15.真実

第133話 リアルタイムで観察できなかった


 一同はカナン遺跡の中に入った。


 リスキンドとカルメリータ(ついでにルーク)は祐奈たちがカナンから消失したあとも何度かここに立ち入っているが、祐奈とラング准将はこれが二度目の入場となる。


「――以前と空気が違う」


 ラング准将は肌でそれを感じ取り、呟きを漏らしていた。周囲に素早く視線を巡らせる。


 リスキンドから経過報告として手紙を貰っていたので、状況は把握していたものの、実際にこの場に立ってみると、やはり驚きを覚えた。それほどまでに前回感じ取った空気が禍々し過ぎたということだ。


 ――祐奈はふと気付いて、左手に嵌めていた聖女のブレスレットを外し、それを一旦ポケットの中に入れてみることにした。前回はこのブレスレットが認識阻害の役割を果たしていたことを思い出したのだ。これが地肌に触れていると正しく認識できないので、一度肌から離してみる必要があった。


 ブレスレットを外した状態でもう一度周囲の様子を窺ってみても、前回この場所に充満していた、あの嫌な感じはもうどこにもない。まるで抜け殻のような、空虚な印象を受ける。違いは明らかだった。


「ローダーに転移した際、鳥の精霊から祝福を受けましたが、この場所が安全なものに変化したのは、それが関係しているんですかね?」


 祐奈からすると、あのことくらいしか原因が思い当たらない。


 ラング准将が深みのある瞳でこちらを見おろしてきた。


「あれがきっかけではあるのでしょうね」


「本来ならば、ローダールートを辿って来たメインの聖女が、ローダー遺跡で祝福を受けて、こちらに転移してくる流れなのですよね。――でも私はそうと知らずに、カナンからあちらへ行って、祝福を横取りしてしまったのですね」


 当時は状況に対処することに手一杯で、そこまで頭が回っていなかった。あの時は弱り切った鳥を前にして、なんとなく回復魔法をかけてしまった。あとであれが祝福を授けてくれるなどとは、想像もしていなかったのだ。


 祐奈はこのことについて、『してやったり』とも思わなかったし、かといって『横取りしてしまって申し訳ない』という気持ちにもなれずにいた。


 そもそもカナンルート、ローダールートのどちらを進むかというのも、明確な選定基準もなく一方的に割り振られたものだったから、祐奈は当事者であるはずなのに、蚊帳(かや)の外に置かれすぎて、何だかよく分かっていなかったのだ。


 ――ただ一つ気になっているのは、アリス隊がここカナン遺跡で消息を絶っている点だった。祐奈がローダーに飛んだことで、それが起きたのだろうか? ――あるいはまるきり無関係なのか。


 ラング准将が静かに語る。


「祝福を受けた状態の祐奈が遺跡内に入って来たから、ここが今静かになっているわけではないと思います。我々がここに戻る何日も前に、すでに禍々しい空気は消えていたので」


「あ、そうでしたね」


 そういえばベイヴィア大聖堂に滞在していた最終日に、リスキンドが手紙で報告してくれたのだった。――遺跡内の圧が消えている、と。


「鳥から祝福を受けたことにより、祐奈がここを無事通過できるようになってしまったので、聖典はカナンで害することを諦めたのではないでしょうか」


「……ということは、決着は先延ばしに?」


「おそらく。最終地点のウトナが決戦の地になるのでは……と私は思っています」


 祐奈は小さく頷いてみせた。


 様々な感情が混ざり合い、心が揺れていた。――聖典に目の敵にされているという怖さと、それでもいくらか猶予ができたようだとホッとしている気持ち。それから『なるようにしかならない』という開き直りも少々。


「――ラング准将、何かアドバイスはありますか?」


 心構えのようなものを聞いておこうと思ったのだが、彼から返されたものは、想定していたものとは違った。


 彼の美しいアンバーの瞳は、祐奈だけを真摯に見つめていた。


「アドバイスというよりも、お伝えしておきたいのは、ただ一つだけ。――何があっても、最後までそばにいます。あなたは一人じゃない」


 彼の言葉は全身を痺れさせた。胸が引き絞られるように痛み、そしてジンとあたたかくなる。


「それなら……最後まで頑張れそうです」


 祐奈はなんとか言葉を発したのだけれど、声が少し震えてしまった。


 この時に仰ぎ見た彼の穏やかな笑みを、生涯忘れることはないだろう。



***



 赤い扉の前に立ち、ブレスレットを左手に装着し直した。


 石板上に掲示された銅板に刻まれた古語が、今の祐奈には解読できる。


『聖女の腕輪で触れよ。とどまるなかれ』


 案内されたとおり、扉横にある赤色の石板にブレスレットを押し当てた。


 扉は開かれ――祐奈は足を前に踏み出した。



***



 広く陰鬱な空間だった。


 明かり取り用の天窓がいくつも設けられているようだが、それでもかなり暗い。そして空気がとても埃っぽく感じられた。


 考えてみればここは、986年という長きに亘り、ずっと眠りについていた場所なのだ。


 通常の34年サイクルでは、聖女は一人きりしか来訪しないので、その場合はローダールートのみが選択される。そして通常時のローダールートでは、転移用石板は使用されず、聖女がローダーからカナンに飛んで来ることはない。聖女はローダーからそのまま国境を越えることになるのだ。


 ローダーとカナンは対になる存在なので、造りがとても似ている。転移先のローダーで立ち入った奥の間と、そう印象は変わらなかった。


 広いホールのような空間で、構造体を支えるための武骨な石柱が等間隔に並んでいる。


 ――二拠点の大きな違いの一つは、石の色が異なる点だ。ここカナンは黄色がかっているが、ローダーのほうは濃い鈍色をしていた。


 ――二つ目の違いは、こちらにはローダーにあった円形のステージがないこと。あちらには鳥の精霊が居たけれど、こちらには居ないからだろうか。


 ――そして三つ目の違いは、カナンにはかなりの高低差がある点だった。ローダーのほうはフラットだった記憶があるが、こちらは広間がかなり下のほうにある。半地下のような造りになっていた。


 赤い扉をくぐると、そこから階段とスロープに切り替わる。階段は中央にあり、スロープがその両端を挟んでいる形だ。


 傾斜はかなり緩やかである。これは移動してきた馬車も通過するため、そのように設計してあるのだろう。


 出口のほうも同じように階段とスロープがあって、あちらは上りになっていた。


 祐奈たち一行は二台の馬車を有しており、その他に騎乗用の馬も一頭いる。御者たちのナビゲートは、いつものようにそつなくリスキンドが引き受けてくれた。


「俺たちが先に徒歩で行くので、あとでついて来てねー」


 というざっくりした声掛けをして、彼も徒歩で一緒に広間を横切っている。彼の馬も御者にお願いしたようだ。


 あの禍々しい脅威が消えたとはいえ、もしものことがあった場合に備え、近くに居てくれているのだろう。


 ラング准将と二人きりでしばらく旅をしていて全く不便を感じたことがなかった祐奈であるが、こうしてリスキンドやカルメリータと合流してみると、彼らが居てくれるありがたみを改めて感じていた。


 押しつけがましくないのに、気付けば色々とやってくれている。


 ……ということはつまり、ラング准将はローダー以降の旅の最中、リスキンドやカルメリータがしてくれていたことを、さりげなく全てこなしてくれていたことになる訳で、そのことを祐奈は申し訳なく感じてしまった。


 チラチラと向けられる視線をヴェール越しでも感じたのか、周囲を警戒していたラング准将がこちらに視線を向けた。――祐奈を眺める時だけ、彼の瞳が和らぐ。


「どうかしましたか?」


「いえ、あの……リスキンドさんとカルメリータさんが合流して、やっぱり仕事のできる人たちだなぁと思いまして。そう感じると同時に、ラング准将に対して申し訳なくなってしまって。……お二人が抜けた分、ずっとカバーして下さっていたのですよね。私は全く不便を感じず、呑気に過ごしていました。そんな私のせいで、余計にご負担を強いてしまったのでは、と」


「そんなことはありませんよ」


 それは気遣いというよりも、まるで負担に思っていないという本心からの台詞に感じられたので、祐奈としては彼の器の大きさに圧倒され、さらに恐縮してしまうのだった。


「いえいえ、絶対大変だったはずです。たまには私に怒ってもよかったのに。もっと協力しろよとか、そんなふうにのほほんとしているんじゃないよ、とか」


「私は色々あなたに尽くせて、楽しかった。二人旅が終わってしまって残念なくらいです。そうだ――たまにはカルメリータに代わってもらおうかな。侍女の役割を」


「だめです、ラング准将。すごく大変ですよ」


 祐奈が必死でそう言うと、彼が唇に綺麗な笑みを乗せた。


「向上心はあるので、上手く対処できると思います。丁寧に髪をとかしてさしあげますよ。あとはあなたが以前リクエストしてきた、着替えの手伝いとか、入浴時の――」


「それは必要ありません」


 彼がからかっているのが分かったから、祐奈は顔が熱くなってしまう。ベイヴィア大聖堂でした話をまた蒸し返して、祐奈をいじめようとしている。


「そうバッサリ却下されると傷付くな……」


「嘘ばっかり」


「本心なのに」


「――今度、ラング准将が意地悪を言ったら、これからは私、しっかり怒るようにします。本気ですよ?」


「それでは、ようやくお仕置きされるんですかね? でも祐奈はいつもやるぞやるぞ詐欺ですから。全然怖くない」


「もう、ひどい」


 祐奈が眉根を寄せると、ラング准将が可笑しそうにくすりと笑みを漏らす。


 ――数メートル後ろを歩いていたリスキンドは、傍らのカルメリータにそっと話しかけた。


「なんかあの二人、ラブラブになってない?」


「……私、ちょっと複雑な心境なんです」


 カルメリータは思うところがありそうな表情である。二人が仲良くなったら力一杯喜びそうなものなのに、こりゃ意外だなとリスキンドは考えていた。


 ルークはトコトコと短い足を動かしながら、上目遣いにカルメリータを眺めている。


「なんで?」


「私の祐奈様なのに……ていう。娘を嫁に出す心境というか」


「なんでよ。あの二人、さすがにまだその段階にはないだろ」


「そうですかね? でもかなり親密になっていませんか?」


「まぁ、そうなんだよねぇ。経過を見ていないから、再会したらあの状態ってのは、ちょっとびっくりだよね。――前はもっと壁がなかった?」


「そうなんですよ」


 カルメリータが眉尻を下げ、口角も下げ、半べそのような顔付きになった。


「なんていうか、こう……演劇を見に行って、一番良い場面を見逃してしまったような残念感があるのです。……分かります? 私が言いたいこと」


「ああ、分かる、分かる。実は俺もそれを感じていたんだわぁ」


「一緒に旅をしてきて丁寧に経過を追っていたのに、肝心なところを見逃しましたよね、私たち」


「ローダーからカナンに至る道で、相当オモロいことが起こったんだろうなぁ……」


 リスキンドは首の後ろで両手を組み、なんとも残念そうに呟きを漏らした。


 カルメリータは本当にそうだわ……と思い、ため息を吐いていた。


 二人は横目で視線を見交わし、互いを思いやると同時に、リアルタイムで観察できなかった無念さを改めて噛みしめるのだった……。


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