第145話 縁談を壊していただきたいのです
「――それで本題に入りますけれども、お願いがございまして」
そう切り出されて、かえって祐奈はホッとしてしまった。……なんとなくリンダは難しい女性というか、対面した者を緊張させるところがある。話がこれで終わるなら、助かる。
「なんでしょうか」
「どうか、この縁談を壊していただきたいのです」
これには唖然としてしまった。
「あの……ですがすぐにギグから姫君がいらっしゃるのでは?」
「そうですね。――予定では明日。そのまますぐに婚礼を上げ、二人は夫婦になる予定です」
「明日……」
「あなたなら、全部なしにできますよね?」
なんでそんな『当然できるよね』のテンションで訊けるのか。祐奈は現在『あなた正気ですか?』の顔をしていたので、この時ほど自分がヴェールをしていて良かったと思ったことはなかった。
「リンダさん。――この縁談は両国間で取り決めた正式なものですよね?」
「ええ、ですが、これはあくまでも聖具をセットにするための縁談なのですよ。聖女様のご都合に我々は合わせたわけです。ですから聖女様は私どもがそれにより困った状況になっているのなら、解決する義務があると思うのですが」
ずいぶんはっきりとものを言う。
ラング准将のほうからかなりピリついた空気が発せられているのを祐奈は感じ取っていた。
――ここに来る前にラング准将は『聖具を勝手に分けたのはアターベリーとギグなのだから、聖女通過時、一組の状態に戻しておくのは当然の義務』だと言っていた。『貸し借りで済ませればいいのだし、縁談自体もこちらは関知していない。とにかく通過時一緒にしておけという、当然の主張をしただけ』なのだと。
だからリンダの自分本位なものの考え方は、ラング准将からすると聞くにたえないという心境なのではないだろうか。
祐奈は困惑したものの、こちらの見解は伝えねばならなかった。
「こちらからは婚姻を強要したりはしていませんよね? あくまでもアターベリーとギグで取り決めた話です。私がそれに介入することはできません」
「ですがお相手のヴェロニカはとにかく野蛮で、下品で、無礼な女なんです。慎み深さはなく、可愛らしさもない。とんでもない悪女ですわ。真面目で紳士なミクロスとは絶対に合いません。――今回の件で、瑕疵のない彼が犠牲になるのが、私はどうしても納得がいかないのです」
『犠牲』とリンダは言うが、政略結婚で理想的な伴侶を得られる確率ってどのくらいのものなのだろうか。気の毒には思うが、祐奈にはどうしようもない。
「ギグはかなり苛烈な国だと聞いています。結婚が嫌だと駄々をこねたら、まずいことになりませんか」
祐奈が(するつもりはないけれど)縁談を潰せたとして、それで聖女が去ったあと、リンダは一体どうするつもりなのだろう? 隣り合った立地で、不義理をしことは、ずっとしこりとなって残るのに。
「それは相手を変えれば良いのですわ」
「どういうことですか?」
「彼は四男ですが、下にもう一人弟がおります。――六つ下の二十一歳の弟が。そちらは気が強くて、女が生意気を言えば、ピシャリと頬を叩くような性分です。ですから、かの国ともノリが合うと思います。幸い婚約者もおりませんし。兄が弟に代わるだけのことです。そう問題はないかと」
いや、問題あるんじゃないかなぁ……祐奈は同意できなかった。レストランでも違う料理が来たら、大半の人がスルーせずに、『違うのが来ましたよ』と指摘すると思うのだ。それが結婚相手となったら、もっと大きな騒ぎになるだろう。
それに気性の激しい女性に、DV気質の強い男をぶつけて、毒を以て毒を制すみたいな考えも、なんだかすごいなと感じた。……でも片方が気弱より、かえっていいのかな? 段々分からなくなってくる。
――とはいえまぁ、ミクロスとリンダが互いに憎からず思っているのなら、今回の縁談で仲を引き裂かれてしまったわけだから、確かに気の毒ではあるのかも。
ミクロスがリンダのことを愛しているのだとしたら、別の相手と政略結婚が決まっただけでもショックだろうに、それが生理的に受け付けないタイプだったなら、もうお先真っ暗という心境だろう。
そういえばミクロスは祐奈と会うなりいきなり下手(したて)に出てきたのだが、あれは『縁談をなんとかして潰して欲しい』という願いが根底にあって、『それを叶えてくれるならなんでもします』という意思表示だったのだろうか。
それを代わりにリンダが言いに来た? 第四王子が頼むよりも、リンダから告げたほうがいいだろうという計算で?
――けれどやはりこちらはどうにもできそうにない。祐奈はそう考えていたのだが、リンダの話は終わらなかった。
「とにかく聖女様には、ギグの姫君がどんな女なのか、知っていただきたいの。どんなにひどいか、聞いてくださいませ」
「リンダさんも会われたことがあるのですか?」
「ええ。――ミクロスとヴェロニカは過去三回会っておりますが、私はその全てに立ち会いました。いずれも最悪な思い出しか残っておりません」
「具体的に話していただけますか」
「一度目の面会は、ミクロスがあちらの国に赴きました。私も側近として一緒について行きましたが」
「彼女はどんな様子でした?」
「椅子に腰かけたまま、足を組んで、立ち上がろうともしませんでした。尊大な態度でミクロスを眺め、品定めしているような感じでしたわ」
「見た目はどんな方なのでしょう?」
「とても美しい方でした。日頃、生肉を食べているせいか、とても大柄で」
生肉を食べているからといって、それは関係ないのではないだろうか。
「長身ということですか?」
「ええ。横幅はすらりとしていますが、とにかく背が高かった。胸も大きくて迫力満点です。とても肉感的で、悪魔的な感じがしました。――滞在中、彼女は終始意地悪でした。晩餐の席で大量の生肉を並べて、ミクロスが『申し訳ないが生肉は食べられそうにない』と言うと、『からかっただけよ、馬鹿ね』と鼻で笑ったりして。それですぐに皿を下げさせたんですの。終始このような感じで、彼に無茶を言っては嘲笑って、馬鹿にするのです。滞在中彼のストレスは溜まるばかりでしたが、我慢強い人なので、なんとかこらえてアターベリーに戻ってまいりました」
――生肉をミクロスが断ったくだりが少し気になってしまった。
あちらからすると、丁重なもてなしのつもりであったのではないか? 食べ慣れないものをどうしても受け付けられないというミクロスの気持ちも分からないでもないのだが、現地に行った際の最低限のマナーというものはあると思うのだ。とにかく拒絶されたほうは良い気分はしなかっただろう。ギグ側からすると、ミクロスの振舞いのほうが、よほど無礼に映ったかもしれない。
しかしヴェロニカ姫は『からかっただけよ』と言ったそうだから、本当に言葉どおりで、気にも留めていなかったのか……?
「――ミクロスさんはギグの風習を調べてから行かれましたか?」
「ええ、もちろん。彼は真面目な人ですから、専門書を手に入れて目を通したり、有識者に会って話を聞いたりと、色々学んでから行きましたよ」
「それなのに生肉を食べるのを断ったのですか?」
「それは、生で食べられない種類の肉を出してきたからです」
「どういうことですか?」
「かの国では牛肉を生で食べる風習があるのですが、鳥は違います。ギグであっても、鳥肉は火を通す。そうしないと食中毒を起こすので。――それなのにヴェロニカ姫が食卓に並べたのは、生の鳥肉だったのです。失礼だわ」
確かにそれはいかがなものかという行為だが、ただ、別の可能性もあるように思えた。
――それはもしかするとヴェロニカがミクロスを試したのではないだろうか?
ギグの風習を学んできたのか、否かを。そして無茶振りをされた際、彼がどう対処するのか。そういった時に見せる咄嗟のリアクションを観察することで、彼の人となりを知ろうとしたのかもしれない。
だとすると、ヴェロニカのやり口は少し意地悪ではあるものの、賢く堅実であるという印象を受けた。
「あまりに失礼な態度なので、私が抗議しますと、彼女はこちらと一切目を合わせることなく、ミクロスにこう言ったのです。――『躾(しつけ)がなっていないようだけれど、あなたはどう考えているの? 頬の一つも叩いて分からせるべきではないかしら』と」
「それに対し、彼はなんて?」
「『私は女性に手を上げるようなことはしない』とミクロスは答えました」
「ヴェロニカさんは納得されましたか?」
「あの女は――本当に呆れたものですわ。こう言い返してきたのです。『私の国では男は女を平手で殴るし、女はその倍、男を殴る』のだと。なんて野蛮な国なのだろうと、私は震えが止まりませんでした」
それは確かにドン引きである。初顔合わせは散々だったようだ。
「二度目の面会は?」
「ヴェロニカが我々の国に来るというので、私は対策を立てることにしました」
「どのような?」
「ミクロスの弟ニックに、ヴェロニカをやり込めてくれないかと頼み込んだのです。ニックは悪ガキがそのまま大きくなったような青年ですが、頼られると張り切るタイプで、快く引き受けてくれました」
「それでどうなったのですか?」
「ヴェロニカはアターベリーに来ても相変わらずの態度でしたわ。やんちゃなニックがあれこれちょっかいを出すのですが、上手くあしらっていました。――ヴェロニカからすれば、血気盛んな男の扱い方など、自国でとうに習得済だったのでしょう。普段から、ニックのような押しの強い男に囲まれて生活しているのですから、当然ですわね。彼女の態度は堂々としたものでしたよ。ヴェロニカがニックのことを子供扱いしてぞんざいに扱うもので、弟が小馬鹿にされているのを見て、ミクロスはかなり不機嫌になっておりました」
「――ヴェロニカさんはニックさんのことが気に入らなかった?」
「ええ、気に入っている感じではなかった。タイプではなかったのかも」
「ではミクロスさんのことは?」
「ヴェロニカはミクロスのことをかなり気に入っていたようです。ニックに付き纏われながらも、ミクロスのほうばかりを見つめていましたから。――ミクロスのほうは色目を使われて迷惑そうにしていました。ヴェロニカとミクロスはまるで噛み合っていなかった。そんな二人の不協和音が頂点に達したのが、晩餐の席でのことです」
食事の席で何か起こりがちな二人だなと祐奈は思った。一度目の面会でも、生肉の件で揉めていたし……。
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