閑話 邪龍討伐の影響
《賢者の塔――賢者の間――》
霧と魔力に包まれた秘境にして魔術師錬金術師の集まる修行の地、【学術都市エナケベル】、その中央にある【賢者の塔】の一室にて、かつて勇者アスタウェルと共に魔王ブグモデンを倒した先々代賢者、【老師】グルゼンは新たなる魔王ブグドルドゥの動向を探るため、“先見の大儀式”を行っていた。
「これはっ! 【滅域邪龍】グガドゥーンの反応が消滅した!?」
グルゼンの上げたこの声に、儀式を行っていた世界有数の高位魔術師達はざわつく。
「老師様! それは真にございますかっ!」
「馬鹿を言え、“先見の大儀式”が、それも老師様の執り行った儀式に間違いが有るわけ無かろう!」
“先見の大儀式”は世界を廻る魔力の流れから大きな力の動きを読み取り、世界の行く末を占う術だ。
つまり大雑把な世界の流れを計り推測する術。
導き出す占い結果は兎も角、計り知れる情報自体は正確であった。
そして儀式の中心となったグルゼンは間違いなく世界最高の魔術師。
約1300年前の第二次人魔大戦から評価の揺るがぬ賢者だ。
ハイエルフでこそあるが老齢の為、実戦はもう出来なかったがその術の腕は一切落ちていない。
誰もが認める魔術の最高権威。
そんなグルゼンが儀式を失敗したとは誰も思えなかった。
儀式を共に行った高位魔術師達にも失敗は絶対に無かったと確信できている。
だからこそ皆声を荒らげた。
「しかし! 消えたのはあの邪龍ですぞ! 今年だけでも七つの砦と二つの都市を瞬く間に瓦礫に変えた!」
「冷静に! これは邪龍が暴れていると言う凶報ではありません! 邪龍が死んだと言う吉報です!」
「何者が討伐したのでしょうか? そんな強者が動けばここにも情報が届く筈ですが?」
「あの邪龍を騒がれずに討伐出来るとは思えん。老衰でもしたのでは?」
「あの邪龍は堕ちたとは言え元は龍。寿命で死んだとは思えませんが?」
と普段冷静沈着な高位魔術師達は口々に声を荒らげるが、勿論それには訳がある。
龍は神にも届く存在。
龍脈からエネルギーを吸い天災を撒き散らす自然の脅威そのもの。
羽ばたきと共に嵐をばらまき、その咆哮は地震を引き起こし地底の溶岩を呼び覚ます。
自然界の頂点に君臨する圧倒的上位生物。
人が直面し知り得る最上級の脅威だ。
そんな龍は人に味方する事も敵対する事も無い。
何故なら彼らにとって人は取るに足らない存在。
人の鍛え上げられた技も武器も、築き上げられた魔術も城壁も彼らには障害になり得ない。
龍はそれらを意識せずに進むだけで踏み潰し粉砕する。
だから人に興味を抱く事はない。
そして龍は龍脈から滅多に動かない。
人が自ら接触しなければ両者が関わる事はない。
だが、グガドゥーンは違った。
【滅域邪龍】グガドゥーンは人類と敵対する魔に堕ちた龍。太古の昔に命の味を覚え、龍脈を捨て存在そのものが変質した邪龍だ。
その代償として首と尾は無数に分かたれ、大分弱体化したが腐っても龍。
無数の首から放たれるブレスは容易く外壁に守られた街を焼き払い、幾つもの都市を破壊し人々を虐殺してきた。
幸い一度暴れると満足して永き眠りについてきたが、それでもかの龍による被害は計り知れない。
そんな邪龍が魔王と手を組み、【魔王四天王】となったのは長い歴史からみればつい最近の事であったが、人類史上でも片手で数えられる程に深刻な事態だった。
この世界の【魔王四天王】と言うのは名前だけの看板ではない。魔王が自らの力を分けた四体の腹心を呼ぶ。
魔王自らを分け与えた分霊のような存在だ。
四天王が存在する限り、魔王は数年で復活を果たしてしまう。
そして魔王は人類を殲滅の対象とする最大の脅威。倒す以外に人類に安寧は訪れない。
即ちグガドゥーンが【魔王四天王】となった事で、人類はグガドゥーンとの衝突を避けられないものとなってしまったのだ。
それまで命を喰らい人類を虐殺するグガドゥーンは無視出来ない脅威だが、直視しなければいけない存在ではなかった。
何故ならグガドゥーンは気紛れ。常に人類を喰らうために暴れている訳ではなく、百年に一度人類を喰らう程度。
絶対的な脅威だが、立ち向かわなくとも被害は時と共に終結した。寧ろその強さから立ち向かってはいけない存在として、一種の災害として認識する事が出来た。
逆に言えばそれで済ましても安心が得られる程に手の終えない存在がグガドゥーン。
だから明確に人類の敵となったグガドゥーンは、史上類を見ない脅威、それは人類の力を結集して倒さなければならい魔王が二柱になったような非常事態だった。
現に、国家の境界が極めて曖昧になった程。
あまりに強大な魔王と邪龍に人類の精鋭勇者軍は二つに分かれなければならず、人類同士の争いは魔王が現れてからの約百年、めっきり無くなった。
国境には防衛軍ではなく勇者軍の砦しかいない。
そしてもう一つ言えば、人類は魔王ブグドルドゥに約百年の間、打ち勝つ事が出来ていない。分けた戦力ではどちらにも敵わなかった。
被害も人類同士が戦争を出来た時代の被害よりも大きく、押され続けている。
まだ人類が滅んでいないのは単に地形から。魔王軍の根城から人類の領域との間に【城壁山脈】と言う巨大な山脈が大陸を分け、魔王軍が進行出来る道が限られ狭いからだ。そこさえ犠牲を厭わず抑えれば何とかなった。
それだけの存在、百年もの間、人々を滅亡の危機に陥れていた存在が【滅域邪龍】グガドゥーンだ。
そんな存在が消滅したと聞いて、冷静でいられる者などいない。
ここ千年で最大のニュースと言っても過言ではないのだから。
「老師様、何者が邪龍を討伐したのでしょうか?」
この問いかけで、騒がしかった魔術師達は一斉に口を閉じ、グルゼンの答えを待った。
信じられないが、邪龍が滅びる要因はそれしか存在しなかったからだ。
そしてグルゼンはゆっくりと口を開く。
まるで自らを落ち着けているかのように。
「判らぬ」
この無責任かつ巫山戯た答えをグルゼンは厳かに伝えた。
その雰囲気に魔術師達は呑まれ、誰も発言は出来なかった。
そしてグルゼンの真意を読み取ろうと、グルゼンの一言一句に集中する。
「初めて見る魔力じゃ、儂よりも強大な。それが二つある。儂でも持ち主が何者か見当もつかん。
判ることは一つ。そもそもが儂の知るこの世界の如何なる生物でもない。人間に最も近いが全くの別物じゃ。魔に属する輩ですらない。
太古の神の眷属か、はてまた神代の古代兵器の類いか、何にせよ既知を越えた者じゃ」
この発言でまた場が騒々しくなった。
まだ動かぬ、不動と言う固定観念が根付いている龍がかつての同胞を討ち取ったと考える方が容易な答えだったからだ。
「今は亡き古の神の眷属が現存している可能性があるとっ!?」
「しかし、それほどの存在ならば事前に気付けた筈! 特に神の降臨ならば各神殿が確実に察知している筈です! そんな報告はありません!」
「ならば、人型の古代兵器だと!? しかし、今までそんな強大な力は感知出来ていません! 聖剣などとは違い、常に動力源が必要な筈! 今まで起動していなかったと考えても、それこそ周辺の魔力を多量に吸収といった大規模な兆候を感知出来た筈です!」
「だが、老師様の言うように未知の存在でかの邪龍を倒しうる存在はおらぬ! 既知から繋がる存在であれば、とっくに我らは邪龍を討伐しておる! 今重要なのは未知の正体を探る事ではない! 邪龍を討伐した未知がおると言う事だ!」
あちらこちらで声をぶつけ合ってきた魔術師達は、グルゼンの隣に立つ彼の高弟、現賢者エブロンの声に冷静さを取り戻す。
いくらここで議論したところでどうしようも無いと気が付いたからだ。
魔術師達がが落ち着いたところで、エブロンはグルゼンに向き直る。
それに合わせその場全ての視線がグルゼンに集まった。
「皆の者、勇者軍、世界各国、各ギルド、神殿、主要な組織人物すべてにこの事を伝えるのじゃ!
【滅域邪龍】グガドゥーンが正体不明の何者かに討伐されたと! そして直ちに調査するよう要請するのじゃ! そして討伐者を見つけ次第見極めよと! 決して手を出すなと! 最優先で全世界での情報共有を徹底するのじゃ! これは吉報、人類に差した光であると同時に、人類の滅亡への凶兆かも知れぬ! 決して敵対してはならぬ! 全人類の命運が、その者達にかかっておるのじゃ! まず情報入手、そして情報共有、この方針を徹底させよ!
特に邪龍が根城にしていた【邪龍の天空砦】近郊の街、【落龍城砦都市グラムジーク】に、守護を担当する勇者エリューンにこれを最優先で伝えるのじゃ!
ここからも調査団を派遣する! リーダーは賢者エブロン、お主に全権を任す! 勇者と協力して真相を究明せよ! 我らの魔力が回復し次第、“長距離転移術式”で出発じゃ!
さあ各々行け!」
「「「御意っ!!」」」
ここに、【老師】グルゼンより、世界に向け大号令が発せられた。
これにより世界は新たな局面を迎える事になる。
大号令に応じた世界各地の者達は一斉に行動を開始した。
各々調査隊、捜索隊の発足。邪龍討伐の公表。
情報が集まりいくつものルートからグガドゥーン討伐が確認されると軍の配置変えがなされ、世界の戦闘態勢が一新された。
特に対魔王軍の態勢は大きく変わる。
対邪龍に備えていた軍の合流。魔王軍に対する軍事力は約二倍まで一気に膨れ上がった。
これにより、魔王軍に押されていた戦況は一時逆転する。
世界は大きく動くのだった。
この事をまだ当事者二人は知らない。
そして当事者の正体を世界は知らない。
当事者の正体が世界に知れ渡る時、この比ではない激震が世界を駆け巡る事になるのだが、今はまだ誰もその事を知らない。
《地域解説》
・【学術都市エナケベル】
【エバンジエ世界】にある唯一の大陸【一なる大地】の最西端にある都市。
大陸東側を魔王軍が占領しているため、最も戦線から遠く安全であると考えられている都市で、世界各地から子供が集められ教育が施されている。
それに合わせて教育者や学者、退役した軍人達が集結している。
次代を担い人類の希望の一端を背負う都市。
元々は精霊王の宿る世界樹、世界最大最古の樹木があるエルフ族の秘境であったが、第一次人魔大戦のおり最後の砦として開かれ、この時より次代を担う者達を育てる場と化した。
周囲は切り立った岩山と深い樹海に包まれ、都市には【老師】グルゼンを初めとした魔術師による強固な結界が張られている。
各国の未成年王族や貴族の大部分も成人までここに預けられており、騎士達による防衛力も高い。
ただし人口の割合は女性、非戦闘員の比率が他都市に比べて高く、戦力は偏っている。
また、場所やその性質から回復ポーションなどの一大産地であり、薬師の人口が世界で最も多い。
世界に数人しかいない欠損回復の術者等、替えの効かない非戦闘員の多くもここにいるなど、最終後方都市でもある。
食料は樹海の中にある関係上、畑がなく作物の生産をしていないが、その分森の恵みが豊かで、また魔力を対価にした精霊との契約で特定の果実を得る事が出来る為、食料供給は十分である。
尚、気候は年間を通して寒くはないが涼しく、朝は霧に包まれていることが多い。
降雨量も多く、水が豊かであり都市の景観は森と水の都市と評される。美しい都市でもある。
・【落龍城砦都市グラムジーク】
【滅域邪龍】グガドゥーンの住み処であるA級ダンジョン【邪龍の天空砦】に最も近い城砦都市。
グガドゥーンを抑える目的で造られた城砦都市で、勇者エリューンが居を構えている。
都市は何重にも重なって造られた城壁の間に造られており、高い塔など幾つもの対空兵器が備え付けられている。
ただしこの都市の目的はあくまでグガドゥーンの足止め、そして監視及び軍の補給であって防御に重きを置かれている。
有事の際は主に勇者エリューンがグガドゥーンを地上に落とし足止めをし、各都市に避難準備を促す。
グガドゥーンが規格外に強かった為に討伐は目的に無い。勿論念頭にはあったが、あくまでも出来たらのおまけであり、避難などの時間稼ぎの為に存在している。
史上何度もグガドゥーンにより破壊されており、過去の城壁片などがそのまま再利用され小山のような都市となっている。
密度で考えれば最も石材が使われている都市。
気候としては四季があり冬に大量の雪が積もる。
産業は魔物が多い為に冒険者産業ぐらいしか無い。周辺に農耕地もなく食料は魔物肉以外ほぼ全てを他の街に頼っている。
非戦闘員の数が非常に少ない都市で、グガドゥーンを抜きに考えてもダンジョンが【邪龍の天空砦】以外にも多くあり、危険かつ稼げる為に各地から冒険者が集まっている。
一般の店舗も大部分は引退した冒険者達によって経営されており、元々砦として造られたこともあり純粋な非戦闘員は子供と一部商人ぐらいしかいない。
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