第161話 長い夜


 ――夜。湯浴みをして寝衣に着替え、ガウンを纏ってからラング准将の元へ向かう。


 彼のほうも別の浴室で入浴を済ませていた。ちゃんとしてはいるけれど、いつものカチっとした騎士服ではないので、普段は隠されている彼の本質的な部分に触れたかのような、なんともいえない胸騒ぎを覚えた。


「少し話せますか?」


 祐奈が尋ねると、


「ええ、もちろん」


 彼がスマートに窓際まで誘ってくれる。


 窓のそばに佇み、外を眺めると、荒涼とした砂漠の光景が広がっていた。――うねり、月の光を反射させ、複雑な地形をさらに強調させている。漆黒の空と、輝く星の下に広がる粘土状の砂漠は、なんとも幻想的な眺めに感じられた。


「飲みますか?」


 小卓の上に置かれているのは、酒瓶とグラスが二つ。彼が器用な手付きでグラスに琥珀色の液体を注いでくれる。それを眺めながら、緊張しているせいもあって、ついいらぬことを口にしてしまった。


「……滅多に飲ませてくれないのに」


「私の前ならいいんです」


 そう言われて、祐奈はつい笑ってしまった。彼も笑みを零す。


 小卓を挟む形で、立ったまま向き合い、グラスを傾けた。


 ――穏やかな時間。祐奈は胸が切なくなってきた。


「聖典に呼ばれている感じがするんです。近付くほどにそれが強くなる。深い沼に引き込まれて行くような……」


「怖いですか?」


「怖いです。すごく」


「……あなたを連れ去って、逃げてしまおうかとも思いました。でも、それはできない。対決を避けたとしても、その先に未来はないから」


 ――彼の苦悩。苦しまないで、と祐奈は願った。あなたはできうる限りのことをしてくれた。もう十分だから……。


「あなたに出会えて良かった」


 感謝の気持ちが伝わるといい。そんな思いで彼を見上げると、琥珀色の瞳が和らいだように感じられた。


「私もです」


「今夜……一緒に過ごしてくれますか?」


 はしたないかもしれないとか、彼がこれを聞いて引かないだろうかとか、そんなことは気にならなかった。こうすることは少し前から決めていたから、祐奈はとても落ち着いていた。


 ……けれどまぁ、事前の想定では、これを言い出す時は怖気付いてしまって、もっとオドオドしてしまうかと思っていたのだけれど、それよりも胸の奥から込み上げてくる想いが勝った。


 彼の瞳は優しく、まるで月の光のようで。


 絶望的な状況にあっても、それでも今こうして彼と一緒に居られることが、この上なく幸福であると思えた。


 決して後悔しない。明日で人生が終わったとしても。


 ――お父さん、お母さん――私にも大切な人ができたよ。一度でいいから、会ってもらいたかったな。びっくりするほど素敵な人だから、彼と対面していたら、腰を抜かしてしまったかもね。


 自分にはもったいないような、素敵な人だよ。


「――おいで」


 彼に引き寄せられる。腕の中に閉じ込められ、見つめ合った。なんだか照れくさくなってしまい、何度目かの笑みが零れた。


 月の光が淡く二人を照らしている。


「祐奈。――愛してる」


 彼の繊細な指が頬を優しく撫でる。


 祐奈は『私も愛している』と言おうとしたのだけれど……彼のキスで言葉を封じられてしまった。



***



 抱き上げられ、寝室に運ばれた。――長い、長い夜になった。


 潮の満ち引きのようだった。貰って、分け与えて。循環する。


 溶けてしまいそう……


 輪郭がぼやけて、訳が分からなくなりそうなのに、手を伸ばせば、ちゃんとここにいる。彼がいる。


 彼も祐奈がいるのを確かめるかのように、愛おしげに触れた。


 熱がこもっていて、ドキドキしたし、とびきり刺激的だった。未開ゆえの痛覚も含め、普段あまり知覚することのない感覚を、贅沢に刺激されることとなった。


 大地に降り注ぐ雨のように、恵み多く、圧倒された。それでいて不思議なことに、終始安心もしていた。


 ――何度も彼に名前を呼ばれた。何度も。何度も。


 祐奈は夢中で『エド』と呼びかけたかもしれない。世界で一番好きな人。


 ありがとう。ありがとう、エド。


 愛してる。



***



 情けないことに、翌日は熱を出してしまった。ベッドの端に腰かけた彼が優しく額を撫でてくれる。


「――今日はゆっくりして、明日良くなったら発ちましょう」


 甘えてしまって申し訳なかったけれど、祐奈は小さく頷いてみせた。


「ごめんなさい」


「謝らないで。俺のせいだから」


 そう言われてしまうと、なんだか急に恥ずかしさが込み上げてきて、祐奈は羽布団の中に潜って顔を隠してしまった。


「――顔を見せて、祐奈」


「無理です」


「お願い」


 彼の笑み交じりの静かな声。こんなふうに甘やかされると、やっぱり動悸が上がってしまう。


 こういう関係になったら、もっと開き直れるかと思っていたのだけれど、全然そんなことはない。……不思議だな。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る