第128話 ふたたび、カナン
ふたたびカナンに帰って来た。
祐奈たちが辿って来た北上するルートは利用者があまりいないらしく、カナンの南ゲートは少しさびれている。裏口からこっそり入って行くような感じだ。
このまま宿に戻り、リスキンドたちとすぐに合流するつもりだった。
なんだかとても不思議な感覚だった。カナンからローダーに飛ばされてから色々なことがあったので、日数的にはそんなにたっていないのにも関わらず、以前ここへ来たことがすごく昔のように感じられた。
石、レンガ、砂の色が全て黄色がかっている。空はくっきりと青く、陽光が他の土地よりも眩しく感じられた。
厩舎に馬を預け、ラング准将と並んで歩く。祐奈は町に入る手前ですでにヴェールを装着していた。
なんとなく人の流れが滞っているなと思いながら進んで行くと、前方に人だかりができている。ラング准将が近くにいた男性に話しかけ、何を見物しているのか確認してくれた。
「――男が殴られて、ひどい怪我を負ったようだよ。喧嘩したみたいだ」
男の説明はざっくりしていた。怪我人を大勢が取り囲んでいるので、この位置からは、どうなっているのか確認できない。
……どうしたものかと祐奈は思った。
「いけません」
ラング准将がこちらを見おろして静かに告げる。そうしてから彼は微かに瞳を細めたのだが、ほんの少しだけ虹彩に揺らぎが滲んだように感じられた。
彼は人垣から距離を取るように、祐奈をその場から離した。――木陰に入り、彼女に向き合いながら呟く。
「……あなたに意見を言うことが、日に日に難しくなってくる」
「どうしてですか?」
「個人的な感情が混ざっていないか、発言の前に自問自答せねばならないからです。私は過保護すぎるところがあるので」
「……かもしれませんね。でも……大抵の場合で、あなたは正しい。どうして先ほど『いけません』と言ったの?」
「あなたが干渉すべき事態ではないからです」
「私、別に善人ぶるつもりもないんです。でも……この力は人のために役立てるべきかなと思ったりもして」
「冷たく聞こえるかもしれませんが、怪我をするのも、その人の人生です」
「ですが私なら、不幸の連鎖を止められるかも……」
「それはあなたの目が届く範囲だけの話です。世界は何一つ変わらない」
「私は単に楽になりたいだけかもしれません。見えている範囲だけ助けられれば、なんとなく納得することができるから」
「楽にはなれませんよ」
そう言われて、祐奈は戸惑い、彼を見上げた。ラング准将は厳しいことを言っている時でも、瞳の色がとても穏やかで、優しかった。
「あなたの能力は、おそらく病気には効果がない。時間が発症の少し前に戻るだけで、要因は残ったままなので、また同じ筋道を辿る。病気も相当理不尽なものです。生きるということは誰にとっても、理不尽さを受け入れることに他ならないのだと思います。病気になるか、怪我をするかはただの運です。善人だからといって奇跡が起こるわけでもない。雨が降るのと同じで、避けようもない。――それが運命だ」
確かに彼の言うとおりかもしれない。目の届く範囲で、怪我だけ限定して治していこうというのは、ただの祐奈のエゴなのだろう。
偽善であるのを自覚しつつ、『怪我だけ治します、私の精神安定のため』と割り切ってしまうのも一つの手だろうが、それも上手くいくとは限らない。怪我のように見えて、実は病気が原因だったというケースも出てくるだろうし……。
「良い機会なのでルールを決めましょう。――無関係な誰かのために、回復魔法を使うのをやめてください。これは護衛としてのお願いです」
「禁止する理由は、人々の運命に干渉してはいけないから?」
「というより、ウトナに着くことが最重要ですので。――小さな奇跡を起こすのも、それはそれで素晴らしいことではあるのでしょう。しかし一人助ければ、次も、その次も、となる。助けを求める人々があなたのあとを追って来るようになってしまうと、護衛するのが困難になります。この旅が終わったあとの人生で、魔法をどう使っていくかは、祐奈自身が決めるべきでしょう。けれど旅のあいだだけは、私の意見を聞いてください」
「――分かりました。あなたの指示に従います」
祐奈は気が楽になるのを感じた。彼がここまできっぱり言ってくれていなければ、祐奈は後々まで引きずっていたのではないだろうか。
助けなかったとしたら、見殺しにしてしまったような後味の悪さを覚えただろう。
そして助けていた場合でも、『深い考えもなしに、場当たり的にそれをしたのか』と悩んでしまったかもしれない。そして彼が危惧していたとおり、治療を望む人が旅を後追いしてくる可能性もある。
「ラング准将はいつも決断を下す立場ですよね。しんどくなることはないですか?」
彼は祐奈のようにやわではないし、しっかりと一本筋が通っている。それでも彼が優しい人だというのを祐奈は知っている。……それでなんだか少し、心配になってしまったのだ。
今回のことだって、そう――祐奈の心を軽くするために、あえて強い言い方をすることで、全ての責任をかぶってくれたのだ。
「落ち込むことはありますよ」
「ラング准将でも?」
「意外ですか?」
彼の口角が微かに上がった。淡い変化ではあったけれど、少し苦みのようなものが混ざっているように感じられた。
「――その時、その時、ベストな選択を心がけても、結果的に裏目に出てしまうことはある」
「……つらいですね。そんな時、私は後悔してばかり」
祐奈は性格的に結構引きずってしまう。あの時ああしていたら、とか、こうしていれば、とか。たらればを言っても仕方ないのは分かっているのだけれど、本当に判断ミスをしていなかったか、あれこれ考え込んでしまうのだ。
「私は落ち込んだとしても、後悔はしません」
「どうやって割り切るのですか?」
「信念を持ってやり遂げるしかないですね。結局――私がやらなければ、同じ役目を誰かが負わなくてはならない。必要なことをしているのだから、悩むだけ無駄というか。――人間、悪いことばかりを考えても仕方がないので、達成できたことに目を向けるようにしています」
彼の瞳には深い知性が感じられる。祐奈は心が揺れた。
ただ護ってもらっていた時は、気楽といえば気楽だったのかもしれない。けれど頑張って、彼に近付きたいと思ったら、二人のあいだにものすごく差があることに気付いてしまって。……どうやったら追い着けるのだろう? それを知りたいと思った。
「私が達成できたことってなんでしょう? 私はただあなたに護られてきた。自分で成長したように思えることがあっても、それって微々たる変化なのかも……」
「今、国境の町にいますね」
「ええ」
「ここまで進んで来ました。他の人が知らなくても、私はあなたの頑張りを見てきた。――私はあなたを尊敬しています」
「そんなふうに言ってもらえるなんて。……嬉しい」
祐奈が飾り気のない言葉を伝えると、彼が微笑んでくれた。それだけで心が温かくなる。
促され、並んで歩き始めながら、隣をそっと見上げて告げた。
「あの……ラング准将。もしもあなたが落ち込むようなことがあったら、その時は私が話を聞きますよ」
「ありがとう」
感謝の言葉を口にしたラング准将の瞳があまりに優しかったもので、祐奈は頭がぼんやりしてしまったのだろうか。……つい手を伸ばして、彼の手を握っていた。
一拍して、我に返る。
私、変なことしてる……祐奈はそれで慌てて手を外そうとしたのだが、彼が指のあいだに指を絡めてきたので、より親密に繋がる結果となってしまった。
言葉にしなくても、動作でちゃんと伝えられた気がした――離れないで、と。
彼がこちらを流し見る瞳はどこか悪戯で、艶っぽさも混ざっている。
抗いがたいものがあり、祐奈は呼吸が止まりそうになってしまった。
***
祐奈たちが歩き始めると、人垣から出て来た二人組の男が同じ方向に進んで来たので、彼らの話す声が後ろから聞こえてきた。
「――マルコムの馬鹿がこっぴどくやられていたな。自慢の鼻が潰れていたぞ。いい気味だ」
「マルコムは性格が悪いからなぁ。それで結局、喧嘩の原因はなんだったんだ」
「あいつがハッドの妻を貶したらしい。容姿がイマイチだから、見ているだけで気分が下がるとかなんとか」
「最低なやつだな」
「ハッドは温和でいいやつだが、かみさんを貶されれば黙っていないさ。マルコムは当然の報いを受けたな。これからは、曲がっちまった自分の鼻を鏡で見る度に、『口は禍(わざわい)の門』って言葉を思い出すだろうよ」
「それならもう少し鼻を曲げてやったほうがいいな。俺もついでに一発殴っておくか」
ラング准将がこちらを眺めおろした。
「……これであなたの気が軽くなった。結果論ですが」
「そうですね」
祐奈は考えを巡らせてから続けた。
「今回のことで勉強になりました。――無関係の誰かが怪我をしていても、関与しないと改めて誓います。怪我人が善人かどうかも調べません」
ラング准将はただ静かに祐奈の話を聞いてくれた。気持ちを整理できるように、待ってくれる。祐奈はそれをありがたく思った。
「善人だから助ける、悪人だから助けないという選別は、人がやってはいけない行為ですよね。結局、自己満足になってしまう。あなたのアドバイスはやはり正しいと思いました。一律で関与すべきではない、と。ただ、もしも……怪我をしたのが知り合いだったとしたら、治してもいいでしょうか?」
「そこまでは禁止しません」
ラング准将が微かに笑みを漏らした。祐奈も微笑みを返した。
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