最終章 明日へ
第163話 心は君のそばに
祐奈、ラング准将、リスキンドの一行は、エヴェレットを発ったあと、二頭の馬でひたすら北を目指した。そしてウトナがもう目と鼻の先……というところまで迫ったところで脇道に逸れ、今は使われていない坑道に足を踏み入れたのだった。
――この抜け道は振り香炉の聖具が教えてくれたものだ。
『複数魔法同時行使』の補助呪文を授けてくれただけでもありがたいのに、抜け道まで教えてくれるなんて、至れり尽くせりだなと祐奈は思った。
ウィット氏が『奇跡の穀物』を持ってエヴェレットにやって来るのが、振り香炉はよほど嬉しかったのだろうか。
坑道の中は岩石がゴロゴロと転がっているので、馬で進むことは断念した。
エヴェレットで馬を借り受ける際に、『自分たちが戻らなかったら、ウトナまでの道筋を辿って、馬を迎えに来てくれ』と依頼しておいたので、祐奈たちに何かあったら、馬番の男性が、坑道入口に繋がれた馬を回収してくれるだろう。
「――聖女アンはフリンと手を組んだようです」
ラング准将が祐奈の手を取り、進みながらそう教えてくれた。祐奈は『聖女アン』という響きに、どうにもまだ馴染めずにいる。
――祐奈の中で聖女はやはり『アリス』なのだ。
彼女にはカリスマ性があった。造形の美しさだけでない、人目を惹くプラスアルファの何かを持っていた。
同様のことは、日本に居た時、トップクラスの俳優、女優を画面越しに見ていて感じたことがある。――売れる人は、何かを持っているな、と。同じことをしていても、その人だけ集団に埋没せずに、浮き上がって見える。
アリスが多くの護衛騎士たちを惹き付けていたのは事実で、彼女には男心をくすぐるような、不思議な魅力があった。
アリスと護衛騎士の大半は、カナンにて消息を絶ったという。
あの遺跡の圧が消えていたことから、アリスともども聖典の犠牲になったのだろうと、先日になってやっとラング准将から聞かされた。それで祐奈は心にぽっかりと穴が開いたような、奇妙な喪失感を味わうことになったのだった。
敵対的な関係ではあったけれど、アリスはそれだけ祐奈の中で大きな存在だったのだと、失ってみて思い知ることとなった。
アリスを操っていたのは、枢機卿の側近という役柄を演じていたアンだった。それは頭では分かっているのだが、なんだかまだリアルに感じられない。
そしてフリンの名も久しぶりに耳にした。ポッパーウェルで民衆を扇動し、破滅に向かわせようと画策していた、詐欺師フリン。なかなかに手ごわい相手だった。
「――フリン、ですか」
アンだけでも強敵なのに、あのフリンも向こうについているとは……。
「二人は元々顔見知りだったのかもしれません。――アンがこちらの世界に迷い込んですぐ、行方不明になっていた時期があるので、その間に知り合っていた可能性が高い」
――なるほど、確かにそうである。フリンは祐奈たちが辿ったカナンルート途上のポッパーウェルに居たのだから、遠く離れローダールートを進んでいたアンと(彼女はアリス隊を後追いしていたので、辿っていたのはローダールートになる)、コンタクトを取れたとは考えられない。従って、親交を深めることができたとするなら、旅に出る前の空白の時期しかありえないだろう。
「フリンが協力しているということは、私たちを待ち伏せしているならず者たちの中に、ポッパーウェルの住人も多く混ざっているのでしょうか?」
「ポッパーウェルは進退窮まっていますので、ウトナまで遠征してくる余裕はないはずです。しかしフリンは熱狂的な信者を抱えていましたから、ポッパーウェルというコミュニティから離脱して、フリン個人についてきた者もいるかもしれませんね」
「フリンは多くの兵を従えているのですよね? どうやって集めたのでしょうか」
「裏社会に顔が利くようなので、金で雇ったのだと思います。枢機卿がアンをバックアップしていますから、資金は潤沢にある。――数は千以上」
「千?」
気が遠くなるような数だ。それをたった三人で、これから突破するのか。
ならず者たちはウトナ手前の丘陵地に集結しているようなので、見晴らしの良いそこを抜けなければ、ウトナに辿り着くことはできない。
最終決戦は厳しいものになるだろうというのは覚悟していたが、まさかアンと対面するまでに、千もの兵を退けないといけないとは……。
――しばらく進んで行くと、丘陵地の西端に接する出口前に着いた。穴は蔦で覆い隠されている。葉のあいだから陽光が射し込んでいるので、外はまだ明るいことが分かった。
ラング准将がこちらに振り返り、祐奈をじっと見おろして告げる。
「祐奈、誓ってください。――自分の身を守る以外の目的で、魔法を決して使わないと」
言われた意味を理解し、衝撃が胸に広がる。言葉もない祐奈に、彼がさらに続けた。
「私とリスキンドが危険に晒されたとしても、絶対に使ってはいけない」
「でも」
「ウトナに到着したら、アンとの魔法対決が控えています。ベストな状態でも勝てるかどうか分からない。アンは強い。そして狡猾な策士でもある。決戦前にあなたの魔力を削っておくため、捨て駒で千人集めた。敵の策略に乗ってはいけません」
祐奈はレップ大聖堂にてアンの魔法を間近で見ている。レベルが違った。
祐奈もコントロール自体は得意なほうであると思う。針の穴を通すような、そういった小手先の操作ならば、いい勝負には持っていけるかもしれない。
――けれどどうしても力量が違う。
アンはこちらの世界に、祐奈よりも三か月早くやって来た。それだけ存在そのものが世界に馴染んでいる。それから魔法に関する理解が深いので、祐奈とは土台が違う。
基礎をしっかり習ったバレリーナと、見よう見真似で爪先立ちしている子供くらいの差があった。――本物と、真似事。
ラング准将が言っていることはおそらく正しい。けれど正しいから従えるかといえば、それは別の話だった。
「私、お約束できません。あなたとリスキンドさん、二人に危険が迫れば、最大級の攻撃魔法で援護します」
「いけません」
「あなたはひどい……」
責めるように彼の瞳を見上げる。
――しかし最愛の女性になじられても、ラング准将は揺らがなかった。彼は澄んだアンバーの瞳を祐奈に据え、静かに告げた。
「あなたはベストな状態でウトナに行かなければならない。あなたかアン、どちらか一方しか生き残れない。聖典がそう決めている」
「私はあなたのいない世界で、生き残りたくなんかないの」
どうして彼はこんなにひどいことを強要するのだろう? 祐奈の瞳に涙が滲む。
奇跡が起きてアンに勝てたとしても、隣にラング准将がいないなら、戦いを挑んだ意味などないではないか。そこまでして勝ちたくはなかった。彼と共に死にたい。
――ラング准将の瞳は優しかった。これ以上ないほどに、祐奈への愛情が込められていた。
「あなたが負けて死ぬならば、私も生きてはいられない。あなたは私の希望です。――今は賛成できないとしても、戦いが始まって極限の状態に置かれた時、私が言ったことを思い出してください。あなたがベストな状態で決戦の地に辿り着くことが、私の悲願です。もしもそうできなかったなら、私は自身の不甲斐なさを悔やみながら死ぬことになる。私にみじめな思いをさせないでください」
彼はとっくに腹を括っているのだ。
誇り高い騎士が、祐奈を万全の状態で決戦の地に送り出すのだと決めている。祐奈がつらいからと言って、『従えない』と突っぱねることはできなかった。
――彼の愛を、祐奈が裏切るわけにはいかない。
「……分かったわ、エド」
彼に抱き着き、涙声で告げる。
彼は優しく支え、背を撫でてくれた。
***
どこか遠くのほうで鐘の音が鳴り始めた。空気が澄んでいるせいか、音が高く突き抜けたように良く響いている。
リスキンドが告げた。
「ラング准将、正午です。時間だ」
時間とはなんだろうと祐奈は疑問に感じたのだが、問いかける前に、ラング准将が祐奈の手を取る。
「――祐奈。何があったとしても、心は君のそばに」
祐奈は彼の名前を呼んだ。
「エド」
愛しさが込み上げてくる。それと共に勇気も。
「ずっとあなたと一緒よ」
祐奈は彼の首に手を回し、背伸びをしてキスをした。ほんの一時の交わり。二人向き合って、視線を絡める。
リスキンドが蔦をかき分け、振り返って告げる。
「ここからは待ったなしですよ」
「運を天に任せるしかないとはね」
ラング准将が苦いようでいて、達観した呟きを漏らす。
「俺は昔から、幸運の女神に愛されているんです。――だから大丈夫。上手くいきます」
二人が剣を抜く。
ラング准将が祐奈の手を引き――一同は明るい陽光が照らす丘陵地へと飛び出して行った。
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