第115話 宿の秘密


 ミリアムの宿は赤い三角屋根のログハウスで、童話に出てきそうなファンシーな建物だった。ものすごく大がかりな施設というわけでもないが、奥行きからして客間は何部屋かありそうである。


 玄関ホールに入り、祐奈はほっと息を吐いた。


 ラング准将は馬を裏手に繋いでくれている。荷物を下ろすのを手伝おうとしたら、「コンパクトに圧縮されているので、一人で大丈夫」と断られてしまった。


 確かに見た目は小さくなっているのだが、実際に持つと重量自体は減っていないので、とても重いはずだ。ラング准将は見た目こそスラッとしているのに、重い荷物でも軽々と運んでしまえるから、祐奈はいつも驚かされてしまう。


 祐奈のことを抱っこする時だって、まるでしんどそうな様子がないので、そういうところを見ると『すごいなぁ』と祐奈は思うのだった。


 そんな訳で、ラング准将が祐奈の手伝いを望まなかったので、今玄関口にいるのは祐奈とミリアムだけである。


「手入れが大変ではないですか?」


 一人で暮らしていると聞いているが、掃除などもよく行き届いているので、感心してしまった。


「たまにベイヴィアから人が来てくれるから」


「雇っているんですか?」


「違うよ。ほら、目の悪い憐れな婆(ばばあ)のフリをしていると、同情してくれるカモもいるからねぇ。――て、これは冗談だよ」


「ミリアムさんの冗談は生々しすぎて冗談に聞こえません」


「あたしにはちょっとした霊能力があるんだよ。それ目当てに、困ったことがあると、意見を求めて町から人が訪ねて来るんだ。失せもの探しだの、病気の相談だの、引っ越し先の吉凶だの――人々の悩みは尽きないよ。まぁあたしも意地悪じゃないからね。訊かれて、答えられることなら、教えてやるようにしている。でもギブ・アンド・テイクだからね。答えを求める者は、こき使ってやることにしているのさ。屋根を直させたり、窓拭きをさせたり、床の雑巾がけをさせたり」


「相手もアドバイスをもらえて助かっているのでしょうから、互いに良い関係ですね」


「そうかねぇ? でも結構、悪口も言いふらされているけどねぇ」


「悪口、ですか」


「まるで人食い老婆みたいなさ。あたしは祟りなんかしやしないよ。なんだい、あの噂は」


「噂は嘘なのですか?」


「嘘でもないんだけどさ」


「……じゃあ悪口じゃないじゃないですか。事実じゃないですか」


「意地悪な解釈ってやつだよ。ひどすぎるよ」


「――どこまでが真実で、どこからが盛られた話なんです?」


 玄関から入って来たラング准将が口を挟んだ。圧縮した食料品はいくつかの袋に分けて入れてあったので、それらを両手に提げている。


 ミリアムは口をへの字にして彼を眺めてから、


「食料品はこっちだよ。ダイニングのそばに食糧庫があるんだ」


 と言って、先導して歩き始めた。ラング准将と祐奈もそのあとをついて行く。


 歩きながら、ミリアムが先のラング准将の問いに答えた。


「実際にここへ来てみて、なんとなく分かっただろう? 自然豊かで美しい場所だが、過酷な環境だよ。地盤もかなり弱いもんでね。落石だの地崩れだのの事故が多い。……あたしはまじないのようなものができたから、昔から、泊まってくれた人が無事旅を終えられるよう、祝福を与えてきた。不幸なことに、それが効いちまってね」


「それは不幸なのですか?」


 腰に手を回して前かがみになって歩いていたミリアムが、足を止めて振り返った。なんだか悲しげな瞳をしていると祐奈は思った。


「たとえばね。この道を通る者が百人いたとして、一人は死ぬ運命だとするね? でもあたしがまじないをかけると、死ぬべきだった一人が死なない。三百人通すと、三人死んでいないわけだ。だけど三人は死ななきゃならないんだよ。辻褄が合わなくなっちまうだろ? ツケがたまっていく」


「あなたのところに泊まらなかった者が、そのツケを払うことになるのですね」


「山の神様が連れて行っちまうのさ。最低なことを言うようだがね……宿に泊まらない人間は、大抵どうしようもないようなやつが多くてねぇ。盗賊のたぐいだとか、あるいは、一人で暮らしているこの老婆を脅して、食いものだけ奪ってすぐに去るようなクズどもさね。あたしが命の選別をするのはおかしな話だが、結果的にそうなっちまっているね。悪党には祝福を授けない。何も知らないで迷い込んだような人は可哀想だからさ、命を取らないように神様にお願いしてある。だからひどい目には遭ってないはずさ。そういう旅人は、あちらからこちらへ、そしてまたあちらへという具合に定住しないから、生き残ったことは知られないんだね」


「ずいぶん狭い道ですが、落石が頻発していて、よく塞がれないですね」


「あたしがいるからだろうね。大昔はよく塞がって、町から大勢の人が復旧作業に通っていたらしいよ。盗賊どもが死ぬ時は帳尻合わせで連れて行かれるだけだから、落石なんかは起こらないんだ。川で溺れたり、崖から落ちたりという具合に、ひっそり死んじまう」


 ミリアムは先ほど『泊まってくれた人が無事旅を終えられるよう、祝福を与えてきた。不幸なことに、それが効いちまってね』と言っていたので、彼女自身は命の選別行為を『良し』とは思っていないのだ。


 しかし一度始めてしまうと、もう止められない。――善良な人が保護を求めて来れば、祝福を与えずにはいられないというのは理解できる。そしてそのツケが誰かに行く。なんとも不思議な能力だった。


 ――これはもう神の領域ではないか――


 善良な者には救いを。そして罪人には罰を。


「大量の食べものを持ち込まないと、宿泊を断られると聞きましたが」


 ラング准将が指摘すると、


「まぁそれはあながち間違っちゃいない。悪人じゃないからといって、善人とも限らない。――泊めてやるってのに、変にケチるやつもいるからねぇ。あたしは自分がごうつくばりなもんだから、他人にそうされるのは嫌いなんだよ。ただし金を受け取ってもこんな辺鄙な場所じゃ使いようもないからさ――食べものか、酒、それをケチらないで持って来なよと口が酸っぱくなるくらい繰り返しているうちに、なんだか話に尾ひれがついちまってね。なんだい――馬三頭分に積めるだけ積んで来い、みたいになっちまったじゃないか」


「否定したらどうです?」


「なんでさ? 否定しなきゃ、沢山もらえるんだよ。そのほうがいいじゃないか」


「がめついですね」


「がめついよ。だからそう言ってるじゃないか」


 悪びれもせず認めるので、聞いていた祐奈はふふ、と笑ってしまった。


「ミリアムさんは面白いですね」


「そうだろう? お嬢ちゃんを笑わせてやったんだから、代わりに今夜はあんたがあたしを楽しませるんだよ」


「お話相手にはなれそうですが、性的な会話ばかりして困らせるのはやめてくださいね」


「そうかい、あんたが嫌がっているのは十分に理解できたよ。――このあたしがさ、他人の嫌がることをするように見えるかい?」


「じゃあ……?」


「やめておくよ」


 ミリアムが請け負ってくれたので、祐奈はほっとした。良かった、ちゃんと話が通じた。


 一方のラング准将は、ミリアムは悪人ではないが、悪趣味な人間だと考えていた。


 彼女が口にした『やめておく』は、おそらく『手加減はやめておく』の意だ。つまり祐奈は今夜一方的にやられることだろう。


 そして祐奈がそういった扱いを受けるのならば、当然こちらにも被害は及ぶ。ミリアムの性的な会話は、明らかに祐奈とラング、双方の絡みを期待しているからだ。


 滞在中、『キス』だの『既成事実』だの『太ももまで裾をまくれ』だの――あと何回聞かされるのだろうかと考えると、頭痛がしてくるラング准将であった。



***



 食糧庫に入り、台の上に圧縮した食料品を並べる。元の質感を保っていないものがほとんどだった。ただの石ころのように見える。


『――回復――』


 祐奈が手をかざすと、光がキラキラと眩く舞った。水面に陽光が反射しているかのような美しい光景だった。


 圧縮されたものが膨らみ、元の状態に戻っていく。ラング准将が適宜ものの配置を整え、台から零れ落ちないようにバランスを取ってくれた。


「おお、こりゃあ見事だね」


 ミリアムが感心しきりなので、魔法のことかと思ったら、


「このベーコンはちょっと見たことがないくらいジューシーだよ。相当高いやつだろ。あたしはいっぺんにご機嫌になったよ」


 と燻製肉を覗き込んでいる。そのブレないがめつさに祐奈は思わず笑ってしまった。


「お代はラング准将が出してくださいました」


「そうかい。あたしが見込んだとおり、やっぱりいい男だったね」


 ミリアムが感心した様子でラング准将を見上げる。


「それじゃあ、たっぷりお礼をしないといけないねぇ……」


 ラング准将はろくなことにならなそうだと考えていた。


「お礼は結構です。泊めていただけるだけで十分ですから」


「そうはいかないよ。思い出に残る一夜にしてやるからさ」


 ありがたくない予告をされてしまった。


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