第153話 雨の国
次の重要拠点は『エヴェレット』という国になるのだが、そのだいぶ手前で、『トーヴァー』という国に立ち寄ることとなった。
祐奈がトーヴァーにて、ある行動を起こしたことで、それが回り回って、エヴェレットに大きな影響を与えることになったのだが……初めはあんな大ごとになるとは思ってもみなかったのである。
***
「ウトナ手前の拠点は『エヴェレット』になります。土砂漠が広がる荒涼とした土地なので、入る前に備えをしておきましょう」
ラング准将からそう教えてもらい、祐奈は過酷そうな環境だなと考えていた。……とはいえ、まだだいぶ先のことではあるのだが。
とりあえず今日宿泊するのは、『トーヴァー』という国になるのだそう。
「――向かっている先は雨ですね」
まだトーヴァーに入る前、陽気に晴れた南岸沿いを進んでいる時に、カルメリータがそんなことを言い出した。
これに祐奈の記憶が刺激された。――そういえばソーヤ大聖堂に立ち寄った際、『苦手克服の部屋』に入るかどうかのオーディションで、得意なことと、不得意なことを書かされたことがあった。結果として祐奈とリスキンドが選ばれたわけだが、あの時カルメリータは、特技として天気予報を挙げていた気がする。
「カルメリータさん、天気予報には何かコツとかがあるのですか?」
異世界に来てからは、毎日天気予報をしてくれる機関がないので、不便といえば不便だった。興味を引かれて祐奈が尋ねると、カルメリータからの答えは、祐奈には応用ができなそうなものだった。
「雨が近付いてくると、頭が痛くなるのです」
「あ、そうでしたか……。じゃあ私には習得不能ですね」
――そういえば以前、同じようなことを言っていた友達がいた。カルメリータのように天気予報に応用できるほどには、正確に症状が出るわけではなかったようだが。
確か『天気痛』っていうんだったかな? 低気圧のせいで血管が拡張して、頭痛やその他、体の不調が起こるのではなかったか……。
雨が降っている最中ではなく、カルメリータは事前に察知できるようなので、さらに敏感なタイプなのかもしれなかった。
「――私は海辺の漁師町で育ちましたので、この体質はわりと大人たちから重宝がられましたよ。漁師は空を見て天気を読みますが、それよりも私の予報のほうが正確でしたので」
聞いていて、人に歴史ありだな、と祐奈は思った。
「天気予報ができるなんて、すごいなぁと感心してしまったのですが、考えてみると、頭が痛くなるのはつらいですね」
「そんなにひどくはならないので、まだいいほうだと思います。だけどどうしても体がだるくなってしまうので、雨の多い土地には住みたくないですねぇ……」
恵みの雨とはいうけれど、どんなことでも、合う合わないってあるものだなぁと祐奈は感慨深く感じた。
そしてカルメリータの天気予報はものすごく正確であることが、すぐに証明された。
あんなに晴れていたのに、トーヴァーに入る少し前から空の色が曇り出し、水滴がパタリと馬車の屋根に当たる音を聞いたあとは、どんどん雨脚が強まっていったからだ。
――トーヴァーは陰鬱な印象を与える都市だった。これは天気のせいもあるかもしれない。
水を吸った壁面は暗く沈んで見えたし、緑も色が濃すぎて、少し茶色を混ぜたような濁った色味に感じられた。建築物も刺々したデザインのものが多く、厳格で取っつきにくい感じがした。
――一行は、付近一帯を治める領主が住む、『あじさい館(やかた)』に泊まることになった。
馬車を降りてから玄関口までのあいだに浴びた水滴を払っていると、キーティング卿が迎え入れてくれた。
「――聖女祐奈様、トーヴァーへようこそ」
卿は口角が極端に下がった、白髪交じりの男性だった。その要素だけ切り取るとずいぶん気難しそうに感じられるはずなのに、不思議と物柔らかな印象を受ける。それはもしかすると、しもぶくれで顎のラインが丸いせいだろうか。そして極度の垂れ目でもあるので、その点もキツい印象を緩和するのに役立っていたかもしれない。
「実に良いタイミングでお越しくださいました。――というのも今夜あじさい館では『奇跡の穀物』のお披露目パーティを行う予定なのですよ」
「奇跡の穀物、ですか……」
それはなかなかに興味を引かれる代物だ。
「ここトーヴァーは一年を通じて雨の日が多く、雨が降っていない時でも、大抵は曇っているというような具合です。晴れの日が極端に少ないので、生育遅延が起きたり、病害が発生したりするため、作物を生育するには不向きな土地となっておりました」
雨が多い土地でも、メリハリがあって、ちゃんとカラリと晴れる日もあればいいのだろうが、年間のトータル日照時間があまりに短いようだと、確かに作物には厳しそうな環境である。
「それが解消しそうなのですか?」
先ほどキーティング卿は『奇跡の穀物』のお披露目をすると言っていた。新種のものを開発したのか、あるいはどこかから仕入れてきたのか。
「ええ、そうなのですよ。実はこの問題を解決してくれたのが、ウィット君という、優秀な薬剤師でして」
――薬剤師と言われると、人体へ投与する薬を調合する職業のイメージがあるのだが、違うのだろうか。
「農業の薬剤を扱っていらっしゃる方なのですか?」
「いえ、医療関係ですね。少し込み入っているのですが、彼は新種の素晴らしい薬を開発しました。その権利を売ってくれと言ってきた相手が、報酬を金銭ではなく、もので払いたいとのことで。――雨ばかりの土地でも育つ穀物の種を、大量に納めてくれることになったのです。要は物々交換ですね。その種子が今日、彼の元に納品される予定です」
今日の納品なのに、夜にはもうお披露目しようというのだから、ずいぶんせっかちだなと祐奈は思った。それにかける期待がすごいのだろう。『発表をすぐにしたい、これ以上待てない』という焦りが滲み出ている。
「ウィットさんが開発したのは、どんなお薬なのですか?」
「自白剤です」
「え?」
聞き間違いかと思った。――しかし正真正銘、自白剤で合っているようだ。
「副作用なしの、強力な自白剤。軍事目的でも、それ以外でも、なんにでも使えますからね。相手にとっても良い取引だったと思いますよ」
思っていたのと違った。ウィット氏はどえらいものを開発したらしい。
「彼はのんびりした善良な男なので、自白剤のレシピを持っていても、持て余してしまうと言っておりまして。だから奇跡の穀物と交換できて、大変満足していましたよ」
そう語るキーティング卿も満足気である。
「彼ってほんとすごいの」
ここで卿の娘が口を挟んだ。彼の娘も一緒に出迎えてくれていたのだ。
――彼女はなんというかトイプードルみたいな女性だった。二十歳前後だろうか。クリッとした庇護欲をかきたてられる可愛い瞳に、男心を惹くしっとりした厚めの唇。確実に美人であるのだけれど、それよりも先にまず『可愛い』というのが先にくるような、強烈な魅力が彼女にはあった。
「――娘のオリヴィアは、ウィット君と近々婚約する予定なのです」
オリヴィアは幸せいっぱいといった様子で、瞳をキラキラと輝かせていた。
「おめでとうございます」
ここまで幸せオーラを振りまかれると、こちらにも自然とそれが伝染するもので、祐奈はにっこりと微笑みを浮かべてオリヴィアに祝福の言葉を送った。
「ありがとう!」
オリヴィアは顎を少し引き、ぐっと右肩を下げ、気を惹くような仕草をした。彼女は元々美しい女性であるが、自分の見せ方というものをよく理解しているようだった。
キーティング卿が娘の肩を抱きながら、誇らしげに告げる。
「今夜のパーティは、奇跡の穀物をお披露目すると共に、娘と彼の婚約を大々的に発表するための場でもあるのです」
希望に満ち満ちている。外が陰鬱な雨模様なので、ギャップがすごい。
――リスキンドがここで、
「彼が作った自白剤ですが、職務上使えそうなので、少し分けていただけませんか?」
と口を挟んだ。
祐奈とカルメリータはなんとなく思うところがあり、目を見交わしてしまったのだが、賢明にもコメントは差し挟まなかった。
「別に構わないと思いますよ。今夜、パーティの際にウィット君に頼んでみましょう」
「夕刻まで時間がありますので、直接彼のお宅に伺ってもいいですか?」
「ええ、もちろん。――それではラビニアという使用人に案内させましょう。彼女とウィット君は住まいが隣同士なので、道案内には最適だと思います」
「ありがとうございます、キーティング卿」
リスキンドはにっこりと微笑んでみせ、卿と握手を交わした。
***
一旦部屋に通されることになり、案内を受けている途中で、祐奈はリスキンドの隣に並び、こっそりと話しかけた。
「――リスキンドさん。自白剤を女の子に使う気ですね?」
「違うって。仕事で使えるなぁと思っただけ」
祐奈が疑わしそうに流し見ているのに気付いたらしく、リスキンドが顔を顰める。
「……なんで『信用できません』って目で見るのか」
「良かった、意図が正しく伝わって。ヴェールがないと、こういう時便利ですね」
「あのね、俺は軽薄だけれど、嘘はつかないぞ」
「存在自体が胡散臭いんですが……」
「ひどくね? つーかね、君は大きな勘違いをしている。付き合っている――あるいは付き合えるかもしれない女の子の本音なんか聞くもんじゃない。俺はわざわざ傷付きたくないの」
……なるほど、ものすごく説得力のある説明だ。
そして『リスキンドでも傷ついたりすることがあるんだな』と、少々失礼な感想を抱いてしまった祐奈であった。
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