第106話 ラング准将は召使になりたいらしい
あてがわれた部屋に戻り、二人きりになった。
食べものが来る前にと、ラング准将がテーブルを整えようとしているのを見て、祐奈は慌ててしまった。
「ラング准将、いけません」
「何がです?」
「あなたは護衛です。テーブルの準備は、私が――」
「祐奈は私のあるじです。あなたこそ、そんなことをしてはいけません」
ラング准将の言うことは大抵のケースで正しいが、これに関しては激しく疑問だと祐奈は思った。
「だめ、だめ。ラング准将は召使ではない」
なぜかカタコトになっているが、祐奈は自分の変さに気付いていなかった。
部屋まで歩いたせいで、ふたたび酔いが回ってきたのかもしれない。
飲酒のあとアレコレ話をしたせいで、すっかり醒めたかと思っていたのだが、そうでもなかったようだ。アルコール成分が体内で分解される過程で、症状にムラが表れるのだろうか。
「召使のように扱っていいですよ」
ラング准将が軽くあしらうもので、祐奈はムキになってしまった。
「あのね、軽々しくそんなことを言うべきではありません。召使は大変なんですから」
「侍女のカルメリータは普段、どんなことを?」
「私によくしてくださいます」
「それなら私にもできそうです」
「あ、そっか。……えっと、だけど、他にもっと……お茶を淹れてくださったり」
「それもできそうですが」
「お茶はだめ。私が淹れますので」
「だけど前も、私が淹れてさしあげたでしょう?」
「そ、そうでしたね。前の宿で……でも、あの時も私が淹れるって言ったのに……」
「祐奈に何かしてあげたいんですよ」
「じゃあ私がラング准将に何かしてあげたいという気持ちはどうなるの?」
「いつかきっと、その機会が訪れますから」
「それはいつ来るっていうんです? ズルイです。ラング准将ばかり、私に尽くしてはいけません。召使のように扱っていいと言いながら、ラング准将は私に従わない。それって、いけない召使ですよ!」
「はいはい、分かりました。召使らしく、なんでも言うことをききますよ」
「召使らしくできるんですか? 絶対無理ですから」
「どうして?」
「ラング准将には務まりません」
「具体的におっしゃっていただかないとね。何が無理なのか」
「ラング准将が屈辱に感じるような仕事もいっぱいあります。あるはず。ええと……ええと、そう、髪をとかしたり」
「それは屈辱的ではないのでは? 許可をいただけるなら、喜んでやりますが」
「どういうことなの!」
祐奈はラング准将の豪胆ぶり(?)に唖然としてしまった。彼をぎゃふんと言わせるには、もっといろいろな仕事を挙げなければならない。
ただ、例を挙げるのが非常に難しかった。
カルメリータは色々なことを上手くこなしてくれるのだが、臨機応変な仕事が多いので、『これ』と明確に述べることができない。
「――なんだ、召使も簡単そうですね」
ラング准将があっさりそう言うもので、祐奈はなんだかカチンときてしまった。カルメリータ他、世界で頑張っている侍女たちのためにも、ここで自分が折れてはならないと思った。
「着替えの手伝いだってあるんですよ。これはすごく厄介です。自分の着替えだって面倒なのに、他人がするのを手伝うだなんて」
「でも祐奈は、カルメリータにそれを頼んでいない」
「そうですけど」
「そもそもの話、祐奈は私に着替えを手伝って欲しいのですか?」
「そんなこと言ってなーい!」
祐奈が怒ると、ラング准将が穏やかに笑っている。なんなのだ、この大人の余裕は、と祐奈は理不尽に感じた。
「祐奈。他には?」
「ラング准将、負けを認めてください」
「祐奈こそ。ずっと言い負かされているのに、気付いていないのかな」
「召使は本当に大変なんだから。ご主人様の入浴を手伝ったりもするんですよ。誇り高いラング准将には無理でしょう?」
ちなみに祐奈はカルメリータに入浴の手伝いもさせていない。これはひとえにラング准将を言い負かしたいがゆえの発言だった。
彼はさすがに怯むと思ったのだ。それなのに……
「あなたが本当にそれを望むなら、一緒に入浴して、髪を洗ってさしあげますよ」
「――ああ、神様! ラング准将ができもしない口約束をしました。悪びれもせず! 罪深い彼をどうか罰さないであげて……」
「できもしない口約束ってなんですか。人聞きの悪い。単に祐奈が想像できないだけでしょう」
「想像なんて、できるわけないでしょ」
「なぜ」
「だって、逆に考えてみて? ラング准将がご主人様で、私が召使だったとして――『一緒にお風呂に入って、髪を洗ってあげます』と私が言ったら、どんな気分ですか?」
「……なんだろう。無自覚にしても、どうかと思うが……。さすがに強硬手段で黙らせたくなる」
ラング准将が物騒な呟きを漏らした。
祐奈はこれについて、『ラング准将もやっと思い知ったようだ。召使の大変さを。――口喧嘩に完敗したものだから、こちらを強硬手段で黙らせたくなったのだ』と解釈し、少し得意になっていた。
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