第168話 勝者は狂喜乱舞し


 全てが終わり、土煙が風に流されると、東屋の外には巨大なクレーターができていた。


 あの美しかったエメラルド色の湖は消し飛び、半球状に抉られた地面は黒く、虚ろな穴を開けているばかりだった。


 少し前までそこに居たはずの祐奈、ラング准将の二名の姿は跡形もなかった。人間どころか、この地に生息していた虫や蝶、鳥、それら全てが無残にも消失していた。


 アンはヒビだらけになった東屋の中から、茫然とその光景を見おろし……そして一拍置いて、喜びを爆発させた。


「私、勝ったの? 私の勝ちね? 間違いないわね? やった――やった、勝った、私、勝ったわ! 勝ったの! すごいわ、勝ったのよ‼」


 居ても立っても居られないという様子で、肘を畳み、かがむように身をよじり、地団太を踏み、口を大きく開けて吐息のような笑みを漏らす。


 勝った勝った勝った勝った勝った――! わぁい、勝ったー!


 狂喜乱舞。それはあまりに無邪気な喜び方だった。


 しかし近くで傍観していた枢機卿は、こうしてアンがはしゃぐほどに、陰鬱な気持ちを強めていった。彼からすると、彼女のこの有様は滑稽に映っていたし、うるさく、煩わしいとしか思えなかった。


 アンは終始祐奈を圧倒していたから、ギリギリな局面というものは、実は一度もなかったのだ。それなのにこの喜びよう。大人が幼児を力で圧倒したあと、『苦しい戦いを制した!』と言ったりするだろうか? そんなわけはない。


 あるいは――アンは死の危険を感じることなく、ゲーム感覚で勝負に臨めたから、かえって気楽に喜べるのだろうか?


 ……けれどまぁアンから言わせれば、途中肝を冷やしたシーンも、あるにはあったのだ。二撃防がれたあと、雷雪を繰り出された時は、ぞっと寒気を覚えたものである。


 ――それでもアンは初めから終わりまで、聖典に堅く護られていた。


 東屋が防御壁となってくれたので、ガードのために魔法を展開させなくても済んだし、魔力自体も聖典が横流ししてくれたから、消耗してキツい思いをすることもなかった。


 ――祐奈のほうはアンの炎龍から身を護るため、序盤は氷雪を防御に回すしかなかったようだから、相当キツかったのではないだろうか。


 というのも、あの戦い方では、先手必勝の作戦が選べないからだ。祐奈は聖典に嫌われてしまったことで、『アンの防御の隙を突いて、すぐさま息の根を止め、魔法を停止させる』という作戦を取ることができなかった。


 枢機卿はアンがはしゃいでいるのを遮りたくなって、彼女に問いかけていた。


「――祐奈は間違いなく死んだのですね?」


「ええ。それは間違いないわ」


 まだ彼女は笑っている。


「なぜ言い切れますか?」


 会話をするうちに、アンのエキサイトぶりもさすがに少し治まってきたようだ。笑みがやっと引っ込み、平素に近い状態で答えを口にした。


「彼女の気配は完全に消失した。聖典は祐奈が消し飛ぶまで絶対に許さないから、彼女が生きているなら、私を戦わせようとするはず。でも、現状、聖典の魔力が沈静化しているの」


「あなたの魔力は?」


「現状、まだ少し残っているけれど、それもすぐなくなる」


「なぜ?」


「聖典の音読をすれば、役目が終わるからよ。それをもって私は完全に常人に戻る。986年に一度、聖女が二人来る際は、聖典は必ず一人を殺し、もう一人は生かすけれど、魔力を全て奪って糧とする。――でもそんなことはもう、どうだっていいでしょう? とにかく私は勝ったの。圧倒的に、勝利した」


 枢機卿は苦い思いを噛みしめながら、


「聖女アン――それでは聖典の音読を」


 と事務的に促した。


 東屋の中には演台のようなものがしつらえてあり、そこに本の形をした34行聖典が載せられている。1Pが34行構成となっているそれは、序文で世界の真理が説かれており、その中に『音読することで効果を発揮する祝福の呪文』が挿入されていた。聖女が音読しなければならないのは、この呪文部分である。


 ――キング・サンダースは誇らしい気持ちでアンの元に跪いていた。


 先の大戦は、彼がこれまでの人生で見たものの中で、最もエキサイティングなひとこまだった。この歴史的瞬間に立ち会うことができて、感動していた。


 ただ一点――祐奈は『醜い聖女』だと聞かされていたのだが、実際に素顔を見てみたら評判とはまるで違ったので、少し複雑な心境にはなっていたのだ。


 もしもアンと出会うことなく、先に祐奈と関わる運命であったならば、清廉で少女めいた彼女を前にしたら、柄にもなくかなりまごついてしまったかもしれない。


 おいそれとは話しかけられないような心情になり、少年のように上がってしまっていたかも。


 アンは聖女ということでかけがえのない存在ではあるのだが、外見的には、サンダースを緊張させるようなところはなかった。そのため彼女に対して敬意を払いつつも、普通に話しかけたり、近寄ったりすることはできていたのだ。


 とはいえサンダースはアンを深く愛していたので、彼女の勝利を心から祝福していた。


 ――王都帰還後、彼女とは籍を入れることになるだろう。アンとその件で話し合ったことはなかったが、彼女の気持ちはよく分かっているつもりだ。


 きっとアンとの触れ合いは、えもいわれぬ感動をもたらしてくれるはずだ。


 そうでなければおかしい。――彼女は奇跡の聖女であり、彼がこれまで寝てきた、他の女とは違うのだから。


 アンが素晴らしい女でいてくれる限り、サンダースは誠心誠意、彼女に尽くすことができるだろう。



***



 オズボーンはしばし虚脱したかのように、地面に開いた穴を眺めおろしていた。


 そんな彼がなんの前触れもなく、突然ふらりと歩き始めたので、枢機卿は思わずそれを呼び止めていた。


「おい、どこへ行く?」


「もう全部終わったでしょう? 僕はここから別行動を取ります」


「なんだと?」


「あ――最後に一つお節介を。東の丘陵には出ないほうがいいですよ。フリンは惨敗したから」


「そんなはずはない。千の兵を従えていたんだぞ!」


「でも負けた。丘陵で待ち受けている敵兵は、祐奈の帰還を待ち望んでいる。殺されたくなければ、さらに北へ抜けると侘しい漁師町に出ますから、そこから北海を船で移動することですね」


「勝利した聖女が、そんな敗残者のように逃げ帰るとは……」


「何も王都まで船で戻れとは言っていない。丘陵地を迂回できればそれでいいんです。船で東に向かえば、ひとつ前の拠点に出られるでしょう? そこからは普通に陸路で戻って行けばいい」


 さよーならー、とこちらの顔も見ずに手を振り振り歩き出してしまったオズボーンの背を見送り、枢機卿は思わず額を押さえていた。


 アン、サンダース、自分――この三人での帰路となるのか。先を考えると、げんなりしてくる。


 しかし文句を言えるような立場でもなかった。祐奈が冷遇されることとなった責任の一端は自分にもある。――アンに脅されていたとはいえ、王都に居た段階で、自分が少しの勇気を出せば、祐奈のほうに肩入れすることも可能だった。しかし彼はそれをしなかった。


 祐奈がローダールートを進んでいれば、あるいは……逆転も可能だったのかもしれないのに。


 アンには一日(いちじつ)の長(ちょう)があったし、初めから聖典に贔屓されていたけれど、祐奈がローダールートという王道を歩んで行けば、その過程で聖典に認められ、許される可能性もあった。


 ――祐奈は理想の聖女だったと、枢機卿は心の中で彼女を追悼した。


 忍耐強く旅をして、行く先々で問題を解決してきたようだ。彼女に助けられた者も多くいただろう。


 はにかんだような彼女の素顔を思い出す。――鮮烈で、可憐だった。彼女は無欲の人でもあった。打算もなかったし、かといって、人間味を感じないほどに正し過ぎることもなかった。ただ親切で、寛大だった。


 そしてとても綺麗だった。世の男性の百人が百人、振り返って見惚れるような派手さはなかったけれど、枢機卿は彼女を思い出すと、自身の好みもあるのか、やはり『綺麗な子だった』という感想が浮かぶのだ。


 枢機卿は深い後悔に襲われた。それは棘のように胸の中に残り、永遠に抜けないのではないかと思われた。


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