第137話 考察(祐奈×ラング准将)②


【前書き】

【前回まで】


≪『7.白黒』-『アリスの色仕掛け』より抜粋≫

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「――キング・サンダースは?」

 部屋には彼女の姿しかない。珍しいこともあるものだとラングは思った。

「留守よ。ねぇ、彼のことはいいから早く来て。そんなに時間がないの」

 適切な距離を置いて対面するも、アリスのほうが距離を詰めてきた。

 この部屋はあまりに静かすぎる。彼女が動くたびに、ドレスの衣擦れの音まで聞こえるくらいだ。

 つ……と彼女が手を伸ばし、ラングの肩に触れた。そっと。なまめかしく。

 そして戯れのように指でなぞる。

「私の護衛に戻らない?」

 囁くような声音。

「私は、あなたにして欲しいのよ。お願い、エドワード――あなたの口から聞きたいの。やると言って……お願いよ」

 体を這うアリスの手の動きが少し変わってくる。まるで蛇のようだった。うねるように強弱をつけて、入り込もうとしてくる。

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≪『7.白黒』-『アリスとラング准将』より抜粋≫

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 館内を移動中、アリスが髪を振り乱して近寄って来た。

 今この場にいるのは、祐奈と護衛役のラング准将、そしてリスキンドの三名だった。

 そこにアリスが加わった形である。

「どうして連絡をくれないの、エドワード」

 恋人から冷たく捨てられたのを責めるような調子だと祐奈は思った。

「私の護衛になる件、OKよね? そのつもりだと言って。そして私を抱きしめて。態度で表してよ」

 アリスの鬼気迫る問い。

「返事が欲しいのですか?」

「焦らさないで。エドワード、ねぇ、お願い」

「焦らすつもりはないのですが」

 そう告げてから、ラング准将はしなだれかかっているアリスの肩に触れた。

 彼女は彼から触れられて、その先の行為を期待するように頬を紅潮させた。

 しかしラング准将は――突き放すように、彼女の体を遠ざけてしまった。

 引き剥がす、までの乱暴さではなかったけれど、それはあまりに冷たい仕草だった。

「――護衛の件、正式にお断りします」

 ラング准将が彼女に告げる。

「一つアドバイスを。交渉を進める際は、相手に自分の弱点をさらさないほうがいい」

「私に弱点などないわ。私は完璧な存在なの!」

「しかしあなたは全身で訴えていましたよ。――キング・サンダースが怖い、と。私が欲しいのなら、先に彼と対決し、勝利を収めてからにすることですね。今の連れ添いときちんと別れてから、次に手を出したらいかがです?」

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【本文】


「とにかくこれで、アリスがサンダースを恐れていた理由がはっきりした」


 ラング准将は疑問が解けてすっきりした様子である。


「え、アリスさんは彼を恐れていたのですか?」


 祐奈はそう問いかけ、『待てよ』と思った。――そういえばレップ大聖堂で、ラング准将がアリスに向かって、『サンダースが怖いのですか』というようなことを言っていた気もする。それに祐奈自身も何度か、アリスとサンダースのあいだに漂う奇妙な緊張感を、不思議に感じたことはあったのだ。


「アリスはサンダースと離れたがっていた。枢機卿以外のツテでなんとかサンダースを排除しようと苦労していたようです。――枢機卿はアリスが偽物だと知っているから、それに協力してくれるわけがない。だから王命という形をとって、邪魔なサンダースを王都に戻そうと画策していた」


 その件について祐奈はよく知らなかったので、聞かされて驚いてしまった。


 アリスがちゃんと偽聖女の役割を果たすよう、サンダースがずっと監視していたということだろうか? アリスはそれがどうしても我慢できずに、国家権力を使って、逃れようとした?


「アリスさんは王都にいた時から、サンダース氏のことを嫌っていたのでしょうか?」


「さぁ、どうでしょう。当時はアリスの身辺で少々奇妙な点が目に付いたとしても、掘り返してはいけないタブーのような空気がありましたので……」


 ラング准将は聡い人ではあるけれど、スルーしようと決めてしまえば、割り切ることもできるのだろう。けれどそれはそれとして、掘り返してはいけない空気があったというのが気になる。


「それはなぜですか?」


「一人目の聖女が数か月間行方不明になっていたことで、こちらが気を遣いすぎてしまったのだと思います。――女性が一人、身寄りもなく、長期に亘って見知らぬ土地で生活しなければならなかったのだから、人に言えない秘密の一つや二つ、そのあいだにできたとしても、当然のことだと考えてしまった」


 それはラング准将始め、こちらの世界の方々の親切心だったのだろう。


 聖女自身が心のケアを必要としていて、つらさを訴えて来たのなら、放浪していた期間に何があったのか、サンダースとのあいだに問題を抱えていないか、よくよく話を聞いたに違いない。しかし本人が口を閉ざしているのに、あれこれ詮索するのは気の毒であると思い遣った。


 そのため聖女詐称をするには、ちょうどよい環境ができあがってしまったのだ。だって誰も詮索してこないのだから。


「あの、それで……結局、サンダース氏を王都に強制送還する話は、潰れたのでしょうか?」


 カナンでアリス隊は消息を絶ったと聞いているが、祐奈としては、アリスはどこかに身を潜めているだけという認識だった。ひょんなことからこちらは聖女の入れ替えに気付いたけれど、向こうがいつ偽装を止めるつもりなのか、祐奈には分かりようもない。


 ラング准将は(アリス本人を含む)アリス隊の消滅を悟っているのだが、祐奈はそこまで理解が及んでいないので、彼の話は現状でも問題が残っているように感じられるのだった。


 ――そういえばレップ大聖堂で、アリスの様子は変じゃなかっただろうか? ラング准将に詰め寄っていた空気は、妙に艶っぽく、秘めごとめいていた。あれはサンダースの件で頼みごとをしていたから? それに、そう――彼女はあの時、ラング准将に『私の護衛になる件、OKよね?』と問いかけていなかったか? つまりアリスは、『サンダースの追い出し』と『ラング准将を手元に置く』こと、その両方をセットで希望していたのだろう。ラング准将は護衛の件をあの場できっぱり断ってくれたけれど、でも……


 ラング准将のアンバーの瞳がこちらを向く。怜悧で澄んでいるけれど、なんだろう……ほんの少しだけバツが悪そうに見えた。……気のせい?


「その話は終わっています」


「どういう形で終わったのでしょう?」


 ラング准将が護衛のオファーを断ってくれた件は把握しているけれど、サンダースについては、それとはまた別の話だと思うし……。


「私が処理しました」


 処理……とは?


「ええと……?」


「この件で祐奈が心配するようなことは、何もありません」


 祐奈はなぜかこの時、彼氏の浮気を追及している人の気分を味わっていた。そんなことはありえないのに、どうしてそんなおかしな気分になったのか……。


 祐奈は『馬鹿馬鹿しい』と自分でも思うのに、どういう訳かさらに追及してしまう。


「ラング准将。レップ大聖堂に滞在していた時、アリスさんと二人きりで何か話しました? 通路で彼女がラング准将に絡んできた際は、私もその場に居合わせましたが、その他に」


「……本当にそれを聞きたいのですか?」


「え、あの……聞きたいです」


 そう答えるしかない。……逆に、隠すようなことが、何かあるの? ていう。


 ラング准将は涼やかなポーカーフェイスでこちらを静かに眺め返してくる。こんな時、彼の謎めいた態度はなんだかズルく感じられた。


「ラング准将、アリスさんとの関係で、私に隠しごとをしていませんか?」


「祐奈。もしかして怒っていますか?」


「――怒っていません」


 自分でもびっくりなのだが、言葉がツンケンして響いた。祐奈は自分で自分が分からなくなってしまった。今の言い方って、なんて理不尽な態度なのだろう! ラング准将は何も悪いことをしていないのに!


 祐奈は前のめりになり――馬車の揺れが安定したのを見計らって、対面の席に移った。さっと彼の隣に腰を下ろす。


 祐奈の中の冷静な部分が、『あなた、どうかしている』と囁いているのだが、なぜか行動を止められない。


 ラング准将はすぐ隣にピッタリとくっついて座って来た祐奈のことを、驚きの表情で眺めていた。


 カルメリータに至っては、目を剥き、頬を上気させ、口元を両手で押さえて、怒りなのか喜びなのか判然としない表情で二人を凝視しているのだった。


 ――祐奈はラング准将の手を取り、握り締めた。


「ラング准将。私は怒っていませんから」


「罠っぽい……」


 ラング准将が結構失敬な呟きを漏らす。


「彼女とキスしました?」


 私は何を訊いているんだ……祐奈は胸が苦しくなってきた。自分はとうとうイカレてしまったのかもしれない!


「それはしていない」


 ラング准将の答えも、『なんだそれは!』なのである。――キス以外はなんかありそうだなぁ! ていう。


「じゃあ、何をしたの?」


「何もしていない。誓って」


「でも口説かれましたね?」


 祐奈の前でもアリスはあれだけグイグイ迫っていたのだから、もしも邪魔が入らないような閉ざされた空間で、二人きりになれる機会があったのだとしたら……。


「……ノーコメント」


 がっつり口説かれたな、これは……。


 祐奈が無言で彼の手を離し、元の席に戻ろうとすると、右腕と左腰を巧みに掴まえられ、彼の隣に引き戻されてしまった。乱暴ではないものの、それは有無を言わさぬ行動だった。


 祐奈は腰を抱かれた状態で、隣席の彼を見遣った。ものすごく距離が近い。ヴェールのすぐ先に彼の端正な面差しがあり、胸がドキリと跳ねた。


「ラング准将……」


「――君を怒らせたのだとしたら、悲しい」


「え」


「胸が痛む」


 瞳を伏せがちにそう言われてしまうと、祐奈のほうこそ胸がキュンと痛んだ。彼の声は静かで艶があり、耳の奥でジンと響いた。


「お、怒ってないですよ……?」


「本当に?」


「ええ」


「じゃあ、しばらく隣に居てください。怒っていないことの証明に、手を握って」


「は、はい」


 祐奈は彼の要求通り、慌てて彼の手を取った。彼の左手は祐奈の腰を抱いていたので、フリーになっている右手のほうを、だ。それをきゅっと握り締める。祐奈のほうは両手で。


「祐奈。私のことを嫌いになっていないですか?」


「嫌いになっていないです。そんなはずない」


 祐奈がそう言うと、彼が殊勝な態度のまま続ける。


「では、好きですか?」


「好きです。すごく」


「……良かった」


 彼がはにかんだように美しい笑みを浮かべたので、祐奈はホッと息を吐いていた。


 危ない、危ない……なんだかよく分からないけれど、これにて一難去ったのかな……?


 祐奈はラング准将の常にない態度にテンパりすぎて、自分が何を口走っているのか、自覚できていなかった。


 どうしてこうなったのか、振り返ってみても原因が判然としないのである。


 ――とにかく祐奈はとてつもない危機を乗り越えた感に浸っており、細かいことはどうでもよくなっていたのだ。





【後書き】


 ※≪『9.姫の兵隊たち』-『滅』≫より抜粋した、以下【A】【B】のシーン(アリス隊がローダー→カナンへ転移し、『聖女』が護衛騎士たちを犠牲にする場面)は、連続して展開しているため、同一人物(アリス)の行動を記しているように感じられますが、実際のところ、【A】と【B】では主体の人物が切り替わっています。


 前半【A】はアリスが主体であり、【B】の地の文にて『聖女』『彼女』と記されているのは『早川アン』のことです。

(早川アンは左手がないので、【B】のシーンでは、扉の取っ手を右手だけで掴んでいます)


【A】----------

 ――その瞬間、転移が起こった。

 瞬きする間に一行はカナンに移動していた。景色が変わり、全員が啞然として周囲を見回す。

 最奥に転移したアリスは、赤い扉を見つめた。そうして扉横の赤い石板にブレスレットを押し付けた。

 彼女は堂々たる態度で、扉を開け――

 アリスは彼女のために集い、長いあいだ敬意を持って彼女に尽くして来た護衛騎士たちに告げた。

「――全員進め。速やかに」

 素晴らしい毛並みの馬。豪華絢爛な馬車。装具。アリスのための衣装。化粧品。食料。彼女に仕える下々の者たち。

 皆が部屋の中に進んで行く。護衛隊全員が中に呑み込まれた。

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【B】--------------

 ――扉のこちら側には、聖女のほかに、枢機卿を始めとした少数の側近が残っていた。

 彼女は彼らに目配せをしてから、表情を殺したまま、扉を閉めてしまった。自身は決して中に入ろうとせずに。

 その途端、扉の向こうから、この世のものとは思えない阿鼻叫喚が響いて来た。それはしばらくのあいだ断続的に続いた。

 彼女は扉の取っ手を右手で掴んだまま、疲れたように息を吐き、赤い扉に寄りかかった。瞳から感情は窺えない。

 ――彼女はこの瞬間、多くの護衛を失ったわけだが、それでいてなお、静かに佇んでいた。

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 ※これまでに何度か挿入されていた、枢機卿が『聖女』に跪き、こうべを垂れるシーン――彼の先にいるのは、アリスではなく早川アンです。


 ※また、早川アンは祐奈に対し、「わたくしはアン・ロージャと申します」と名乗っていますが、『ロージャ』というのは偽名です。そのため客観性が必要となる地の文では彼女の呼称は『アン』のみで扱われており、『ロージャ』姓は、アンが発した台詞内(あるいは協力者であるアリスの台詞内)に限定して使用しています。

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