第164話 ギリギリ
遥か向こうに特徴的な岩山がそびえている。それはトリケラトプスの頭にあるフリルを想起させるような、不思議な形状をしていた。
その手前には深い森があり、背後にある灰色の岩山とのコントラストが鮮やかだった。
地形は起伏に富み、交互に織られているかのように波打って見えた。丘陵には丈の低い草が、緑鮮やかに生い茂っている。
――二時の方角に、森を背にして、黒い小さな人影が無数に散開しているのが見て取れた。これだけの距離があっても圧倒される、ものすごい数だ。
祐奈たちが地図上に載っているルートから北上してくると考え、あの場所で待ち伏せしていたのだろう。こちらは振り香炉のアドバイスにより、西端から丘陵に出ることができた。
廃坑道の情報を向こうは掴んでいなかったのだろう。こちらが完全に裏をかいた形だ。
ラング准将が説明してくれた。
「――丘陵地を抜けて森に入ってしまえば、それ以上追われることはない。森の向こうはウトナの領域になるから、極大魔法の余波を恐れて、連中は森には踏み入って来ないはずだ」
あちらは望遠鏡で周囲を絶えず監視していたのだろう。静止していたゴマ粒ほどの黒点が、わらわらと動きを見せ始めた。
こちらに向かって来る。
先手を取ったものの、森までが遠い。全速力で駆けたとしても、おそらく道半ばで追い着かれる。
前方――百メートルほど先に朽ち果てた教会があった。黄色がかった煉瓦壁に、臙脂の瓦屋根。長方形の簡素な建築物である。
祐奈は必死で走った。すごいスピードで背景が流れて行った。
やっと教会の南端へ辿り着き、そのまま西壁沿いに前進する。
――不意に、最奥の壁から賊の群れが出て来た。数は十ほど。ラング准将が呟きを漏らす。
「やはりこちらにも見張りを置いていたか」
先行していたリスキンドがラング准将に告げる。
「――足止めをくらうわけにはいきません。俺が応戦します。行ってください」
「気をつけろ」
十対一。無茶だ、と祐奈は思った。しかしこの状況では他にどうしようもない。
リスキンドが一気に加速し、敵中に突っ込んで行く。
ラング准将は傍らの祐奈を気遣いながらも、あちこちに注意を払っていた。
祐奈はリスキンドを援護したい気持ちを必死で抑えねばならなかった。雷撃を使えば、十名程度、すぐに落とせる。でも……
「――祐奈」
ラング准将がこちらを流し見ている。
冷徹なほどにクリアな瞳だった。彼は常に取捨選択を迫られている。今すべきこと――反対に、してはいけないこと。自分にできること。できないこと。
そんな彼が魔法を使ってはいけないと言ったのだ。今もクドクドと念押しするようなことはなかったが、短く呼ばれた名前に、彼の気持ちが込められているように感じられた。
祐奈は改めて決意を固めた。――魔法は使わない。
ラング准将が素早く左手に視線を送り、小さく舌打ちを漏らす。
「――西に射手がいる」
左側を見ると、少し離れた場所に、小さな平屋がいくつか固まりになっている一角があった。玄関らしき部分には扉すらない。元は集落だったようだが、なんらかの理由で住人が出て行ってしまったのだろう。
陸屋根タイプで、勾配が設けられていない平坦な上部に、七名ほど敵がいた。弓を構えている。
坑道から飛び出した際、あの小屋のあたりは視界に入っていたのに、射手の姿は確認できなかった。おそらく祐奈たちが飛び出したあと、裏にかけてある梯子か何かを伝うかして、慌てて屋上に出て来たものと思われた。
ラング准将は右利きなので、祐奈を左側に置いて突破をかけたいところだが、西(左)に射手がいてはそれができない。
走りながら互いの位置を巧みに変え、祐奈を教会の壁側に置く。それと同時に剣を右手から左手に持ち替えた。……彼は左手でも剣を扱えるのだろうか? できるとしても、利き手ほど自由には扱えまい。
――一斉に矢が放たれた。
ラング准将は走りながら自身の位置、祐奈の位置、飛んでくる七本の矢、速度、軌道――全てを感覚的に捉え、一瞬のあいだに判断を下していた。
まるで精密な機械のようだ。
祐奈に当たりかねない矢の一本を落ち着いた剣捌きで落とし、自身の頭上に迫ったものに関しては、時間の無駄とばかりにかがんで避ける。それも最小限の動作で。
彼にとっては危なげない行為なのかもしれないが、紙一重で避けているのを見させられた祐奈のほうは、すっかり肝を冷やしてしまった。
あ、当たるかと……!
前方でリスキンドが同時に二名を相手にしているが、その奥から小回りの利く一名が、横を突破してこちらに向かって来た。
ラング准将の体が沈む。
速い――彼が左手に持った剣が予測不能な軌道を描き、一瞬で敵を斬り伏せてしまった。浅く入射し、壁にぶつかって、その後予想もしなかった場所に飛んで行く撥ねた弾丸を思わせるような、とんでもないスピードと凶悪さ。
襲いかかって来た男の体が、二人が通過したあとで、ゆっくりと地に落ちる。
――射手が次の矢を放っていた。
ラング准将が手首を柔軟に返すと、飛来して来た矢は矢尻を折られ、弾かれる。動作が速すぎて、祐奈は剣の辿った軌道を目で追うことができなかった。左手に握られた剣一本でしているとは思えない、高度な処理を難なくこなしている。
祐奈たちが駆け抜けるためのスペースを確保すべく、前方で戦っているリスキンドが敵に体当たりをした。
――道が開く――
しかし射手はすでに次の矢を番(つが)えている。
ラング准将、祐奈、リスキンドが横一線に並ぼうとしていた。一同は危険な綱渡りを強いられていた。
「まだか」
ラング准将が焦れたように呟きを漏らした。
その刹那――轟音が響いた。
祐奈は一瞬状況を把握することができなかった。一泊遅れて視線を右に向けると、少し先の西壁が無残に破壊されていた。
大槍がどこかから飛んで来て(刺さり方から見て西から飛んで来たのだろう)、敵の体を貫き通し、そのまま壁面に突き刺さったらしい。
――祐奈は左側を振り仰ぎ、こちらに向かって来る懐かしい顔を認めた。
「――祐奈!」
どうして? ここにいるはずがない。
「アニエルカ!」
出会った時は親指姫くらいの大きさしかなかった、祝福の精霊アニエルカ。今やすっかり大人の女性の大きさになっている。彼女は力強い族への嫁入りが決まったあと、ひと月くらいかけて、人間の大きさに変わると言っていたっけ。
――彼女は夫であるブロニスラヴァの肩に担がれていたのだが、そこから飛び降りてこちらに駆けて来た。その勢いのまま抱き着いてくる。
ブロニスラヴァは唸り声を上げながら突進を続け、重戦車のように敵三名を力ずくでなぎ倒した。
戦闘に慣れているはずのリスキンドも、流石にこのパワープレイには度肝を抜かれたらしく、ブロニスラヴァの迫力に呑まれている様子だ。
「助けに来たわよ、祐奈!」
アニエルカの体を抱き留めながら、祐奈は西の廃屋上にいた射手たちが、次々に打ち倒されていく光景を眺めていた。
――あれは体硬い族だ。
「ロメロ!」
おーい、とリスキンドが手を振りながら体硬い族の長に呼びかけると、射手を排除してくれたロメロが笑顔で手を振り返している。ロメロは夜の生活の件で悩みを抱えていたようだが、それをリスキンドが見事に(?)解決してみせたので、今でも恩義に感じているのかもしれなかった。
祐奈は視線を戻し、間近にあるアニエルカの顔を見つめる。
「あなたたち、どうしてここに?」
「少し前に夢見で知ったの。ウトナで、あなたには助けが必要になるってことが」
「あなたたちの町が、ポッパーウェルに狙われているんでしょう? こんなところに出て来てしまって大丈夫なの?」
力強い族の故郷を、ポッパーウェルが攻め落とそうとしていた。助けてくれるのはありがたいが、心配になってしまう。
「故郷は空にできないから、少数部隊で来たの。祐奈を助けたいっていうのももちろんあったんだけれど、フリンがポッパーウェルで調達した私兵もかなりの数こちらに流れて来ているから、遺恨をここで断つためにも、放ってはおけなかった」
「アニエルカ……」
心細かったのもあり、涙が滲んでしまった。
アニエルカはこう言っているが、彼女がもっと自分本位に物事を考えていたなら、自陣で守りを固め、折を見てフリンを倒す作戦を選んだほうが、ずっと安全だったはずだ。
彼女が今こうして、ギリギリの状況の中で駆け付けてくれたのは、祐奈たちを助けようという気持ちがあったからに他ならない。
「なによ、あたしたち、友達でしょ。――あ、そういえば、ヴェール取ったのね。そのほうがいいわよ」
人間になったアニエルカと話すのは、なんだか変な感じがした。
ラング准将は二人のそばを離れずに、敵が突破してきた場合に対処している。
ブロニスラヴァ、リスキンド、最奥をラング准将が固めていれば、十ほどの敵など問題にはならなかった。呆気なく片がついた。
「――ラング准将」
アニエルカは祐奈の肩に腕を乗せたまま、今度は彼に呼びかけた。
「あなたが助力を求めた相手――カザン、グラント、レヴィンほか、五つの部隊が集まっています。東側から攻めると言っていました」
ラング准将はティアニーを発つ前に手紙を書き、過去交流のあった相手に送っていた。自国内に彼のファンは多くいるが、決戦の地は国外――しかも西の果てのウトナとなるので、大量の援軍を自国内から引っ張って来るのは難しい。しかし国外であっても、ラング准将が命を助けたり、困難の中から救い出したりしたことで、恩義を受けた相手は数多く存在した。
ウトナに遠征可能な相手だけを選別して手紙を送ったのだが、幸いにも、多くの友人たちが応えてくれたようだ。
詳細を打ち合わせしている時間的余裕はなく、地点と日時だけをなんとか伝えることができたのだが、綱渡りだった。
誰も助けに来ないことも想定されたので、祐奈には計画を話さなかった。期待していたのにだめだったとなると、戦闘訓練を受けていない彼女は、精神を立て直すことができないと思ったからだ。
――結果的に、エヴェレットで祐奈が熱を出したことで、帳尻が合ったことになる。あれがなく一日早く発っていたなら、前乗りする形となるので、援軍を待つため、一夜を薄汚れた坑道内で過ごすことになっていただろう。
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