわせるわけがない。起き上がるので精一杯。翼が自在に動かせれば別なんだろうけど、まだその域には達していない。

《黒き仔》が後脚の爪を開いて迫る。体当たりなんて中途半端な気はサラサラない。殺す気だ。

 必死になって翼を動かし、同時に手足を振って体を起こそうとした。

 

 ザクッと右翼の半ばが切り裂かれる痛みが走る。どれだけ斬られたのかはわからない。が、爪の勢いがそのままボクの体に伝わって、転がる勢いに加速がかかった。

 ゴロゴロと転がって、スピードを殺すことも出来ずに、いきなりふっと体が軽くなる。

 ボクの体は宙にあった。巣の外に飛び出していたのだ。

 回転しながら下を見る。

 見えない。地面は見えない。遥か下に緑の塊が広がっているだけだ。

 あ、これヤバいヤツだ……。

 ボクはそのままどこまでも落下していった。

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