第139話 過ぎ去りし日々/聖女来訪② フリンとの出会い


【前書き】


【前回まで】


≪『4.お告げの町』-『意外とお転婆ですね』より抜粋≫

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 圧迫感のある細い廊下を進んで行くと、やがて大きなホールに出た。

 壇の上には大きくて立派な台座があって、その上に凝った美術品が置かれていた。

 それは龍が体を丸めた像で、背中部分に大きな宝玉を乗せているのだった。

 東洋の龍に姿が酷似している。もしかすると地球での知識を元に、以前こちらに迷い込んだ聖女が作らせたのだろうか。もしくは偶然の一致なのか……。


 ――そうこうしているうちに、ホール南側の大扉が開いた。

 人々が一斉になだれ込んでくる。ホールはあっという間に人で溢れ返った。

 皆どこかワクワクしたような顔付きで、首を伸ばしながら正面の方を見つめている。

 場の緊張と興奮が最高潮に達したかと思われた頃に、最奥の両開き戸が開いた。

 背の高い人物が白い衣の裾を払うようにしてホールに出て来る。修道士のような服装である。

 割れるような歓声が上がる。

「フリン様――!」

「おお偉大なるフリン様、ご託宣を!」

 フリンと呼ばれた人物は、男性か女性かも判然としなかった。女性にしては背が高いし、男性にしては喉のラインが華奢すぎる。

 髪はオールバックにしてあり、前髪はポンパドールのようにふわりと捻り上げられていた。

 高い頬骨に、しっかり存在感はあるものの形の良い鼻。中性的な顔立ち。

 フリンが瞳を細めると、雪原の中で瞳を眇めているキツネのような、俊敏な気配が強まった。

 右手をすっと上げ、フリンが力強い声で告げる。

「皆さんご静粛に! ――神より有難いお言葉があります」

 残響がすっかり消え去った頃――台座の上に据えてあった例の宝玉が輝き始めた。

 玉はパールのような乳白色で、林檎よりも大きい。材質は不明だった。

 その玉が内側から発光しているかのように、眩しく明滅し始めたのだ。

 そして玉の奥から声が響いてきた。

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【本文】


 タンディという町はごちゃごちゃしていて古いものが多いのに、町全体に心地よい空気が流れていて、住人の感性は絶えず新しいものに変化し続けているという印象を受けた。


 アンが夢で見た巨人の像は中央広場入口にあった。背丈よりもずっと高い立派な台座の上に、ダイナミックな彫像が設置されている。巨人の筋肉には躍動感があり、造形のバランスは見事だった。


 巨人は龍の背にまたがり、勇猛果敢に長い槍を掲げている。


 広場の中央には少し変わった噴水があった。胴体のない女性の首像がいくつか円形に配置され、その上に受け皿が乗り、さらに首像がいくつか、そしてまた上に受け皿が……という構造になっている。鎖骨の上までしか作られていない女性の顔の像は、生首のようで、なんとも気持ちが悪かった。表情は苦悶に満ちているわけでもなく、無表情で、瞳の部分が枠しか彫っていないので(虹彩の表現がない)、余計になんともいえない不気味さを漂わせているのだった。


 広場のあちこちで蚤の市が開かれていた。敷物の上に骨董品や、得体の知れない古物が並べられている。


 サンダースが宿の手配をしてくるというので、アンとアリスは広場をブラついていると彼に告げ、この場に残った。


 アンはチラリとアリスの顔を眺め、淡々とした口調で尋ねた。


「……あなた、サンダースによく殴られるの?」


 彼女の唇の左横が赤黒く変色していることに、今朝気付いた。あの大男が拳で殴ったのなら、アリスの細い顎は砕けているだろうから、平手でぶたれたのだろうか。


 アリスはぐっと強情に口角を下げ、指先で唇の端に触れた。いつも男相手に愛嬌を振りまいている彼女が垣間見せた、修羅の表情だった。


「これまではこんなふうにされたことなかった。……アンが異世界から来たせいかな」


 八つ当たりというよりも、素直に考えを口に出したといった感じ。


 けれどまぁ、たとえこれが皮肉であったとしても、アンはそれを気に病むような性分でもなかったので、『あら、そう』くらいのものであったけれど。


「あなたは頭の回転も速いし、ああいうボス猿タイプの男は扱い慣れているはずじゃない?」


「まぁね。あたしってずっとモテてきたから、男を転がすのは得意なんだ」


「じゃあ、どうしたっていうのよ」


「さぁ? サンダースに訊いてよ。あたし、もう、あいつ嫌だわ。――あたしね、サンダースの集落に住んでいて、これまではまるで不便を感じてこなかったの。美味しいものを食べられるし、可愛い服も着られる。私って男の機嫌を取るのが上手だから、ヒヤッとさせられるような、怖い目に遭ったこともなかったし。でも……サンダースに媚びている人生が、なんだか急に嫌になっちゃって」


「今更、嫌になったの? これから王都に行こうっていうのに、なぜそういうことになるの?」


「そりゃあ、王都に行くから、よ」


 アリスは唇を歪め、突き出してみせた。彼女はコケティッシュなところがあるので、こういう癖のある表情を作ると、似合うような感じもしたし、その倍、下品な感じもした。


「どういうこと?」


「あたし考えたの。――あなたは聖女だから、これから旅に出るんでしょう? ウトナまで行くっていうじゃない? それってあたしも連れて行ってくれるのよね?」


 サンダースが聖女の務めについてアレコレ調べた結果、当事者のアンだけではなく、アリスもまたおおまかな知識を得ていたのだ。


 アンは頷いてみせた。


「ええ、サンダースもね」


 アンは暴漢に遭って以降、用心深くなっていたので、気心の知れた彼らを手放すつもりはなかった。――少なくとも、旅に危険がないとはっきりするまでは、サンダースもアリスも繋ぎとめておきたいと考えていた。


 アリスにとっても、それは夢のような話らしくて……。


「そうしたら護衛の騎士様が沢山いるってことじゃない? なんかすごいチャンスだな、と思って。これをものにしたいの。将来性のある、いい男を物色して、この機会に乗り換えるのよ。そうすればサンダースとも縁が切れるでしょ?」


「あなたそれ、サンダースに言ってないでしょうね?」


「言うわけないじゃない、殺されちゃうわ! ――サンダースに勝てそうな相手を見つけてから、その人に護ってもらう」


 サンダースはアリスを愛しているようには見えなかったが、支配欲とプライドだけは人一倍強そうなタイプなので、自分の情婦が新しい男に乗り換えるなんて真似は、決して許しはしないだろう。女にコケにされたと感じるだろうから。


 アリスも一応それは分かっているようだ。


 しかしこうして殴られているのを見るに、アリス自身はどうやら自覚していないようだが、そのような軽薄な感情が、知らず知らずのうちに態度に滲み出てしまっているのではないだろうか。――『あんたはもう過去の男よ。あたしのほうから捨ててやるわ』というような。


 おそらくサンダースはアリスの心変わりを察しているのだ。それで制裁を加えた。


 アンは蚤の市の様子を眺めながら、考えを巡らせていた。


「私は……護衛騎士に周囲をウロウロされたら、鬱陶しいな」


「そうなの? 優良物件を見つけるチャンスじゃない」


「酷い目に遭ったばかりだから、男なんてしばらく必要ないわ。それに腹も立っているの。この国の上層部に対してね」


「どうして?」


「サンダースが調べてくれたんだけど、私が襲われたのって、どうやらガーナー教会のミスだったらしいの。ガーナー付近に私が迷い込むのは分かっていたはずなのに、神父が受け入れ態勢を整えなかったのね」


 ガーナー教会が有志を集めて付近を巡回していれば、治安も維持されていただろうから、アンはあんな目に遭わずに済んだのだ。


 アンが迷い込んだ地点がガーナーよりもだいぶ東で、町外れの林の中だったというのも、不運ではあった。しかしそれを抜きにしても、教会は結局何も準備していなかったのだから、言い訳はできない。――無能としか言いようがなかった。


「何もかも信用できないわ。――正直なところ、アリスにお務めを代わってもらいたいくらい」


 聞いていたアリスがふふ、と笑みを浮かべる。


「それって楽しそう。あたしは男からチヤホヤされるのが好きだし、護衛騎士たちの人気者になれると思う」


「そうね。私よりも絶対に適任。あなたって可愛げがあるもの」


「そうよ、そう……いいかも」


「何が?」


「聖女って偉いんでしょう? ちょっとしたおふざけくらい、許されるんじゃない?」


 ――これが二人の転換期だったのだろう。


「おふざけって、どういうこと?」


「あたしたち、入れ替わってみない? あたしが聖女ってことにして、王都の連中を騙してやるわけ。――あたし、演技は上手よ。男の腕の中で、感じてもいないのに、感じているフリをしてきたんだもの。人を騙すなんて、簡単。絶対に上手くやれる自信があるわ。それに向こうには聖女を見失ったという負い目があるのだから、そこを巧みに突いてやるのよ。多くは語らず、それっぽく、真実を織り交ぜて話をする。――あ、ヤバいなと思ったら『失踪していたあいだのことは、つらい記憶だから、思い出したくない』で済ませればいい。それでまぁ……あなたの心境が落ち着いてさ……『本当のことを言ってもいいかな?』ってなったら、その時に『実は嘘でしたー』って白状すればいいんじゃないかな」


「まぁそうね。いいかもね」


 アンは本当に『いいかもね』と思ったわけでもなかった。真面目に議論するのも馬鹿らしかったし、軽い『もしも』遊びのつもりで聞いていたのだ。


 そんなアンの適当さを感じ取ったのか、アリスの瞳がぐっと真剣味を増したように感じられた。


「――冗談じゃなくて、ちゃんと考えてみてよ。あたし、あなたが手を斬られて寝込んでいた時、色々助けてあげたでしょう? 痛み止めの薬もあげた。あれがなかったら、あなたは眠れなくて、衰弱して死んでいたかもしれないわよ。その後、サンダースを連れて来て、あなたに引き合わせたのも、あたし。――そんなあたしがサンダースに殴られて、今、すごく困っているのよ。ねぇ――あたしが聖女という立場になれば、あいつもおいそれとは殴れなくなる。聖女が顔に痣を作っていたら、護衛騎士たちが黙っていないものね。あたし、本気で入れ替わりたい。ねぇ、どうかお願いを聞いてよ。あなたはあたしに借りがあるはずでしょう?」


 意外なことに、アンはアリスのスピーチに心を動かされていた。アリスは決して善人ではなかったが、それでもアンの命の恩人であるのは変わりがない。


 確かに彼女からの初めの助けがなければ、アンは今こうして元気にしていないかもしれなかった。治療は初期段階が一番重要だ。あの時、睡眠不足により体が衰弱して、感染症にかかっていたら、そのまま死んでいた可能性も高い。


「……少し考えさせて」


 即答はしなかったけれど、前向きに考えてみるつもりだった。



***



 途中から話に気を取られてしまい、周囲の様子に目が行き届いていなかったようである。


 ため息まじりに視線を巡らせたアンは、一メートルほど離れた場所で、こちらをじっと眺めている人物がいることに気付いた。


 ネイビーのローブをかぶった、線の細い顔立ち。化粧っ気がなく中性的な雰囲気に惑わされ、『男だろうか?』と一瞬思ったのだが、喉仏がないのでどうやら違うらしいとアンは判断した。


 優美といえば優美だし、胡散臭いといえば胡散臭い。


 ――キツネが人間に化けたなら、こんな造形になりそう、という感じ。


「何か?」


 アンがつっけんどんに尋ねると、相手の視線にさらに強い好奇の色が混ざった。


「いえね、なんだか面白い話が聞こえてきたもので。聖女がどうとか」


「あなたの聞き間違いじゃないの?」


「耳は良いんですけれどねぇ」


「たとえ私がそう言っていたとしても、本気にするほうがどうかしていると思うけれど」


「だけど私は嘘を見抜くのが上手いのですよ。――あなたは詐欺師ではない。それははっきりしている」


「嘘を見抜くのが上手いのは、あなた自身が詐欺師だから?」


 アンがそう言ってやると、相手は口元を歪めてみせた。……笑顔のつもりだろうか。こんなに爽やかさの欠如した歪(いびつ)な笑みは初めて見る。


「――私はフリンと申します。あなたとはぜひ、お友達になりたいですね」


「そうすることで私にメリットがあるのかしら」


「さぁ、どうでしょう……。色々お役には立てそうですが」


「ああ、そう」


 アンはこの時、近くの出店に飾ってある骨董品の一つがなんだか気になって仕方なかった。フリンと会話しながらも、視線はそれをじっと眺めていた。


 目が離せない。


 ――それは龍の美術品だった。背中部分に乳白色の大きな宝玉を乗せている。


 ……なんと表現したらいいのだろう。たとえば誰かと初めて会った時に、『この人と自分は合いそう』と感じることがある。直感で、なんとなく、惹かれるというか……。今味わっている感覚がそれに近かった。


 アンはその骨董品を見て、波長が合うような、奇妙な感覚を覚えていたのだ。


「――あれを手に入れてくれる?」


 アンがそう尋ねると、フリンはキョトンとした顔をして、一瞬押し黙ってしまった。


 そうしてアンの顔と、龍の置物、店の店主、それらをゆっくりと順繰りに眺めていき、十秒ほどたってから、ゆっくりと、確実に、頷いてみせた。


「お安いご用ですよ。お嬢さん」


「お嬢さんと呼ばれるような年齢ではないのだけれど」


「まぁいいじゃないですか。若々しく見えるのですから、素直に受け入れれば」


 フリンが口元に笑みを乗せて言う。


「あなたは五分後、あれを手に入れた私と、膝を突き合わせて話をする――どうです?」


「いいわ。そうしましょう」


 アンはその申し出を受けることにした。


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