第157話 ラング准将にしたい百のこと


 立食形式のパーティだったので、そんなに緊張せずに済みそうだった。


 白葡萄酒が振舞われたため、ラング准将のほうをチラリと見上げると、


「少しだけですよ」


 と優しい声音で許可してくれた。


 お酒が飲みたいというよりも、せっかくお洒落をしたので、大人っぽいことをしてみたかったのかもしれない。


 祐奈はご機嫌になり、にっこり笑ってみせ、ラング准将の腕をポンポンと叩きながら「ありがとう、嬉しい」とお礼を言ったら、彼は珍しく困ったような顔をしていた。


 ――キーティング卿から手短な挨拶があり、乾杯して口をつける。とても香りが良い。あまり酒に慣れていない祐奈でも美味しく感じた。


 卿が再び口を開く。


「それでは皆さん、本日の立役者であるウィット君から、お言葉をいただきましょう!」


 針金のように痩せたウィット氏が、礼服に身を包み、そそくさと前に出て行く。少し猫背気味ではあるのだが、彼は元々あんな姿勢なので、居たたまれなくてああなっているのかは判別できなかった。


「……景気付けに自白剤を飲んできたのでしょうか?」


「おそらくは」ラング准将が答える。「ほら――彼の足取りはしっかりしているでしょう? 薬の作用で、落ち込んでいた状態から脱したのかと」


「なんていうか……これから何を暴露するか知っているので、気が重いですよね」


「ウィット氏はオリヴィア嬢だけには先に話すべきでした」


 確かにそうだった。今夜この場で婚約の件を発表する予定だったのだから、現状でも恋人同士ということになる。それだけ近しい関係にあるのに、重大な事実を知らされるのが、皆と横並びに一緒というのは、かなり残酷かもしれない。


「なぜアドバイスしなかったのですか?」


 責めるつもりではなく、単純に不思議に思ったので、そう尋ねてみた。


「――彼は私の友達ではないので」


 それは突き放したような物言いであったので、少しだけ冷たく感じられて、祐奈は驚いてしまった。傍らの彼を見上げると、互いの距離が近くて、深いアンバーの瞳を真っ直ぐに覗き込む形となった。


「彼は失敗したことが原因で、彼女に振られると考えていた。それを聞いて思ったんです。――その程度で壊れるような関係ならば、この先、どうせどこかでだめになるだろうと」


 ……もしもラング准将が何か大きな失敗をしたとしても、それで祐奈が心変わりすることはないだろう。そしてそれはたぶん、ラング准将も同じなのではないか。彼はきっと祐奈のことを見捨てたりしない。


 ――思わず手を伸ばし、彼の手を握っていた。なんだか切なかった。他人の人生の分岐点に立ち会うと、身につまされるものがある。彼もこちらの手を握り返してくれた。


 人生とは、なんとほろ苦いものなのだろうか……。


 そうしているあいだにもウィット氏のスピーチは続いている。


「皆さんにお詫びしなくてはなりません。僕は詐欺に遭い、一文無しになりました。本日苗が届きましたが、それは雨が降らない環境でしか育たないもので、このティアニーではゴミにしかならないものでした」


「……どういうことだね?」


 キーティング卿が眉を顰め、ウィットのほうに詰め寄る。


「サインする前に、契約書をちゃんと専門家に見てもらえば良かった。巧妙な抜け穴が用意されていて、こちらは大損だが、法的には成立してしまっている。無効にもできない。とにかく――とにかく、僕は騙された。奇跡の穀物は手に入りませんでした。今僕の自宅にあるのは、日照りの中でも育つ穀物の苗です」


「おい、求めているものと真逆ではないか!」


 キーティング卿が怒り始めた。ウィットが言葉を重ねていくうちに、『これは冗談ではないようだ』と悟ったのだろう。視線をせわしなく動かしていたキーティング卿であったが、ふと気付いたように大声を出す。


「――だけど、そうだ! 君にはあの自白剤がある。あれをもっと高値で買ってくれる相手に売れば――」


「それはできません。権利を全て売ってしまったので、開発者の僕自身も、本日以降、あれを作ることは許されていないんです」


「君はなんと愚かなんだ! このグズ! グズめ!」


 感情のまま怒鳴りつけるキーティング卿の声は、語尾のあたりで引っくり返り、滑稽なほどだった。


 祐奈はここで異変に気付いた。


「なんだか感情的になりすぎていませんか?」


 腹が立つのも分かるのだが、着火から爆発までが速い気がする。理性をどこかに放り投げてしまったかのようなエキサイトぶりである。


 ――するとオリヴィアが人をかき分け、前のほうに躍り出て叫んだ。


「一体どういうことなのよ! 馬鹿丸出しでまんまと騙されたってこと? あんたなんて頭が良いところしか取り柄がないのに、最悪じゃない!」


 拳を握り、地団太を踏む勢いで彼を怒鳴りつけている。――昼間あんなにキュートだった顔が、今は般若のように歪み、唇はのたうつようによく動いていた。


 ウィットが頬を赤らめ、オリヴィアに食ってかかる。


「そんな言い方、あんまりじゃないか。一生懸命研究に打ち込んでいる姿が好きなのだと、君は言っていたはずだろう?」


「くそ馬鹿男、そんなのね――あんたのことなんて1mmも褒めようがないから、無理やりひねり出した言葉に決まっているじゃない! 奇跡の穀物が手に入れば、びっくりするような大金に変わると期待していたのに! パーティ三昧、贅沢し放題だって思っていた! 全部失ったなら、あんたみたいな地味男と結婚するなんて、ごめんだから!」


「なんて計算高くて嫌な女なんだ! 君の取り柄は顔と体だけだな」


「なんですって、この――」


 オリヴィアがウィットに飛びかかったので、極彩色の鳥が羽ばたいて、離陸に失敗してバタついているように見えた。


 目の前で馬鹿げた騒ぎが繰り広げられているので、祐奈はなんだか目が回って来た。


「――部屋に引き上げましょう」


 ラング准将がスマートに促し、彼に腰を抱かれるような形で、祐奈は騒動に背を向けた。


 ところが、皆がキーティング家の騒動を見守っている中、二人が移動を始めたもので、それがオリヴィアの目についたらしいのだ。


 彼女が鬼の形相で人々をかき分けて近寄って来るので、祐奈は気圧され、思わずのけ反ってしまった。


 ラング准将は慌てることなく、滑らかな動作で祐奈を背後にかばった。


「ちょっとあんたたち! なぁにシレっと退席しようとしているのよ! 大体、そこの女! 聖女だかなんだか知らないけれどね、調子に乗るんじゃないわよ! あんた私のこと、嘲笑っているんでしょう、そうでしょう!」


「彼女に構うな」


 ラング准将は明らかに気分を害していた。彼からこの手の物言いをされれば、誰であっても賢く口を閉ざすものだが、あいにく今のオリヴィアはまともな状態にない。


 オリヴィアは体をブルブル震わせながら、ラング准将を見遣り、そして背後に隠れている憎っくき聖女へと視線を転じた。


「なによ、そんな女、ただの地味子じゃない! 田舎にいれば、ちょっと可愛いかな~のレベルでしょ。いい気にならないでよね! あたしのほうが百万倍可愛いし、胸だって大きいから! あんたレベルの芋女が、なんで超イケメンの騎士をはべらしているのよ! おかしいじゃないの!」


「……聞くにたえない」


 ラング准将が壁際に控えていたリスキンドに目で合図を送ると、図太い彼はぐいぐい中に割り込んで来て、


「はいはい、お嬢さん、下がって下がって……」


 と交通整理を始めた。


「ちょっと赤毛! 私に触るんじゃないわよ! いくら私が可愛いからって、ただで触っていいと思っているの?」


「いやぁ、確かにあなたは可愛いですけど、なんか違うのよ。俺は意地悪に弄ばれたいのであって、こんなふうにがなり立てられたいわけじゃない」


 祐奈は彼の言い分にすっかり感心してしまった。


「すごい……変態には変態の流儀があるんだ……勉強になるなぁ」


 結構な声量で呟きを漏らしたあと、ハッと我に返る。祐奈は背伸びしながらラング准将の背中に寄りかかり、ちょいちょいと彼の肩を叩いた。彼が少し振り返ってくれたので、横顔の綺麗なラインが、祐奈の位置から見ることができた。


「あのぉ、ラング准将。もしかして皆、自白剤を盛られていませんか? ――私も含め」


「そのようですね」


「なぜこんなことに?」


「リスキンドの他に、自白剤を持ち帰った人物がいます」


 ラング准将の視線が動いたので、祐奈はそれを目で追いかけ、さらに背伸びをして広間の奥を見遣った。


 ――そこには、壁際に佇む厳しい顔をしたラビニアの姿が。


 ああ……なんてこと! 祐奈は呆気に取られてしまった。犯人は彼女か!


 なぜこんなことを? 訳が分からないと混乱しかけて、いえ、違う――と思い直す。彼女には動機があった。


 ラビニアはウィットを手に入れるため、オリヴィアの本音を引き出す必要があったのだ。強力な自白剤の力で。


 おそらく白葡萄酒の樽に薬剤を入れたのだろう。無味無臭、無色の自白剤を混ぜたところで、誰もそのことに気付きはしない。『スプーン一杯を、二リットルの飲みもので希釈して使ってください』ということで、原液を一瓶貰ったのだから、量としては十分だったはずだ。


「ど、どうしよう……」


 祐奈が呟きを漏らすと、ラング准将が怪訝な顔で彼女に向き直った。


「祐奈?」


「自白剤を飲んでいるということは、私、とんでもなく馬鹿げたことを口走ってしまいそうな気が……」


「私に秘密があるのですか?」


 疑っているというよりもその逆で、『そんなものはないのだろうから、大丈夫でしょう?』というようなTHE.大人なコメント。――祐奈はこれに少しだけ恨めしさを感じていた。『どうして彼はこんなに落ち着いているのだろう?』と思ったからだ。


「ラング准将はなんでこんなに落ち着いているのだろう?」


 わぁ、もう、全部言葉に出ちゃう!


「沈黙を守ればよいだけの話なのですが」


「でも止まらないんです! なんで? 人徳の差?」


「さぁ」


 くすりと笑みを漏らす彼。


 格好良いな、もう! ああ、まずい……これも口から飛び出してしまう危険性がある。


 ――頭に浮かんだとしても言葉に出さないで済んでいる場合もあるのだが、これは自分で制御できた結果ではなくて、単に『尺』の問題であった。


 思い浮かんだ内容のほうが明らかに文字数は多いので、ラング准将の相槌が挟まれると、そのあいだは喋らずに済むから、なんとかやり過ごせているというだけ。


「――やだ、もう、このままじゃ『ラング准将にしたい百のこと』をうっかり口に出してしまいそう」


「それは興味がありますね。たとえば?」


「髪に触りたいんです。撫で回したい……」


 口走ったあとで、祐奈は絶望を覚えた。――お願い、この口に何か突っ込んで、私を止めてぇ!


「撫でていいですよ。――どうぞ」


「ラング准将、私の頬を叩いて黙らせてくださいぃ」


「それはできません。でも……もう部屋に戻りましょうね。そこかしこで罵り合いが始まっているので、ここにいると危険です」


「助かった。――部屋に戻ったら、ラング准将から離れて、寝室に一人籠ってしまえばいいんだもの」


 祐奈がベラベラと心情を垂れ流すのに忙しかったせいか、ラング准将は断りを入れずに、彼女の体を縦抱きにしてしまった。


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