第129話 祐奈×若槻陽介×ラング准将


 もうすぐ宿に着くというところで、


「おーい! ラング准将と祐奈っちー! 久しぶりー! 元気かー!」


 結構な数の人が行き交っているというのにお構いなしで、大きく間延びした声が響き渡った。――二十メートルほど離れた場所で手を振っているのはリスキンドだ。赤毛がぴょんぴょんと飛び跳ねている。傍らにはカルメリータもいるようだ。


 祐奈はカルメリータが頬を上気させて満面の笑みを浮かべているのを眺め、再会できた嬉しさから、なんだか泣きそうになってしまった。


 そして行き交う人々の隙間から、低い位置にいるルークの姿も確認できた。相変わらず白黒でスタイリッシュだ。顔は潰れているものの、ハンサム度が増しているような気がしなくもなかった。可愛い犬っ鼻を上に向けて、目線はこちらに向いている。『元気にしていたようじゃねぇか』とでも言いたげな顔付きだった。


 彼らの姿を見たら、仲間の元に帰って来たんだと実感できた。ホッとしたし、とても嬉しかった。


 そしてそれと同時に、リスキンドの周囲をはばからぬ歓迎ぶりを少し迷惑にも思った。あんな大声で叫ばなくてもいいのに……。周りから奇異なものを見るような視線を向けられ、顔がかぁっと熱くなってくる。


「は、恥ずかしい……皆見てる……」


「あとで叱っておきますね」


 ラング准将は人に見られることには慣れ切っているので、彼自身はなんとも思っていないようである。気まずさとは無縁の涼しげな佇まいを崩していなかった。


 とはいえ彼は、祐奈が居心地悪い思いをしたことは見過ごさない主義なので、迂闊なリスキンドはこのあとお説教される模様……。


 祐奈は傍らのラング准将を見上げて、口を開きかけた。


 リスキンドがどうせ怒られる運命ならば、恥ずかしい思いをさせられた自分が直接彼に言ったほうが、角が立たないように感じられたので、ラング准将にその旨話そうかと思ったのだ。


 しかし祐奈がそれを口にすることはなかった。なぜなら横手から邪魔が入ったからだ。


「祐奈……」


 木陰から出て来た傷だらけの男が、よろけながらこちらに近付いてくる。血塗れで足元も覚束ない有様だった。


 ――ラング准将がすぐさまあいだに入り、祐奈をかばうよう背後に回す。


 祐奈は茫然として小さな呟きを漏らしていた。


「陽介さん……」


 ラング准将が祐奈のほうを振り返り、訝しげに眉根を寄せた。



***



「――気付いたら、こちらの世界に来ていた」


 彼の話はなんとも奇妙な内容だった。しかし実際に来てしまっているのだから、こんなことはありえないと言ってみても、仕方がないのかもしれないが……。


 そして祐奈はカナン遺跡とローダー遺跡の両方で、言語が混線する経験をしている。忍者とかCIAとか、元の世界の言葉を、こちらの言語にMIXさせて出してしまった時があった。


 あれはもしかすると、二つの世界の境界が曖昧になっていたことの表れだったのかもしれない。陽介がこちらに来たのは、あのあとだったのだろうか。……あるいは彼が迷い込む前からすでに、世界の境目は揺らいでいたのか。


 ――祐奈は不思議な感覚で、従兄の姿を眺めていた。


 今は通りを外れ、木陰のちょっとしたスペースに場所を移している。この場所には背もたれのないベンチが平行する形でいくつか並べられていて、祐奈たちの他に人はいなかった。


 祐奈がベンチの一つに腰を下ろし、二メートルほど離れた場所に設置してある別のベンチに、若槻陽介がこちらを向いて座っている。


 ラング准将は祐奈の斜め後ろの位置に控えていた。椅子には腰を下ろさず、何かあったら対処できるように警戒を解いていない状態である。


 リスキンドは近くの木の幹に背中を預けて佇んでいた。彼はリラックスした体勢であったが、視線は無遠慮に『祐奈の知人』を眺め回している。


 カルメリータはリスキンドのすぐそばで心配そうに祐奈を見つめていた。


 ちなみにカルメリータが陽介にハンカチを渡してやり、彼は顔についた血を拭い取っていたので、対面時のスプラッタな印象は大分和らいでいた。


 血はすでに止まっているらしく、祐奈が大丈夫か尋ねたところ、頑なに『平気だ』と言い張られたので、話を始めたところだった。――彼は知人であるし、回復魔法をかけてあげようか迷ったのだけれど、陽介の性格からして、魔法云々の話題を出しただけで、『僕をからかっているのか』とひどく腹を立てそうだった。それで会話をしながら、様子を見ようかと祐奈は思ったのだ。


「あの、ラング准将――彼は若槻陽介さんといいます。この世界の人間ではなく、私が居た『日本』という国で暮らしていた頃の知り合いです。それで……どういう訳か転移してしまったようですね」


 振り返って説明をすると、ラング准将が若槻陽介から視線を外し、祐奈を見つめ返した。――ぴんと張り詰めていた彼の空気が、一気に和らぐ。その変化はとても顕著だった。


「彼はあなたの従兄ですね」


 ラング准将に言い当てられ、祐奈は驚いてしまった。なぜ分かったのだろう?


 ……そういえば従兄の話は何度かしたような気はする。しかし外見的特徴や名前は伝えたことがなかったのに。


「はい、そうです。よく分かりましたね。もしかして感じが似ていますか?」


 ヴェールをしている身で『感じが似ていますか?』も変な問いなのだけれど、従兄妹同士ということで、物腰や雰囲気などに、自覚していない共通点があるのかと思ったのだ。


「いいえ、全く」


 なんだろう。ただの否定にしては、硬い口調というか、心からの否定という感じがした。


「そ、そうですか」


「祐奈のほうがずっと可愛い」


 ラング准将が端正な佇まいを崩さずに、臆面もなくそんなことを言うので、祐奈は焦ってしまった。陽介が今のを聞いてどう思っただろうかと考えると、なんだか恐ろしいような心地になる。


 日本に居た時、陽介は女の子にすごくモテた。女子の多くが、『彼って格好良い』と熱を上げていたようなので、祐奈は『従兄妹同士でも、パッとしない自分とは大違いなモテっぷりだな』と思ったものだった。そんな彼が度々祐奈の容姿を貶すもので、そうされる度に祐奈は、『彼は上のランクで、自分は底辺』という思い込みを強めていった。


 ……とはいえまぁ、祐奈としてはそれでも別によかったのだ。陽介は人生の勝ち組であるようだが、他人は他人だ。冴えない自分でも特に不自由はしていないし、日々楽しく過ごせているから、なんの問題もないな、と。


 それに祐奈は高校まで女子高に通っていたので、モテなくても何かで特に不自由するようなこともなかった。女子同士だと『可愛い』という言葉は便利な挨拶代わりに使われるから、祐奈も友達からよくそう言われていた。そういった軽いコミュニケーションであっても、ポジティブな言葉のやり取りは、なんとなく人を幸せにさせるものである。


 祐奈がそんなふうにふわふわと能天気なので、陽介は苛立って仕方ないらしく、それでさらにアレコレと注意されるというのが定番の流れになっていた。


 ――両親が事故で亡くなり、陽介の家に引き取られると、祐奈の世界は一気に窮屈になった。


 大学も陽介と同じところに進学したので、家でも外でも顔を合わせるようになると、さらに圧迫感が増した。


 彼は大抵の場面で意地悪であったけれど、時折、親切なこともあった。――祐奈が同学年の男子と雑談していると、学年も違うのにわざわざふらりと立ち寄って、優しく話しかけてきたりするのだ。


 祐奈と二人きりの時は冷淡な態度なのに、他人の前では『年下の従妹をいつも可愛がっています』という顔をしたがるのだから、彼の外面の良さには呆れを覚えたものだった。


 それでもやはり、陽介がそうした気まぐれを起こすのは珍しいことであり、基本的に彼はずっと祐奈のことを『冴えない地味子』扱いし続けた。


 ところが異世界で再会してみれば、ちょっと見たこともないようなイケメン(※ラング准将)が祐奈を『可愛い』と褒めているわけで、それを聞いた陽介は『なんだこれ』状態なのではないだろうか。――地味な従妹が生意気にも優しくされていやがる、勘違いすんなよ、と。



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