第154話 狼耳と相合傘


 案内役のラビニアが来るまでのあいだ、部屋のダイニングテーブルに皆で着席し、お茶を飲んで時間を潰すことにした。


「リスキンドさん、キーティング卿のお嬢さんは結構タイプなんじゃないですか?」


 祐奈が尋ねると、リスキンドはすぐに同意を示した。


「そうだねー。あの小悪魔的なところがたまらない」


「小悪魔ですか? 確かに可愛さが強烈でしたけど……あれって小悪魔ってことになっちゃうの? 美人と可愛いがあそこまで完璧に融合している人って、私は初めて見ましたけど」


 リスキンドは頬杖を突き、祐奈の意見を軽くあしらう。


「表情の作り方が『プロ』みたいだろ。人気の舞台女優みたいな。顎の引き方、上目遣い、少し困ったような眉の下げ方――あれ全部、鏡を見て相当練習したんだろうな。ビッチな匂いがプンプンするよなぁ。ああいう子に罵られたいぜ」


 なんというか会話のアップダウンがすごい。ビッチと言うから貶しているのかと思いきや、次の瞬間、(彼なりの)愛を語るというか……。


「リスキンドさんって脳味噌腐っていますよね。ビッチなほうがいいなんて」


「なんとでも言うがいい。負け犬の遠吠えに聞こえるぞ」


「え、なんでですか?」


「オリヴィアの男を転がすテクは大したものだ。祐奈っちにはないスキルだからな」


「う……でも、そんなのリスキンドさんには分からないでしょ」


「絶対に可愛くおねだりとかできないじゃん。色気のいの字もないし」


「が、頑張ったらできますー」


「やったことないんでしょう? 無理無理」


 うー……腹立つぅ……! 祐奈は図星を指されただけに、リスキンドの言い草にムカムカしてしまった。


 ――ところがここでラング准将がさらりと祐奈の味方(?)をしてくれた。


「祐奈は本気を出したら、ものすごくおねだり上手ですよ」


「あの、ラング准将……」


 これに祐奈は思わず眉尻を下げてしまった。想定していたフォローと違った。普通にリスキンドのことをたしなめてくれるのかと……。


「かばってくださるのは嬉しいのですが、嘘までついてもらうと、かえって居たたまれないっていうか……」


「嘘はついていません」


「でも、おねだりしたこと、ないですよね?」


「覚えていないのですか?」


 ん? と祐奈は耳を疑ってしまった。


 ラング准将が口角を僅かに上げる。


「――あなたにお願いされて、私は狼耳の飾りまでつけてみせたのに」


 しん、とその場が静まり返った。


 リスキンドは椅子から腰を上げかけ、なぜか中腰になっていたし、祐奈は祐奈で衝撃すぎて、ほとんどのけ反っていた。


「えー! あれ、夢じゃなかったの?」


 ソーヤ大聖堂で聖具から作られた酒を飲まされ、祐奈は意識が朦朧としていた。朝目覚めた時はベッドの上で、その時にラング准将が狼耳のカチューシャをつけている図が脳裏に浮かんだので、ちょっとしたパニックに陥った記憶がある。


 まさかまさか――あれが現実だったなんて!


 チャンスの神様はちゃんとやって来ていたのに、愚かにも自分は、酔ってそれを逃してしまったのだ。本来ならばチャンスの神様におぶさって羽交い絞めにして引き留めなければいけなかったのに、おにぎりとお茶を持たせて、ハンカチを振りながら見送ったようなものではないか。……なんというかもう、切腹したいくらいの無念さだった。


 なんであんまり覚えていないんだ、自分! 馬鹿なの? もうそんなチャンス巡ってこないのに……!


 リスキンドは腰を上げかけた状態から、動揺しつつもやっと着席したのだが、衝撃すぎて目は見開いたままだった。


 カルメリータは口元を手で押さえ『ああん、もう、私も見たかったわ……!』とこっそり残念がっていた。


「祐奈が必死になって頼むので、断れませんでした」


 それじゃあ、まだ『あり』なんじゃない? 祐奈はほとんど前のめりになって懇願していた。


「あのぉ……ぜひもう一度……もう一度見たいです。今度は魂に刻み込むので」


 ラング准将がすっと瞳を細めてから、優美な笑みを浮かべる。


「――だめ」


「そうおっしゃらず。後生ですからぁ」


「だめです。もう二度と着けない」


 悪戯めいた言い方ではあったけれど、もう絶対にやってくれないだろうなぁというのがヒシヒシと伝わってくる声音だった。


 祐奈はほぞを噛む思いであったのだが、実はリスキンドも、決定的瞬間を見逃したことを同じくらい悔しがっていたのだった。



***



 道案内役のラビニアがやって来た。


 三十歳前後だろうか。かなり面長な造形で、目と眉がどちらも八の字に垂れ下がっており、目尻には小皺のあとが多くついていた。異性に人気があるようなタイプではないかもしれないけれど、顔形や物腰に品がある女性だ。


「――ウィットの家までご案内するようにと命じられました」


 リスキンドがすぐに席を立ち、彼女に礼を言う。


「ありがとう、悪いね。……彼とは親しいの?」


「幼馴染なんです」


 ラビニアが微笑みを浮かべると、より目尻が下がり、尖った顎のラインが強調された。


 祐奈は彼女の笑みを眺め、なんとなくではあるけれど、彼のことが好きなのでは? と思った。


「子供の頃はよく一緒に遊びました。彼は運動が苦手でしたが、昔から頭の良い人で、大人顔負けに賢いことを言いましてね。私はずっと尊敬していたのです」


「ウィット氏はキーティング卿のお嬢さん――オリヴィア嬢と婚約されるそうだけど、彼女もあなたたちの幼馴染?」


「いいえ、まさか! 階級が違いますし、そもそも……たとえ家柄が釣り合っていたとしても、ウィットはヒョロヒョロした青白いタイプで、人気者というわけではありませんでしたから、お嬢様の好みのタイプではないと思います」


「それがなんで結ばれたの?」


 ラビニアは小さく息を吐き、茫洋と視線を彷徨わせた。ぼんやりしている様子なのに、どこか険のある表情だった。


「……男性というのは、見た目だけで判断されるわけではないのですね。いえ……ウィットは私から見るととてもハンサムな男性なのですが、それでも世間一般の評価では、パッとしない部類に入るでしょう。ですが本人が仕事でなんらかの成果を収めると、周囲の見方も変わってきます。オリヴィアお嬢様のあのキラキラした瞳……彼自身は何も変わっていないのに、いつの間にか……石ころが宝石に変わっていたような、不思議な心地ですわ」


 祐奈はラビニアの述懐を端で聞いていて、なんだか居たたまれない気持ちになってしまった。


 ――やはりラビニアはウィットが好きらしい。けれど名士であるキーティング卿のお嬢さんが彼との結婚を望んでいるのでは、ラビニアとしてはどうにもならないのだろう。


 それで、彼の気持ちはどうなのだろう? ずっと想いを寄せてくれていた幼馴染の女性に対して、なんとも思っていないのだろうか……。


「――ではリスキンドさん。ご案内いたしますね」


 祐奈はふとした思いつきで椅子から立ち上がっていた。


「すみません、私もご一緒してよろしいでしょうか?」


 自白剤、奇跡の穀物――それらのアイテムが妙に気になっていた。このまま部屋に居ても、夕刻のパーティまで暇を持て余してしまうだろうから、思い切って外出してみるのもいいかもしれないと思ったのだ。


「ええ、大丈夫ですよ」


 ラビニアが了承してくれたので、祐奈は笑みを浮かべた。


 すると当然ラング准将も、


「では私もお供いたします」


 となる。そうなるとカルメリータも。ふと気付けばルークはすでに扉の前に先回りしていて、『さぁそうと決まったら、とっとと行こうぜ』感を醸し出しているではないか。目がいつもよりも爛々と輝いているような気がするので、どうやらノリノリらしい。……実は雨が好きなのだろうか?


 ――結局、全員でウィット氏の屋敷に向かうことになった。



***



 玄関ホールの扉を開けてみると、到着時よりも雨が小降りになっていることに気付いた。


「傘が必要な方はどうぞ」


 キーティング家のほうで傘を貸してくれるらしい。祐奈はありがたく拝借することにした。


「ありがとうございます」


 カルメリータは雨が苦手のようなのでやはり借りることにしたのだが、他のメンバーは手を出さなかった。


 ――そういえば元の世界でも、『日本人は傘を差しがち』だと聞いたことがある。海外だと結構な雨でもあまり差さないのだとか。


「ラビニアさんは差さないのですか?」


「雨には慣れっこになっておりまして、このくらいの小雨だと差しません。ウィットの自宅はそう遠くはありませんし」


 ラビニアがそう言って、先頭を切って雨の中に出て行く。


 祐奈は傘を広げながら、『形状はほとんど自分が知っている傘と一緒だな』と考えていた。――つまり、このデザインが傘の理想形ということになるのだろう。この先文明が進んでいっても、傘だけは大幅に変わることはないのかもしれない。


 ――と、どうでもよいことを考えていたら、横からすっと手が伸びてきて、祐奈の傘がそちらに移った。ラング准将である。


「どうぞ」


 こちらが濡れぬよう傘を差してくれて、自身はほとんど濡れてしまう状態だというのに、そのまま行こうとするので、祐奈は狼狽してしまった。


「あの、これだとラング准将が濡れてしまいますから」


「元々、傘は不要だと思っていたので、お気になさらず」


「でも……」


 一人手ぶらで歩くのと、祐奈に差してあげて肩を濡らすのとでは、まるで違う気がする。


 祐奈は少し躊躇ったあとで、彼のほうにピタリと身を寄せた。できる限りくっついてみる。するとラング准将のほうにもいくらか傘がかぶるようになったので、ホッとして口元に笑みが浮かんだ。


 祐奈は彼のいる右側を振り仰ぎ、さらにニコニコ顔になって笑いかけた。


 ……もっとくっついたほうが濡れないかな? と、傘を持ってくれている彼の左腕に自身の手を添えてみる。ぶら下がってはいないのだけれど、両手のひらで彼の腕を挟んで極力縮こまってみたので、二人の距離はかなり近くなっていた。


「もうちょっと傘をラング准将のほうに……もうちょっと……」


 ラング准将は相変わらず端正な顔でそんな彼女を眺めおろしていたのだが、視線が和らぐと同時に、ほんの僅か小首を傾げてもいたので、実は少し呆れているのかもしれなかった。


「……祐奈は可愛いですね」


 彼が静かにそう呟きを漏らすと、祐奈は心底驚いたような顔をしている。


「え」


「ヴェールがないのはいいな。君の反応が見える」


「そう……ですか?」


「うん」


 祐奈はもじもじと俯き、少したってからそうっと顔を上げ、そして可愛く眉根を寄せた。


「……もう、あまり見ないで。恥ずかしい」


 ラングがふわりと微笑むと、祐奈はますます困ってしまったようで、彼の腕をぎゅっと握り締めてくる。


 ――それを後ろで眺めていたリスキンドが、隣を歩くカルメリータに話しかけた。


「なんだろう……俺とうとう解脱(げだつ)したのかも。最近、あの二人の嬉し恥ずかしなやり取りを見ても、眉一つ動かさずにいられるようになったわ」


 カルメリータは傘の柄をくるくると回転させながら、澄まし顔で答えた。


「あらそうですか? 私は毎度、口元がにやけてしまいますけれどね」


「いや、もうそろそろ慣れるって。もう少ししたら、俺みたいな状態になるよ」


「それはどうでしょうか。リスキンドさんって自分で気付いていないかもしれないですが、結構なサイコパスですよ」


 ガガーン……リスキンドはこれに結構なショックを受けてしまった。そして『こんなにピュアな男をサイコパス扱いするだなんて、カルメリータはひどいんじゃないだろうか!』と心の中で文句を言うのだった。


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