第156話 祐奈、ドレスアップする


 まだ日も落ちぬうちにあじさい館に戻って来た一行であったが、祐奈はそこから思わぬ試練に見舞われることとなった。


 ――というのも、『正式な社交の場に出るのだから』と、カルメリータが有無を言わさぬ勢いで祐奈をドレッシングルームに引っ張り込み、身ぐるみを剥いでいったからだ。


 祐奈は最初『あの』とか『でも』とか言いつつ、ちょっとした抵抗を試みようとしたのだが、カルメリータがあまりにも真剣に(というか真剣を通り越して殺気立って)迫って来るので、すぐに抵抗を諦め、基本形は死んだ魚のようにじっとして動かず、指示されるがまま右を向いたり左を向いたり、コルセットを着けられたりして、身なりを整えられていったのだった。


 なんというかもう、カルメリータの様子は、秋田のなまはげくらいの迫力があった。


 そして旅支度の中にこのようなイブニングドレスが仕舞われていたのも驚きだった。王都を出る前にラング准将が発注しておいてくれたのだろうか?


 ――ドレスは上部がすっきりタイトな造りで、ウエストから下で切り替わり、スカート部分がふわりとAラインに広がる、清楚で華麗なデザインだった。


 派手さはないのに、両肩がすっかりむき出しになるせいか、身に纏ってみると、女性的な体のラインが意外と強調される。


 ――カルメリータはプロであるし、服の上からでも祐奈の体型は把握しているつもりでいたのだが、着せてみると胸にかなりボリュームが出たので、少し驚いてしまったくらいだった。


 ドレスの首周りは、ラウンドネックタイプ。袖のないデザインなので、エレガントな雰囲気である。


 祐奈のドレスは胸より上のデコルテ部分が総レースで透けているタイプなので、清楚さと艶っぽさが不思議なバランスで両立しているように感じられた。


 ドレスの色は薄青と銀が混ざった淡いものであるのだが、表面にさざ波が立ったかのように濃い影ができていた。それはドレスの一番上が、羽一枚よりも軽そうな、薄い黒の紗で覆われているせいだった。紗には細かく見事な刺繍が入れられていて、身動きする度に、柄が美しく動く。


 祐奈は普段身だしなみとして薄化粧はしていたのだが、今回のようにガッツリ、しっかりとアイメイクを入れ、紅を引かれたのは初めてのことだった。


 ――特にアイメイクがもたらした効果はすごかった。普段は呑気そうにしか見えない自分の顔が、まるで別人に変わったかのようである。


 鏡の向こうに映っている淑女は、気まぐれで、大胆に見えた。視線一つで意中の男性を惑わせそうな、独特の艶っぽさがある。


 毛先をコテで緩く巻かれ、サイドを編み込みつつ、緩くアップにされた。


「……別の人みたい……」


 祐奈が感嘆の声を漏らすと、鏡越しに微笑むカルメリータと目が合った。


「これもあなたですよ」


「そう……でしょうか」


「ラング准将があなたを変えた。――大人の女性に」


 そう言われるとなんとも不思議な心地だった。


 ラング准将に告白して、彼からも好意を伝えられた。それでキスもしたけれど、それ以上の関係には進んでいない。


 ……けれど変わったのだろうか。


 今回ドレスアップしたのも、カルメリータの気迫に押されたということの他に、『綺麗になって、彼に見てもらいたい』という気持ちがあったのも確かだ。


 ――身支度を終え、リビングに出て行くと、ラング准将がソファに腰かけて待っていた。こちらを見て立ち上がったのが分かったのだが、祐奈は照れてしまって俯いたまま彼のほうに向かった。


 ラング准将は微笑んでいるかな……? てっきりそう思っていたのだ。いつものように物柔らかに、春の日差しを思わせるあたたかさで、見守ってくれているのではないかと。


 それで――彼の前まで来て、思い切って顔を上げてみたら、視線が絡んで、息が止まりそうになった。


 彼は微かに瞳を細め、祐奈だけを見つめていた。


 穏やかで包み込むような優しさは確かにあったのだけれど、それだけではなく、遠い地の果てで一人、途方に暮れているかのような、寄る辺ない感じもした。


 なんだか祐奈のほうが不安になってきて、彼に手を伸ばし、『大丈夫、私はここにいるわ』と心を込めて伝えたくなった。


 ……こんな考えは馬鹿げているだろうか。


 祐奈がさらに半歩踏み出すと、彼の雰囲気が変わった。意識して切り替えたのかもしれない。彼の端正な面差しに、ふわりと柔らかな笑みが浮かぶ。


「とても綺麗です、祐奈。……しばらくのあいだ言葉も出なかった」


 祐奈は彼の瞳をじっと見上げ、しばらくたってから小さな声で尋ねた。


「エスコートしてくれる?」


「もちろんです」


「私から目を離してはだめよ。パーティのためじゃない――あなたのために着飾ったのだから」


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