車掌と社畜

大阪府某所、時刻は午後11時15分。

「ふぁ~あ……」

俺は欠伸を噛み殺しながら、いつものように満員電車に揺られていた。

俺の名前は橘雄介(たちばなゆうすけ)、29歳独身だ。

大学を卒業してからずっと某IT企業でプログラマーをしているのだが、ここ数年は仕事が忙しくてろくな休みが取れていない。

今日も朝から晩まで残業で、帰りの電車に乗る頃にはすっかり疲れ果てていた。

早く帰って寝たいところだが、残念なことにまだ降りる駅ではないようだ。

電車に揺られながらもう40分くらいは経っただろうか。

あと2駅で目的の駅に着く。

「はぁー。」

深いため息と共に窓の外を眺めた。

遠くの方で小さな明かりがいくつも灯っている。

12時を過ぎればあの家の明かりも全て消えるのだろう。

そう思いながら、疲れ切った重い瞼をゆっくりと閉じていく。


_____________

ふと視線を車両の窓から車内に戻す。

満員電車だった車内も気付けば俺一人だけになっている。

いつ座席に座ったのか、俺は車内にある座席に腰を下ろしていた。

ガタンゴトンという音だけが響き渡る車内、なんだか不気味で気味が悪い。

疲労がたまっているのだろう、後頭部に鈍い痛みのようなものを感じる。

「早く降りてしまいたい」

そう思ったその時。


ブッブ――――!!!

突然、汽笛のような大きな音が鳴り響いた。

その直後にキーブレーキの音が鳴り響く。

しばらくして電車は停止した。

「なんだ?線路に何かあったのか?」

俺は大きな不安に襲われる。

何かあったにしても、

人が線路に飛び出した、なんて話は勘弁してほしい。

俺自身、今まで死んでしまいたいって何度思った事か・・・。



俺の務める会社はいわゆるブラック企業だ。

毎日残業で帰りは遅く、体はボロボロ、それなのに安月給でメンタルもだいぶ削られてしまった。

未来には夢も希望もない。

それなのに会社を辞めない理由は、他に行く当てがないからだ。

住む場所もなく飢え死ぬくらいなら会社に残るべきだと、

何度考えても答えは同じだった。


しばらくして車内アナウンスが流れる。

「え~ただいま大変ご迷惑をおかけしております」

「迷惑は迷惑だけど、怒っても仕方ない、はぁ~…」

いつものように俺はひとり言をつぶやく。

それこそ、10代の頃の自分であれば、すぐに頭に血がのぼっていたに違いない。

しかし、自分はもう29歳の大人だ。

大人になるにつれて感情を表に出すこともなくなった俺は、

周囲の人間から冷たい人だと思われる事も少なくない。

人と争いたくない。

面倒に巻き込まれたくない。

何より、1人が好きなのだと・・・そう自分に言い聞かせた結果、

独身で寂しい1人暮らしを余儀なくされている、それが今の俺だ。

「彼女はもちろんのこと心を許せる友人もいない。結婚も出来ずに、このままくたばるのかぁ~…」

と、心の中でつぶやく。

5分くらいたっただろうか。

相変わらず電車は停止したまま、

窓の外は真っ暗で街の小さなあかりがぽつぽつ見える。

そういえば車内が妙に静かだ。

後部車両に乗っているであろう乗客が、

誰一人として前の車両に来ない…。

まさか、貸し切り状態とか…?

そう思っていたその時。

「あ、、、あ、、、あ、、あぁ、、、。」

ノイズ交じりの音声が耳に入ってきた。

さっきアナウンスをしていた車掌だろうか、電波の調子が悪いという感じではなく、

そっくりそのままの言葉を言っているように感じた。

「まさか、心臓発作かなにかか!?」

もしそうだとしたら大変だ。

救急救命士の資格を持っていないにも関わらず、動かずにはいられなかった俺は、

電車の3両目から2両目、そして1両目に足を進める。

不思議なことにどこにも人の姿は無い。

なおさら自分が何とかしないといけない、そう思った。

1両目に到着すると運転席に車掌の後ろ姿が見えた。

ガラス越しでも分かる、異様な光景。

アナウンスをしていた車掌が身体をゆらゆらと

ゆらしながら訳の分からない言葉をつぶやいている。

「は、、、、ら、、、、、、が。、、、」

「腹!?」

ノイズの中なんとか聞き取れた言葉。

腹痛であれば急病が何かだろう。

身体に異常があるということは、彼の姿を見ていればわかる。

ドンドン!

「ここを開けてくれ!!あなたを助けたいんだ!」

ガッチリ閉ざされた重い鉄製の扉を強くたたく。

「あ…ぁあ……」

駄目だ、、、。

車掌は俺の事を認識できていないのか、

こちらに背を向けたまま、ゆらゆらと体を動かしている。

「あ!そうだ!スマホ!」

ボロボロのカバンからスマホを取り出し、電源のボタンを押し続けた。

充電が切れている事は分かっていたけど、この際、関係ない。

非常事態なんだ。頼れるもんは全て頼る。


「・・・・くそっ、、、だめか、、。」

スマホの画面は真っ暗なまま、疲れ切った自分の顔を映し出すだけだった。

「まじで勘弁してくれよ」

前方にうっすら次の駅が見える。

とにかく外に出て、誰かに助けを求めないと。

焦る気持ちを抑えつつ、乗客用のドアに目を向ける。

ドアの横にある非常ボタンがここぞとばかりに自分の存在を主張しているように見えた。

カチっ。

「だめだ、ボタンが反応しない」

何度押し込んでもカチカチとプラスチックのような軽い音が鳴るだけで、

一切反応はない。

「こうなったら窓から出るしか…」

呼吸を整えながら窓枠に手を伸ばし、

重いガラスの窓を力いっぱい上に押し上げていく。

「っ…!開けっ…!…はぁ…はぁ…」

その結果、なんとか大人ひとりギリギリ通れそうな隙間ができた。

着ていたスーツが引っ張られる感覚を受けながらも、なんとか外に出る事が出来た俺は、心の中でガッツポーズをする。


線路沿いの地面に足をつけながら、運転席にいる車掌の方に目を向けた。

車掌は相変わらず、身体をゆらゆらと左右に揺らし続けている。

ここからだと車掌の顔が見えない。

そう思った俺は、

電車の前方に移動して車掌の様子を見る事にする。

車掌はきっと苦しそうな顔をしているに違いない、俺はそう思っていた。

だけど実際はそうじゃなく。

その顔は___________何故か笑っていた。

「え…?」

思わず声が漏れる。

自分自身、そんな表情をしていると思っていなかったからなのだろう、

全身の筋肉がこわばり、そこから一歩も動く事ができない。

何とも言えない恐怖心の中、電車と向かい合う形で、再度車掌の顔に目を向ける。

車掌の男がマイクを片手にニヤリと口角を上げた。

「お客様にお知らせいたします。人間じゃない生物が紛れ込んでいたので、

緊急停車いたしました。ただ今より発車いたします」


その声に誘いこまれたかのように、1両目に向かって乗客が押し寄せてくる。

そこで初めて、知らない間に乗客全員が後方車両に移動していたのだという事を

俺は知る事となる。


乗客の拍手と共に電車の汽笛が鳴り響く。

俺の身体は動かない。

電車がゆっくり動き出す。

俺の身体は動かない。

目の前が真っ赤になった。

その時、俺は全てを思い出す。


この電車に乗り込む前、俺は人間の男を食べた。

名前は橘雄介(たちばなゆうすけ)、29歳独身。

駅のトイレで待ち構えていた俺の手によって、男はバラバラになり、

自分の胃袋の中につめこまれ、男は亡くなったのだ。

その人間を食べた瞬間、橘雄介の記憶が自分の中に入ってきて、

俺はその男になった…。

外見、記憶や経験、人間を食べる事によって

俺は化け物から人間に変化する事ができるようになったんだ。


「なるほど…、後頭部の痛みは、電車に乗った時に

また人を食べようとして乗客に殴られたからか…」


ぽつりと独り言をつぶやく。

電車に轢かれ、上半身だけになっても俺はまだ生きているらしい。


人を食べようとして乗客に殴られた後、かすかに聞こえた車内アナウンス。

「乗客の皆さん、落ち着いてください。全て私が対処します。

どうか何もせずに後方車両に移動してください」


車掌の言葉を聞いた乗客は全員、俺を残して後部車両に移動していた。

「思い出した…思い出したぞ…」


あの車掌も最初は人間らしかった。

俺と同様、何かがきっかけとなり、突然思い出したのだろう。

自分が人間ではなく人を喰らう化け物だということを…。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る