第136話 考察(祐奈×ラング准将)①


 国境を越えたあと、祐奈は久しぶりに馬車に乗っていた。


 対面にラング准将、隣にカルメリータといういつもの席順である。ルークは再会時に見せていたダンディさをすっかり封印し、今は床にだらしなく寝そべっている。


 リスキンドは単身馬に乗っているのだが、今日ばかりは珍しく、一人だけ皆と離れることに不満を漏らしていた。


 彼は『ローダー以降の出来事――二人の甘酸っぱい思い出話を聞かせてくれよぉ!』と最後までゴネていたのだが、ラング准将から発せられたちょっとした殺気(?)に敗北し、最後は渋々折れて馬に乗ったのだった。


 別にリスキンドが加わって四人プラス一匹で馬車に乗ったとしても、スペース的には特に問題はない。彼の馬は、馬車の前に加えてしまい、御者に任せることもできた。


 ラング准将だって、リスキンドが馬車に乗りたいというのが別の理由だったら、快く同乗を許可したことだろう。しかし『甘酸っぱい話をしろ』というリスキンドの要求はありえないと感じたらしく、久々に再会した彼に対し、とにかくすげない態度だった。


 そして祐奈は祐奈で『甘酸っぱい話って何』と思っていた。……そんなふうに変な煽り方をするのはやめて欲しい。


 祐奈的に『悶絶ものの恥ずかしい話』ならいっぱいあるが、ラング准将からすれば、あれらはきっと『居たたまれない話』にカテゴライズされるのではないだろうか。


 ――彼に甘えたり、我儘を言ったりと、かなりやらかしてしまった自覚はあるので、とにかく申し訳ない気持ちだった。


「――祐奈。どうかしましたか」


 ラング准将に尋ねられ、まさか心情を問われると思っていなかったので、祐奈は不意を突かれてしまった。


「いえ、その……リスキンドさんに言われた『甘酸っぱさ』について考えていました」


 馬鹿正直にそのまま吐露してしまい、『ああ、しまった。口が滑った』とすぐに後悔する。


「二人きりの旅で、祐奈は甘酸っぱさを感じましたか?」


「え? そんな、まさか!」


「……質問の返しが『まさか』なんだ……」


 ラング准将が視線を彷徨わせ、小さく呟きを漏らす。


 ……え、なんか間違った? 祐奈は焦ってしまった。


「――ていうか、『甘酸っぱい』って何?」


 混乱のあまり思わず疑問が口をついて出る。


「それを尋ねるということは、祐奈は私がその答えを知っているとお考えなのですね?」


「うん? いや、その……あれ?」


「私の態度から『甘さ』は感じなかった?」


「か、感じませんでした」


 祐奈はかぁっと頬を赤らめた。こちらが勝手にトキメいていたことは彼には内緒にしておきたい。だって彼のほうにアメを与えた自覚がない場合、勝手にドキドキしているのがバレたら、呆れられちゃうかも……。


「それじゃあ、まだ足りなかったのかな」


「何がですか?」


「――これからは、もうちょっと押してみることにします」


 ラング准将が淡い笑みを浮かべ、こちらを見つめてくる。相変わらず端正な佇まいで、清潔感があった。そしてそれと同時に、彼の瞳には川面に陽光が反射しているような穏やかな美しさがあって、対面しているだけでなんだか眩暈がしてくるのだった。


 ――カルメリータがトン、と馬車の側面に額を当てて、怨嗟の声を漏らした。


「ああ私……確実にクライマックスを見逃している……」


 馬車内がカオスな空気に。


 祐奈はものすごい気まずさを感じていた。



***



「お遊びはこのくらいにしておきましょうか」


 ラング准将がシレっとそう言って、話が主筋に戻された。


 祐奈はホッと息を吐いていた。……た、助かった……


「それにしても枢機卿も意外と大胆なことをする。――替え玉とは」


 ラング准将の台詞にはどこか感慨深い響きがあった。詐称行為自体が、枢機卿の人物像と合致しなかったのだろう。それは祐奈も同感だった。


「アンさんは現地の人ではなかったから、指を立てるジェスチャーの意味を知らなかったのですね」


 ジェスチャーの件をきっかけに、祐奈とラング准将はアンに対して疑いを抱くこととなった。そして一度疑念が芽生えてしまうと、『アンとアリスが入れ替わっているのでは?』ということに気付くのも早かった。


 というのも、髪や瞳の色に惑わされず、『もしかして日本人?』という頭でアンの姿形を思い返してみると、もう日本人でしかありえない造形をしていたからだ。彼女は欧米寄りの容姿をしているとか、そういうわけでもなかった。


 アンという名前は、本名なのか、偽名なのか……。そのまま本名というのも全然ありえるだろう。――たとえば、『田中アン』とか『鈴木アン』とか。


 ラング准将は以前のことを思い出そうとしているらしく、微かに瞳を細めた。


「アリスのほうが、こちらの世界の住人だった。彼女の振舞いは実に自然でした。……まぁ私が引き合わされた時は、枢機卿が面談したあとで、『間違いなく聖女だ』という形で紹介されたので、疑う理由もなかったのですが」


「それは無理もないです」


「ただやはり、嘘というのは、どこかしらにほころびが出るものなのかもしれません。――私はずっとアリスとサンダースの醸し出す空気に違和感を覚えていた。あまり深入りしたくなかったので、流してしまっていましたが」


「なんというか、不思議な……アダルトな空気がありましたよね」


 ラング准将が深入りしたくないと考えたのも、祐奈としては、すごくよく理解できる。


 祐奈の台詞に、ラング准将がくすりと苦笑いのような笑みを漏らす。


「違和感を放置すると、こういうことになる。――とはいえまぁ、アリスはお見事でしたね。メイクや髪型がこちらの世界では一般的ではないものだったし、彼女が語った内容にもリアリティがありましたから」


「メイクはアンさんが念入りにレクチャーしたのではないでしょうか。今の流行をちゃんと押さえていたので、私もまるで違和感を覚えませんでした。それにアリスさんの容貌は日本人ぽかった。顔の造りに親近感を覚えるというか……。もしかすると昔こちらに来た聖女の子孫であるとか、なんらかの繋がりがあるのかもしれませんね」


「ああ、確かに」


「そういえば、今になってみれば、なのですが……」


 祐奈はふとあることを思い出していた。


「王都シルヴァースでアリスさんに呼び出されて、会いに行ったことがありました。初対面時、アリスさんは元の世界の言葉を喋らなかった。苗字は日本名を名乗っていたので、そこの部分だけ、偽名をアンさんから与えられていたのかも。――日本語を話さなかったのは、あの時は同席していたサンダース氏に配慮しているのだと思い込んでしまったのですが、考えてみると少し不自然でした。あちらから話があると呼び出したのだから、普通ならば、元の世界のこともあれこれ尋ねそうなものです。私のほうはその話をしたかったのですが、アリスさんのほうが上の立場だったので、こちらからは好きに話題を選べなくて」


「彼女は話さないのではなく、話せなかったわけだ」


「そうなのですね。でも、あそこまで堂々とされると、意外と気付けない……」


 規模の大きな詐欺のほうがかえってバレないと聞いたことがあるのだが、まさにそのとおりだなと祐奈は思った。あまりに大がかりな仕掛けだと、少々の矛盾が出てきたとしても、受け手側が都合良く解釈してしまい、疑いもしないというか。


「アリスは演技が上手かったということで納得もできるのですが、問題はアンのほうです。――彼女の虹彩の色は、祐奈の世界では一般的なのでしょうか?」


 ラング准将に問われ、祐奈は彼女の虹彩を思い浮かべていた。灰茶色をしていて、星の輝きを思わせる放射状の濃淡があった。


「いいえ。――アンさんの骨格からして、おそらく私と同じ日本人だと思うのですが、それだと住人のほとんどが黒髪、黒目になるので、かなり珍しいです。でも、変える方法はある。星が入ったような不思議な文様の虹彩は、カラーコンタクトを使っていたのかもしれません。眼球に入れて、瞳の色をまるきり変化させられる装飾具があって。円形の膜のようなものなのですが」


「私は彼女に接近したことがないのですが、そういったアイテムを使用していたとするなら、間近で見ていれば、裸眼部分と装飾具との境界が確認できたかもしれない」


 確かにラング准将なら、カラーコンタクトの微かな厚みや、眼球との境目にも気付けたかも。


 祐奈は間近でアンと対面していたのに、全く分からなかった。――それは祐奈がヴェールをしていて、視界が良好ではなかったことも起因していたかもしれないが。


「髪の色はヘアカラーですね。元々日本に居た時も、彼女は金髪にしていたのかも。根元がダークだったのは、元の髪色が出てしまっていたから……」


「こちらの世界でも金色に染めるのが最近流行っているので、変更したければ比較的容易だったと思われます。元々染めていたとのだしても、こちらに来てから、一度くらいは色を入れ直しているかもしれませんね」


 こうして一つずつ要素を潰していくと、『枢機卿の側近を騙っていたアンが、本物の聖女だった』というのも、ありえないことではないのだなと改めて感じる。


「レップ大聖堂で、私はアリスさんが魔法を使うのを見ているのですが、あれはなんだったのだろう……」


 祐奈は考え込んでしまった。あれはとにかく見事な魔法だった。炎が周囲を渦巻き、ものすごい圧を感じた。


「枢機卿の側近として、アンも同席していたと聞いていますが」


 ラング准将はあの場にはいなかったし、一連の出来事にも一切絡んでいない。しかしリスキンドからあとで報告が上がっていたのだろう。


「……そうですね。彼女もあの場にいました」


 きっかけが一つあると、色々思い出す助けになる。祐奈の脳裏に、あの部屋の調度類だとか、アリスのエレガントな衣装、居合わせた人々の様子などが、映像を流しているかのように再生された。


 アリスはアンを容赦なく殴打した。あれは本気で殴っているようだったが、そうするよう、あらかじめ打ち合わせしていたのだとしたら……?


「そう――魔法行使前に、アリスさんがアンさんを掴んで、体のそばに引き寄せました。暴力的な行動だったので、私はアリスさんが苛立ち、そうしているのだと考えてしまった。けれど違ったのですね。アンさんはよろけて、アリスさんの腕に縋った。――つまりあの時、アンさんは聖女のブレスレットに触れていた」


 アリスはいくら聖女らしく振舞っていても、偽物だから、魔法を使うことは当然できない。たとえ聖女のブレスレットを着けていたとしても。――だから行使者はあくまでもアンなのだ。


 そういえば以前、ロジャース家の近くで盗賊退治をした際に、リスキンドがアリスについて『お優しいアリス様が助ければいいじゃん。素晴らしい聖女様なんでしょ。評判どおりのことをやれよ』と怒っていたのだが、実際には『しない』のではなく、『できなかった』のだ。


 盗賊が襲って来た時は、魔法を使えるアンが隣にいなかったのだから……。


「魔法を行使するため、二人は接触する必要があったのですね。あなたに気取られないよう、彼女たちは大袈裟な芝居をした」


「迫真の演技にすっかり騙されました。その後、私が怪我をしたアンさんのそばに寄り、回復魔法をかけた時、彼女はものすごく驚いた顔をしていました。魔法のことを知っているからこそ、直接行使されて、不意を突かれたのかもしれません」


 元々彼女は祐奈の『回復魔法』を警戒していたはずだ。それを自身に使われたら、そりゃあびっくりするだろう。


 あの時アリスは、『枢機卿の側近であるアンには、これからローダーまでついてきてもらう』と宣言していた。あの時は聖女の我儘で、枢機卿の部下を振り回しているのだと解釈していたのだが、今になってみると、アンこそがローダールートを辿る必要があったのだと分かる。


 ――ベイヴィア大聖堂にアリス隊が立ち寄った際、聖具『叡智の鏡』が外部に出されていたのだが、アリスはそれが戻るのを待つことなく、すぐに発ってしまったのだと聞いている。


 もしかすると、邪魔の入らない状態で、アンが聖具に接触する機会がなさそうだと判断したのではないか? 聖具が外部から戻ったばかりでは、大聖堂の修道士がよくよくそれを確認するだろうし、人払いが難しそうだと考えたのかも。枢機卿の側近であるはずのアンが、聖女のブレスレットを嵌めて聖具に触れようものなら、『何をしているんだ?』と咎められてしまうだろうし。


 だからあとで回収に来るからと言い置いて、出発したのではないか?


 ――結局その後、祐奈が横入する形で、聖具から魔法をインストールしてしまったのだが。


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