第103話 ラング准将、固まる


 話をしようと候補者二名を広間に呼び出したのだが、案の定というべきか、ふたたび猿が縄張り争いを繰り広げているような騒ぎに巻き込まれることとなった。


 ――まず初めに、到着したバーバラが修道女にからみ始めた。なんでも『度数の高い酒を用意しておきなさい』とここへ向かう途上で命令しておいたらしいのだが、修道女が持って来たものが、バーバラからするとイマイチだったようで、怒り心頭のようである。


「ここの修道女ってお尻も垂れているし、しみったれているし、ほんといいとこなしね! 酒も満足に準備できないっていうんだから呆れちゃう!」


「ですがこちらはベイヴィアにある一番度数の高いお酒でして」


「赤ちゃんが飲むミルクじゃないのよ。私が『度数の高い酒を持って来い』って言ったら、持って来いっての。いい加減、そのでかい尻を蹴り飛ばしてやるからね」


 憎まれ口を叩きながらもバーバラはその酒をちゃんと飲んでいる。


 バーバラと祐奈のあいだに小卓があり、酒の注がれたグラスがいくつか置いてあった。修道女が気を利かせて、他の人のぶんも用意してくれたらしい。


 琥珀色の液体は、祐奈からするとかなり度数が高そうに見えるのだが、違うのだろうか。気になってグラスを手に取り、ヴェール越しに匂いを嗅いでみた。酒独特の匂いがするが、結局、嗅覚だけでは判断がつかない。


 そこへ小賢しいグロリアがやって来て、祐奈のそばで喚き始めた。


「あんな馬鹿女と候補を争っているなんて、もううんざり! あいつに朗読係は無理なの! 聖女様が賢くていらっしゃるなら、あんなアバズレは選ばないはずよね? どうなの? はっきりなさいよ」


 バーバラが悪口を聞きつけて歩み寄って来る。


「なんですって、このペチャパイ!」


「何よ、あんたの胸こそ、それ本物? コルセットに詰めものでもしているんじゃないの」


「本物よ!」


「じゃあきっと脱いだら垂れているんでしょうね。その大きさじゃあ」


「ふざけんじゃないわよ、このガキ」


「ガキって、年齢はそう変わらないでしょ。ただあんたが老けてるだけよ、見た目がね」


 ピーピーギャーギャー……まぁかしましいこと。


 祐奈に手が届く位置で二人が罵り合いを始めたので、ラング准将が進み出てきた。彼は女性には親切だが、祐奈に危害が及ぶとなれば、強制的に彼女たちを排除することを躊躇わないだろう。


 けれど祐奈は、ラング准将が女の子を押さえるところを見たくなかった。だから振り返り、グラスを持っていないほうの手を軽く持ち上げて、彼を制した。


 そのあいだも絶えず怒鳴り合いは続いている。数歩下がって距離を取ってはみたのだが、それでも耳がキーンとしてきた。そろそろいい加減にして欲しいと祐奈は思った。


 罵り合いが近くで繰り広げられているこの異常な状況に、祐奈も浮足立っていたのだろうか。ヴェールの下にグラスを入れて、手持ちのお酒を口に含んでいた。


「祐奈」


 硬い声は制止する意図だろうか。


 今のはラング准将が言ったのかな……? 祐奈はそんなことを考えながら、視界がぐらりと揺らいだことに驚きを感じていた。


 あれ? なんか……船に乗っているみたいな……


 祐奈は何度か飲酒の経験があるのだが、実はここまで高い度数の酒を煽ったことはなかった。そんなに強いほうでもないから、一気に酔いが回る。空っ腹だったこともそれに拍車をかけた。


 しかし祐奈が転んで痛い思いをすることはなかった。――というのも酔っぱらった彼女はラング准将に危なげなく抱き留められていたからだ。


 彼が後ろから左腕を回し、彼女の腹部にあてて体を支える。


 これに祐奈はすっかり安心し切って彼の腕にしがみつき、後ろに体重をかけて大胆に寄りかかった。


 後頭部が彼の肩に当たっているようだ。ポカポカして良い気分だった。気も大きくなってくる。――なんでもかかって来い! な気分なのだった。


「ちょっとあなたたち、私の話を聞いてください」


 祐奈なりに大声を出したのだが、あまり通ることもなく、無視されてしまった。


 グロリアもバーバラもヒステリー状態で、青筋を立てて怒鳴り合っているので、祐奈の声が聞こえるはずもない。


 祐奈はカチンと来て右手を上げようとして――グラスを持っていたので、もたついてしまった。すると大変良くできた護衛であるラング准将が、空いていた右手を伸ばして、祐奈が持っていたグラスを受け取り、近くの小卓に戻してくれた。


「ラング准将……ありがとうございまぁす」


「祐奈。酔っていますね」


「酔ってません」


 少し舌ったらずで、まるで説得力がないとラング准将は考えていた。


「今後、私がいないところで酒を飲んだらいけませんよ」


「どうして?」


「こうなるからです。男にしなだれかかったりしたら危険だ」


「いつもこうじゃありません」


「でも酔いが醒めると、忘れてしまうでしょう?」


「忘れちゃうけど、ラング准将以外に寄りかかったりしないもの。絶対しない」


「どうかな。怪しいものです」


「本当ですってば」


「祐奈はお酒を飲むと、正直になるのかな?」


「そう。なんで分かるの?」


「なんとなくね」


「ラング准将はなんでもお見通し」


「だけど君が俺をどう思っているかは未だに分からない。尊敬なのか、それ以外の感情もあるのか」


「難しいことは私にもよく分からない。……でも、大好き」


「え?」


「ラング准将が一番好き」


 へへ、と気の抜けた調子で笑うと、ラング准将がフリーズしてしまったようだ。相槌も返してこないし、なんの反応もない。


 首を回して彼の顔を仰ぎ見てみたら、やはり動きが完全に止まっていた。微かに目を見張り、こちらをじっと見おろしている。


 ……あれ、もしかして時間の流れが止まったのかな? と訝りたくなるくらいの見事な固まりっぷりだった。

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