第111話 転移について
「ロッドさんはずいぶん魔法にお詳しいのですね」
祐奈は感心してしまった。彼は体系立てて魔法を理解しているようだ。神職者といえども、通常はここまで詳しくあるまい。
「私は先代の司教にもお仕えしておりました。高齢でいらしたので、お亡くなりになるまで、期間は短いものでしたが、多くのことを学ばせていただきました。その方は『賢者』と呼ばれており、あらゆることを知っていらした。この拠点はローダー遺跡、カナン遺跡を管理している関係で、転移についても学ぶ機会があったのです。おそらく他の大聖堂では、このような教育はされなかったことでしょう」
ロッドが深い学びを得ることができたのは、ベイヴィア大聖堂にいたからというのが理由ではなく、全て人との出会いが作用しているように祐奈には思えた。
ベイヴィア大聖堂で、いくらローダー遺跡、カナン遺跡を管理していたとしても、叡智を授けてくれ、導いてくれる誰かがいなければ、そもそも何かを知ることは叶わなかったはず。
――知識は力だ。
彼は自身の気弱さを恥じていたようだけれど、実は得難いものをすでに手に入れていたのだ。
そしてロッドがそれを得ることができたのは、彼の実直さを、賢者が気に入ったからではないか。誰だって、嫌な相手に知識を授けてやろうとは思わないだろう。きっとロッドは前任の司教から好かれていたのだ。
「――転移とは、そんなにすごい現象なのですか?」
日本にいた頃、『魔法なんて絵空事』と捉えていた時は、『一瞬で地球の裏側に行けたらいいな』と考えたこともあった。短時間であちこち観光できて楽しいだろうな、と。
けれどこちらの世界に来て、魔法が身近なものになってしまうと、転移自体はそんなにすごいことなのかな? と思ってしまう。速く移動することの延長と考えると、そうありえないことでもないような気もして。
「転移は空間に穴を開ける行為です。私はこんなふうに教わりました」
ロッドが机の引き出しを開け、中から紙一枚と、鋭利なナイフを取り出した。これはおそらくレターオープナー代わりに使っているものだろう。
紙を机の上に置き、離れた二点を指で示す。
「AとB――こうして平らな状態で見ると、二つは離れています。しかしこうすると」
彼は紙を折り曲げ、重ねた。右と左に別れていたはずのAとBは、こうすることで重なり合った。上と下に。
「これで二つの地点は近くなりましたが、これでも行き来はできません。紙があいだに挟まっている。しかし――」
彼は重なった部分をナイフで突き刺してみせた。紙がよじれて、少しやりづらそうであったが、なんとか成功した。今や折り畳まれた紙が、ナイフで串刺しにされている状態である。
「こうして穴を開けることで、A・B間の行き来が可能になりました。あなたがしたのは、この行為です。空間に穴を開けた」
「本当に私がしたのでしょうか? もともとカナンとローダーは石板で転送ルートができていた。私は単にそこをすり抜けただけかと……」
「いいえ、厳密には違います。前司教がおっしゃっていたのは、聖典の力を持ってしても、一方向の転移しか実現できなかったということですから。聖典は力のある石板を二つ使い、そこに強固な呪術的構造を組み込んで、やっとローダーからカナンへ転移できる、一方向のみのルートを作ったのです」
「ロッドさんが説明してくださった例だと、穴は双方向に抜けられるように思えるのですが」
「説明が難しいな……確かにそう、穴は一見、双方向に行けるように感じられる。……そしてそうでなければおかしい」
彼は呟きを漏らしたあと、昔教わったことを思い出そうとしているかのように、視線を巡らせて考え込んでしまった。やがてとっかかりを見つけたのか、ハッとした様子で説明を再開した。
「人工的なものだからだ。――司教はこうもおっしゃっていた――実際に転移を起こす際には、穴を開けること自体より、穴を維持するほうが難しいのだ、と。空間を捻じ曲げ、穴を開ける行為は、自然の道理に反しています。世界はこれを正そうとする。元の状態に全力で戻そうとするらしいのです。穴を塞ごうとする力は、外から内へと働きます。この力は凄まじく、この星の全ての重量を足したよりも、遥かに大きなものなのだそうです。その修復しようとする力はあまりに強大で、人、物質を通すあいだすら待ってはくれない。そこで聖典は作業を簡略化することで、なんとかこれをしのぐことにした」
祐奈はよく考えてみた。概念的には理解できる。しかし……
「だとすると、聖典の力はすごいですね? ローダーからカナン、一方通行だとしても、護衛隊全てを一瞬で転移させたようですから」
「それは少しズルをしているので」
「ズル、ですか」
「聖典の力をもってしても、転移はとても難しいものなのです。だから一番弱い場所を選んだ。この紙でいうなら、一番厚みが薄い二点を選んだわけです。ローダーと、カナン。そしてそこに石板を設置し、スタート地点とゴール地点、全てを厳密に定めた。一方向、同じ座標に、同じ手順で送る。ルールを作ることで、作業が簡略化されます。ローダー発、カナン着。――最初に組んだプログラムが、反対にカナンからローダーへの向きだったなら、今とは逆の転移になっていたでしょう」
なるほど。確かに穴は双方向に行けるはずだった。
しかし聖典が都合上、スタートとゴールをきっちり定めた。そうしなければ、転移の仕組みそのものが実現できそうになかったから。聖典が向きを設定して組んだものだから、逆行は本来叶わない。
「穴自体は常時開放されているわけではないのです。聖女の腕輪をつけることで、プログラムが働く仕組みで、その瞬間だけ穴が貫通し、転移が完了するまで維持をする。これは非常に強固なまじないです。逆にいえば――聖典という圧倒的な存在が、石板二枚の力を借りて、何重にも呪術を重ね掛けして、ルールを作り、やっとローダーからカナンへの転移を可能にできたわけです。ローダーからカナンへ向かう片道のルートならば、穴の維持も比較的容易かった。あなたは逆向きに進んだので、一時的に聖典の力を凌駕したことになります」
「そうは思えません。私自身に、聖典の力を越えられる何かがあったとは到底思えないの」
祐奈は困り果ててしまった。直感的に自分がコントロールしたわけでないことが分かっていた。祐奈は魔法の行使者だ。そのくらいは判断できる。
――問題は、何がどうなって、逆行が起こったのか、祐奈自身が把握できていないことだった。
「石板で二地点が結ばれていたので、そのおかげはあるでしょうね。闇雲に転移したわけではない。しかし聖典のプログラムと違って、今回のケースでは、あなた自身が穴をうがち、そして二人が通るあいだ、その穴を維持することができた」
「私自身から出た力ではありません。星の重量すべてを合わせたよりも強大な力が、人間の体から出るわけがない」
「そうですね。あなたはどこかからそれを借りて来た。……どうやって? 非常に不可思議です。百歩譲って、無尽蔵に貸し付けてくれるものがあったとしても、結局、魔力行使時はあなたの体を通さなくてはならないので、あなた自身がコントロールしなければならなかったはず。とにかく――現実にあなたはカナンからローダーに転移している。バラバラに潰されることもなく」
祐奈には気になる点があった。
「……そもそも聖典は、なぜそこまでして転移の仕組みを作ったのですか? 986年に一度、世界に穴を開ける――私からすると、非常にリスキーに思えるのですが」
「詳しいことは分かりませんが、それが必要なのではないですか。ガス抜きのようなもので。聖女が来訪した時も、世界には穴が開きます。リスクを取ってでもそれをしないといけないくらい、世界のバランスは微妙なラインで保たれているのかもしれません」
「維持管理のため、そうしている?」
「そうですね。下水の掃除と似たようなものかもしれませんよ。聖典は必要なことしかしない。世界が壊れないよう、そうしているのでしょう」
――主観を捨て、俯瞰してみる。そうすれば見えてくるものもあるだろう。
以前オズボーンから回復魔法を止められたのは、祐奈があの魔法を使うことで、維持管理を妨げる可能性があったからだろうか。祐奈の力は、この世界の在り方と相性が悪いのかもしれない。
必要だから聖典がローダーからカナンの向きで転送ルートを固定したのに、祐奈がそれを乱してしまった。
視点を変えてみれば不思議なことに、祐奈の存在は悪しきもののように感じられる。
もたらすものは、夜の深い闇。終末。
全てを壊し尽くした先にあるものは、なんなのか。
――聖典は殺さなければならない――ヴェールの聖女を。破滅の使者を。
でないと世界が滅んでしまう。
祐奈はそんな考えに囚われていた。
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