第134話 私、ショーさんにあれをしました


 広間には調度類もなく、柱以外には何もない状態であると祐奈は思い込んでいた。


 ところが真っ直ぐに進んで行き、半分以上過ぎたあたりで、左手の暗がり――柱の陰に当たる死角部分に、歪(いびつ)な形をしたオブジェのようなものを発見することに。


 それは鍾乳洞を上下逆さまにひっくり返したような、奇怪な物体だった。ドロドロに溶解した物体が垂れて固まったような感じ。黄色のような茶色のような、背景に同化する色合いをしている。凸凹したそれは人の背丈と同じくらいの高さだろうか。


 数メートル四方の大きさで、巨大といえば巨大だし、部屋の規模からすると、小さいといえば小さかった。


 他は掃除で綺麗に取り除いたのだけれど、そこだけ柱のそばで残ってしまったというような、侘しささえあるように感じられた。


 なんだろう……とは思ったものの、祐奈は数秒目に留めたあと、すぐに視線を逸らした。


 ラング准将は微かに瞳を細めてそちらを眺めていたのだが、やはり口を閉ざしたまま視線を切った。


 リスキンドははっきりと眉根を寄せて凝視していたのだが、彼もまたオブジェのほうに近寄ることはなかった。


 カルメリータは祐奈と同様の薄いリアクションを示しただけだった。


 そんなこんなで、一行はとうとう部屋の突き当り付近までやって来た。ここから階段とスロープが始まる。


「ラング准将、あの向こうは――」


 祐奈が人差し指を立てて階段の上のほうを指すと、どういうわけか、普段冷静沈着で何事にも動じないはずのラング准将が、ほんの少しよろけたように感じられた。彼は微かに瞳を揺らしたあと、さっと目を伏せてしまった。


 祐奈は彼の目元が微かに赤く染まっているのに気付き、あんぐりと口を開けてしまった。


 まじまじと無遠慮に眺めてしまったので、ヴェール越しでもそれに気付いたらしく、ラング准将が口元を右手で押さえる。


 え……これ、どういうこと……?


 祐奈の勘違いでなければ、あのラング准将が照れている……! それは驚天動地の出来事だった。


「祐奈……それをしてはいけません」


 彼の口調は相変わらず折り目正しくはあったが、いつになく硬かった。


「え?」


 意味が分からずに問い返すも、彼はなぜか言い淀んでいる。


 すると後ろにいたリスキンドが口を挟んで来た。彼はデリカシーに欠いたところがあるので、こういった場面では全く遠慮しない。


「祐奈っち、大胆だなー」


「何がです?」


「そうやって人差し指を上に向けるジェスチャーは、『私をめちゃくちゃに犯して!』の意味だよ」


 一瞬意味が分からなかった。丘(おか)して? 岡(おか)して? どうにもピンと来ない。


 ――一拍置いて、『ラング准将の平素にないリアクション』&『カルメリータの気まずそうな顔』&『リスキンドのからかいまじりのニヤニヤ顔』を順繰りに眺めたあとで、やっと真意を悟ることができた。


 もう絶叫ものの心境だった。『えー!!!!!!』と100デシベルくらいの音量で叫びたいくらいだったのだが、あまりに恥ずかしくて居たたまれなかったために、かえってそれもできなかったくらいだ。


 祐奈は顔に熱が集まってくるのを感じた。


「し、知らなかったんです!」


 慌てて指を下げ、しどろもどろに言い訳したところ、


「ええ、分かっています」


 そりゃそうでしょうね、と言わんばかりにラング准将が静かに頷いてくれた。……それでも相変わらず瞳は伏せがち……。


「ラング准将が残念がってますよー。責任取ってあげてー。祐奈っちがしたのは、『あなたを見ていると、ものすごくエロい気分になるの。早く来てぇ』のお誘いだからね」


 リスキンドが調子に乗って、そんなからかいをしたもので、


「――リスキンド」


 ラング准将がお叱りモードの声を出した。リスキンドはラング准将のほうを流し見て、『あ、ガチでヤバイ』と気付き、お口にチャックのジェスチャーをして押し黙った。……しかし彼は態度を改めるのが遅すぎる。


 リスキンドの軽薄な部分を特に嫌っているカルメリータが、青筋を立てながら突然口を開いた。


「リスキンドさん、私の故郷に伝わる『ジャッフェ』って童話をご存知ですか?」


 リスキンドはチラリとカルメリータのほうを眺め、首を横に振ってみせた。


「いや、知らね」


「口の軽い下品な若者を、娘たちが鍋で煮て食べてしまうお話です。その鍋の名前が『ジャッフェ』」


 なんというか、超・猟奇的な話だった。カルメリータが迫力のある笑顔のまま続ける。


「口は禍の門、というのを子供たちに教え込むための話ですね。リスキンドさんを見ると、私はいつも『ジャッフェ』という言葉を頭の中で繰り返しています。あなたへの戒めに、次の町では鍋を一つ買いましょうかね」


「怖っ……! ただひたすら怖い……!」


 リスキンドは青褪め、カルメリータから少し距離を取った。


 ――数分前、二人はほんの少し分かり合えた瞬間があったようなのだが、これでまた親密度がゼロに戻ってしまったようである。



***



 階段を上がりながら、祐奈はふたたび恥ずかしさがぶり返してきて、改めて赤面してしまった。


 うう、超恥ずかしいよぉ……ちょっと半べそ気味になる。


 だって異文化だもの。知らないよ。指を上に向けることに、そんな意味があるなんて。元の世界だと普通にやっていたし……『上の階です』とかね。ていうか、この世界って、それを示す際にどうするのだろう……?


 考えを巡らせているうちに、ある光景が思い出され、雷に打たれたような気分になった。


 ――祐奈が階段の途中でピタリと足を止めてしまったので、隣を歩いていたラング准将も立ち止まり、こちらを振り返った。


「祐奈? どうかしましたか」


「私、なんてことを……」


「先ほどの件ですか? そんなに気にしなくても」


「いえ、ええと――その件ではあるんですが、そうじゃなくて。私、ショーさんにあれをしました」


「指のジェスチャー?」


「そうです。リベカ教会から王都に移る途中の宿で」


「それは……なんというか、ドンピシャなタイミングですね」


 宿でそれをされれば、誰でもベッドの誘いだと思うだろう。


「私の国では、普通に『上』を指す時にあの仕草をするんです。階段の下で、私はショーさんと向き合っていました。それで彼に、『上の階ですか?』と指で上階を示しながら尋ねたんです。思い返してみれば、その後すぐに彼が激高しました」


「ショーはジェスチャーについて何か言いましたか?」


「いいえ。とにかく彼は怒り狂っていて、話もできない状態でした。彼の騒ぎ方は異常でしたし、私は唖然としてしまって。……ていうか、その指はなんだ、下品な誘い方だとはっきり言ってくれれば良かったのに……」


 ラング准将は微かに眉根を寄せ、少し考えてからこう言った。


「彼は公的な聴取でも、その件は具体的に述べてはいませんでした。……変なところでお育ちの良さが出たというか、直接的な内容を口にするのは抵抗があったのでしょうか。――けれど彼のやり方は間違っている。あなたの言うとおり、大ごとにするならするで、はっきり問題点を明らかにしたほうが良かった。そうすればあんなふうに行き違うこともなかったでしょう。指のジェスチャーが問題と分かっていれば、枢機卿も私も、後日の聞き取り調査で、あなたにその件を尋ねることができたと思うのです」


 祐奈からすると『なんてこった!』の極致だった。


 ものすごく理不尽に感じていた一連の出来事が、まさかの――まさかの自分に原因があったパターンだったなんて!


 ショーの大人げない振舞いは置いておいて、事実だけ抜き出せば、確かに祐奈は性的な誘いをかけていたことになる。それもとびきり下品なやり方で。


 ショーは意外にも、真実を述べていたのだ。


「あの……こうなってみると、ショーさんに悪いことをしたかもという気が……」


 ちょっとした罪悪感を覚えて祐奈がそう告白すると、ラング准将が物思う様子でこちらを眺めおろしてきた。


「それは誤解が解けたことで、彼に対して好意的な感情が芽生えたという意味ですか?」


「いいえ、それは全くないんですけど」


 祐奈があっさり否定したので、ラング准将がなんともいえない顔付きになる。


「では何を気にしているのです?」


「レップ大聖堂で……私、かなりひどい拒絶の仕方をしてしまいました。あの気持ちに嘘偽りはなかったのですが、私にも原因があったことが判明したので、もうちょっとオブラートにくるむべきだったかな、と……」


「ねぇ祐奈」彼が小さくため息を吐いてから続ける。「先ほどあなたは私の前で同じジェスチャーをしましたが、それが何か問題になりましたか?」


「……いいえ」


 祐奈はなかなかに恥ずかしい思いをすることとなったけれど、ただそれだけだった。ラング准将は全く怒らなかったし、リスキンドやカルメリータが、祐奈の行為を軽蔑して責めてくるようなことも一切なかった。


「対人関係ですぐにカッとなって怒り狂っていては、世の中は争いばかりになってしまいますよ。――今回の件、あなたへの贔屓目を抜きにして考えてみても、ショーの態度はやはりありえなかったと思います。反発を覚えたのだとしても、理性的に相手に尋ねれば、誤解はすぐに解けたはずです。責められるべきは向こうで、あなたは何も悪くありません」


 そう言ってもらえると、泣きそうになってしまう。味方がいるってありがたいなぁ……と祐奈はしみじみと感じた。


「ラング准将……」


 もう好きすぎる……


 祐奈はじんわりと感激しながらラング准将を見上げていた。一方、彼のほうは何か気になることがあるのか、少し難しい顔で考え込んでしまっている。


「……けれどまぁ、ショーが馬鹿で助かった……」


「え、あの……?」


「彼が職務に忠実な男で、あなたの要望に真面目に応えようとしていたら……と想像すると、ゾッとします。こうなってかえって良かったのかも」


 それを聞いてヒヤリとしてしまった。確かにそうだ。


 実は紙一重の状況だったのかもしれない。ショーが祐奈に悪い印象を持っていなかった場合、そのまま部屋に連れ込まれていた可能性もある。祐奈が抵抗したとしても、力では絶対に敵わなかっただろう。あの頃は雷撃も使えなったのだから。


 そしてあとで襲われた件を問題にしようとしても、祐奈のほうから『めちゃくちゃに抱いて』と誘った形だから、誰にも同情してはもらえなかっただろう。


 あの時ショーに嫌われていて良かったと心の底から思ってしまった。


「そ、そうですね。ショーさんがサービス精神旺盛なタイプではなくて、本当に良かったです」


「……ヴェールを取られていたら、アウトだった」


 彼の漏らした呟きは、祐奈には意味不明だった。



***



 ここで祐奈にはさらに気になることが出てきてしまった。


 『あれ?』と小首を傾げるようにしたことに気付いたのか、ラング准将に尋ねられる。


「どうかしましたか?」


「いえ……私、このジェスチャーをするの、実は三度目なんです。でも咎められたのは、これが初めて。一度目のショーさんは怒り狂っていたけれど、意味は説明してくれなかった。だけど二度目は……?」


「二度目も男性に対してしましたか?」


「いえ、女性です。――あ、女性相手だと、問題にならないということですか?」


「そんなことはありません。同性同士であっても、相手を侮蔑する意味になりますよ」


「どのような内容なのでしょう?」


 すると下品な話題ならお任せあれのリスキンド氏が、後ろから口を挟んで来た。


「それはね、祐奈っち。――『下(しも)が緩い』て意味」


 それってアバズレみたいなこと? うわぁ……と祐奈は血の気が引いて行くのを感じた。


「なんなの、もう……え、じゃあ、『上へ』という時はどんなジェスチャーをするんですか?」


 狼狽しながら尋ねると、ラング准将が答えてくれた。


「その場合はあまりジェスチェーでは表しません。あえてやるならば、指は全て立てたまま上に向けるとか、ですかね」


 はぁ、なるほど……。人差し指だけ立てるのは、下品ということなのか。


「では数字の『1』は? 『1人です』とか『1つです』の時」


「その場合は指を水平、または下に向けます。絶対に上に向けてはいけません」


「『2』の時も下向き?」


「2の時もです。指一本のように具体的なメッセージは含みませんが、上に立てるのは、かなり下品に映りますね」


「そうなのですか……」


 とにかくびっくり仰天だよ。これぞ正にカルチャーショック……。


 それにしてもこのジェスチャーを祐奈にされた『彼女』は、なぜそれを注意しなかったのだろう? ……気を悪くしたものの、聖女相手だから言えなかった? 


 けれどあれは、こちらに悪意がないことがはっきりと分かるシチュエーションだったと思う。なぜならあの場面では、指を一本立てる動作により、『1』という『数』を示していたことが明確だったからだ。これは宿でショーにしてしまった時よりも、誤用に気付きやすかったはずである。


 彼女は祐奈に教えるべきだった――『こちらの国では、その手の動きはアウトですよ』と。しかし彼女は顔色一つ変えず、当たり前のようにそれを受け入れていた。


 それに、そうだ――彼女も同じジェスチャーを繰り返しはしなかったか? 祐奈がそうするのを受けて、彼女は自分でもそれをしてみせた。


 あの人は、人差し指を一本立てて見せ、


「――お一つですね」


 と言ったのだ。


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