第144話 ツインテールの女
アターベリーはおもちゃ箱の中身を連想させるような可愛らしい国だった。
壁面の色は黄色、オレンジ、水色、ピンクなど色彩豊かである。そのわりに屋根の高さや造りが統一されているので、引きで眺めた時に調和を感じることができた。
――ところで、祐奈たちが滞在する大聖堂は、カラフルな住宅街と打って変わり、落ち着いた色合いをしていた。しかし竪琴をイメージしたかのような凝った細工が壁面に施されていて、デザインのほうはずいぶん先鋭的である。
エントランスに足を踏み入れると、正面の壁面に盾が飾られているのが見えた。――あれが聖具の片割れだろう。剣が組み合わされていないので、野蛮な国から花嫁はまだ到着していないらしい。
祐奈たちを出迎えたのはミクロスという名の青年だった。彼はアターベリーの第四王子であり、大司教という立場でもあるらしい。
彼は美男子の部類に入ると思うのだが、いかめしい風貌で、なんだか取っつきにくい印象を受けた。実直、生真面目、武骨といった、お堅いイメージ。体つきも鍛えているのがガッチリしていて、なんとも迫力がある。短髪は七三に分けつつのオールバックで、清潔感があった。
穏健な国の王子というと、読書が似合う文系の男性を想像していたのだが、どうにも真逆の印象である。ミクロスはどう見ても体育会系だった。
とはいえ髪色がプラチナブロンドで、肌の色も透けるように白いので、『お日様と友達』というタイプにも見えなかったのだが。
祐奈は王子の顰めつらを見て一気に緊張を高めていた。ハキハキした態度でいないと怒られてしまいそうだと思ったのだ。『気合が足りん! グラウンドを十周して来い!』とか怒鳴られそう。大聖堂にグラウンドはないのだが、『腹を立てたら彼はそういうことを言いそう』という、祐奈の偏見に満ちたイメージである。
ところが……
「聖女祐奈様、アターベリーにようこそ。あなた様を歓迎いたします。祐奈様にご満足いただくためならば、私はなんでもいたします。どうぞご命令ください」
彼は流れるように祐奈の足元に跪き、求愛でもするかのように手を取ろうとした。取ろうとしたのだが――何がどうなったのだろう。
結論から言うと、その接触はラング准将が巧みに阻止してしまった。
祐奈はトン、トン、と右肩、左腰のあたりにラング准将が軽く触れたのを知覚した瞬間、ふわ……と体が後ろに傾き、右足を自然に半歩引いていた。
ふと気付いた時には、少し背を反らした状態でラング准将に抱き留められており、そして次に息を吸い、吐いた時にはもう直立の状態に戻されていた。
――そうして改めて眺めてみると不思議なことに、あれだけ接近されていたはずのミクロスとのあいだには、適切な距離が開いている。
「――聖女様に気安く触れぬよう」
ラング准将から発せられた警告は、おいそれとは逆らえない圧のようなものが込められていた。
「……失礼いたしました」
ミクロスはメンツなどをあまり気にしない性質のようで、素直に詫びを入れ、立ち上がった。
祐奈は争いごとに発展しなかったことに安心して、ホッと息を吐いてしまった。
***
「長旅でお疲れでしょう。お話させていただきたいのは山々ですが、それはあとにいたします。すぐに部屋にご案内させますので、ゆっくりとおくつろぎください」
ミクロスはそう告げて、修道女に案内を任せて、自身は自室へと戻って行った。挨拶だけ済ませてすぐに下がったのは、到着したばかりで客人に気を遣わせないようにという、彼なりの配慮だろう。
祐奈たちは高齢な修道女の案内で東翼に向かうことになった。すると手持ち無沙汰であったのか、館内を移動中、リスキンドが囁きかけてきた。
「――祐奈っち。君が望めば、ミクロスはベッドでも誠心誠意奉仕しそうな勢いだったね。彼がどこまでやる覚悟なのか、夜になったら呼び出して、確認してみない?」
今この場にミクロスがいないとはいえ、ずいぶん下世話な軽口である。リスキンドらしいといえばらしいのだが、さすがに祐奈も呆れてしまった。
――そしてラング准将のほうは『呆れ』程度では済まなかったようだ。
「リスキンド。お前は私の寛容さに、少し期待しすぎなのではないか」
祐奈だったらラング准将からこんな台詞を静かに告げられたら、背筋がピンと伸びるところだ。しかしリスキンドはめげなかった。
「お言葉ですが、ラング准将。俺から軽薄さを取ったら、あとに何も残りませんよ」
「そんなことはない。お前は軽口が叩けなくなってから、ようやく本領発揮するタイプだ。しごけばしごくほど磨かれるはずだから、俺が『限界のその先』を見せてやろう」
リスキンドはラング准将の言葉に本気の何かを感じたらしく、少し怯んだ様子だった。
「……ちょっと狭量になっていませんか? ベッド云々の話は冗談ですよ。実際に祐奈っちがミクロスに裸に剥かれて奉仕されたわけでもないんだし――」
「――リスキンドさん、『ジャッフェ』」
カルメリータの地を這うような低い声。
リスキンドはビクリと肩を震わせ、おそるおそる横目でカルメリータのほうを確認している。
祐奈は『ジャッフェ』という響きに懐かしさを感じていた。――確かそれ、軽薄な若者が女の子に鍋で煮られてしまうという童話だったよね? 『ジャッフェ』は鍋の名前なんだっけ?
「あー……ええと、カルメリータ?」
「あなたはジャッフェで煮られるべきです。骨まで柔らかく」
「いやあの、この世に鍋で煮られるべき人間なんて、いないと思うんですが……」
「でもリスキンドさんは煮られるべきです」
カルメリータが怒り心頭の様子であったので、リスキンドは恐れをなし、彼女からそっと距離を置いたのだった。
***
部屋に通され、まだ腰も落ち着けていない段階で、人が訪ねて来た。
その人物は、応対に出たカルメリータをほとんど無視する形で押し入って来る。
「――聖女様、ちょっとよろしいですか」
その押しの強さに祐奈はびっくりしてしまった。
「どちら様でしょうか?」
「私はリンダと申します。ミクロスの従姉(いとこ)ですの」
リンダは三十前後だろうか。口元は偏屈に引き結ばれており、厳めしい女性だった。
――思い返してみると、ミクロスにも堅そうなところはあったのだが、彼の場合は華やかな部分も併せ持っていたので、血縁関係にあるといっても、リンダとは少しタイプが異なる気がした。
ミクロスはプラチナブロンドの短髪で、リンダは暗めのブルネットなので、髪色だけでもだいぶ印象が異なる。
とはいえリンダは厳めしいだけでもなくて、『不思議ちゃん』のような雰囲気もあるのだった。彼女の髪型はなぜかツインテールで、そんなところに少し少女趣味なところが見受けられる。……というか祐奈はこちらの世界に来てからツインテールにしている女性を初めて見たので、このことにちょっとした衝撃を受けていた。
――アターベリーでは一般的な髪型なのだろうか?
入国して街中を抜けて来たのだが、そのような女性は他にいなかったように記憶しているのだが……。
リンダの顔は四角い輪郭で、しっかりした鷲鼻に、眉が一直線でとても太いという、濃い造形だった。そしてほうれい線もくっきりしているタイプである。
髪に癖がなく綺麗なので、普通にエレガントな髪型をしたほうが似合いそうなのに……となんだか残念に思ってしまう祐奈だった。
しかも前髪を作ってあって、少しカールさせて重めに垂らしてあるので、それが余計に少女趣味的に映るのだ。
日本に居た時の感覚で『年若く、かつ童顔でないと、まずツインテールは似合わない』というイメージが強烈に刷り込まれているせいか、リンダに対してなんともいえぬ『しっくりこない感』を覚えてしまい、祐奈はそんな自分自身に『他人の身だしなみにそういうこと思うの、良くないよ』と自己規制をかけねばならなかった。
「私、今、どうしても話を聞いていただきたいの。よろしいかしら?」
リンダはとにかくグイグイくる。
カルメリータはリンダの不躾な態度にかなり腹を立てている様子だ。
しかしこの勢いで訪ねて来た人を追い返すのも、それはそれでガチャガチャしそうだなと祐奈は思ったので、リンダにというよりも、部屋の皆さんに向けて了承した旨を告げた。
「――お伺いします。ソファにおかけください」
祐奈が席を勧めると、リンダは『当然ね』と言わんばかりの態度で、特に礼を言うこともなく近寄って来た。
カルメリータの眉尻がさらに吊り上がったのを祐奈は横目で確認し、少し焦ってしまった。
***
「私とミクロスは従姉弟同士で、子供の頃からの付き合いですの。年も彼が三つ下で、そう離れてもいなかったので、余計に近しいものを感じたものですわ。彼の母親が早くに亡くなったこともあって、私の母はミクロスのことを何かと気にかけておりました」
ミクロスは第四王子だから、考えてみればリンダもかなり高い身分にある女性なのだ。しかし身に纏っているものは色味やデザインが大層地味なので、堅実な印象を受けた。
彼女が華やかで弾けているのはツインテールの部分だけなのだ。
――そうなるとやはり心の中でイジるのもよくないというか、リンダの髪型については、好意的に受け止めたほうがいいのかもしれなかった。それに見慣れてくると、初見の衝撃も治まって、そう変な感じもしなくなってきていたし……。
「では、ご姉弟のような関係なのですか?」
「姉弟……それはどうでしょうか。互いに大切な相手ではありますけれど、姉弟……?」
ずっと歯切れの良かったリンダが言い淀み、考え込んでしまったので、『第四王子と姉弟のように親しいのか?』と尋ねられ、恐れ多く感じているのだろうかと祐奈は推察した。
しかしどうやら違ったようである。
「国王陛下――つまり彼の父上ですが、身内には厳しく接する方でして、嬉しいことも悲しいことも顔には一切出すなとおっしゃって、息子たちを育て上げたのです。ミクロスは父上を尊敬しておりますから、言われたとおり、他人には決して弱みを見せぬよう、いつも気を張っていました。それであのような顰めつらになってしまったのです。――ですが、唯一私に対しては、気を許してくれていると思いますわ。彼は本当に堅物でして、女性と長い時間一緒に過ごしているだけで、頭痛がしてくるような真面目人間なのですが、私といる時だけは、自然体でリラックスできるようですの。それってつまり、姉と弟というより、むしろ――分かりますでしょう?」
安らぎを覚えるような関係なのよ、汲んでちょうだいよ……という感じで眉尻を下げてこちらを眺めるので、祐奈は心を無にしながら、ゆったりと頷いてみせた。
「……素敵なご関係ですね」
そう返すと、リンダが満足気に笑みを浮かべる。
……二人は恋人未満な関係なのだろうか? しかしミクロスは野蛮な国から花嫁を迎えるのだ。それももうすぐに……。
そして『穏健な国』というわりに、ロイヤルファミリーは意外と脳筋一家のようである。
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