第135話 笑う女


【前回まで】


≪『1.旅立ち』-『ホラー的妄想』より抜粋≫

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 横手の扉が開き、金色の髪をした女性が入室してくる。

 以前に会ったことがある、左手が義手の、枢機卿の側近の女性だった。

「――祐奈様。わたくしはアン・ロージャと申します。聖女アリス様からお呼びがかかるまで、お茶のご用意などをさせていただきます」

 ここまで丁重な扱いを受けたのは、リベカを発って以来初めてだ。

 別にお茶なんて飲ませなくても死なないだろう、くらいの軽い扱いをされると、はなから思い込んでいたので、これには驚いた。

「ご親切に、ありがとうございます」

「祐奈様、お砂糖はお入れしますか?」

 角砂糖を入れてくれようとしているらしいので、慌てて答える。

「あ、はい。――ではひと、つ」

 しかし甘噛みして最後がぐちゃぐちゃっとなってしまった。これじゃ何を言っているか分からないだろう。

 思わず赤面しながら、人差し指を立てて、

「ええと、一つ、お願いできますか?」

 と言い直した。

 アンはショーのようにいちいち軽蔑したりせずに、彼女も右手の人差し指を立ててみせ、

「――お一つですね」

 と落ち着いた声音で繰り返し、再び微笑んでくれた。

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【本文】


 祐奈たちがカナンから去ったあと、枢機卿の側近を務めているアンが、あとを追うように遺跡内に入って来た。


 根元がダークな金色の髪は長く垂れ、背中のほうに流されている。灰茶の虹彩は放射状に濃淡が滲み、相変わらず神秘的な輝きを放っていた。とはいえそれは鮮やか過ぎて人工的な感じもするくらいだった。


 開け放たれた赤い扉の前に佇み、彼女は感慨深げな表情を浮かべる。


 ――やがてアンは左手から義手を引き抜き、無造作に足元に投げ捨ててしまった。何かから解放されたような、すっきりした表情で。


 そしてためらうことなく足を前に踏み出した。


 しっかりした足取りで長い階段を下りて行く。背筋は伸び、堂々たる態度だった。


 広間をしばらく進むと、左横に奇妙なオブジェがある場所に差しかかった。アンはそちらに進路を変えた。


 おどろおどろしく溶解した物体の隙間に、金色に輝くリングが見える。


 アンは歪んだ物体の表面をそっと撫でた。微かに瞳を細めて、呟きを漏らす。


「……返してもらうわね」


 そうして右手を隙間に躊躇いなく差し入れ、聖女のブレスレットを引っ張り出した。


 そのまま右手首に嵌めようとしたのだが、片手だとどうにも上手くいかず、少し手間取ってしまう。


 アンのあとを遅れてついて来ていたサンダースが、静かに歩み寄り、恭しい手付きでブレスレットを彼女の手首に嵌めた。アンは労うように彼を見遣った。


「――アリスの監視、長いあいだご苦労様でした。サンダース」


「もったいなきお言葉」


 荒くれもののサンダースが、アンに対しては心からの敬意を払ってるのが、その態度から窺える。サンダースは背を丸め、彼の女王に傅いた。


 そしてアンに追従してきたのはサンダースだけではなかった。


「アン様」


 枢機卿が彼女に恭しく声をかける。普段とは立場が逆転しており、奇妙な光景だった。彼女は枢機卿の部下であるはずだ。――義手の件で周囲から虐げられている、ただの側近――皆がそう信じていたし、そういう扱いをしていた。


 ――早川アンは首を垂れた枢機卿を見おろし、鷹揚に頷いてみせた。


 オズボーンもこの場に居たものの、少し引きの位置で佇んでいる。


 アンは足元に蹲るサンダースの巨大な体躯を見据え、空虚な笑みを浮かべた。それは見ようによっては、この上なく冷ややかなものだった。



***



「カナン遺跡を聖女二人が無事に通過する方法があろうとは……」


 枢機卿は複雑な思いを抱えていた。そうできたのなら、初めから教えてくれれば……と言う気持ちになっていた。


「これは望ましい事態ではないのよ。――致し方ないというやつね」


 アンは振り返りもせずに、うんざりしたという態度で答えるのだが、枢機卿はやはり納得できない。


「祐奈に目こぼしをしたのですか?」


「まさか」


 アンが鼻で笑う。


「通常ならば、星の上下が引っくり返ったとしても、カナンからローダーに飛ぶことはありえなかった。けれどそのまさかが起きてしまった。あの忌々しい『回復』魔法――あれで全てが狂ったわね」


「どういうことです?」


「ヴェールの聖女はローダーに飛び、聖具から祝福を得てしまったのよ。あの状態ではカナン遺跡を通過できてしまう。あれは一人目、二人目、関係なく、カナン遺跡を無事に通り抜けるためのお守りのようなものだから」


「しかしあなたは無事だ。こうして何事もなく、ここを通過できている」


「それは聖女のブレスレットが、赤い扉の前で『二回』かざされているから。それをクリアすれば、トラップは解除される。だから今は安全なの」


「意味がよく――」


「赤い扉はね、ブレスレットさえかざせば、聖女じゃなくても通過できるのよ。――石板上に刻まれた注意書きには、『聖女腕輪で触れよ。とどまるなかれ』とあるでしょう? 分かる? 『聖女ここに触れよ』とは書いていないの。つまり腕輪さえあればいいのよ。そしてここを通過したのは二組。一組目はアリス隊。二組目は祐奈隊。祐奈は祝福を受けているから、隊ごと無事通過できた。けれどアリスは……」


 アンは微かに眉根を寄せたのだが、口元には笑みが浮かんでいた。上機嫌というわけではない。様々な感情が渦巻き、どうしようもなくなって、笑みの形で表に出たのだ。


 聖女のうち一人は鳥の加護を受けられないので、カナンにて贄(にえ)となる。聖典は本来、ここで祐奈を殺して取り込むつもりでいたのだが、アクシデントにより、それは叶わなかった。祐奈がウトナに到着するまで、彼女に手は出せない。


 しかし聖典は空腹のまま我慢することができなかった。急ぎエネルギーを欲していた。そこで『ないよりマシ』ということなのか、アリス隊の全てを食らい尽くすことにした。――現状、ここにオブジェとして残されているのは、犠牲となった者の亡骸のごく一部である。他は跡形もなく消し飛んでしまった。


 アンは醜く溶解した物体を流し見てから、呟きを漏らす。


「……偽物の聖女は、カナンでその役目を終えたということよ」


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