19.ありがとう
第160話 最後の魔法
エヴェレットに入ってすぐに、この土地が過酷な環境下に置かれていることが分かった。
乾燥していて、とにかく暑い。日本と違って湿気がないので、馬車の中にいる祐奈たちはまだマシなのだ。御者と馬は大変な苦労だったはずで、彼らのためにラング准将が頻繁に休憩時間を設け、水分を与えるようにしていた。
景観も独特だった。
土砂漠が果てしなくうねるように続くさまを眺めていると、腸壁の中に放り込まれてしまったかのような錯覚に陥るのだった
――エヴェレットの教会に到着したのは夕刻すぎになった。
出迎えてくれた神父はえらく気取った紳士だった。カールした白髪を綺麗に整え、服装も細部にまで気を配っている。ピンと背筋を伸ばし、少々顎を上げ、爪先は六十度に開く角度で固定し、かしこまった態度である。
年の頃は五十過ぎだろうか。
「聖女祐奈様。ようこそお越しくださいました。わたくしはモウブレイと申します」
きっといい人ではあるのだろう。語り口はツンと澄ましているものの、どことなく愛嬌が滲んでいる。
「モウブレイ神父、お世話になります」
「――聖具があなたのなさったことに感謝していますよ」
彼はステッキのように一本の傘を突いていたのだが、それを軽く持ち上げてみせた。
「その傘が聖具なのですか?」
「いえいえ、これは私の私物です。エヴェレットは雨が降らないもので、こういったものに憧れがありましてね。――聖具は傘ではなく、この振り香炉です」
傘の柄部分に、銀製の香炉と鈴がアクセサリーのように括りつけられている。表面には幾何学的に細かな文様が刻まれていて、見事な品だった。鈴と香炉を垂れ下げるよう、銀の鎖が下がり、全てがキラキラと輝きを放っている。
――モウブレイ神父は香炉に耳を近付け、ふむふむ、というように何度か頷いてみせてから、ふたたび祐奈のほうに視線を戻した。
「あなたはウィットという名の青年に、エヴェレットに来るよう、説得してくださったでしょう? それによりこの土地が豊かになると、振り香炉が喜んでいるのです」
ウィット氏はまだここへは来ていないはずだ。だから彼本人から事情を聞いたはずもない。――トーヴァーという遠く離れた地で交わされた会話であるというのに、よく把握しているものだと感心してしまった。……けれどまぁ、喜んでくれているなら、良かった。
「――通常、振り香炉は聖女様に魔法を授けません」
「どうしてですか?」
「普通ならば必要にならない魔法だからです。そのためエヴェレットは、立ち寄りを省かれてしまうことも多いのですよ。――当初の巡行ルートには組み込まれていても、いざ旅が終盤になってくると、『もうエヴェレットは飛ばして、ウトナへ行ってしまいましょう』となる」
「それは寂しいですね……」
表彰状授与式で、最後の一人だけ『時間が押しているから、あなただけ省略』と言われてしまったかのようで、非常に気の毒だ。
「ですがこの魔法はあなたに必要になるだろう――そう振り香炉がおっしゃっています」
「そうなのですか? ……ええと、あの、どうも」
「さぁ、こちらにいらして」
祐奈は進み出て左手のブレスレットを近付ける。
モウブレイが『よろしい』というように満足気に微笑んでみせ、振り香炉を気取った手付きで、チョイと動かした。
「複数魔法同時行使という呪文名です」
『――複数魔法同時行使――』
祐奈は呪文名を繰り返し、そのままじっと待った。振り香炉とブレスレットが合わさり、淡く光る。その光に触れた瞬間、全身が温かくなったような感じがした。血の巡りが良くなり、細部の滞りがなくなったかのような……。
「――私は以前、複数の魔法を同時に使ったことがあるのですが、それとは違うのでしょうか?」
以前、カナンで二度それを体験している。一度目はローダーに飛ばされた時、石板の前で。そして二度目は世界に穴を開けて、若槻陽介を日本に押し返した時。
――雷撃と回復。あるいは雷撃と圧縮と回復。
モウブレイ神父がふたたび振り香炉に耳を近付ける。
「似て非なるもの、とのことですよ。あなたは器用なタイプですね。配管が一つなのに、複数の魔法を、上手くスイッチしながら放出した」
ああ……とその言葉に妙に納得できた。『スイッチ』――確かにそうだ。放出時は極めて窮屈な感じがしていた。
「あまりに素早く切り替えているので、連続しているように感じられる。つまり一見、同時行使のようではあるが、回復、雷撃、圧縮、と単発の魔法が短いスパンで切り替わり、繰り出されていただけなのです。――けれどその方法では出力が絞られてしまうので、応用が利かないのですよ。まぁ絞った分だけ勢いは出ていたかもしれませんね――でも決して望ましい形ではない。今のリミット解除の魔法を習得したことで、管の本数自体が増えます。全力で同時に、途切れることなく放てますよ」
振り香炉はこの魔法が祐奈に必要になると語ったらしいので、それによりなんだか複雑な気持ちになってしまった。同時行使が必要になるくらい、厳しい戦いが待っているということだから……。
ステップアップできたという喜びよりも、むしろ気が引き締まった。
――この戦いで自分は何を失うのか。あるいは何を得るのか。その答えをもうすぐ突きつけられることになる。
「ありがとうございました」
万感の思いを込めて、神父と振り香炉に礼を言った。
ここが最後の拠点だ。彼らには大変よくしてもらった。あとは祐奈次第だから、最後まで自分らしく進めたらいいなと思った。
「丘の上に城があります。手入れしてありますので、そちらにお泊りください。異界めいていて、なかなか良い眺めですよ」
「お心遣い感謝いたします」
モウブレイ神父は香りの良いお茶でも楽しんでいるかのような気取った笑みを浮かべ、祐奈を元気付けるように頷いてくれた。
***
教会を出たあと、リスキンドとカルメリータは『町の宿に泊まる』と言い出した。
二人が宿泊を希望しているのは小さな宿で、宿泊客だけに公開される人形の展示があり、カルメリータはそれを見たいのだとか。
リスキンドはバーで飲むから、寝るところも近いほうがいいのだと言っていた。そしてこういう時はリスキンドにくっついて遊びを嗜む気満々の、可愛いルークもそちらに。
彼らがそんなことを言い出した意図はなんとなく伝わったので、祐奈は小さく頷いてみせたのだった。
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