第155話 自白剤と奇跡の穀物


 ウィットの自宅前には荷馬車が止まっていた。そこから大量の木箱を取り出し、数人の男が代わる代わる行き来して、屋敷の中に運び込んでいる。


「ウィット!」


 ラビニアが声をかけると、荷馬車を覗き込んでいた男が顔を上げてこちらを見た。


「やぁ」


 彼が手を振り、笑みを見せる。ラビニアの幼馴染ということなので、彼女と同年代だろう。やはり三十前後だろうか。


 ――針金のように痩せた男だった。鼻先が細く尖り、薄い唇が波のように上下にうねっているので、栄養失調気味な鳥のようでもあった。かなり個性的な容貌の男性だと祐奈は思った。


「――こちらキーティング卿のお客様なのだけれど、あなたが作った自白剤を分けて欲しいのですって」


「もちろん構いませんよ。……しかし、あんなものを欲しがるなんて、物好きですねぇ」


 ここで自己紹介の流れになり、ラビニアが仲介する形で、互いに名乗り合った。


 リスキンドがウィットに尋ねる。


「だけど自白剤はあなたが作ったんでしょう? 目的があったのでは?」


「いえ、あれを作りたかったわけではないんです」


「どういうことですか?」


「僕はある人に頼まれて、かゆみ止めを作ろうとしていたんです。そうしたら結果的に変なものができ上がってしまって」


「元々塗り薬として開発したものを、よく飲んでみようと思いましたね」


「それがですね……頭痛薬も別の人から頼まれていまして、並行して作っていたんですが、手違いで、互い違いに渡してしまったんです。そうしたら、頭痛薬を飲んだはずの人が、ベラベラとその……浮気を告白し出しまして。びっくりしましたね。慌ててよくよく確認したら、飲んだのは、かゆみ止めのほうじゃないかと気付いて」


「そりゃびっくりしますね」


「かゆみ止めをオーダーしてきた人が、匂いに敏感だったので、無臭のものを開発したんです。どうやらそのせいで口に含んでも違和感がなかったらしい。さらっとした液状で、味もしなくて」


 無味無臭ということなら、自白剤としてはさらに付加価値が上がるだろう。対象に気付かれずに飲ませることができるからだ。


「――とにかく屋敷の中に入ってくださいよ。自白剤をお渡ししますから。それに僕も早く、納品された奇跡の穀物を見たいのです」


「この木箱ですか?」


 話しているあいだにも業者がどんどん中に運び込んでいて、今では一箱しか残っていない。リスキンドが指差すと、その最後の一箱も、運搬役の男が抱えて中に運んで行った。


「ええ、そうです。――情勢が緊迫した場合でも、農産物を地元で確保できるなら安心ですからね。生まれ育ったこの国・ティアニーに恩返しができて、僕は誇らしい気持ちですよ」


 仕事と私生活が充実しているおかげか、ウィットは輝いて見えた。


 ――ラビニアが瞳を細め、そんな彼を誇らしげに眺めていた。



***



 屋敷に招き入れてもらい、作業場へ通された。


 広い空間に作業台や棚などが雑多に並べられている。ウィットは棚から透明な液体が入った瓶を取り出し、リスキンドに渡した。


「スプーン一杯を、二リットルの飲みもので希釈して使ってください。何に混ぜても大丈夫なはずです」


「ありがとう!」


 リスキンドが元気に礼を言って受け取ると、それを見ていたラビニアが、


「同じものを私ももらっていいかしら?」


 と言い出した。これにウィットは意表を突かれた様子である。


「どうして?」


「叔父のことで、ちょっとあって。――彼、叔母に内緒で借金を作ったようなのよ。おそらく賭博ね。でも絶対にそれを認めようとしないらしいの。叔母はもうカンカンで、今度、とっちめてやろうということになって」


「なるほどね。でも……自白剤で借金の額が判明しても、お金は返ってこないけれどね」


 ウィットの言うとおりだった。とはいえ叔母さんの立場からすると、家計が同一なのに、その辺はっきりしないというのは、ヤキモキするものかもしれない。ラビニアは叔母を思い遣って、自白剤を手に入れたいと考えたのだろう。


「夫婦で隠しごとをするなんて、よくないわ」


 ラビニアは口元を引き結んで、かたくなな顔付きになっている。


 それを横目で眺めたリスキンドが、


「……こういうことになるから、俺は結婚したくないんだ」


 と呟きを漏らした。



***



 さぁそれではいよいよ木箱を開けようじゃないか、ということになり、ウィットが釘抜きを持って来て、箱の蓋をこじ開けた。


 緩衝材として藁が詰めてあり、それをどけると、中にびっしりと苗が並んでいた。


 祐奈はそれを眺めおろし、『あれ? 種子が来るはずじゃなかったっけ?』と考えていた。……けれどまぁ、大した問題ではないのかな……?


「馬鹿な……」


 ウィットが茫然とした様子で呟きを漏らす。


「これは『ガルボの苗』だ」


「それって?」


 ラビニアが心配そうに尋ねると、ウィットが早口に説明を始めた。――彼女に分からせるためというよりも、喋ることでなんとか落ち着こうとしているようだった。


「これは雨がほとんど降らないような、乾燥した土地で育つ穀物なんだ。かなり珍しいし、特殊なものであるのは間違いがないが、この土地にはそぐわない。オーダーしたものとは正反対のものが届いた」


「本当にこれはガルボの苗なの? あなたの勘違いってことは?」


「僕は雨ばかりの環境で育つ穀物を調べる過程で、その反対に、雨が降らない地域で育つ穀物についても念入りに調べたんだ。その時にこのガルボという穀物を知った。だから間違いがない」


 彼は手を震わせながら他の木箱も開けていく。


「――畜生、全部ガルボの苗だ! ふざけやがって! 自白剤のレシピは渡さないぞ!」


 ラング准将が、


「契約書は?」


 と尋ねると、


「もちろんありますよ。契約不履行で訴えてやる」


 ウィットが引き出しから契約書を取り出して作業台の上に置いたので、ラング准将が手に取り、目を通し始めた。そしてすぐに書面を置き、ウィットのほうに滑らせて、ある個所を指し示した。


「この文言――『極端な降雨量でも育つ穀物』となっている」


「ええ。だから?」


「ガルボの苗は、この契約条件を満たしていることになるのでは? 『降雨量の多い』『少ない』を限定していないのだから、『降雨量が少ない環境で育つ穀物・ガルボ』は契約で指定されたとおりのものだ。正式な書面で品種を指定しておかなかったのが、運の尽きでしたね」


 ……なるほど、ウィット氏は巧妙な詐欺に遭ってしまったようである。とはいえこの苗自体は貴重なもののようなので、相手方にどこまで悪意があったのかは不明であるが……。


 ウィットは口汚く悪態をつき、契約書を床に叩きつけた。



***



 怒りが去ったあと、ウィットはすっかり気落ちしてしまった。椅子に腰かけ、うなだれて頭を抱え、泣き言を言い出した。


「ああ……オリヴィアになんと言ったらいいのだろう……」


「正直に打ち明けるしかないわよ。大丈夫だから、勇気を出すのよ」


 ラビニアは彼のかたわらに跪き、優しく肩を撫でながら励ましの言葉をかけている。彼女の下がり眉がさらに下がって、なんとも悲しげな表情になっていた。


「僕はもう終わりだ! 自白剤の権利は相手方に移ってしまったから、もう他の誰かに売ることもできない。自分で作る権利も放棄するという契約だから、製品を売って稼ぐのも無理だ。――キーティング卿は農業革命として、この件をあちこちで吹聴してしまっているから、今更『間違いでした』だなんて申告しようものなら、袋叩きにされてしまうよ。オリヴィアだって……こんなどうしようもない男には、愛想を尽かすだろうさ」


「でも、隠してはおけないわ」


「口にする勇気がないよ……」


「それなら自白剤を飲んで、パーティにいらっしゃいよ」


 ラビニアが彼の肩を抱き込む。気弱になっているウィットは、彼女のぬくもりがありがたく感じられたのだろう。ラビニアの手を取り、額を押し付けて、気弱に肩を震わせていた。


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